第3話 笑いを勝ち取れ

 この世に神は存在しない。似て非なる女神しかいない。数十回のカクレンボ地獄で俺は思い知った。

「そろそろ終わりにしませんか」

「そうだね。次の遊びを考えよう」

 走るビッチが足を止めて笑顔で振り返る。そこそこに豊かな胸を上下に弾ませて戻ってきた。

「遊びよりも世界を救う旅に出たいのですが」

「候補の世界がいっぱいでぇ、まだ決めてないんですけどぉ」

 ビッチは上目遣いでモジモジする。長い金髪がシルクのような光沢を纏い、誘うようにゆらゆらと揺れる。指を入れて撫でたいという衝動に懸命に抗う。カクレンボ地獄で培った忍耐力が早々に活きた。幸運は続き、俺は上手い切り返しを思い付く。

「たくさんの候補を俺に見せてください。自分で救う世界を選びます」

「えー、でもぉ、本当にたくさんあってぇ、そう簡単には決められないと思うんだけどぉ」

「見てから判断します。それではいけませんか?」

 穏やかな口調に芯の強さを滲ませる。ビッチはどことなく不機嫌な顔で例の黒いリモコンを手にした。気が進まないのか。ちらりとこちらを見た。

「俺に配慮は必要ないです。候補の世界を見せてください」

「じゃあ、行くよ?」

 リモコンのボタンを押した。長方形に切り取られた小さな世界が幾つも展開されて俺達を取り囲む。一段では収まらない。二段三段と積み重ねてゆく。その速さに目が付いていかない。

 俺は直立した棒となって見上げた。ほぼ顎を垂直にして築かれた塔を漫然と眺める。最上段の世界に至っては目を細くしても横にした米粒にしか思えない。

「これが一部ね。全部、出してもいい?」

 ビッチの声が頭の中で反響する。眩暈めまいに等しい気持ち悪さに襲われ、俺はくずおれた。沈み込む頭の重さに耐えられず、流れるように両手を突いた。額を白い部分に当てるとひんやりして気分が落ち着く。

 個人が持ち得るありとあらゆるものを捨て去った究極のフォルム。土下座の心地よさに半ば陶酔とうすいした状態で俺は言った。

「世界の選定はメガッチにお任せします。個人的な意見を聞いて下さり、ありがとうございました」

「いいって、そんなの。わかってくれたら、本当にいいから。ね、次は何をして遊ぶ?」

 世界を選定する気はさらさらないらしい。嗚呼、土下座の姿のまま、石になりたい。何の干渉も受け付けないでひっそりと余生を過ごして、良いはずがない。

 泣き言に近い心の声を断ち切った。目に力を込めて顔を上げる。俺は勇者なのだと強く念じる。司法試験に振り回された人生は終わったのだと意識に擦り込んで立ち上がった。

「どのような遊びをしましょうか」

 気負うことなく自然に言葉が流れ出た。彼女の能力の一端を垣間見た俺としてはわらよりも女神にすがる。彼女の欲求に答えて満足させれば、必然的に俺の願いも叶うに違いない。

 致命的なガチャ運の無さに同情に等しい憐れみを覚える。女神の役目を果たせないで過ごした数百年の苦しみは、どれ程のものなのか。六法全書の分厚い壁に阻まれた俺には何となく理解できた。

「身体を使った遊びは能力差が出るよね。遊びは楽しくないとダメだし、考えたら最近、笑ったことがないっていうか、ずっと寝てた。だからね、わたしを笑わせて」

「どんな手を使ってもいいのですか」

 俺は両手を前に出した。ビッチの脇腹に近づけて指を激しく動かす。

「ダメだよ」

 ビッチは人差し指をピンと立てた状態で指先を下にした。俺の手首に向かって何気なく振って見せる。

 ポトンと両手が落ちた。手首から先が無くなった。その事実に目が見開き、瞬時に吸い込んだ息をゆるゆると吐き出した。

 叫ぶ間もなく両手は元に戻っていた。今まで通り、指は自由に動かせる。

「か、軽い冗談ですよ。本気にされるとは思わなくて、びっくりしました」

「わたしも軽い女神ジョークだよ。本気なら首を斬り落としていたって」

「強烈なブラックジョークですね。勇者引退で首切りですか、ははは」

「はい? 今のなにが面白いの。笑いをペロペロし過ぎだと思うんだけど。やる気はある? 闘魂を注入してあげようか」

 ビッチの右手が燃え始める。青白い炎がもたらす熱波で直視が難しい。顔が苦痛で歪む。

「ま、真面目にやります! 今一度、チャンスをください!」

「うんうん、やっぱり手抜きはダメだよね~」

 笑顔と共に炎は消えた。公園は跡形も無くなり、白い世界にぽつんと椅子が現れた。どこかの王族が座るような緋色の背もたれは俺の背丈を超える。

 ビッチは椅子に腰掛けた。速やかに脚を組み、肘掛けを利用して頬杖を突いた。傾いだ頭にはちょこんと小ぶりな王冠を頂く。

わらわを楽しませてみよ」

「が、頑張ります!」

 ビッチは女王を気取った道化を演じる。妾は自分をへりくだっていう言葉なので滑稽に思えるが、そんなことは本当にどうでもいい。

 足元から物体が迫り出す。俺は広々とした舞台の中央に立たされた。マイクスタンドが目の前にある。仕方なく一歩を踏み出す。心なしか首の後ろが寒い。断頭台にいる心境であった。

 にこやかな顔を心掛けてマイクに口を近づける。

「いきなりの本番で緊張していますが、広い心でご覧ください。あの広い大洋たいよう、北極海のようにって小さいやないかーい」

「えっと、それがなに? 首ポトン、いっとく?」

「いっときません! 今のはささやかな前振りで、本番はこれからです!」

「あ、そうなんだ。ごめんね。わたし早とちりしちゃったよ。瞬きしないで見てるから頑張ってね」

 ビッチは幸せそうな笑みで目を見開いた。全てを見透かしているような緑色の目に俺の緊張が一気に高まる。

 ハードルを上げ過ぎた。今の俺には跳び越えられそうにない。辛うじて笑顔を保ち、心の中で必死に願った。


 神様、どうか憐れな勇者に救いの手を――。


 この世に存在しなくてもすがらないといけない。俺の精神状態はかなりのところまで追い込まれた。

 もしかして世界を救うよりも女神攻略の方が遙かに難しいのではないだろうか。

「喉の調子が整ったところで、シュールなギャグを少々。笑っていただければ幸甚こうじんの至りでございます」

 今、命を賭けた戦いが始まる。

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