第3章


 久しぶりに悠真は城下町を歩いていた。好物の饅頭が無性に食べたくなったからだ。

 「この国は龍がおわします地。天からの御使いに力を与えられた者の治める地よ。偉大なる龍の血脈に愛されし民よ。我が王と共に平和を。」

 城下町では相変わらず龍の信者達が謳っていた。

国のシンボルの龍が描かれた旗を振り、首から体に不釣り合いな十字架を下げている。熱心に民衆に語りかける姿に悠真は辟易し、人だかりの後ろを通りに抜ける。

 (龍の血脈に愛されし民って誰のことだろ?)

 むっ〜と悩んでみたが、該当する人物の顔は浮かばない。

 皆が求めるのは『安心で安全な国』。自身に危機が及ばず、心安らぐ場。

 父も母もそれを願ってきた。そして李桜も。

 これまでも強い者が生き残り命を繋いできた。弱い者は死か服従を迫られてきた。死ぬことより、生き続ける事に意味があると呪いのように遺伝子に刻まれていた。

 ただ、生きる事に意味がある。

 そんな言葉も聞いた気がする。目の前に広がる現実は全てが意味がある。

 悠真は前を視る。

 市場の屋台も以前に比べれば減っているようだ。

品揃えも悪い。藍玉国からの物資は衣類などの身の周りの物と携帯保存食のみ。東地域の港町との交易は既に破綻。安寧を求め龍の国に移住した者達は祖国へと引き上げた。

 「あ、ついた。」 

 途中からぼんやりしていたが目的地についていた。レンガ作りの古びた小さなお店。看板は出て無かったが悠真は迷わず中に入る。

 「おばちゃーん。」

 店内は薄暗かった。暗い奥に声を掛ける。ショーケースにも商品はない。前は良い匂いのパンが並んでいて、眺めていても楽しかったのに。

 「誰だぃ?」

 奥から出てきたのはふっくらとした中年女性だった。悠真の姿を認めると「ああ、あんたか。」と静かに呟いた。

 「お饅頭買いにきたんだー。」

 無邪気に笑う悠真に女性は少しだけ驚いた顔をした後、口元に笑みを浮かべ首を振った。

 「もう饅頭はつくれないよ、材料が無いしね。」

 「お饅頭ないの?」

 「ああ、ないよ。」

 あっれー?残念がるというより、心底不思議がっている悠真が女性にはおかしく映っていた。

 「あんただけだよ、新兵からずっーとうちの饅頭買いにきたの。」

 「だって美味しいんだもん。」

 食べれるはずだったけどと悠真が頭の後で手を組んだ。

 「食べさせてあげたいけど、仕入れがね。藍玉国の小麦が一番合うんだよ、うちの饅頭には。」

 「うん。」

 「行商人も来ないしね。北街道は軍が使っているらしいじゃないか。正門はドンパチしてるんだろ?」

 今後の生活に不安があるのだろうか女性本人は自覚は無いが愚痴に聞こえてしまう。

 「この国は龍が守ってくれるんだから暫くは我慢しないと思うけど、どうもねぇ。」

 深く長い溜息。悠真は考える。そして女性の言葉に答えた。

 「もう暫くしたら北街道も通れるよ。」

 「そうなのかい?」

 「うん、あとねー、」

 無邪気な笑みは他人の警戒心を解く。誰でも、小さな子どもに警戒はしない。『負けるわけがない』と油断が生まれるからだ。

 「龍は護らいなよ、こんな国。」

 なんでもない事だと。道ですれ違った挨拶程度の感覚で笑いながら言う悠真の姿が女性には異様に見えた。店内が暗いからだ。逆光のせいだろう。

 「じゃあねー。」

 手を振って悠真が出ていく。女性は微動だにせずその場に立っていた。気見が悪く、ぶるりと悪寒が走った。



 店を出て悠真は路地を歩いていた。

 (今日が最後のお饅頭を食べられる日だったはずだったのにー。)

 最近、予知がズレている。未来に大きな変化はないが、少し困った。理由はわからない。予知に靄がかかっている。2色の色がせめぎあっているようなこれまでにない感覚だった。

 「う〜ん。」

 考えるがやはり答えは出ない。進むべき道は視えている。道中の障害もわかる。ただ、足元の石ころを踏むか避けるかの程度だと悠真は感じている。

 「軍人さん、寄ってて。」

 腕を掴まれて足を止める。虚ろ気な笑みを浮かべ少女が悠真の右腕を掴んでいた。そばかす顔の少女だった。大人に見せようと施された化粧が痛々しい。全体的に線の細い少女は古びた羊毛のワンピースを着ていた。以前は派手だったであろう刺繍は今は色褪せていた。

 「安くするよ、お店はあっちだから。」

 店に案内すると少女は悠真の腕を引く。

 (変だ、やっぱり変だ。)

 ほんの些細な事なのだけど、イライラする。

 少女の細い手を振り払い、悠真は大通りに向かった。

 「ちょっと待ってよ。この時間にこんなとこ歩いてたんだから買いにきたんでしょ。」

 追いかける少女の言葉に悠真の足が止まる。

 (あれ、そうだ、なんでここ歩いてるんだろ?)

 悠真が足を止めたことに少女は話続ける。

 「昼間は半額よ。お得でしょ?」

 少女は言う、この値段で欲を発散できるのはお得だと。私達は生活のためにお金が必要だ、情けを分けてくれと。お互いに見返りは期待できると。

 そう誘えば、昼間から遊んでいる軍人は少女に着いて行き微々たる金を落としてくれた。

 「ね、悪い話じゃないよ。」

 「悪い話だよ。」

 少女が驚く。悠真は少女を見下ろした。

 「病気持ってるんでしょ。」

 抑揚なく、淡々と告げる。少女は唇を噛んだ。

 「何言ってんの?この国は病気なんてないよ、あんた達軍人がよく知ってるはずだよ?」

 「その軍人が別のとこから持ってくることもあるけど。」

 少女がこの国に「病気はない」と言ったのは私達に病気はないから安全だ、子供も産まないといけないのだからということだ。

 「別のとこから」という言葉に少女は悠真を睨みつけていた。そしてペッと唾を吐きかける。ジャケットにかかった唾を悠真は無気力に見下ろす。

 「あんた、幹部だろう?子供を産ませるのが目的ならなんで病気なんか持ち込んだんだ?!」

 掴みかかる少女に悠真はされるがままだった。濁っていた瞳は殺意で濡れていた。目尻からボロボロと少女は涙を流しながら叫ぶ。

 「子供を沢山産めと教えたのはあんたらだろ?!この体じゃ、産めやしないじゃないか!」

 人権なんてこの国にはもう存在しない。生きる権利も、安全も何もかも。

 「こんな、とこに、生まれてなかったら、きっと、もっと幸せだったのにっ!」

 悔しいと少女は泣く。確かに他の国なら少女は幸せだったかもしれない。

 「じゃあ、死ぬ?」

 少女の瞳が開いた。紫紺が見下ろしている。まるで漆黒の夜の中に投げだされたようだ。

 「今死ぬなら手伝うけど。俺、殺すの上手いから。苦しくないよ。」

 少女の思考が停止する。何を言われたのか理解できない、したくない。

 「長くないってわかってるんでしょ?だから病気移したいんでしょ?仕返ししたいんでしょ?」

少女の手から力が抜ける。倒れこむように地面に座りこむ。顔を上げ悠真と目を合わせたままだ。

 「どうする?」

 選択権は自身にある。そう、紫紺の瞳は言っている。少女はもう、涙を流していなかった。ゆっくりと膝をつき、両手を握りしめている。

 「もし死にたくなったら教えてね。」

 それだけを告げて悠真は大通りに出た。ただ、生きる事に意味がある。

 命は必ず尽きるのに、わざわざ意味を持たせて苦しみながらも生きる。

 悠真は首を傾げた。この答えを自身は一生知ることはないと思うし、強く知ろうとも思わない。言葉にしたら李桜が悲しむだろうと知っていればそれでいいのだ。



 「どこいってたんです?」

 北東の塔の執務室に戻ると李桜が居た。珍しく眼鏡を掛けずに執務を行っていた。報告書に目を通し署名をしている。

 悠真は相変わらず真面目だなぁと感心し静かにドアを閉めた。

 「城下町ー。」

 間延びした声で答えソファに向かう。

 「珍しいですね、お饅頭でも買いにいったんですか?」

 書類に目を通しながら聞く李桜に悠真はうんと答えた。そしていつものように続ける。

 「お饅頭なかったー。あとジャケット汚れたー。あっー!」

 「あっ!?」

 急に大声を出した悠真の声で李桜は署名を書き損じてしまった。

 「こら、急に大きな声を・・・出すのはやめて下さい。」

 驚いた事でついいつもの叱り方になってしまった李桜だったが、すぐにキルシュ大佐に切り替わることができた。

 「どこ?どこにおいたっけ?」

 ガサガサだと書棚や郵便物を漁り散らかし始めた悠真に李桜は唖然となった。ひらりひらりと書類が舞っていく。

 「あれ?あれ?」

 一生懸命何かを探す悠真は珍しく慌てていた。

 「・・・落ち着いて下さい。一体何をそんなに探してるんですか?」

 李桜の言葉も届いていないようで悠真はガサガゴソと探し続けている。こうなってはどうしようもない。李桜は悠真の気が済むまで放って置くことにした。

 「・・・あったぁ!」

 お目当ての物、絵本を高く掲げて悠真は喜んだ。

李桜は悠真が散らかした室内を見渡す。

 「・・・ちゃんと後片付けしてくださいね。こんなに散らかして。」

 「李桜!李桜!」

 上機嫌で悠真が李桜のもとに持ってきたのはお気に入りの絵本だった。

 確か、この国に伝わる『竜の子と旅人』の話しだ。

 「・・・今は仕事中ですよ。帰ってから読んであげますから。」

 保護施設で過ごした時も何度も読んでとせがまれた絵本。何百回と読まされたので李桜は内容全てを覚えている。

 「え?いいの?」

 きょとんと意外そうな悠真の李桜は開いた口が塞がらない。相変わらず悠真の行動と言動が理解できない。

 「だって、これ」

 ぱらりと絵本を開き李桜に見せる。

 「ミレからの手紙。」

 「っ!!?」

 がばっと李桜が立ち上がった。差し出された絵本の上に載っている封筒の筆跡は確かにミランダのものだ。素早く受け取ると李桜は急いで開封した。

 暫く内容を凝視すると読み終えたのか李桜はポカンと宙を見上げる。

 「‘・・・李桜?」

 視えていた反応と違う。また、ズレてしまったのだろうか?先程とは違う焦りで悠真は李桜に近寄る。

 「・・・大丈夫?」

 「悠真っ!」

 感極まった声で悠真を呼び抱きつく。

 「ミランダ、元気にしてるそうですよ!アルバートも!」

 深碧を輝かせ頬を緩め喜ぶ李桜に悠真も嬉しくなり安堵した。

 「ん。あっちでも孤児の世話してるみたいだね。」

 ミランダとアルバートは悠真と李桜が育った孤児院で料理人と掃除人をしていた。孤児院退去時に二人は藍玉国に引っ越して行った。それからは手紙でやり取りしている。

 「ふふ。山菜狩りですか。楽しそう。」

 「ミレのおじや美味しかったねー。」

 「アルバートも悠真の事心配してるみたいですよ。二人になると『様』付っですって。」

 「赤ちゃんの時からだからもう癖になっているのかなー?別に悠真でいいのにー。」

 「そうはいきまさんよ。貴方一応主人ですからね。」

 当時を思い出し、懐かしいと李桜が微笑む。

 「・・・身体の事も心配してくれている。」

 検閲に引っ掛からないようにぼかして書かれている内容に李桜は愛情を感じていた。

 ミランダとアルバートは悠真以外で李桜が女性だと知っている人物だ。保護施設で女であることを隠せたのはミランダが居たからだ。

 豪快に笑い頭を撫でられて褒められたくて、お手伝いを頑張っていた頃を思い出す。愛情をもらえている事が嬉しかった。離れても忘れかけていた気持ちをこうして思い出させてくれるミランダは李桜の大切な人だ。

 「終わったら、ミレに会いに行こうね。」

 にっこりと笑う悠真に李桜も満面の笑みを向ける。

 「ええ!絶対にいきますっ!」

 「うん。約束。」

 クスクスと笑い、二人は互いのおでこをくっつけた。これが『約束の印』だ。

 「それにしてもどこに置いてたんですか?」

こんな大事なものをと口を尖らせ李桜が非難する。

 「・・・無くさないように絵本に挟んでソファの下に隠してた。」

 散らかった室内に視線を向けた後、にへらと笑い悠真はバツが悪そうに答えた。



ーリントエーデル国国境付近リーヴ草原


 国軍の兵力は大分削いでいる。

 多数の異民族を纏め革命軍の頭になった博文ーヒロブミーはこれからの作戦を考える為に地図を広げていた。そして、何かがおかしいと感じていた。この戦はリントエーデル国の「異端狩り」という特殊民族狩りが事の発端だった。古くから伝わる風習、崇める神の抹殺。虐殺に暴行、侵略を繰り返し国土を広げている。

 リントエーデル国の悪政は海を越えた博文の住む島にも伝わっていた。 


 リントエーデル国は東西南北の物流拠点である。商人にとって、四方の物流が一斉に集まるこの地は交易に都合のよい場所だった。活気が溢れた幸せの国の象徴として、二千年の歴史を持つ。

 しかし王が病に伏せてから悪魔に魂を売ったように狂い己の欲を満たす為に龍の力を使用していると聞く。

 『見過ごすことは出来ぬ、博文よ。わしの変わりに成敗してこい。』

 師範の命により博文はこの地で仲間を集め、打倒ブランシュ王を掲げてきた。師範から託された日本刀を腰にリントエーデル国地方拠点に赴き好き勝手している駐在軍壊滅させてきた。

 「おいおい、何湿気た面してんだ、リーダーさんよー。」

 褐色の肌に似合う陽気な笑みで天幕に入ってきたのは彫りの深い顔立ちで太い眉が特徴的な狩猟民族のドゥールブだ。

 「頭使わない奴は引っ込んでろ。」

 心底嫌そうな顔で答え、博文は犬を追い払う仕草をする。

 「はぁ?お前が気ぃ張り詰めてるから心配してやってんだろ!」

 「だったら出ていってくれないか。暑苦しいんだよ、お前の見た目。」

 大柄な体躯に筋肉を強調するかのような半裸。動物の骨でできた飾り。狩猟民族と知っていても、博文はどうも好感が持てなかった。

 「ヒロ、入っていい?」

 「カマルか?」

 遠慮がちに天幕を覗いたのは十歳くらいの金髪金眼の少年だった。博文の承諾を確認して中に入る。カマルは紺生地の服をきていた。腰に巻いている幾何学模様はお守りだそうだ。肩には鷲が乗っている。

 「チェルノから定期連絡。」

 「なんて書かれてる?」

 「街道を使ってリントエーデル国から女の人や子供たちが藍玉国の領内に入って来てるって。国境警備に当たってるのは少年兵ばっかりだって。」

 カマルの言葉に博文の眉間に皺が寄った。

 「非戦闘民と少年兵士をさげてるってことか?」 

 「うん。物資の数も徐々に減らしてるって。」

 肩に載せた鷲をカマルが撫でる

 「あのさ、ヒロ。オレも連れて行ってよ、リントエーデル国。」

 懇願するカマルに博文は難しい顔をした。

 「ここからは戦闘も激しくなるぞ。お前を連れいくのは反対なんだが。」

 「みんなの邪魔はしない、自分のことは自分でする!」

 両拳を作り、カマルは必死に訴えた。

 「星の流れも良いし。星桜ーしおんーも月の加護があるから大丈夫っていってる!お願い!」

 必死に懇願するカマルに博文は苦い顔をした。

 「いいじゃねーか。」

 助け舟を出したのはドゥルーブだった。紫煙を燻らし、白い歯を覗かせる。

 「カマルがいれば天気もわかるしな。」

 「うん!オレ、外さないよ!」

 やれやれと折れたのは博文だった。

 「星桜は月光浴か?」

 「村の人が心配だからって。」

 そう言ってカマルは入り口に視線を向けた。



 見渡す限り、夜が広がっている。星々が輝き、純白な三日月が煌々と夜に浮かんでいる。

 その中に白の民族衣装に身を包んだ少年が一人。

 「神夜様、僕に月の加護を。」

 さわさわと夜風を栗色の髪を撫でる。

 「家族の仇を村の仇を。虐げられ、殺された人たちの無念晴らさせて下さい。」

 強い祈りに夜風が呼応するように星桜に吹いた。

 「龍が滅びますように。」

 閉じていた緑青の目を薄っすらと開き、星桜は三日月を見上げた。




 カーテン越しでも李桜には三日月が浮かんでいることがわかる。それは月の民の感覚だと理解していた。隣では悠真が寝息を立てていた。安心しきった寝顔に自然と李桜は笑みが溢れた。

 半身を起こし、李桜はカーテンを少し開け夜に浮かぶ三日月に祈りを捧げる。

 「誰もが幸せでありますように。神夜様のご加護がありますように。」

 月は輝く。平等に地上を照らす。

 「う~ん・・・。」

 悠真が寝返りを打つ。むにゃむにゃと口元を動かしている。不眠体質の悠真が熟睡している様子に李桜の心は和らぐ。

 「神夜様、悠真を助けてください。」

 無意識に出た言葉に李桜は一瞬驚いたが、カーテンを閉めると布団に潜り込んだ。



 リントエーデル国城下町にも戦闘は劣勢との情報が伝わっていた。プロパガンダだと貴族たちは笑い飛ばしたが劣勢だと直にわかっているのは貴族の方だった。賢い者は他の土地を探したし、別荘を建てては家族を避暑に行かせた。  

 この国は建国二千年という長い歴史があり、幾度となく危機を乗り越えてきた。神に認められし龍の恩恵を受ける国なのだ。

 聖職者や占い師は声を揃えて言う、この国はこの地にはエネルギーがあるのだと。神秘の国だと。滅ぶわけがないのだと。龍が、守ってくれるのだと。



 巡回後の部下の報告を受けた李桜は同盟国である藍玉国チェルノ伯爵への返信に頭を悩ませていた。

 同盟上の確認事項や物資援助の件で会って話がしたいと言うのだ。この状況で藍玉国に出向けば拘束されるのは間違いない。

 そして『食事でもしながら貴方の人柄に触れたい。』と意味深な文末で終わっている。

 軍のこともそうだがどうも『キルシュ大佐』に興味を持っているような文面ともとれる。

 「はぁ。」

 嘆息して李桜は頭を抱えた。当たり障りなく、お断りするしかない。



ーリントエーデル国 宮殿会議室


 宮殿での会議が増えた事に悠真も頭が痛かった。

一種の拒絶反応。これがフェンがよく言っていた『ストレス』というものだろうか。

 7人テーブルに参加者は悠真を含め4名。ギルマン中将に変わり、国務大臣のディランが座っていた。

 「下層民の流出がやまぬ。北街道は封鎖すべきでは?」

  フリッツ大臣は顎髭を擦る。国民は王に贅を献上する者だ。命を保証する代わりに国王の為に働いてもらう。そう暗に言っているように悠真に聞こえた。

 「北の街道はノービリス准将がみていたな?」

 「ええ。私の部隊が野犬掃討で街道の安全を保っています。」

 訓練校を修了したばかりの少年達ですがと付け加える。

 「国外に出ていくのは女子ども、老人と戦力にならない者ばかりです。何も問題はないと思いますが。」

 「女子どもでも国の為に役立つだろう!」

 ジョルダン公が青筋を浮かべテーブルを叩いた。嘆息し、呆れた口調でノービリス准将は答えた。

 「お言葉ですが。彼らは路地に屯し、盗みを働いていた者たちですよ?物資の足らない国内で漁られでもしたら十分に補給できません。敵が迫っているこの時に国内の治安に割く人員はありませんし。」

 害がないならほって置けばいいとノービリス准将は主張した。

 「しかし、避難民と偽り逃げて反乱軍にこちらの情報を渡しているのかもしれないではないか。」

 「スパイがいるのか?!」

 「何を言うか、ここは龍の国ぞ。龍に逆らう者などおろうはずがなかろう。」

 現実的でない口論を交わす幹部たちを眺めるのもアホらしい。組んだ手で口元を隠しながら、悠真は欠伸を何度か繰り返す。こんなにも退屈で無駄な時間を過ごすなんて。

 前ブランシュ王が亡くなって十七年になるが新王の政策は自身を讃える物ばかりで、そこに散らばる金を周りのものが奪い合っている。そんな輩が王に忠誠を誓うはずはない。損得勘定で動く者たちだ、金をもらって逃げるなど朝飯前だろう。現にコナー大将とは9ヶ月も音信不通だ。

 これまで異端の名で襲撃を受けた民族たちも愚かではない。怒りや憎しみが同調し、徒党を組み、強大な力となった。

 (あー、イライラする。)

 結果の出ない議論程無駄な時間はない。こんな時は李桜の淹れる珈琲が飲みたい。悠真は手を上げて発言の許可を求めた。

 「K1隊から実戦経験豊富な猛者たちが応援としてジョルダン公の部隊に配属されましたが。彼らは現在どの作戦に参加しているのですか。」

 先程、ジョルダン公が突っかかってきた。意趣返しでノービリス准将が口を開いた。

 ジョルダン公はグッと言葉に詰まっていた。ノービリス准将はそれを見逃さず、「どうしたんですか」と再び問いかけた。

 「貴様の部下は腑抜けしかいなかったぞ!我がザフト隊の足を引っ張った!おかげで被害は甚大だ!」

 唾を飛ばし、ジョルダン公はノービリス准将を罵倒した。顔色も変えないノービリス准将に更に怒りが湧く。

 「訂正しますが。K1隊は私の隊ではありません。そして、移動した正規兵は殉職扱いでよろしいですか?」

 「こちらも正規軍の半数以上は削がれた、ギルマンも戦死したんだぞ!それを貴様こんな場所で何をしているんだ!さっさと戦地に赴き、指揮をとらんか!」

 「『戦地には私の優秀な部下、ギルマンが行くのでお前は子守でもしておけ』の指示のもと、同盟国との物流ルートの確保を行いましたが?それに、私の上司はアドルフ公であって、貴方ではない。」

 「いつまでも連絡が取れない者など逃亡したと同じだろう!」

 「逃亡の根拠もないのにアドルフ公を非難するのはやめていただきたい。」

 「エリザ王妃に気に入られたからと調子にのるなよ、若造が!」

 「よさないか見苦しい。」

 二人の仲裁にフリッツ大臣が入る。

 「フリッツ大臣の言うとおりだ、落ち着きなさい、ジョルダン公。ノービリス准将も他軍といえ、上の者にその態度はよくないぞ。」

 ノービリス准将はすみませんと形だけだけ述べて黙った。

 ディラン大臣も首を振る。

 「しかしこれは由々しき事態だぞ。反乱軍は寄せ集めと言えど、5000を超える傭兵部族だと言うではないか。市民から徴収しても我が国は10000も満たないだろう。藍玉国からの人的支援は望めるのか?」

 ディラン大臣はノービリス准将に視線を向けた。その視線を准将は首を横に振り答える。

 「藍玉国は平和的解決を望んでいます。民への食料支援は行なうが兵力支援は行わないと返答がありました。」

 「平和的解決だと?同盟国の地方拠点を襲撃されて黙っていると言うのか?!」

 「落ち着けジョルダン公!」

 フリッツ大臣が吠える。ジョルダン公は椅子に深く座り直した。

 「よろしいですか?」

 右手を上げ、ノービリス准将がフリッツ大臣に発言の許可を求める。フリッツ大臣は頷いて続けるよう促した。

 「この窮地を救えるのは龍の加護しかないと思うのです。王に進言してはいかがでしょう?」

 「そうです!我が王のお言葉を!」

 名案だとジョルダン公が叫ぶ。二人の大臣は険しい表情を隠さずに互いの顔を見る。

 「今日はこれにて閉会する。ジョルダン公、ノービリス准将は持ち場に戻りたまえ。」

 「お待ち下さい、王のお言葉を!」

 「しつこいぞジョルダン公!王は龍との交信中だ!」

 吐き捨てるようにフリッツ大臣が告げる。忌々しいと告げられジョルダン公は直ぐに頭を下げた。

 広間から二人の大臣が荒々しく出ていく。その姿を悠真は面倒くさそうに眺めた。フリッツ大臣の侮蔑の視線はジョルダン公でなく王に向けられたものだ。

 国の危機だというのに性の快楽を貪る愚王。

 その愚王に使えてでも富を求める大臣。

 何も知らずに愚王を信じ縋る軍責任者。

 (なぁーんかほんにと馬鹿らしくなちゃった。)

 こんな連中に国を守れるわけがない。二千年と国として維持してきたのは代々の王たちが努力と苦悩を重ねたからだ。それがほんの些細な亀裂でこうも崩れるのはたやすい。

 国の幸せは潰れることだろう、そう悠真は思う。



 夜が訪れ、月が輝く。月明かりを浴び李桜は神夜様に感謝をしていた。現実世界には理不尽な難題が溢れている。この世は矛盾で成り立っている。事象の全てが対になっている。生まれた瞬間に死が決まっているように。それでも、苦痛が少しでも和らげることはできる。それが『癒やし』なのだから。

 月に願う。誰もが幸せだと感じることができればと。

 月光こそが全ての命に平等なのだ。

 雲に隠れても夜の中で輝いている。

 北街道の森に。

 リーヴ草原に。

 城下町の路地に。

 保護施設に。

 古城に。

 月は輝き癒やしを届ける。




ーリントエーデル国 北東の塔執務室


 そう言えば、一週間は雨が降っていない。

 執務室の窓から外を見上げふと李桜は思った。小雨程度は降るが貯水するには足りない。 

 何年か前に遊馬山から流れる天慎川ーてんしんがわーから水路を引く話もあったが財政問題で頓挫していた。東門付近で水源を見付けたからと悠真が溜池作りをしていたはず。

 だがヴィントがいなくなってからの経過は聞いていない。少年兵に指示を出している様子はあるが。

 執務机に視線を送る。今は『ノービリス准将』の席は空いている。

 宮殿からの急な呼び出しで出掛けたのだ。王族に会うとい事で急遽の礼服に文句を言っていた。面倒だからと普段通りのシャツにストレートパンツで出かけようとしたので李桜が着替えを手伝う羽目になった。

 「もう子供じゃないんだから。」

 ため息をついてキルシュ大佐に切り替え。書類に目を戻した。



 「こちらでお待ち下さい。」

 悠真が通されたのはガラス張りのテラスだった。昼の日差しで温まっている中は正装している悠真には熱くて仕方がない。早くしてほしいと詰め襟を外しパタパタと手を振っては悪あがきをする。

だいたい。急に呼び出すなんてなんなんだ。李桜にカフェラテとバタークッキーを頼もうと思っていたのに。

 「おまたせいたしました。」

 ドアが開く。悠真は襟を正した。メイドがワゴンを押してくる。カフェテーブルに並べられる、高級カップと高級菓子。

 「ノービリス准将!」

 駆け込んできたのはナタリー王女だった。すぐさまノービリス准将の腕に体をくっつける。

 「お会いしたかったです、私、すごく待ちましてよ!」

 入念に化粧を施し、ドレスには香水がふんだんにふり掛けられている。更に散りばめられた宝石が陽に反射して眩しく目が痛い。

 「・・・。」

 年下の王女の瞳が娼館の女達と重なる。

 男を誘う欲が滲んでいる。悠真の直感が危険だと訴えていた。

 「さあ、我が宮殿専属パティシエの自慢のお菓子ですのよ、召し上がって?」

 テーブルに腕を引っ張られる。目の前に並ぶお菓子や紅茶が悠真には毒毒しく映る。自身を舐め回すような王女の視線から逃げたい、切実にそう思った。

 (無理っ!もう限っ界っ!!)

 悠真は右腕をするりと抜くと先手を取られないよう、ナタリー王女の両肩を掴んだ。

 「ナタリー王女、この国からお逃げ下さい!」

 「は?」

 「戦が迫っています!ナタリー王女とエリザ王妃様には一時的にでも国外の安全な場所に避難して頂きたいんです!」

 「あの?」

 「それでは国王陛下によろしくお伝え下さい!私は別件がありますのでこれで失礼します!」

 一息に告げると王女の疑問の声は無視し、脱兎の如く悠真は宮殿を飛び出した。

 一目散に駆け込んだのは北東の塔の執務室。

 扉を締め、鍵を掛けると悠真はその場に座り込んだ。呼吸が落ち着かない。

 「どうしたんですか?」

 「!」

 室内からの声に悠真はビクつく。李桜の姿を確認すると悠真は顔をクシャクシャにした。

 「りおん~、なんで若い女ってあんな恐いのぉ。」

 近づきしゃがんだ李桜に悠真は抱きつく。抱きつかれた李桜も困惑してしまう。

 「・・・一体何があったというのです。」

 悠真が落ちつくよう李桜は背中を擦る。

 「李桜ー。」

 「なんですかー?」

 悠真の間延びにつられ、李桜も間延びして答える。

 「カフェラテとバタークッキー食べたい。」

 「明日のおやつにね。」

 一瞬、悠真はショックを受けたが、唇を噛み締め二回頷いた。



 悠真が宮殿に呼ばれた翌日。

 エリザ王妃とナタリー嬢が藍玉国、東島経由で南の地に向かう事が決まった。護衛には南方戦から生き延びた熟練兵士達がつくらしい。その報告を李桜から受けた悠真はバタークッキーを手に飛び跳ねて喜んでいた。



ーリントエーデル国 西区


 保守的な考えの大臣たちにプライドを粉砕されたジョルダン公は自身が指揮を取ると国中の貴族を召集していた。誇り高き、龍の国の男児が野蛮な民族に負けるわけがないと。数で攻めると決めたようだ。

 「我が国に蛮族が攻め込もうとしている、神である龍に戦を仕掛けた不届き者たちを我々は成敗せねばならない!私と共に国を守ろうではないか!今こそ、立ち上がる時だ!」

 民衆を集め自身の屋敷から演説を行なうジョルダン公の姿。

 久しぶりに『力』を使って視えた光景に悠真は嘆息した。

 部下たちが民衆に配っているのは藍玉国からの物資だった。どうやら自身の懐からは出さないようだ。既に国民の半数は国外に脱出した。北へ逃げる者が多いが東の港町や南に逃げる者たちもいる。

 革命軍が国境付近に進行するまでの間にどれだけが出ていくか。李桜はどれだけの数が巻き込まれなければ満足するのだろうか。

 立ち上がり、窓に向かう。ここから遊馬山を眺めるのも見納めだと感じた。北東の塔から藍玉国へと続く北街道や森を眺めるのは結構好きだったので残念だ。

 小鳥の囀りや虫の鳴き声、野兎も居る。人肉の味を覚えてしまった可哀相な狼や野犬もいる、そんな森だ。

 「あれなんだろ?」

 北から飛んでくる大きな鳥。初めて見るその姿に悠真は漆黒を煌めかせた。どうやら南に向かっているようだ。北東の塔を横切り飛んでいく。




 日が昇り沈み、月が輝く。

 意識しないと気づかないほど。

 ゆっくりと確実に時が過ぎていく。


 夢と現実、未来の間を揺蕩う感覚が変化する。研ぎ澄まされたり、ぼやけたり。

 最近は目を閉じれば視えてしまう。制御が効かなくなることもある。

 望まぬ事柄も視える。負担が大きい。

 目を閉じ、耳を澄ませばそこは別世界だ。


 馬が地面を蹴る音が森の中に響く。

 跨っているのは青色のくせっ毛の青年。

 彼は馬から降りると必死に訴えた。

 そんな彼に一言だけ告げた。

 その言葉に彼は体を震えわせた。

 尊敬の念が憎しみに変わる。

 泣き叫び、彼が銃を握る。

 銃口が向けられる前にトリガーを引いた。

 乾いた音の後に血しぶきが舞った。

 


 目を開けた悠真は北東の塔にいた。

 森を眺めては目を閉じる。また、霞がかかる未来。

 近頃、現実と夢の境界線が曖昧だ。自身の存在が現実なのか、夢なのか、未来なのか。意識がどこにあるのか、客観的に視えているだけ。

 窓に手を当てては眉間に皺を寄せ、悠真は空を睨み続けた。

 「疲れてるんじゃないんですか?」

 隣に立った李桜が後ろに束ねた紐を外した。解かれた髪からふわりと桜の匂いが悠真の鼻先をかすめる。その匂いに悠真はここが現実だと認識した。

 悠真は確認するようにギュッと李桜を抱き抱える。李桜の体温は夢や予知では感じられない。

 「あのさ李桜。ヴィントが戦況を確認しにここに向かってるんだ。避難民から色々と聞いたと思う。話するのお願い。」

 宙に浮いた李桜は体重を悠真に預けるよう首に手を回した。

 「貴方が行ったほうがいいんじゃないですか?ヴィントは貴方に憧れてますよ。上官というより兄のように慕っている。貴方から直接指示を出すべきでは?」

 「んー、俺じゃ納得させれないし。やっぱり無理かも。」

 珍しく悠真が言葉を濁した。それ以上李桜は追求しなかった。代わりに抱く腕に力を入れた。

 「あと、お城に引っ越ししよ。ここも部屋もやだ。」

 「悠真?」

 らしくない言葉に李桜は目を見張る。曖昧な理由で場所を変えようなど悠真は今まで口にしたことなどなかった。

 「ふふ、大丈夫ですよ。絶対大丈夫だから。」

 まじないのように繰り返し「大丈夫」と呟き悠真の頭を撫でる。その行為はいつも悠真を幼かった記憶の中に連れて行く。

 ああ、昔も母様はそう言って俺を安心させてくれた。弱音を吐けば、不安を訴えれば言うだけ母様は俺を安心させようとしてくれた。

 (その後、母様はどうしてたっけ?)

 悠真の記憶の中の母は翠髪を靡かせ色褪せず微笑んでいるだけだ。



 北街道を軍馬で駆け抜ける。ヴィントは焦っていた。馬が急に止まる。

 「こら、走れよ!」

 「持ち場に戻りなさい、ヴィント少佐。」

 凛とした鋭い声にヴィントの表情が歪む。悠真が話した通り、ヴィントは北街道の検問所まで来ていた。

 「キルシュ大佐!ノービリス准将に会わせてください。」

 馬上からヴィントはキルシュ大佐を睨め付けた。不敬罪に問われても弁解のしようのない態度だ。李桜はそんなヴィントの視線を真っ直ぐに受け止めた。

 「持ち場に戻りなさい、任務は継続中です。今の貴方の行為は敵前逃亡に値しますよ。」

 「・・・てき、ぜん。」

 重罪だと言い切る厳しい言葉にヴィントの表情が消える。そして徐々に怒りに変わっていく。

 「部下を置き去りにしたのだから当然です。戻りなさい。」

 「敵前逃亡なんてしないっす!国を守るっす!敵が目前まで来てるってのに、裏方なんて性に合わないっすよ!」

 「いい加減にしなさい!」

 切り裂く声が響く、木の枝から鳥たちが逃げるように舞った。

 「准将は貴方に北街道の安全を守れと命じました。それが国を守ることだと。ひいては国民をまもることに繋がるんです。」

 黙って聞いていたヴィントが俯く。このまま突っ切ってしまおうかと考えたが、キルシュ大佐には隙が無かった。行動を起こそうものならナイフで狙われ落馬させられかねない。

 それに、逆らってはいけないと本能でヴィントは感じていた。ドス黒い何かが大佐の体に絡みついているようにみえる。

 「持ち場に戻りなさい、ヴィント少佐。貴方がすべき事はここにいることではありません。」

 「野犬ならもう現れません!任務は完了したっす!」

 だが、ヴィントは引かなかった。馬上から李桜を見下ろす瞳には焦りが見えた。

 「ヴィント、一体どうしたというんですか?貴方らしくないですよ。」

 キルシュ大佐の問いにヴィントが黙りこんだ。『貴方らしくない。』ヴィントの中で引っかかっていることだ。

 「・・・国を守りたいだけっすよ。俺が育ったのはここっすから。」

 俯いたヴィントの声は消え入りそうな程、小さく細かった。普段の元気な姿はなく、まるで別人だ。こんな精神状態では指揮官はつとまらないだろう。彼は何か囚われている。

 「わかりました、明日半日暇を与えます。」

 大佐の言葉にヴィントが顔をあげる。

 「不在時の指揮権はフェンに。」

 「・・・大佐?」

 「貴方の不安がこれでなくなるなら必要なことです。私達は貴方の上司でもあります。部下を気にかけない理由ないでしょう。」

 「・・・。」

 「迷いは判断を鈍らせます。それは貴方に預けた部下が危険にさらされるということです。」

 「・・・ありがとうごいます。」

 そう呟き引き返すヴィントの背にキルシュ大佐は続ける。

 「貴方達に月の加護がありますように。」

 ヴィントが振り得るとそこには長髪を揺らし、塔に消える姿があった



 五日後には革命軍はついに正門前の丘を制圧した。ジョルダン公率いる寄せ集めただけの部隊は南国境に辿り着く前に反乱軍の奇襲に遭い陣形が崩れた。先鋭部隊をジョルダン公に向けるだけで革命軍は簡単に勝利を納めたのだ。総指揮官のジョルダン公の首を天高く掲げれば士気は下がる。もはや寄せ集めの烏合の衆など取るに足らない。日和見主義で戦など知らない者たちは直ぐに国に逃げ帰った。

 「どーする、リーダー?」

 ドゥルーヴが博文を見やる。

 「ふん、放っておけ。」

 逃げ帰る者は無視をすればいい。



 革命軍が攻めてくる前に悠真にはやらなければいけないことがあった。それは国王をこの国に閉じ込めることだ。正門にあたる南門は革命軍に囲まれている。北門は避難民が殺到している。東門は石で閉鎖し、溜池が完成していた。西門は遊馬山からの雪解け水で天真川の水量が増していた。

 最小限の力、的確な戦略で攻めてくる革命軍。東方からの使者は戦い慣れをしていた。

 「暴君からの平和を」「避難民を受け入れる」と書かれた旗が揺らぎ、草原一面の砲撃用の大砲と軍馬。いつでも攻め入ることは可能だと示している。

 その様子を悠真は古城から眺めた。城下町は混乱していた。国内に逃げ帰った兵士達に市民は動揺しているのだ。商家の貴族達も我先にと藍玉国経由で各地に逃げたようだ。

 「李桜~。」

 視線を外に向けながら悠真がいつものように間延びした声で李桜を呼んだ。隣室で荷物整理をしていた李桜が声だけで答える。

 「今忙しいです。」

 ピシャリと言い放ち顔を上げてくれないことに悠真は軽く嘆息する。今、邪魔するのはよくない。

終わるまでおとなしく待っていよう。仕方なく悠真は古城の最上階を目指した。

 石でできた螺旋階段を上がる。上がる度に反響する靴音が大きくなる。

 建国二千年。この古城も約二千年前には建てられていた。当時の生活には快適だったこの城には今は誰も住んでいない。悠真が最後の住人だ。

 入り口から玉座まで赤い絨毯が伸びている。玉座右手には小さなバルコニー。

 ここはよく李桜が歌を歌っている場所だ。

 初めて訪れた夜も李桜の隣で歌を聞いていた。睡魔に襲われるので椅子に座っておくよう李桜に言われた。座り心地は良くないので次からはクッションを持ち込んだ。

 あれから十四年経った。懐かしい思い出に浸り、玉座に腰掛けて悠真は天井を見上げた。

 建設当時に絵描がれたと言われる五匹の龍。

 白龍、赤龍、青龍、黄龍、黒龍。その中で最強と謳われる黒龍。自身に憑いている龍。

 幼い頃、父と母と三人で過ごした時、どんな話をしていたか覚えていない。そして悠真自身も思い出そうとも思わなかった。もう、父と母はいないのだから。

 目を閉じてぼんやりしていると足音が聞こえた。李桜が階段を上がっている。

 「やっぱりここでしたか。」

 李桜の姿に悠真の漆黒が輝く。

 「李桜!こっちきて!」

 「え?」

 早く早くと急かす悠真に李桜はクスクスと笑う。宝物を自慢したい子供のように李桜には見える。

 「なんですか?」

 「後ろむいて?」

 「?」

 呼んでおきながら今度は後ろを向けという。言われた通り李桜は悠真に背を向ける。

 「これで、きゃっ!」

 腰を捕まれお腹に手を回されたかと思ったらバランスを崩し、李桜は悠真に抱きかかえられるように座り込んでいた。驚く李桜と対象的に悠真は満足げに笑う。

 「いい匂いがするー。」

 「バカ、危ないでしょ!」

 悠真の手の甲を思いっきり抓った。

 「痛っ!なんで抓るのー!」

 「急にこんなことするからですよ!」

 振り返り睨む李桜に悠真は「だって」と眉を寄せる。そして李桜の右肩に顔を埋めた。 

 「ちっちゃい頃、父様がこうして抱っこしてくれてたんだ。」

 悠真の腕に力が籠もる。その手に李桜はそっと自分の手を重ねた。

 「父様の話は覚えてないけど、父様の足に座ってたのは覚えてる。頭なでてくれたり、高い高いしてくれたり。そしたら、母様が来るんだ。母様は俺を抱っこして頰にキスしてくれる。それで、それで父様が母様を抱っこするんだ。だから俺は母様と父様に抱っこされてたんだよ。」

 前王と前王妃の姿を李桜は肖像画でしか見たことがなかった。それは城下町の骨董品店で飾られていた複製画だった。店主が藍玉国から仕入れた複製だが良く出来ていると言っていた。あの絵を見た時、悠真も漆黒を見開き「似ている」と言ったのを李桜は覚えていた。銀髪の凛々しい若き王の目元は悠真に似ていた。あどけなさの残る王妃は漆黒の長髪をして、胸元に桜型のネックレスをしていた。青い大きな瞳に白い肌。優しげな微笑を浮かべている。

この場所で家族三人で幸せな時間を過ごしていたのだと思うと李桜の胸が締め付けられる。目頭が熱くなって、喉の奥が痛む。

 悠真の指に雫が落ちる。顔をあげるとやはり李桜は大粒の涙を流していた。

 「なんで泣いちゃうの?」

 話の途中から李桜の体が震えていたのは気づいていた。指に雫が触れたことで泣いていると確信したのだけど。

 李桜は何も言えなかった。悠真に感情を伝えるのは難しいのだ。言葉でも態度でも。ただただ涙を流す李桜を悠真はもう一度抱きしめた。

 「じゃあ今度は李桜が喜ぶ話するね。」

 李桜が頷いたことに悠真が続ける。

 「もう、おっぱい隠さなくていいんだ。」

 深碧の瞳が見開かれる。

 「女の子の服着てもいいんだよ。」

 溢れ出る涙が頰を伝う。いくつもの雫が悠真の手に落ちる。

 「嬉しくないの?泣かないで李桜。笑って、ね?」

 李桜の頭をなで、顔を覗き込む。悠真と目が合うと李桜はにっこりと微笑んだ。その笑顔に悠真の表情も明るくなる。

 「笑ってる李桜が一番可愛いよ!」



 

 「まだ見つからんのか!?」

 宮殿内龍王の間でブランシュ王が怒りを露わに側近達を怒鳴りつけている。二人の大臣は跪いていた。俯いた口元は屈辱で歪んでいたが。

 「あれさえ見つかれば東方に行けると言うのに!」

 ウロウロと落ち着きなく動き回る王に威厳などなかった。反乱軍が正門を包囲している。直ぐ様逃げ出したいのだが、それが出来ない。

 「古城より運び出した財物にそのようなものはありませんでした。兄王に仕えていた者達も見たことはないと。」

 「嘘をつくな!」

 怒り狂ったブランシュ王は勢いに任せフリッツ大臣の頭を踏みつけた。

 「ぐう?!」

 「あの宝剣がなければ民を従えることは出来ぬ!龍王の証なのだぞ!」

 「しかし、そのような物が本当に存在するのですか?我々は見たことも聞いたこともない。」

 怒りを鎮めるよう、弁明するディラン大臣

をブランシュ王が睨みつけた。

 「それが存在するのですよ、ディラン大臣

。」

 白のローブに身を包み歪な十字架を首から下げた神官が穏やか声が答える。

 「私が神官見習いの際清めの儀式で目にしましたから。」

 「清め?」

 「何でも龍の鱗で造られたと聞いています。清めの儀式では龍の血を必要とすると。」

 「兄王め、一体どこに隠したと言うのだ。」

 死してなお、邪魔をする実兄が忌々しい。

 「決まっています、古城ですよ。古城を探しましょう。」

 神官の提案に王が頷いた。

 


ーリントエーデル国 古城


 手にした柄はすんなりと悠真の手に馴染んだ。鞘から抜き剣先を陽光に当てる。鋼ではない。ダイヤをまぶしているようでもない。陽光を吸収し透き通っているようだ。素材はなんだろうと悠真は首を傾げた。剣先に指を這わすとプッツと血の玉ができた。

 「悠真そろそろでますよ?」

 綿のシャツに乗馬パンツ姿でリュックを担いだ李桜に悠真はうんと言った。

 「綺麗な剣ですね。」

 透き通る刃に柄には繊細な文様が彫られ、五つの玉が埋められていた。

 「李桜、これ振ってみて。」

 悠真に剣を手渡され李桜は軽く振る。ヒュッと空気が鳴る。

 「どう?」

 「どうって言われても。実戦向きではないとしか。」

 どちらかと言うと鑑賞用だと思う。そう告げると悠真は「貸して」と剣を受け取った。

 「足りなかったかー。」

 首を傾げながら悠真は右手首を躊躇なく切った。流れ出る血を剣先に垂らす。

 「何してるんですか?!」

 「『血をくれ』って言うんだ、これ。」

 慌てる李桜に悠真は淡々と告げた。赤く染まっていく刃を見つめる。

 「俺の血、っていうか、黒龍は千年振りなんだって。俺が二人目らしいよ。」

 流れ出る血を吸うように赤く染まる剣先。李桜はもう一言も喋らなかった。剣を見つめる悠真の瞳が紫紺に変わっている。

 「こんなもんかな?」

 滴る血を振り払うよう剣を振るう。風を切る音の後に石壁に亀裂が入った。

 「え?」

 唖然としている李桜に悠真は宝剣を鞘に納めながら答える。

 「えっと、昔は黒龍って風に力を乗せて魔物退治してたんだって。多分、その名残みたいなもんだと思うけど。」

 詳しいことは俺にもよくわかんない。いつものように無邪気に笑い、悠真は李桜の前に剣を差し出した。

 李桜は眼の前に出された剣と悠真を交互に見る。

 「町にでて、みんなに逃げるように言うんでしょ?これ、役に立つから持ってて。」

 鼓膜に響くのは普段の悠真の声音だった。李桜は剣に視線を落としながらゆっくりと手を伸ばした。

 「絶対、怪我しないでね。」

 伸ばしかけた手が止まる。ざわっとした素肌に触れる空気。その空気を払うよう、李桜は唇を噛み締め、剣を手に取った。顔をあげる事が出来なかった。上目の視線の先では悠真の口元しか見えなかった。口角を上げ、笑っている。

 「李桜?」

 「ぁ。」

 名を呼ばれ思わず顔を上げた。肌に触れるのは日中の暖かな空気。

 眼の前の悠真もキョトンと漆黒を丸めていた。

 「平気?」

 剣を握る李桜に悠真は無垢な笑顔を向けた。

 「悠真、もう一度顔を見せて。」

 「うん?」

 李桜の掌の中で悠真は漆黒を丸めていた。どんなに覗き込んでも、紫紺の色味は見えない。

 「・・・好きですよ、悠真の瞳。まるで、黒曜石みたいで綺麗ですから。」

 それは自身に言い聞かせる為に口した言葉だ。突然の言葉に悠真はパッと笑顔になる。

 「俺も李桜の緑色の瞳好き!李桜、大好きっ!」

 そう言って悠真は李桜を抱きしめた。

 


 

ーリーヴ草原リントエーデル国国境付近


 南門から約十キロ離れた丘から革命軍は拡声器を使い呼びかけていた。

 『我々革命軍はブランシュ王により虐殺された民族の集まりである。二日後には援軍も到着し砲撃を開始する。命ほしくば王の身柄を引き渡せ。』

 呼びかけた後、博文はじっと国を囲む壁を睨む。

 「ねぇ、どうしてあんなこと言うの?」

 博文の着流しの裾を引っ張りカマルが金眼を向ける。

 「外から攻めるより中から崩れる方がすぐ終わるからだ。」

 素っ気なく返した博文にカマルは不安げな表情になった。

 「戦えない人だって居るんだよね?あんな煽るようなこと言ったら暴動だって起きて大変だよ。」

 「本物の王なら何が正しいかわかるはずだ。」

 裾を引っ張りカマルの手を振り払うと博文は天幕に戻った。

 「カマル。」

 頭を撫でられカマルは顔を上げた。見上げた先に星桜がいた

 「戦争中ですから仕方ないですよ。」

 膝を付いて星桜はカマルと視線を合わせる。

 「でも。優しい人も居るんだ、オレと母さんを助けてくれた軍人さんもいるんだよ?子供だってまだ残ってるんでしょ?」

 「あのね、カマル。」

 星桜がカマルの頭をなでながらゆっくりと話す。

 「博文とドゥルーブはこの戦に関係ないんですよ。彼らの島や村が襲撃されたわけではない。僕やカマル、他の人の為に命を掛けて前線で戦ってくれたんです。だから、博文に無理を言ってはいけない。彼はあの国の支配から僕らを助けにきてくれたんですから。」

 「わかった・・・。」

 納得はしていないカマルの頭を星桜はもう一度撫でた。あの国に恨みを抱く者は多い。それでも戦えなかったのは、襲撃された恐怖があったからだ。生き残り、命を繋ぐことが民族繁栄になると思っていたがあの国はしつこく少数の村を襲い続けた。狼が兎を狩るように何度も何度も。滅ぼされると感じた時、東洋の使いだと博文が現れ、他民族を纏めあげたのだ。誰もがリントエーデル国の滅亡を願い、国民の抹殺も必須だと訴えた。それを宥め諭したのは博文だ。短期間でここまで土地を奪還出来たのは博文のおかげだと星桜は感謝している。

 父と母と姉の敵であるあの王を殺す。それが星桜の目的だ。

 雲ひとつ無い空にカマルから離れた鷹が円を描きながら舞っていた。



 李桜が向かったのは城下町の中心の噴水広場だった。以前、ギルマンが龍の恩恵あれの平和だと宣った場所だ。人々が穏やかに暮らしていたとは思えない程荒み、険しい目つきで歩く人が多い。行き交う人も少ない。

 噴水の縁に立ち、李桜は叫んだ。

 「龍の国の民よ!即刻この国から立ち去りなさい!」

 立ち止まった中年男性が持っていたウィスキーボトルを投げる。それは李桜に当たらず、噴水の中に消えた。

 「あんだ、てめー、ふざけてんじゃねーぞ。」

 「そうだ、敵がいんのにどうやって出ていくんだ!」

 「国軍も負けたんだろ!?」

 野次が飛び交う中、人々も集まってくる。

 まずは注目を集め、話を聞いてもらうことが先決だ。

 「貴方達が龍を信じているのならば、この国から去ることです、今ならまだ間にあいます。」

 「大体、お前なんなんだ?!急に国を出て行けと言われて誰が納得するんだ!?」

 口頭だけで理解を促すのは難しい。李桜は手に持っていたリュックを人の群れに投げた。足元に投げられたリュックを市民は訝しげに見る。

 「それに白い布が入っています。棒に括り付け、ここから出なさい。命がほしければ行動を起こしなさい。」

 リュックには古城のリネン庫から選別したシーツが入っていた。

 「俺たちに捕虜になれって言うのか!?」

 高まる怒りに李桜は息を飲んだ。集まった人達の憎悪が向けられている。憮然と耐えないと行けない、弱気なってはいけない。

 「革命軍は無抵抗の者を手に掛けません。彼らの目的は王です、あなた方ではない。」

 「そんな事、信じられるか!?気狂いの言うことなんか!」

 確かにそうだ、こんな混乱している誰もが精神が不安定な時に馬鹿な事を言っているのはわかっている。それでも李桜が声を上げたのは犠牲者を増やしたくないからだ。少しでも生き延びて欲しいと願ったからだ。

 「革命軍は、いえ、あの人達は貴方達に危害は加えない、弱い者に暴力は振るわない!

 あの者たちは現王の手によって家族を、故郷を失った人達です、王に歯向かった異端者などはじめから存在しない!」

 喉が裂ける程叫んだ。真実を知って欲しかったのだ。

 「黙れ!お前あいつらのスパイだな!蛮族

をかばうなんてお前魔女だな、捕まえろ!」

 国軍の兵士が李桜に銃を向ける。近くにいた市民たちが逃げ惑う。

 「うるさいっ!」

 兵士に向かって李桜は剣を振った。兵士は吹き飛ばされ50メートル先の民家にぶつかった。

 「はぁはぁ・・・。」

 李桜は肩を大きく揺らしながら息を整えようとした。

 「二日後に砲撃を仕掛けるとあちらは言っています。二日間の猶予を与えているのです、我々に選択肢はない。そして王の身柄を差し出せと言っている。だから、どうか逃げて欲しいんです。」

 加害国に暮らしているという理由で、知らずのうちに間接的にでも民族狩りに関わっていた者たちにも。

 月は輝くのだ、平等に。

 それぞれの想いがあるだろう、思想があり、神がいる。ならば自身は自分の信仰する神を信じる。どんな辛い想いがあれど。

 自身にできることはこんなことくらいだ、痛いくらい痛感している。心が張り裂ける思いはこれまで何度もしてきた。

 壊れてしまえば楽だと思った。

 李桜が顔を上げる。視界には滲む民衆達が居る。

 刹那、突風が吹いた。風の力に押され、吹き飛ばされる者たちがいる中で李桜だけは変わらずに立っていた。

 黒髪を靡かせ、涙を流している。

 その姿はまるで過ちを止めようとする女神にようだった。

 「あんたが言う事が正しかったら、ブランシュ王を捕まえたら・・・」

 「そうだ!みんなで協力すれば。」

 民衆の意思がまとまろうとしていた。

 「あんたが居れば王を捕まえることもできるんじゃないのか?!」

 「王を出せば俺たちは安全だしな。」

 そうだ、そうだと団結を高める民衆を李桜は哀しい目で見ていた。

 「それは出来ません。」

 李桜の声に民衆の表情が固まる。

 「あんたが王の所為だと言ったんじゃないか。」

 説明不足なのはわかっていた。ただ、悠真の存在を隠しながら伝えることは難しい。

 『あっちには戦える奴は少ないよ、1000人もいない。あれは見せかけの人数だよ。援軍も来ない。それでも武器を持った男達が襲ってきたらみんな怖くてパニックになっちゃうから。被害も大きくなるし。だったら冷静に判断できて、動けるうちに逃げた方がいいよね。』

 悠真の無垢な考えが恐ろしい。善悪を知らない子供が無邪気に遊んでいるように感じる。

 悠真と李桜の考えが合わないことは知っている。それでも、根気よく説明して、自身の気持ちを何度も伝えることで少しずつだが悠真は変わった。今はアーベントゾンネの時のように人命を軽んじてはいないはず。そう信じたい。

 「現王を裁くのは我々ではありません。邪魔をするなら皆殺されます。だから逃げて下さい!」

 悲痛に顔歪め李桜は叫ぶしかなかった。

 沢山の人を救いたいと思う。悠真にこれ以上殺めて欲しくないと思うからだ。



ーリントエーデル国 古城


 悠真は久しぶりに軍服に袖を通した。肩や股関節の可動域を確認する。腰に長剣、軍刀を差し、銃を携帯した。軍で支給されている短銃ではなく、ずっしりとした重量感のある拳銃だ。グリップに赤龍の紋様が彫られている。

 「まずは、っと。」

 腕を組んで目を閉じる。瞼の裏に視えるのは豪華さだけの趣味の悪い部屋。四人の男たちが集まっている。一人はブランシュ王。フリッツとディランの両大臣。そして見覚えのある顔。首に下げた大きくアンバランスな十字架から神官だとわかる。

 『宝剣を探すなら古城を探せば良いのです。見つけ次第、避難民に紛れ国を脱出すればよいのですよ。』


 「ふぅー。」

 深く息を吐き出し悠真は目を開けた。ここに来るなら都合が良い。王の首はあちらに渡さないといけない。

 邪魔なのを片付けようと悠真は首の骨を鳴らし、肩を回した。

 「あ、忘れるとこだった。」

 頭を掻きながら悠真は引き返した。古城の屋根裏を抜け天窓から外壁を登る。

 たどり着いたのはこの城で最も高い場所。そこには青銅の巨鐘が吊るされていた。

 「よい、しょっ!」

 軍刀を思いっきり打ち付ける。


ゴォオオォン


 国中に鐘の音が鳴り響く。

 城下町に届き、北街道を超える。

 やがて正門に余韻を残す。

 木々に止まっていた鳥たちが一斉に羽ばたいた。馬が猿が鳴き、狼が吠える。

 まるで龍の声に答えるように。



 城下町では大人たちが白旗に「我々は抵抗しない」と文字を書き入れていた。

 李桜の言葉に賛成者と反対者の二つに別れていた。

 もう少し、根拠があればと感じる。国王に不信を抱くものと龍を崇拝する者に別れてしまった。

 『龍が国を守ってくれる。』

 事実、守っていたのだ。十七年前までは。

 胡散いと李桜を軽蔑しているのは年配者が多い。これまで彼らは信じてきた。祖父母や両親から。受け継がれてきた教えなのだ。それを否定されて良い気分なわけないのだ。

 

ゴォオオォン


 突如響いた低い音。旗作りをしていた者達の手が止まる。


ゴォオオォン


 再び響く音に子供は怯え母親に縋りついていた。


ゴォオオォン


 音の出処を探るよう、人々は周囲を見渡す。

 この急かされるような、落ち着かなくなる音。体の底から不安を感じる音

 「龍が鳴いているんだ・・・。」

 一人の老人が青ざめ震える声で話す。

 「そのおなごの言った通りじゃ、三回龍が鳴いた、この国は終わりじゃ。」

 老人の慌て振りは一気に広がった。早く逃げようと行動を起こす者が増えた。

 「悠真が?」

 空を見上げる。もう、音は響かない。



 悠真が宮殿に行くと警備兵達が集まっていた。

 「あ、ノービリス准将。」

 一人の少年兵が悠真に気づく。

 「あの、どこからか鐘が。」

 「避難の合図だよ。」

 「え?」

 「宮殿内に残っている使用人に正門への避難を。その後警備隊は保護施設で別命あるまで待機。」

淡々と指示を出すと二人の少年兵は左右に別れ駆け出した。残った一人に悠真は目を合わす。

 「大臣と神官は?」

 「両大臣は宮殿内にいますが神官様は屋敷にもどれ、」

 答えた少年兵が言葉を詰まらせる。悠真は眉を寄せる。

 ここにいるはずなのに居ない、ズレて居る。

 「そ、わかった。」

 「あの、国王の姿も見当たらなくて。」

 恐怖と焦りで声が裏返っている。悠真は一瞥し無表情で答えた。

 「王は最期まで国に残る存在だよ。この国の全てを見届けるために龍が居るんだから。」

 ザワッと空気が密度を増した。

 「避難の準備進めて。」

 「は、はいっ!。」

 引きつった喉に痛みを感じながら少年兵は声を絞り出す。そして後ずさるよう背を向け駆け出した。

 悠真の虚ろな紫紺に映るのは去っていく者たちばかりだ。龍に従い離れた者も、怯えて逃げた者も理由はどうあれ去る者が多い。

 その中で。

 怯えながらも傍に居てくれたのは李桜だけだ。

 あの男がいなくなればもう李桜を怖がらせることもなくなる。

 (早く片付けよう。)

 宮殿内に足を向ける。

 フリッツとディランを始末するのは容易かった。背後から忍び寄り口を抑え、喉元を切り裂けばいいだけなのだから。

 少年兵が話したように国王と神官の姿は宮殿には無かった。面倒だと思いながら悠真は無人の宮殿を出た。



 城下町を李桜は駆け抜けていた。麻のシャツにズボンといった軽装だが軍刀と銃、お守りとして持ち歩いているナイフを常備して。李桜は自身にできることを決めていた。避難民の安全な誘導。

 「南門は混んでいます!北門に向かってください!」

 喉が裂けんばかりに声をだす。

 荒れている町並みを横目にけが人の間を李桜は駆け抜けた。

 路地裏に入ると子供たち数人が身を寄せ合っていた。震え、怯えている。ギュッと目を瞑り、視線を合わせない。

 「大通りに出て、大人の後をおいかけて。」

 子供たちは首を左右に振った。恐れているのだ、子供たちはこれまで大人からひどい仕打ちをされてきたのだから

 「お願い、大通りに出て、走って。」

 李桜が近づくと子供達は更に身を寄せ合った。こんなにも俯いて怯えるなんて、余程辛い目にあったのかもしれない。

 「ねぇ、」

 李桜の言葉は子供たちの耳に入っていないようだ。視線は一定の場所に向けられていた。誰ひとりとして顔を上げ、視線を合わせない。

 子供たちの視線の先は軍のパンツ。

 子供たちが軍人に怯えていると知った李桜はナイフでパンツを切り裂いた。露わになる白い太腿。

固い筋肉でなく、細い足。不思議に顔を上げた子供たちに李桜が微笑む。震えが止まったことに李桜は安堵した。

 「さぁ、行きましょう。」

 子供たちを抱きしめ李桜はお願いと何度もつぶやいた。胸の中で子供たちが頷く。


 更に路地の奥に進むと泣きじゃくる声が聞こえた。

 幼女が泣きながら倒れている少女を引きずっている。少女の素足には赤黒い斑点が浮かんでいた。

 「おねちゃん、たすけてぇ・・・。」

 目が合うと幼女は李桜に駆け寄った。首から下げたペンダントを握り「たすけて」と縋る。

李桜は生唾を飲み込んだ。

 (あの夜と同じだ・・・。)

 怪我をした同期を引き摺っていた。助けたいと思っていた。でも、どこかでわかっていたのだ、助からない事を。

 涙でぐしゃぐしゃな幼女を抱き上げ李桜は走った。助けることはできない、もう少女は死んでいる。

 「まって、・・・おねえちゃんも一緒に!」

 叫ぶ幼女に李桜の視界は滲んでいた。小さな手は必死に少女に伸ばされている。首から下げたラピスラズリのペンダントが揺れる。

 もしかしたら、あの少女は自分だったかもしれない。恐ろしいと感じる。李桜は思う。悠真に出逢えたからこそ、身体的な苦痛なく生きて来れた。悠真に助けられている、いや違う。

 自分の安全の為に利用したんだ、悠真の傍にいれば、月の加護で龍の力の覚醒や能力の変化は必然だった。わかっていたのだ。悠真の母に対する想いを自身に投影させることで悠真を利用していた事に。

 それなのに感情のままに悠真を恐れ拒絶していた。命の選別をさせる程に酷な事をさせていたのに。

 (・・・ごめんなさい。)

 そう言えば悠真は焦って困る事を知っている。




ーリントエーデル国 北街道周辺



 いつの間にか十一人の子供が李桜の後についてきていた。北街道付近で李桜は足を止める。

 「これじゃあ、通れない。」

北街道は混んでいた。我先にと逃げ惑う大人の群れに小さな子供を追い立てるのは危険だ。唯一の避難経路が上手く機能していない。泣き叫ぶ子供達を大人たちが見捨てている。憤りを感じる。

 早くこの子達を安全なところに連れて行かなければ。

 「こちらにいらっしゃい。」

 李桜は引き返すことにした。子供たちに疲労が浮かんでいる。小さい子は座り込んでいる。

 「お願い、もう少し頑張って。」

 なんとか励まし、ついて来てもらうしかない。抱いていた女の子を抱え直し、座り込んだ子に右手を差し出した。


 李桜が連れてきたのは保護施設だった。施設の中にも多くの子供達が居た。チャンミオが不審な目で見ている。李桜と目が合うとカーテンを閉めた。

 「だれやあんた?一体なんや。」

数人の子供と敷地内に入り込んだ李桜にキムシオ近づく。右手に警棒を持っていることから警戒されているのがわかる。

 「この子達をお願いします。詳しく説明している時間はありません。急いで大きな白旗を作り、門の前に掲げて下さい。それと、厩舎にいる白馬と黒馬を表に出してください。」

 そう一息で告げ李桜は外の倉庫から煙筒を取り出すとすぐ様火をつけた。弾ける音が響き白煙が空に漂う。

 「何してるんや?!」

 「早く厩舎の門を開けなさい!」

 李桜の形相にひるんだ男性が厩舎に走る。知らんからなと捨て台詞を残して。李桜はもう一度煙筒に火をつけた。

 窓からは子供たちとチャンミオが不安げに李桜の姿を伺っていた。

 「あの馬たちは主人のいうことしか聞かへんぞ。」

 厩舎の門を開けたが馬達は出てこないとキムシオが言った。合図があるまで待機するよう、調教したのだから門を開けた途端に出てきてもらっては困る。

 「良い子達です。」

 李桜が指笛を吹くと厩舎から蹄をけり掛けてくる音が聞こえた。驚いているキムシオに李桜は続ける。

 「革命軍がここに攻め込んできても敵意を向けずに無抵抗の意思を示して下さい。まずは対話を。」

そう言うと李桜は手帳を取り出し何かを書き始めた。

 そこに白馬と黒馬が来る。白馬の首輪に李桜はメモした紙を折りたたみ挟み込んだ。

 「アイナ。お前は賢い。いいですか、この手紙をフェンに渡して下さい。ヴィントではありません、フェンですよ、いいですね。」

 何度か諭すように言うと白馬は小さく唸った後、李桜にすり寄った。

 「北街道は通れません、迂回して行きなさい。お前の足なら迂回してもすぐです、さぁ、いきなさい。」

 促された白馬は何度か振り返ったが山の方に掛けていった。

 「なぁ、どうなっとるんや。」

 縋るような視線を送るキムシオに李桜は告げる。説明を求められ李桜は簡潔に話した。

 「革命軍が国を包囲したんですよ。南門と北街道から国民が逃げてるんです。」

 「なんやて!こないしとる場合やあらへん、わし達も避難せな。」

 「両門とも人で溢れ返って前に進めません、割って入ると怪我しますよ。だから、ここに来たんです。」

 李桜の言葉を管理人は黙って聞いていた。

 「あちらは抵抗しない者に攻撃をしないといいました。今は信じるしかありません。」

 だからどうか、子供たちのことお願いします。

 そう頭を下げ、李桜は中の人達への説明と、連れてきた子達に食べ物分け与えるよう伝えた。管理人が中に戻る。黒馬が甘えるように李桜の頰を舐めた

 「黒竜、くすぐったいです。お前にも頼みがあるんですよ。」

 漆黒の瞳が太陽を反射したように煌めいた。

 「いいですか、お前は主人に似て敵と味方の区別が直ぐにつきます。敵意ある者から子供たちを守って下さい。アイナにも伝えて。」

 ヒヒンと黒馬が小さく鳴いた。

 頷いたあと李桜が背を向けると黒馬は李桜の背中に鼻をすりつける。

 「ホントに主人に似てますね。ねぇ黒竜、私は今からお前の主人のところに行くんです。ここはお前に任せましたからね。」

 そう言って李桜が離れる。黒馬はもう一度、ヒヒンと寂しそうに鳴いた。


 李桜が保護施設に向かった頃、悠真は城下町にいた。

 城下町は逃げ帰った兵士と逃げ出す国民とで溢れかえっていた。

 人通りの少ない路地裏に回る。数人の生きることを諦めた者たちがいた。倒れて動かない者もいる。いつか出会った娼婦の子の姿もあった。

 これが龍の国の末路。

 神の恩恵を受けた者に視えた未来。



 神官の屋敷は裕福な東区にあった。屋敷前では使用人たちは馬車に荷物を積み終えていたところだった。そこに玄関に現れた神官が悠真の姿を認める。

 「おお、ノービリス准将。丁度良いところに。宮殿まで私の警護を頼む。」

 「承知しました。」

 聞きたいことがあったのだ、都合がよいと悠真は冷めた目を向けていた。その視線に神官が気付く事はない。

 屋敷から宮殿に続く道を神官は神に仕えるものとは思えない言葉を吐き続けた


 「神官殿、何故宮殿に?皆国の外に出ようとしていますが。」

 「北、南と混んでおるだろう。私は近道を知っている。」

 「・・・近道?」

 問い返したノービリス准将に神官は優越感で口元を歪めた。

 「あの古城には抜け道があるのだよ。繋がっているのは北街道あたりだろう。」

 ノービリス准将の表情が消える。足が止まった。

 「十五年前、愚かな前妃が王子を逃した。」

 神官は続ける。悠真に告げたのはあの日、閉ざされた石扉の向こう側で起きていたこと。

 「愚かな前妃は隠し扉のことも仕掛けも知らぬ存ぜぬ。神の前で嘘をついたのだ、身を清める為に3度、胸に剣を刺された。逃した王子も北山で野犬に食い殺された。王弟の息子を孕んでいれば生きていられ、」

 饒舌な神官の言葉が突如途切れた。そして流れ出る血液。

 「なにが・・・」

 「あんたから聞きたかったのは十三年前の月の民のことだったんだけど。我慢できなったなぁ。」

 倒れた神官は腹部を押さえ屈んだ。溢れ出る血は止まらず地面を赤く染めていく。

 「ねぇ?胸に剣させば清められるんだっけ?試してみようか?」

 只々、悠真は蹲る神官を紫紺の瞳で眺めていた。神官は顔を上げることができない。

 「刺しにくいから仰向けになってよ。」

 額に足を置いたあと、悠真は体重をかけた。倒れこむ神官を見下ろす。

 「うぐっ」

 「真ん中でいーい?」

 抑揚なく、子供のような口調。無邪気な声音。恐怖が倍増する。邪魔だと言わんばかりに悠真は首にかけていた十字架を無造作に引っ張った。装飾のパールが弾け飛んだ。

 「やめ、やめろ、」

 赤く染まる腹部を押さえ助けを乞う神官。手にしていた十字架を投げ捨て悠真は無表情に神官を見下ろした。

 「嫌だよ。」

 そう答え悠真は剣を突き立てた。空気が漏れる音がする。深く突き立てた悠真はあれ?と思う。この音じゃない、昔石扉の前で聞いた音は。

グチャ

 (これじゃない、こんな軽くない。)

グヂュ

 (これでもない、こんな重くない。)

 剣を刺しては手首を捻ってみる。骨に当たる。違う。この音ではない。

 なんで違うんだろ?ずっと鼓膜に残ってる不快な音。嫌いな音、忘れてないのに。

 考える、なんでだろう

 引き抜く、突き刺す、繰り返す。

 違和感しかない。

 男と女で違うかな?血液の量?剣が違うからかな?


ヒュー、パン


 空気を切り裂く音と破裂音。

 空に広がる白煙。

 「李桜?」

 あの方角は保護施設だ。そこから狼煙があがった。戦をしている者ならその意味はわかるだろう。李桜はできることは全部やるつもりだ、他者の為に。

 「遊んでる場合じゃないかー。」

 まだ一人残っている。李桜も頑張っているのだから自身も頑張らねば。 

剣についた血を振り払い、鞘に収めたあと、悠真は古城に向かい歩き出した。

 澄み渡る青空にいつか見た大きな鳥が円を描き飛んでいた。



ーリントエーデル国正門


 革命軍は困惑していた。初老の男性や女性を先頭に国民が白い旗を揺らしながら南門からでてくる。しかも長蛇の列を組んで。

 「勝ったのか?」

 ドゥルーブが呟く。『白旗』が降参の意味を伝えているのは明らかだ。カマルも笑顔を見せた。

だが、博文だけは苦い顔をしていた。

 「避難民にブランシュが紛れてないか確認

する!ドゥルーブ、お前の部下はきな臭い奴が臭いでわかるんだろ、避難民のチェックさせろ!」

 「犬みたいに言うなこらぁ!」

 博文に文句をいった後ドゥールブは部下に声を掛けた。

 「星桜と第1班は武器と弾薬、火薬の準備しろ、東門から侵入する!」

 博文が声を荒げ指示を出す。直ぐに地図を広げ確認する。これはお告げ通りにいっているのか、博文は違和感を感じていた。

 「ヒロ、見て!」

 カマルが天幕に戻ろうとした博文を呼び止めた。

 「今度はなんだ。」

 「煙がでてる、白い煙。」

 「なんだと!?」

 外に出て博文が確認すると確かに空に白い煙が何本もうたれていた

 これは明らかに降伏の合図だ。だが、何故このタイミングで?

 「ヒロ。どうするの?」

 「降参しようが王の首はハネる。目的は王の首だ。」



ーリントエーデル国北街道・国境K2隊野営本部



 藍玉国に抜ける北街道は混雑し、逃げ惑う者達は暴徒と化し波のように押し寄せる。ヴィントは苛立っていた。まず、判断材料となる情報が圧倒的に足りない。民衆に武器を向け、制圧することもできない。頼りになる上官もここには居ない。

 「ヴィント少佐!怪我人を受け入れる場所がありません!」

 「まずは国境に、門の外に出せ!出口を塞ぐな!」

 足りない、何もかも足りない。食べ物も、医療道具もなにもかも。考えろ、考えろ。目を閉じ、ヴィントは思考を巡らす。

 (皆生きる為に必死なんだ、死にたくないんだ。他人を蹴落としてでも生き延びたいんだ。)

 それを制圧することは出来ない。

 『最小限で最大の結果を得るために』

 『一人でも多くの国民の為に』

 これまでそう教えられて戦ってきた。

 『弱い者を護る貴方が好きよ。』

 愛している女性がそう言ってくれた。そして、御守りだとくれたラピスラズリのピアス。

 天幕を飛び出し、ヴィントは拡声器を取った

「手が開いている男は関所の壁を壊せ!少しでも出口を広げろ!」

 指示を出した後、貴族の馬車に近づく。馬を馬車から離し、近くにいた少年兵に木にくくるよう告げる。

 「貴様、何してるんだ!」

 貴族が駆け寄って来た。自身の荷物に何をするのかと叫んでいる。ヴィントは無言で男の腹に蹴りを入れた。

 「この馬車から荷物を下ろして、馬車を分解するっす。鉄棒で壁を砕く。」

 ヴィントの指示に数人の少年兵と若い男性が集まってきた。

 「木片は薪用に、家財は全て没収!指示に従わない奴は殴ってでも黙らせろ!弱い者を見捨てるな!」

 「少佐!藍玉国国境軍隊長と交渉できました。女子供、老人の受け入れは可能とのことです。誘導は私が指揮します。」

 「わかったッス。フェン。没収した財産は藍玉国への食料支援と交換交渉する!」

 地面に置かれた宝石類を一瞥する。

 「俺は他の奴からも没収してくるッス。」


ヒュー、パン


 ヴィント、フェンは音のなった方角を見つめた。紺碧に登りゆく、白煙。

 「保護施設?」

 「なんであんなとこから?」

 白煙の意味は理解している。だが、上がった場所がおかしい。

 白煙が風に揺れる。まるで白旗を振っているかのように。

 いい知れぬ不安が二人を襲った。




 全ての始まりであり、終焉の場になる古城から奏でられる祈りの歌。

 命ある者達が等しく幸せであるようにと心に響くメロディを紡ぐ。その音色が幾度も心を癒やし、救いが届くように。

 古城に戻った悠真はその歌の方に足を進めた。

 天日を浴び、歌う李桜の姿が記憶の中の母の姿と重なる。翠髪を揺らし、光を浴びる姿。重なる度にどくどくと脈うつ血流がいいしれぬ不安となり悠真の体中に広がる。

 「悠真。」

 穏やかな声音、慈愛に溢れた微笑。

 振り返ったのは李桜のはずなのに母の顔が浮かぶ。揺れる長髪がそう見せているのか。

 見たくないと思った。大好きな李桜を見たくないなんて、俺、どうしたんだろう。いつも一緒にいたくて、李桜のことばかり考えているのに。

 「お返しします。」

 差し出された宝剣を李桜から受け取る。鞘から抜くと剣先は陽光を反射しキラキラと輝いていた。

 「役に立った?」

 「ええ。」

 「うん、良かった。」

 にこりと悠真は笑った。一息吐き、李桜は深緑の瞳で悠真を見つめた。

 「王は上にいます。」

 古城の最上階、龍の間に現龍王はいる。

 「うん。」

 李桜の言葉に悠真は頷いた。心なしか、李桜には悠真が元気がないように見えた。

 「最後ですね、ここで待ってますから。」

 「うん。後の準備もちゃんとできたよ。」

 うつむいた悠真は親から離れる子供のように李桜に映った。

 「そう、ありがとう。」

 微笑み悠真の頭をそっと撫でる。李桜に触れらた瞬間、さわっと鳥肌がたつ。

 「いってらしゃい。」

 そう言うと李桜は悠真から離れた。長い髪を揺らし離れていく李桜に、悠真は離れたくないと感じた。

 この感じ。アーベントゾンネの時と同じこの感覚。李桜がいなくなる嫌な感じ。母と離れた時と同じ感じに宝剣の柄を握る手が汗ばんだ。

 「李桜、動かないで。」

 「はい?」

 風を切る音が李桜の耳に届いた。瞬間、ふわりと軽くなる感覚。

 「え?」

 ハラハラと地面に落ちていく髪。振り返った先にいた悠真の目の色が紫紺に変わっていた。言葉を無くす李桜に悠真は泣きそうな顔をした。

 「ごめんね。大切な髪だったのに。」

 言葉を切り、悠真は李桜の肩を掴んだ。

 「・・・母様に見えたから。李桜が母様に似るの嫌だよ。」

 記憶の中の母は穏やかに笑って言葉を掛けてくれた。重い石扉のドアが閉まる時、母ともう会えないと感じた。

 グチュリと、耳障りな音だけが残っている。

 母は最期に自ら死を選んだ。死を望む者を護ることはできないと教えてくれた。

 「李桜はいるよね?」

 自身の存在に不安を見せる悠真に李桜は驚いた。これまで、亡き母親の面影だけを悠真が追っていると思っていたからだ。髪を伸ばしていたのも母親に似せていたのだ。李桜の方からだ。

 母親の変わりでも良いと思っていた。しかし母親と違うとはっきりと言ってくれたことが李桜は嬉しくて仕方がなかった。

 「悠真が守ってくれるならずっといますよ。」

 微笑んだ李桜に悠真は何度も頷く。

 「うん、絶対護るから!」

 畏怖の念を抱き、都合よく拒絶しながら、縋り求める。

 こんなにも龍に囚われているのに受け入れず、心を偽っていたのは『嫉妬』からだと気付いた。どんなに傍にいても母の関わりでしかないと。悠真はいつも手を伸ばしていたはずなのに。

 「迎えに来てくださいね。」

 「うん!迎えにくるから待ってて。」

 いつかと同じ台詞なのに耳に心地よい。

 出逢った時から悠真は変わらない。月のように純白な無垢な姿に惹かれていた。

 祈るように悠真の手をとり、李桜は無事を願った。



 革命軍は悠真の予知通り東門から侵入している。東門付近の避難は既に完了している。市民が巻き込まれることはないだろう。

 両手を広げ李桜は大きく深呼吸した。これが古城で歌える最期だ。

 心を込めて歌う、月の民と月の姫と恥じぬ歌を届けよう。



  悠真は石階段を一段ずつ踏み歩く。

 憎い相手がいる龍の間に向かっていく。探しているのは龍の宝。

 幼い頃、父様と母様と住んでいた城。数人の使用人と穏やかに過ごしていたのに。

 壊された、あの男に。

 奪われた、大切な人を。


龍を語る愚か者を殺せ。

我らの前で断罪しろ。

神を汚す者に死を。

苦痛と絶望を与えよ。

それが黒龍を継ぐ者の務めよ。

頭に響く声に頷いた。

五匹の龍が頭上を舞う。

巨大な五色の鱗を輝かせながら。


 王の間からは大きな物音が響いていた。

 叩きつけられる花瓶。砕ける古風人形。

 手当たり次第、壊し続ける男の姿を悠真は暗い瞳で眺める。

 息を吐きながら苛立つ男が悠真の姿を認める。これまで国の頂点に立っていた男にもう威厳などはなかった。

 「すまんが少し待ってくれ、国を立て直すために必要な、」

 現ブランシュ王は逃亡の手筈が整い、部下が迎えに来たと思っていた。

 ーパンッ

 乾いた音が響く。悠真は迷わずに現王の右足を撃った。憎しみ続けた男が崩れる。

 「待ってる時間はないよ。偽者の『ブランシュ王』様。」

 無感動に悠真が現ブランシュ王を見下ろす。足を撃たれた男は苦悶の表情を浮かべる。

 「あが、がががぁ。」

 「ふ~ん、痛い?」

 「き、貴様、・・。」

 「すぐには殺さないよ、そのためのお祖父様の銃だからね。」

 無表情に悠真は言い、現ブランシュ王に銃が見えるようにしゃがみ込んだ。旧式のリボルバー型。グリップには赤龍の紋様。

 「・・・貴様が、何故これを。」

 見間違えるはずもない、これは父の形見の銃。宝剣と同じで見つからなかった財物の一つだ。

 「え?だって、お祖父様の銃だから。」

 首を傾げ悠真は答えた。

 汗と脂を滲ませ睨めつける男のなんと醜悪なことか。ふぅと嘆息する。

 「ま、お祖父様の銃はどうでもいいよ。」

 這い蹲る現ブランシュ王の右手に悠真は迷いなく宝剣を突き立てる。床に縫い止められた事に悶える声が響く。しかも、手に突き立てられたのは今探しているものだ。

 なんだ、この男は。晩餐会で会った時と違いすぎる。しかも、赤龍である我が父をお祖父様と呼んだか?気が狂っている。

 「・・・貴様、龍を手に掛けるのは大罪ぞ、・・・先は地獄。」

 怨念めいた台詞に悠真は体を折った。こみ上げる可笑しさを堪えることができない。

 「龍を手に掛けるのが大罪?地獄?俺の未来は明るいよ?これからも李桜と一緒なんだから!」

 淡々と感情を抑えていたのだがタガが外れる。どうしょうもないほどおかしい。

 「龍の力を持っていないあんたが?龍号すらないから「ブランシュ」を名乗っているあんたが?」

 こんなに笑ったのは初めてだ。ヴィントと居てもこんな声を出して笑うことは無かったのに。こんなにおかしいことはない。可笑しさで腹が痛くなる感覚を悠真は初めて知った。

 「・・・何が、おかしい。」

 眼の前で腹を抱え笑い続ける悠真に現ブランシュ王は恐怖を感じていた。妄言に狂気じみた振る舞い。

 「龍の血は男系第一子男児にしか受け継がれない、呪いだよ?」

 ざわりと空気の密度が増した。身体中を掛け向ける悪寒。

 『龍の血は呪いだ。』

 そう、兄が言っていた。持っている者が持たざる者を見下すための戯言だと当時は憎らしく感じていた。

 『この子にはそう思ってほしくないが。』

 我が子を抱きそう言っていた兄王。

 『栄竜ーえいたつー、この子を助けてやってくれ。』

 抱きかかえられていた赤子は紫紺の瞳に夜闇を映した髪色をしていた。

 『宜しく頼む。』

 そう言った兄が、若き日の兄が、憎い兄が目の前に居る。

 そして今目の前にいるのは、

 栄竜は震えた。悪寒の正体に気付く。兄も存在だけで他者を服従させることができた。この力は、

 「・・・。」

 夜闇のような髪色。紫紺の瞳。

 「・・・悠真、か?」

 喉から絞り出したのは兄の息子の名。

 「そうだよ、悠真・ヴァールハイト。龍号はスヴァット。」

 一族に受け継がれる五龍の中で最強の黒龍の称号・スヴァット。

 「あんたは、確か栄竜だよね?」

 言葉を無くし、栄竜は顔を上げて悠真を見上げた。国王の真名を一介の軍人が知るわけがない。本名を隠す。そのための龍号だ。

 「父様の白龍の龍号『ブランシュ』を汚したお前を、母様を乱暴し殺したお前を、李桜の大切な家族を殺したお前を俺は許さない。」

 覚めた、無感情の視線が栄竜を見下ろす。

 「龍を手に掛けるのは大罪、だったけ?」

 いたずらっ子の笑みを浮かべ紫紺の瞳を向けられた栄竜は言いしれぬ恐怖を感じていた。



歌を歌う

月の子守歌

幸せを願う、平和を祈る歌

自然と笑みが溢れる

悠真の好きな歌を



 古城を目指し博文達は走っていた。放置されていたと思われる東門は侵入者を防ぐように石が積まれていた。なんとか爆破して進む事ができた。

しかしそこは草木が生い茂るどころか整備されて溜池があった。そのまま勢い任せに突入していたら、溺れ死んでいたかもしれない。

 まるで東門からの侵入を予期していたように博文は感じていた。

 頭上にそびえ立つ城に向かい走る四人に歌が聞こえた。

 「歌あ?」

 どこから聞こえて来るんだとドゥールブが訝しむ。

 「綺麗な歌だね。」

 カマルも博文に笑顔を向けた。

 「この歌は、」

 月の民しか知らないはずの歌。同郷の方が囚われているかもしれない。そう思うと星桜は急がずにはいられなかった。

 「月の祈り・・・。誰がこの歌を?」

 優しい音、心癒されるメロディ。全ての命が幸せであるように願う気持ち。

 この声は誰?

 「博文!あの、もしかしたら、」

 「手はず通りだ、星桜とカマルは仕掛けてこい!」

 星桜の動揺を察した博文が声を上げる。速る気持ちを抑え、星桜を唇を噛んで頷いた。



 「誰かいるのか?!」

 それぞれの武器を構え博文とドゥルーブが広間に駆け込んだ。螺旋階段を護るように人が立っている。

 立っていたのは息を飲むほどの美女だった。不揃いな黒髪が印象的な女性は麻のシャツにショートパンツ。腰から短刀を下げている。

 「おや、思ったよりお客さんが多いですね。」

 穏やかに微笑む姿に目を奪われる。

 「ひょー、ナイスバディな姉ちゃん!」

 「下品な口笛吹いてんじゃねぇ!」

 鼻の下を伸ばすドゥールブに博文が一喝する。敵地で緊張感の欠片もないドゥールブは博文と相性が悪い。

 「なんでここにいる?王を逃がす為か?」

 詰めるように言葉を続ける博文に李桜は微笑みを崩さず答えた。

 「大したことではありません。用が済めば速やかに立ち去りますよ。少し時間を下さいな。」

 穏やかに笑みを浮かべたまま、李桜は腰に刺していた短刀取り出す。鞘から剣を抜き柄を左右に回すと短剣は簡単に分解された。

 「双刀か。」

 博文が目を細める。

 逆手に構えた李桜は一段と綺麗に微笑んだ。

 「身を守らないと不機嫌になるんですよ、あの人。」

 吹っ切れた李桜は清々しい気持ちで剣を構えることができた。



ー古城最上階 龍の間



 ただただ無言で悠真は栄竜を見下ろしていた。栄竜は怯えていた。逃げようとしていた。しかしそれは叶わなかった。足には弾の破片が飛び散っている。右手は宝剣により床に貼り付けられている。

死んだと信じていた者が目の前に現れ、己を殺そうとしている。しかも、己が喉から手がでる程欲した能力を覚醒させていた。栄竜には絶望しかなかった。

 何故、今までこの男の存在に気付かなかった?あれだけ関わってきた。顔を合わせ、言葉を交わしてきたはずなのに。

 それに十七年前、「王子」だとアルバートから差し出された子供の死体は誰だ?

 「何が望みだ?金ならあるぞ、地下に隠してある!女なら国中の美女を集める、好みはあるか?」

 命乞いの交渉にしては陳腐すぎる。そんな事を悠真は望んでいない。

 「父様は国の発展の為に国民の安全を守った。母様と幸福であれと争いを無くそうとした。相互理解を求めた。軍事力は自衛のためにとそれ以上は持たなかった。それをお前は・・・。」

 口にしたくないと悠真の顔が歪む。

 「龍の導きだと国民を洗脳し、父様の龍号を名乗った。自身を咎める者を粛清し驚異と感じた他民族や無抵抗の者を虐殺した。多くの兵を集める為、孤児を囲った。国の為と嘯き、少年を兵士に仕立て上げ、少女らに子を産ませた。奴隷のように家畜のように。」

 消耗品の兵士の確保のため、金と酒と女で兵士の待遇をあげ、娼婦となった少女たちに子を産ませ誰の子とわからない子供と引き換えに微々たる金を渡す。

 その結果どうなった?

 貴族と平民の格差が広がり、さらに下層の者が増えた。日向で平和を享受する者と日陰で苦痛を辛酸を舐め生き続ける者に別れた。

 父の望んだ国は実弟に荒らされてしまった。

 止まらない言葉にこんなにも自分は喋れるのかと悠真は思った。今までこんなにも喋り続けたことはない。

 「何をいうか!兄王亡き後、この国を維持してきたのは私だ!子供のお前に何ができた!」

 心外だと屈辱に顔を赤らめ栄竜が叫ぶ。プライドが高い男だと思っていたが。ここまでになると救いようのない愚かさだと悠真は思う。

 「別に今日まで待たなくてもササッと殺せたんだよ、あんただけなら。」

 答えるのも面倒だと端的に悠真は告げた。

 ある程度成長し、力が覚醒すれば栄竜と母を殺した輩を始末して国を去るつもりだった。

 主君がいなくなった国がどうなろうと悠真の知ったことではない。他国に侵略されようが、賊に襲撃されようが偽の王を信じた国民の未来などどうでも良かったのだ。

 事実。李桜に出逢うまではそうするつもりだった。

 故郷を無くした李桜が、この国で産まれていない彼女が。国民を救いたいと願った。一人でも多くの命を救いたいと願ったから。

 地位のために不要な人間は殺した。多くの国民が避難できるように藍玉国と同盟も結んだ。国崩壊後の処理をする人間が現れるまで待った。それに十五年かかった。

 「この十五年で一生分の贅沢して、好き勝手やって楽しかったでしょ?」

 抑揚なく、淡々と告げる。

 「待ってくれ。お前にこの国の統治は無理だ、私が手伝う。」

 最期の悪あがきにと栄竜が譲歩案をだす。

 まだ、しがみつきたいのか。こういうのを『哀れ』というのだろうか?

 「私とお前で国を立て直そう、この国にはお前の龍の力が必要だ。」

 悠真の動きが止まった。それに栄竜は安堵する。助かる見込みがあると、馬鹿な世間知らずな餓鬼なのだと思った。これから超強すればいいのだ。うっすらと口元を歪める。

 「いい、俺は国王になりたくないし。もう、この国はいらない。」

 そう言い、剣を払う。男の首が跳ねられ、絨毯に転がる。この国には辛い思い出が多い。

 夜になれば、母様が乱暴される。

 夜なんて来なければいい。布団を被り何度も朝を待ち焦がれた。窓から覗く月が、恨めしかった。

 「ようやく終わったよ李桜。」

 今は月に恋焦がれている。あの光を安らぎを求めている。

 切り放された栄竜の首から血が流れ続ける。絶望を残した頭部を見下ろし、「うーん」と唸った後、思いついたように悠真は栄竜の手の宝剣を引き抜くと変わりに取り出したナイフを男の左目に深く突き刺した。

 「これで手が汚れないや。」

 突き刺した頭部を持って李桜のもとに向かう足取りは軽い。



 佇む李桜からは攻撃を仕掛ける様子はない。

 「俺が相手してやるよ、勝ったら嫁さんになってもろおうかな~。」

 武器を構えたドゥルーブに李桜は目を細めた。金属の小さな棒が鎖で2メートル程繋がれている。まるで鞭のようだ。

 「戦利品みたいな条件ですねぇ。旦那を選ぶ権利はこちらにもあると思いますけど?」

 「気ぃ強い美人好みなんだよねー、子育て頑張ってくれそうでさ!」

 風を切り迫ってくる金属を双剣で防ぐ。ジャラジャラと金属が擦れる音が耳障りだ。

 手応えが無いことにドゥールブが太眉を寄せた。

難なく攻撃を交わす李桜に博文が目を止める。

 交わす動作に無駄がない。まるで舞っているような動作でそこにいる。しかも立ち位置もそう動いていない。かわすだけの時間稼ぎのようだ。

 攻撃をしているドゥルーヴ方が息切れしている。 

 (あの女、相当の手練だ。訓練を受けている。)

 博史は目を細め李桜の動きを見ていた。

 「ヒロ、仕掛け終わったよ!」

 カマルが掛けてくる、その後ろに星桜がいた。

 「博文!金属音が聞こえますが、何かあったのですか?」

 「ああ。何者かはわからんが強いぞ。」

 博文が促す先では双剣を使い、ドゥールブの攻撃を華麗に交わす女性がいた。

 白い肌、緑の瞳。月の民の外見的特徴。

 星桜が声を荒げた。

 「ドゥルーブやめて下さい!彼女は月の民です!」

 「ああ?」

 ドゥールブが星桜の静止に鞭を下ろす。星桜はドゥールブの前に立った。

 「お父さん・・・?」

 李桜の深碧が見開く。李桜の動きも止まった。目の前にいる少年が父に似ている。

 「貴女は月の民ですね?僕もそうです!」

 白い肌、翠の瞳。

 月の民だ。村の人間だ。李桜は固まったまま動けなかった。

 「まさか捕虜がいたなんて知らなくて。助けるのが遅くなってしまってごめんなさい。」

 星桜は一生懸命李桜に話しかけた。敵意が無いことを味方であることを必死に伝える。

 「村は、燃えた、はず・・・。」

 赤い炎と黒煙は天高く登っていた。幼い李桜は見ていることしかできなかった。炎の中で逃げ惑う人影と悲鳴が聞こえていた。その光景を二日目の昼に雨が降るまで見ているしか出来なかった。

 「逃げ伸びた人も居たんです。僕もその一人です。」

 逃げたのは自分ひとりではなかった。

 李桜の中で揺らぐ。自責の念が。これまで自分だけが生き残ってしまったと思っていた。

 「僕は今父の跡を継いで月の長をしています。各地に避難した月の民を探しているんです。」

 「長?」

 星桜の姿を写した李桜の視界が滲んでいく。

 「貴方は、」

 双剣を持つ手が震える。

 「月の長、星桜です。」

 名を聞いた瞬間、李桜は感極まって涙を流した。

 「しおん・・・。」

 言葉にすれば確信に変わる。現実だと実感する。溢れ出る涙は止まらない。

 死んでいたと思っていた弟に会えた。

 「ああ、良かった。星桜が生きていた、神夜様に感謝を・・・。」

 構えを説いた李桜に博文とドゥールブが視線を交わした。

 「少し、話しようか。」

 二人は息を合わせて李桜に襲いかかる。簡単に捉える事が出来ると思っていた博史の前に黒い影が立ち塞がる。

 刹那、博文とドゥルーブの体が吹き飛んだ。ドゥールブの体躯が壁に激突する。博文は腹部に痛みを感じた。何かを投げつけられたようだ。しかもなぜだか、真っ暗で鉄臭い。

 「ヒロ!」

 カマルの呼声と視界が明るくなるのは同時だった。驚くカマルの手には黒い布が握られている。

眼前には女に寄り添う男が居た。白のシャツに黒のズボン。長身の男。

 (何者だ・・・。)

 博文は表情を歪ませ、顔を上げた。

 「李桜!大丈夫?怪我してない?」

 「悠真・・・。」

 李桜の肩を抱いて悠真は心配そうな視線を送る。

 「ごめん、ずれたみたい。」

 黒曜石の瞳で不安を隠さない悠真に李桜は目を閉じた。そしてゆっくりと開く。

 「終わりましたか?」

 「うん、ほらあれ。」

 李桜の問いに悠真は頷くと博文の横を指さした。先に転がっていたのは現ブランシュ国王の首だった。

 皆の視線はそれに向いていたが誰一人として取り乱す者はいなかった。十に満たないカマルでさえ、金眼を開いて見ているだけだった。異様な空間だと感じる。それでも感慨が無いのは戦により、死に慣れているからか、憎い敵の頭だったからか。

 「終わったから行こ?」

 場違いな程、幸せそうに笑う悠真の姿は博文達を戦慄させた。この状況で何故そんな顔ができるのか。

 「待って下さい。あの子に渡したいものがあるんです。」

 「あの子?」

 李桜が星桜に視線を送る。

 「長の仕事は大変ですからね、せめて手帳だけでも。」

 そう言い、李桜はズボンのポケットから父の形見の革手帳を取り出すと悠真から離れ星桜に近づく。星桜の目の前に立ち、李桜は星桜の右掌に革手帳を載せた。

 「星桜、これを。私が持っているより、貴方が持っている方が良い。村の人のためも、父さんも喜ぶと思いますし。」

 「・・・ちち、の?」

 緑の目を見開く星桜に李桜は微笑む。そして手帳に挟まれた写真を取り出す。そこには父と母と。幼い李桜、赤子の星桜が映っている。

 写真の父に自分は瓜二つだったっことに驚いた。では、この母に似た目の前の女性は。星桜の中で膨らむ疑問が期待通りなら。

 「こんなに大きくなったんですね、もう、私より大きい。」

 抱きしめられた星桜はこの期待が、胸の高鳴りに体が震えていた。

 「貴方に神夜様の加護がありますように。」

 そう言って李桜が星桜から離れた。

 「李桜、もういこ。」

 2人の様子を黙っていた悠真だが、限界だと不機嫌に李桜を呼んだ。

 李桜は悠真の方を向き、頷く。

 『りおん』

 その名に星桜は聞き逃さなかった。

 「りおん?李桜・・・姉さん?」

 姉さん。聞くことはできないと思っていた響きに李桜は振り返り微笑んだ。その笑みが真実だと星桜は悟る。

 「ま、待って!貴女が姉さんなら村に帰りましょう!皆喜びます!」

 李桜の足が止まった。

 「村に・・・帰る?」

 言葉にした途端、李桜の中で何かが弾けた。帰る場所がある。待っている人が居る。それは幸せなことだ。しかし、『幸せになる』権利を自分は持っているのか?

 他人の居場所を奪った自身にそんな資格はない。

 「僕と帰りましょ、李桜姉さん!」

 星桜と?血の繋がった家族はもう弟の星桜しかいない。甘い響きだ。失ったと絶望していたものが手に入るというのならこれ以上のことはないだろう。

 揺らぐ李桜の深碧には真っ直ぐに見つめる星桜がいた。手を差し出す星桜に李桜は唇を噛む。

 「ダメ。」

 静観していた悠真が李桜を抱き寄せた。右手に李桜を抱きとめ左手で銃を構えている。

 「・・・悠真。」

 銃口は星桜に向けられていた。

 「李桜はどこにも行かせない。俺と一緒にいるんだ。」

 抑揚のない悠真の声音が李桜を現実に戻す。星桜は帰るべき場所があるのだ。姉として喜ぶべきだ。

 「悠真、銃を下ろして。何をイライラしてるんですか?」

 「だって、ズレるんだ。」

 自身は約束したのだ、悠真と一緒に居ると。

 「大丈夫ですから、悠真。下ろして。」

 「わかった。」

 李桜の指示に悠真が従い銃を下ろす。納得してないようで、不貞腐れたままだ。そんな悠真に李桜が笑む。

 「そちらも武器をしまいなさい。貴方たちが適う相手ではありませんよ。」

 博文に向けて李桜が言う。『死にたくなければ刺激するな』そう解釈した博文は舌打ちで答えた。

 「待って下さい、貴方は姉さんをどこにつれていくんですか?」

 星桜が悠真に尋ねる。悠真は少し考えて「李桜が行きたいとこに一緒に行く」と答えた。そして

 「それ、必要なんでしょ?使ってよ。」

転がっている国王だった首を指差した。

 「・・・ふざけんな、この野郎。」

 ドゥールブが多節鞭を握る手に力を入れた。

 「やめろ!」

 「悠真!」

 ふたりの声が重なる。ドゥールブの動きが止まる。悠真は銃を構え、焦点を合わせ引き金に指をかけたまま止まった

 「行きましょう。」

 「うん!もう爆発するしね!」

 李桜の匂いをかぐように頬に顔を埋めた悠真と博文の目が一瞬、合った。

 全てを見透かすような紫紺の瞳

 博文は顔を引き攣らせた。

 なぜ、あの男は自分たちがこの古城に爆弾を仕掛けていること知っているのか?

 「やっぱり李桜がいるとよく視えるよ!」

 李桜を抱き上げ悠真は窓に向かった。窓枠に足を掛ける。李桜は細い腕を悠真の首に回した。

 「おい、下は森だぞ?!」

 地上に繋がる階段は博文達の後ろにある。ここから降りろと手の甲を見せる動作をする博文に悠真はべっと舌をだした

 「や~だよ。」

 李桜を抱きかかえたまま後に倒れるように悠真は窓から飛んだ。

 「姉さん!」

 星桜が駆け寄ろうとするも床が大きく揺れ、爆発音が響いた。

 「いくぞ、足場が崩れたら生き埋めだ!」

 「星桜!行こう。」

 「ドゥールブ、首忘れるなよ!」

 「こんな時ばっかかよ!?」

 四人は頭上を気にしながら城の外を目指した



 城が崩壊していく、リントエーデル国の象徴。二千年の歴史を見ていた城が。

誰もが足を止め、天を見上げていた。龍の衰えを。

 北街道でそれを見ていたヴィントの膝が折れた。力が入れない。

 「・・・城が、城が壊れるなんて。」

 今まで守ってきた物が破壊されている。それを遠くで眺めている。国は?あの二人はどうなったんだ?情報が、圧倒的に情報が足りない。

 「クソォ!なんなだよ、なんでだよ!どうなってんだよ!何してるんすか、准将と大佐は!?これじゃ、どう動けば、」

 「うるせぇ!」

 やるせなさで怒りで叫び狂っている上司にフェンが吠えた。

 城の崩壊で現実に打ちのめさているのは兵士は他にもいる。士気が下がっている今、自分たちはこれからの選択を選ばなければいけない。

 「この部隊の指揮官はヴィント少佐、貴方です!自分の責任を准将や大佐に押し付けないで下さい!」

 「・・・」

 「貴方ができないなら私が引き継ぎます、避難民も街道には溢れているし、国内には逃げ遅れている者もいる!藍玉国大臣と交渉もせばなりません!やること腐るほどあるんですよ!」

 一息にいい、フェンは上がった息を整えるように小さい体を上下させた。右手には一枚の紙が握られている。

 「俺はキルシュ大佐を尊敬してます、その指揮官のノービリス准将もちゃらんぽらんだけど、大佐が一目おいてるから尊敬します!その准将が貴方を適任だというなら、補佐もします!けど、出来ないならどっか行ってください。」

 フェンの剣幕に押される。真っ直ぐな意志の強い瞳にヴィントは唇を噛んだ。

 『俺がヴィントになら任せられるって思ったからだよ。』

 憧れたのは強くても威張り散らさないところだった。自身の存在を認めてくれたところだ。後押しされたから嫌だが引き受けたのだ。

 「お、お前なんかに准将からもらった指揮権、譲るかよ!!」

 フェンの胸ぐらを掴む。フェンは鼻を鳴らして「だったら真面目に仕事して完璧にやり遂げて下さい」と言った。 



全てが終わる

そして

全てが始まる

歩みを止めれど時は進む



ー旧リントエーデル国内 


 古城が崩壊して二週間が過ぎた。指導者を無くした国民たちは途方にくれていた。そこに連合軍幹部らが主導し、新たな生活基盤を築くこととなった。国内に残った者たちと共に復興に尽力した。国民を受け入れていた藍玉国から国民たちは住み慣れた土地が良いと戻って来る者もいた。北街道の警備を行っていた少年兵達は事実上部隊を解散し、国の復興に努めた。だが、教養の無く、上官不在の為まとまらないこともあった。その度にリーダー格の青年たちが纏めていた。


 「博文、少しいいですか?」

 城下町の家屋は被害を受けていなった。広場に面した屋敷を本部として使用している。もとは貴族の住まいだったのか、設備も部屋の広さも申し分なかった。

 机から顔を上げた博文の前に居たのは星桜だった。視線が合ったことに星桜は続ける

 「村の様子を見に一時帰りたいんですけど。」

 「いいんじゃないか。」

 虐げられていた他民族の連合軍だったのだ。皆、帰る場所がある。それに星桜は長だ。本来なら村に居なくてはいけない。立ち去ろうとしない星桜に博文が顔を上げる。まだ、話があるようだ。

 「軍の資料に姉の名前はありませんでした。」

拳を握りしめ星桜は言った。

 「あの男もか。」

 「「ユウマ」という名もありませんでしたよ。」

ふむっと博文の眉がよる

 「ま、偽名使って潜ってたってところだろう。軍上層部の連中も古株兵士も、政治に関わっていたと思われる奴らはみんな死んでるしな。」

 残っていたのは政を知らない者ばかりの女子供、老人が多かった。生き残った貴族たちも地方に散り、この国の復興に異議を唱える者は居ない。おかげで復興は博文主導で順調に進んでいる。

 「李桜姉さんはどうして、ユウマという男に付いていったんでしょうか?」

 うつむいた星桜がボソリと言った。唇を噛み締め、やるせない表情をしている。

 「お前の姉貴な、俺には囚われているように見えたぞ。」

 「囚われ?」

 複雑な表情で博文は星桜を見上げる。

 「まさか、脅されていた?」

 「いや、そうじゃない。」

 あれはまるで深い闇が月を求めているようだった。そして月は自ら望んで闇に飲み込まれた。

 そう感じたと言えば星桜は不安になるだろうからやめた。

 「あの男の危険性に気づいていたんだろうな。たいした姉貴だよ。お前の姉貴が止めなければ俺たちは全員殺されてたかもな。現国王のように。」

 ゾクリと星桜の背中に這い上がる恐怖。苦悶の表情に左目にナイフが突き刺さった生首。

 「そういう意味でお前の姉貴が囚われてるように見えたんだ、悪魔に捧げられた生贄みたいに。」

 博文の言葉に星桜は頷くことはできなかったが直感的にそう感じていた。認めたくなかったのは、あの男が姉を嫌えば、姉の命は無いかもしれないからだ。

 「やはり、姉を探して・・・。」

 「やめとけ。」

 「しかし!」


コンコン


 ノックが室内に鳴る。博文が「どうぞ」と言うと小柄の兵士が入ってきた。青色の髪の幼さが残る兵士だった。

 「藍玉国からの物資の書類です。」

 「ああ、ご苦労。」

 「では失礼します。」

 事務的な用件を済ませると兵士は一礼し退室した。

 「彼は?」

 「北街道を守っていた少年兵だ。藍玉国との交渉をしていたようでな。今は我々との調整役をしてくれている。」

 あちらも護るべきものが多いようだからな。

そう付け足した博文に星桜は複雑な気持ちを抑えられなかった。国を潰した者たちの下で働くなど、自分にできない。惨めだと、悔しいと、大声を上げて泣き喚き憎しみをぶつけるに違いない。

 「彼は強いですね。」

 「まともに話できるのはあいつだけだった。あいつの指揮官は真っ先に剣を抜いた。獣のような殺意に満ちた目でな。それを抑えたのがあいつだ。小さいのによくやる。」

 博文が他人を褒めるのは珍しいことだった。

 「戦いってのはそんなもんだ。敵味方に別れての殺し合い。やったやられただ、あっちがこっちがどれだけ悪いかだそんなん、当事者のお互いですらよくわかってねぇんだ。なおさら巻き込まれた連中がわかるわけもない。」

 互いが正しいと、理想と正義を掲げるのだから。そこに私利私欲が混ざるのだから厄介だ。

 「どちら、ですか。彼らからしたら僕らが悪いんでしょうね。」

 戦っている時は憎くて仕方なかった。全部無くなればいいとすら思っていたのに。終わってみれば冷静になり後悔するばかりだ。

 「お前、そんなんで村を引っ張っていけるのか?」

 沈む星桜に博文が問いかける。

 「さぁ、どうでしょう。」

 弱々しい笑みを向ける星桜に博文はため息を吐いた。

 「姉貴が恋しいか?」

 「当たり前じゃないですか!もう、会えないと思っていた家族が生きていたんですよ!?一緒に居たいと思うのが普通でしょう?!。」

 拳を握り星桜は叫んだ。緑青の瞳が滲んでいた。

 「姉貴はお前に全てを託して消えた。原因はあの男にあるとしてもだ。その現実は受け入れろ。」

 黒色の三白眼に見据えられ星桜は黙った。翠の瞳にはやるせなさが滲んでいる。

 「お前の姉貴はあの男の危険性をよく知っている。その上で一緒に居るんだ。」

 どうしても気になるあの男。

 威圧感、征服欲、そんなものじゃない、あの瞳は全てを支配する。復興が落ち着けば博文も一度故郷に戻り、師範の指示を仰ぐつもりだ。ここは貿易の中間地点として東西南北の代表者が統治すると話が出ているので問題はない。

 師範のお告げ通り事は運んだ。今頃は大罪人の首も師範のもとに届いていることだろう。

 眉間を揉み、博文は小さな息を吐いた。



 報告書を届け終え、外に出る。眩しい日差しにフェンは目を細めた。

 「ヒヒン。」

 フェンを見つけたアイナが近づき、フェンを頬に擦り寄る。

 「わっ。アイナ。くすぐったいよ。」

 アイナの背を摩った後、フェンは額をアイナにくっつけた。触り心地の良い毛並みは保護施設の子達が愛情も持って世話していることが伝わる。

 「・・・これで良いんですよね、キルシュ大佐。」

 古城崩壊前に、混乱している北街道に現れたアイナはフェンに真っ直ぐに駆け寄ると右に何度も首を曲げた。何かを伝えようと必死な姿にフェンは右側に回り込む。首輪の隙間にメモ紙が挟まっていた。開くとそれは宮殿の地下に隠された国王の隠し財産の在り処だった。藍玉国のチェルノ伯爵と交渉するようにと書かれていた。

 結果、国王の隠し財産を渡す事でリントエーデル国の難民は藍玉国国境周辺で生活をおくることができるようになった。

 いまさら、生死不明の上官を探そうとは思わなかった。遺体が見つかって無いのだから生きているんだと思うことができるから。

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