第1章

 リントエーデル国は大陸の中央に位置する小国だ。東には湖が。西には森が。南には砂漠が。北は山に囲まれている。国外地域には様々な民族が集落を作りそれぞれの生活を営んでいた。民族同士の小さな衝突は度々あったが、それぞれの長が穏便に時には第三者に介入を求め治めていた。それはどの民族もリントエーデル国王である、『ブランシュ王』の考えに賛同していたからである。

 『龍の子を助け、この地は安定した。我々は同族同士助け合わねばならない。龍の子とは言葉を交わすことができなかったが、我々には言語があり、対話が可能である。相互理解で救われることを忘れてはならない。』

 二千年続くこの国の繁栄を担ってきた一族の言葉を誰しもが敬い信じ続けた。

 そして神からも認められた一族は恩恵を受けていた。全ての生命が欲しがる『未来が視える力』。リントエーデル国の歴代国王はその力で国を統治していた。争いの無い平和な国を。誰しもが幸福を感じ豊かに生きていける国を目指し維持してきた。

 しかし変化が訪れたのは十八年前ブランシュ王が病に伏せてしまってからだ。死の淵を彷徨ったと言われたブランシュ王は生きるために悪魔と契約したかと思わせる程、国外周辺の異民族を虐殺した。

 幸福を願っていた王の変わり果てた姿に国外の他国の王達は頭を悩ませていた。しかし、誰もが、手を出せずにいた。それはリントエーデル国国王が持つ『未来が視える力』。龍の言葉に逆らえば自国に甚大な被害が及ぶ。異民族への弾圧もきっと高貴な考えがあってのことだろう。

 触らぬ龍神に祟りなしなのだ。




 国軍施設軍寮 東棟


 悠真は夢と現実の狭間を揺蕩うのが好きだった。甘く安堵する匂いの中で意識が溶けていく。朝だなぁとわかるけど起き上がろうとは思わない。時間が許す限りこのままがいい。母の胎内はきっとこんな感じだろう。無意識に安全だと思い込む心地よさ。

甘い匂いを吸い込もうと身じろぐと柔らかなものに触れた。抱きしめるようにギュッと抱いて頬を擦り寄せる。ふと、思考が揺らぎ、瞼の裏に映像が流れた。

 鼻歌を歌い、機嫌よく廊下を歩いてくるのは部下のヴィントだ。翠の癖っ毛を揺らし目的のドアをノックもなく開ける。


 ぱちっと悠真は黒曜石に例えられる瞳を開けた。視界に映るのは肌触りの良いサテン生地と繊細な模様の入ったレース。それが規則正しく上下しているので視線を上に向ける。

 視線の先では李桜が寝息を立てていた。薄く開いた桃色の唇から微かに漏れる息。長い睫毛が呼吸に合わせて揺れている。漆黒の長い髪も透き通る白い肌もカーテンの隙間から入る陽光で煌めいてその姿は絵画に描かれる女神のようだ。滑らかな黒髪を「翠髪」と教えてくれたのは李桜だったと思い出す。ずっと見ていたいけどそうもいかず、悠真は李桜の体を揺さぶる。

 「李桜、起きて。ヴィントが来るよ。」

 「ん~。」

 李桜は眉を寄せるだけだった。朝が弱い李桜は名を呼んだり、揺さぶるだけでは起きない。

 「りぃーおーんー。準備に時間かかるから起きてよ。」

 「・・・ん~。」

 今度は少し大きめの声で呼ぶ。でも李桜は起きない。首を振って拒否している。今起きないと困るのは李桜だ。悠真は少し考えて、

 「おっぱい隠さないと困るの李桜だろ。早く起きてよ!」

 と李桜の右胸を鷲掴んだ。その瞬間、李桜は飛び上がるように体を起こす。李桜が起きたことに悠真は満足気な笑顔になる。

 「おはよう、り」

 「バカッ!」

 李桜の怒声と左頬に走った痛みで悠真はベッドから転げ落ちた。


 理不尽だ。

 腫れた左頬を摩り、悠真は椅子に腰掛けサンドイッチを頬張っていた。朝食は李桜お手製のタマゴサンドとフルーツサンド。パン好きの悠真にとって、フルーツサンドはテンションが上がる好物だが今朝は違った。頰は痛いし、ベッドから落ちた際に打った足の痛みも続いているように感じる。

小さなテーブルと椅子が2脚あるだけのリビングで悠真は膨れっぱなしだった。

 「・・やっぱ納得いかない。」

 そもそもだ。朝の身支度が自身の倍以上かかるのだから気をきかせて起こしたのだ。李桜は理由があって男装をしている。それが彼女の身の安全を守る最良の策だと教えてもらった。彼女のためならなんでもしてあげたいと思っているのだが、上手くいかないことが多い。

 「悠真ー。」

私室に備え付けの簡易キッチンから呼ぶ李桜に悠真は「んー。」と返事した。

 「珈琲と紅茶どっちにしますか~?」

 「えっとぉ。」

 機嫌が直った李桜の声音に悠真の思考も切り替わる。

 珈琲と紅茶。どっちかと言われてもどっちでもいい。時々、どちらかを選択することはあるけど、今の気分はどちらでも良かった。返答がないことに李桜は紅茶をカップに注ぐ。

 「紅茶でいいですね?」

 「うん。」

 普段通りの李桜に先程まで不満はなく悠真は笑顔でカップを受け取る。向かいに座った李桜もカップに口をつけた。

 身支度後の李桜の格好は起床前と正反対だった。長い黒髪を後ろに一つに纏め、銀縁の眼鏡をかけている。生地の厚い戦闘服に身を包み、詰襟まで止めていた。手には革の手袋をはめている。

胸の膨らみがない代わりに胸ポケットには使い古した革手帳が収まっていた。乗馬パンツにブーツ姿で女性特有の丸みは無くなっていた。

 その点、悠真はシャツにストレートパンツの軽装。ネクタイは胸ポケットに無造作に突っ込んでいる。夜色のラウンドショートも手櫛で解いただけだ。

 「どうしました?おかわりします?」

 悠真の視線に気づいた李桜が顔をあげる。

 「男の格好でも李桜は可愛いね。」

 「それ、外では言わないでくださいよ。」

 「うん!」

 返事だけは良い子の悠真である。天真爛漫な笑顔に李桜は子育てをしている母親の心境だ。とても同世代とは思えない。それも悠真の魅力の1つとも思うが如何せん、頼りなくみえる。自然と自身がしっかりしなければと考えてしまう。

 悠真は端正な顔立ちだし、高身長だ。外見だけで貴族の娘たちが寄ってくる。だが、性格にかなりの難があった。思考は子供だし、朝の一件のようにデリカシーは無い。もったいないなぁと李桜は思う。

 「おっはよーございまーす、ノービリス准将!」

ノックもなくドアが開いた。二人の視線は自然とドア前に立つ癖っ毛緑髪の青年に向けられる。

 「おはよー、ヴィントー。」

 「挨拶の前にノックをなさい、ヴィント。」

 「うげぇ?!キルシュ大佐!?」

 李桜の姿を認めるとヴィントは目を見開いたあと、直ぐに敬礼した。

 『ノービリス准将』『キルシュ大佐』それは悠真と李桜の偽りの姿だった。

 「おはようございます、キルシュ大佐!」

 「おはようございます、ヴィント少佐。」

 敬礼のまま横歩きでヴィントは悠真の隣に器用に歩くと乗馬パンツがその動きに合わせて揺れた。

 「なんでキルシュ大佐が准将の部屋にいるんすっか。」

 「ご飯作ってくれるから。」

 「はぁ?食堂に行けばいいじゃないっすか。」

 「俺、食堂のご飯たべれないもん。」

 ヴイントは小声で話すが悠真は普段の声量だ。向かいの李桜には丸聞こえである。

 「毒とか盛られてないっすか?あの冷血なキルシュ大佐が料理とかありえないっすよ。」

 「なんで毒盛るの?」

 「ヴィント少佐、上官に対するその口の聞き方、どうにかなりませんか?」

 「うっす?!」

 引きつったヴイントにキルシュ大佐は小さく息を吐いた。 

 「で、なんのようですか?」

 「本日の会議はジョルダン公不在のため、中止となりました!よって、本年度新兵訓練実施書の提出をお願いします!」

 力強い敬礼と、大声を張り上げたヴィントに李桜は今度は大きな溜息を吐く。

 「わかったー。ご飯食べたらいくねー。」

 良い子よろしく返事するノービリス准将にも呆れてしまう。

 「って、もう食い終わってるじゃないっすか。」

 皿を指差すヴィントに悠真は「あれ?」と首を傾げた。

 「あ、本当だ。おかわりある?」

 「ええ?!まだ食うんすか?次絶対毒盛られますよ?殺されますよ?私室に呼んじゃうあたり准将油断しすぎっすよ!もっと危機感持ったほうがいいっすよ?」

 一気に捲し立てたヴィントにキルシュ大佐が眼鏡の奥の緑瞳を細めた。

 「無断で入ってくるヴィントには言われたくありませんが。」

 「ひぎゃぁ!すいっまっせん!」

慌ててヴィントが再度敬礼した。ヴィントの怯えように悠真は『キルシュ大佐』が上手くハマってるなーと感心する。発言する度にヴィントに恐れられている李桜の気分はあまり良くはないが。



 リントエーデル国軍本部棟


 朝食後、城下町巡回の為李桜と別れた悠真は軍本部に向かう回廊を歩いていた。軍の中で戦闘服を着ず、ジャケットの着用が許されているのは将位や貴族出身者のみなのであるが悠真に敬礼する士官は少ない。理由は単純で最年少将官である悠真を疎ましく思う輩が多いからだ。それと、『常識知らずの奇人変人ノービリス』の不名誉な呼び名が付いているからでもある。本人は気にしていないので弁解もしなかった。それがいらぬ尾ひれとなり噂に拍車をかけているわけだが。

 そして今日は会議が中止となったことをいいことに悠真はジャケットを私室に置いてきた。シャツのみの軍幹部らしくない服装で歩く悠真にすれ違う者たちが訝しげな表情すらしている。その後ろをしょぼくれたヴィントがついてくる。

 「マジ、キルシュ大佐おっかないっす。さすが、屍増産機械大魔王っす。」

 退室時に上官として『キルシュ大佐』はヴィントに注意をしていた。ヴィントは根が悠真に似ているので、怒鳴ると反発する。なので静かに諭したのだ。その方法がヴィントには効果的であると知っているから。

 「事あるごとに『次は懲罰房ですからね』って!あれは立派な脅しっすよ?!准将もそう思いません?!」

 「でもヴィント懲罰房入ったことないだろ。」

 「ありますよ!訓練生の時めっちゃしごかれたっす!もう入りたくナイっす!」

 必死に訴えるヴィントの話を悠真は聞き流していた。

 (それ部隊に配属される前の話じゃん。大体、『懲罰房』なんて教官軍人のストレス発散場なだけだし。)   

 そう思ったが悠真は口には出さなかった。面倒くさいからである。

 厳しい言葉をかける李桜だが部下に対して体罰を行ったことは一度もない。

 十年かけて作った「冷酷無比な軍人キルシュ」像は予想以上に軍内で有名になり一人歩きしている。おかげで李桜に近づいてくる輩はいない。不特定多数の人物と関わらなければ女性であることがバレる確率も少なくなるので安全だ。

 それに李桜に実際叩かれたことがあるのは今朝のように余計な事をする悠真だけである。

 「俺なんて今朝顔叩かれたのに・・・。」

 「マジっすか!やっぱ大佐おっかないっすよ!ノービリス准将が一応階級上っすよね?!上司っすよね?!」

 「うぅ俺、絶対悪くないんだけどなぁ~。」

 良いことをしたはずなのに。なんで起こして怒られたのか、悠真はわかっていなかった。起こし方に問題があったことに気づいていない。この場に李桜が居たら右頬にもう一度平手打ちをかましていただろう。

 う~んと立ち止まり考え込む。その悠真につられヴィントも立ち止まった。回廊の真ん中に突っ立ている二人を他部隊の者たちは遠目に見ながら通り過ぎていた。

 「キルシュ大佐がK2部隊を乗っ取るって噂マジじゃないっすか?やっぱ悪魔っす、魔王っす。」

 K2部隊は悠真が所属しているケルト第二隊の略称だ。東の公爵のアドルフ公が率いる第二部隊。主な任務は国内の治安維持。その指揮官が『ノービリス准将』なのだ。

 「それはないけどー。」

 自身の補佐をしているキルシュ大佐がK2隊を乗っ取るなんてことはありえない。寧ろ逆にキルシュ大佐が纏めているのだ。

 イメージがここまで一人歩きするなんて刷り込みとか噂はすごいなーと悠真は暢気に思う。

 「いっつまでK2部隊の恥晒すんですかねぇ?うちの上官達は!」

 怒鳴り声に悠真とヴィントは声の主を探した。二人の頭1つ分下に青髪の少年がいた。つり眼を更につりあげ睨みあげている。

 「フェンじゃないっすか。」

 「おはよー、フェン。」

 驚いた様子もないヴィント少佐と朗らかに挨拶するノービリス准将にフェンはギッと童顔に合わない睨みを効かせた。

 「いい加減にしてくださいよ!いつまでたっても執務室に現れないし!様子見に来たらこんなとこでくちゃっべってるし!また他の隊に馬鹿にされるじゃないですか?!」

 フェンは今年幹部候補を修了したばかりだ。直属の上司はキルシュ大佐である李桜。李桜の指導の賜か軍規を忠実に守っており、問題上司の扱いも上手かった。新人兵士に上官2名が説教されている絵は一般的にはシュールだがK2隊では珍しいことではなかった。

 「フェン、大佐に似てきたね。」

 「そっすよ。二ヶ月でここまで似てきたら一年後は悪魔になってるっす。」

 視線を互いに交わす悠真とヴィントにフェンの怒りが沸点に達する。実際は指導される立場である自分が何故五つも歳が離れた、しかも上官に注意をしなければいけないのか。こちらが理由を聞きたいくらいである。

 「いや、もうホントです。キルシュ大佐もよくお二人の面倒を見てこれたと思いますよ。」

 こんな暢気で幼稚な上司と部下に挟まれるなんて大佐も運が無いとフェンは常々思っている。

 「おーおー、K2の奴らは賑やかだねぇえ。」

 「こんな上官で新兵育成なんかできんのかぁ?」

 下卑た笑いに侮蔑の言葉。戦闘服がカスタマイズされていることからどうやらこの男達は貴族出身らしい。

 「指揮官が娼婦から逃げ出すくらいだからどーだろなぁ。戦地でも一目散に逃げ出すだろうよ。」

 廊下の端で男二人が悠真達に嘲笑を浮かべ軽視していた。悠真もヴィントもその手の侮蔑・妬みは日常茶飯事なので気にしていない。左から右に聞き流している。

 「まともなのは残虐なキルシュ大佐だけだなー。」

 「それもどうだぁ?この上官の下なら汚い手使ってのし上がってんじゃねーか?」

 反応をしたのはフェンの方だった。尊敬している上司を馬鹿にされて黙っているわけにはいかない。

 「大佐を、ふぐ。」

 「なんで娼館のこと知ってんのー?」

 悠真に後ろから抑えられ、その上左手で口を塞がれたフェンは上官の行動に目を丸くする。それは目の前の男たちも同じだった。

 「男同士でくっついて気色わりぃんだよ。」

 「夕日上がりだからって調子乗ってんじゃねーぞ。てめーみてーなのが准将ってのが気に食わねーんだよ、気づけよクソ野郎!」

 壁を蹴り上げ、毒づく男達にヴィントが近づいていく。くだらないと言いたげな呆れた目線を向ける。

 「なんでって決まってるっすよ、戦果を上げてるからっすよ?知らないなら教えてやるよ。国内外紛争地域に行って暴動鎮圧したらいーだけだから。びびってないでささっといけば?」

 行軍とかマジ面倒すっけどねー、付け足したヴィントの言葉に悠真が「ねー」と同意する。

 まるで勉強を嫌がる子供のように話す悠真達に男たちの怒りが増していく。殺意すら滲ませている男たちにフェンは冷や汗を流した。この人達は相手を煽って楽しんでいるのか?そう取られても文句の言いようのない言動をしていることに気づいてないのか?鈍感な上司はフェンの心配を他所にいつものように喋り続けた。

 「基本は試験とか公爵様に気に入ってもらうことだけど、もっと簡単なのはー、」

 フェンの頭に顎を乗せ悠真は宙を見た。考え事をするときの悠真の癖のようなものである。

 「殺すことだよ、沢山。」

 無地邪気な声音と屈託ない笑みで悠真は男たちを見た。

 「そしたらね、表彰されるんだよ。殺せば殺すだけ、ね?俺も大佐も夕日時代にたくさん殺したから。」

 十二年前、国境付近の『アベントゾンネの丘』で繰り広げられた激戦。ノービリス准将とキルシュ大佐は当時新兵だったにも関わらず、その激戦から生還した。

 飄々とアドバイスする悠真に男たちは一種の恐怖を感じた。陽は昇り外の空気は暖かいはずなのにこの空間だけは冷たい空気に包まれている。

 「・・・龍に逆らう愚か者がもういねーんだから、こっちは殺したくても殺さないんだよっ!」

 吐き捨て男たちは逃げるように去っていった。大事にならずに済んだ事にフェンの口から安堵の息が漏れた。

 「あれ、帰ちゃった。」

 漆黒の瞳を丸め悠真が首を傾げる。

 「せっかく准将が良い方法教えてくれたのにー。メモくらい取るべきっすよ!どこの部隊すっかね?てゆーかノービリス准将!娼婦のことまじっすか?逃げたっってやつ!」

 「んー?ほんとだよ。」

 「なんでっすか?!」

 瞳を輝かせて聞いてきたヴィントに悠真は面倒くさそうに口を開く。

 「あー、訓練生を卒業した時に教官が無理やり連れて行ったんだけど。女の人は数人で服脱がそうとするし、教官は酒のんでニヤニヤしてるし。すんげー怖かったんだー。」

 当時を思い返しブルリと震えた悠真の姿にヴィントが勢いよく吹き出した。

 「ギャハハハ!なんスっかそれ!ウケるんスけど!え?じゃあ准将まだ?。やっべぇ、どーしよ!?」

 大笑いしたヴィントが目元に涙を浮かべてひーひー言っている。途中、笑いすぎて呼吸が苦しくなったのか咳き込むこともあった。

 そんなヴイントに悠真はムッと唇を尖らせる。

 「なにそれ。あん時はフェンくらいだったし。ヴィントの時はどうだったんだよ?」

 「ばっちりっすよ!頼りがいのある男として気の利いた言葉でハートを撃ち抜きましたよ!」

 ドヤ顔でヴィントが答える。右耳のラピスラズリのピアスが誇らしげに陽光でキラリと光った。自信満々の部下に悠真は呆れた眼差しを向ける。

 「・・・ヴィント何いってんの?」

 「あーもう!マジ准将鈍感っす!女心わかんないじゃないっすか?!」

 話がどこに膨らんでいるのか、この二人の会話の終点が見えなくなる。しかも、軍内部で話す内容ではない。城下町で食べ歩きしながら話しろとフェンは言いたかった。立ち止まって暴走する上官2名は執務室に足を向ける様子はない。フェンは正直困っていた。もう、限界だ。

 「キルシュ大佐、私にはやっぱりこの二人のお守りは無理です!」

 心の叫びは声となり青空に消えた。



 (誰かの声が聞こえたような?)

 同刻、振り返った李桜の眼前には城下町からでも存在感を増す古城がそびえ立っていた。後を歩く部下を確認し、首を傾げそうになったのを、止める。

 (いけない、今はキルシュ大佐だ。冷酷無比で他人を足蹴にして地位を勝ち取った、最悪な軍人。)

 自身に言い聞かすように何度も心内で呟く。

 城下町は賑わっていた。生活の場である市場は人通りも多い。商人達の活気ある声に子どもたちの笑い声。井戸端会議を楽しむ年配女性たち。若者たちは思い思いのお洒落を楽しんでいた。

 昔から旅の中間地点として栄えたこの国は多種の民族が入り混じった他民族国家だ。露天もあれば喫茶もある。市民はそれぞれの流行りを楽しんでいた。

 それが一部の市民に与えられた恩恵だった。

 『龍王の力でこの国は平和である。平和を与えて下さる龍王の為にできることは税を納めることである。』

 近頃はそう宣う貴族が増えた。龍王であるブランシュ王の為にと早急な国政の改革が必要と訴え重い税を民に課した。批判が無かったわけではないが、暴動者と称し連行された市民もいる。実行したのは貴族直属の警護隊だったので直接的な関わりはなかったがそれでも連行される人々を見るのが李桜は辛かった。こっそりと『ノービリス准将』の名を使っては釈放させていたがやはり限度はあった。その件があり城下町全体の警備をK2隊に回すよう働きかけたのだ。

 今日、巡回に連れてきたのは訓練校卒業したばかりの十四の少年二人だ。まだ、幼さが残る顔に、大人になりきれていない体。本人達は立派な軍人の一員だと腕章を誇らしげに見ていた。その無垢な表情に李桜の胸がチクリと痛む。

 「あのキルシュ大佐。何故大佐自らが巡回などを?」

 恐縮し震え声で後ろを歩いていた少年がキルシュ大佐に聞いた。

 「いけませんか?」

 振り返りもせず、一言だけ突き放すように告げられた返答に少年は「すいません」と頭を下げた。重い空気のまま三人は市場を抜けた。中央広場では男が演説台に立ち、声を張り上げている。お世辞にも見てくれがよいと言えない容姿に着飾った姿は必死にコンプレックスを隠そうとしているようだった。新たな時代の幕開けだと集まった民衆に高々と宣言していた。

 「我がブランシュ王は病から復活された。神に愛された我が国の繁栄は続いている、龍の恩恵を受けし一族はこの国に平和と安寧を齎している。国土を広げ皆で幸福を味わおうではないか。

 蛮族でさえ我が王に平伏した。それは何故か?この地を治めた龍の一族が神に近しい高貴な存在であるからだ!」

 民衆の歓声に包まれ、男は満足した様子で手を振った。噴水越しに見覚えのある顔だと李桜は気づいた。

 「あれはギスラン中将?」

 「え?あの方が?Z1隊の?」

 「素晴らしい演説ですね。」

 少年兵二人が立ち止まり感嘆の声を出した。まるで神聖な者を見る眼差しを向けている。

 「職務中に立ち止まるなんて良い度胸ですね?」

 声に嫌悪感が滲んでしまったがキルシュ大佐は続けた。少年達よりほんの少しだが李桜の方が身長が高い。威圧感は十分だった。

 「すいません!」

 「でも、中将のお言葉を聞くのは、」

 「言い訳は結構です。ギスラン中将の演説は民衆に向けられたものであなた方に向けられたものではない。そして、我々の上官はアドルフ公です。」

 国王配下の軍、東地域を統括するケルト隊アドルフ公と西地域を統括するザフト隊ジョルダン公。ギスランはザフト第一隊に所属している。ちなみに率いる公爵アドルフとジョルダンは犬猿の仲だ。

 「行きますよ。」

 「は、はい!」

 踵を返した李桜の後を追うように少年達は慌てて歩を進めた。 

 『我が国の王に蛮族でさえも平伏した。』

 (全部嘘だ、殺したくせに。)

 反芻された言葉に答えてしまうのは事実で無いと痛いほどわかっているからだ。権力者は犠牲の上に正義があったのだと主張する。滅ぼされた者が悪だと、間違いを正したと真実を捻じ曲げる。殺された者がたとえ正しくとも、真実を語ることはできないまま汚名を着せられ後世に語れる。

 (聞きたくない。)

 李桜の歩く速度が速くなる。早くこの広場を離れたかった。そうでもしないと叫びだしそうだった。

 お前たちが焼き払った『月の民』は何もしていないのだと。



 大通りから少し離れた路地に入る。路地裏は大通りとは大分様子が変わっていた。日の当たらないジメジメとした澱んだ空気が肺に流れる。座り込んでいる者たちもやせ細り、焦点の合わない目をしていた。石畳の隙間に指を入れアリを探し食べている老婆の姿に後を歩いていた部下の少年一人が「ひっ。」と声をあげた。異様な光景に思わず驚いたらしかった。確かに数分前まで活気ある人々の中に居れば無理もないことだろう。李桜は足を止めて少年達に振り返った。

 「貴方達はこの国を守る軍人です。」

 唐突な言葉に少年達は一瞬固まったが、互いに顔を見合わせたあと、敬礼をした。

 「そうであります!」

 上ずった声で二人は声を揃えた。敬礼の手の震えや噛み締めすぎて唇の色が変わっている事に緊張しているのがキルシュ大佐にも伝わる。

 「先程のことで折檻しようなどとは考えてませんよ。ただ、確認したかっただけです。敬礼を解いて深呼吸しなさい。」

 少年達は言われた通り、敬礼を解くと深く息を吸い込んだ。二人が落ち着いたところでキルシュ大佐は続けた。

 「この国の何を守りますか?」

 「国王です!龍を守り、龍の盾になることが我々の使命であり、御国のためです!」

 真っ直ぐな瞳で答えた少年達に李桜はかける言葉を無くした。少年達が信じ込まされている忠義は偽言だ。純白を黒に塗りつぶすことほどは簡単なことはない。

 「質問を変えます。訓練施設で何を学びましたか?」

 二人はキョトンと目を丸めた。何故そんな事を今、わざわざ聞くのかと訝しんでいる。

 「何を学びましたか?」

 「男は王の為の兵士となり、女は国の為に子を産めと学びました!」

 再度問われ、半ばやけくそとも取れる声量で答えた少年にキルシュ大佐は目を瞑った。

 「そうですか。」

 物心つく頃からの洗脳。何も知らせれずに言われた通りに動く人形作り。その人形を増やす道具の育成。これがこの国の現状。我欲に塗れた者たちだけの理想郷。

 心が苦しい。どうしてそんな風に考えないといけないのか。

 「では巡回に戻りましょう。」

 そう言い、歩きだしたキルシュ大佐の後を少年達が追う。纏めた黒髪が路地の生暖かい風で揺れた。キルシュ大佐はもう一言も発し無かった。



 三人は一言も口を開かず歩き続けた。

 ボロ布を身に纏い、座り込んでいる者。数人で身を寄せ合っている子供たち。明らかに病気で動けないとわかる者もいた。その者達の横を黙ったまま通りすぎる。

 声をかけて手を差し伸べ助けたい気持ちはある。見て見ぬふりしか出来ないのは中途半端な優しさが彼らをさらに苦しめると知っているからだ。今の李桜には何も出来ない。

 「いでっ!」

 「ジャック!」

 二人の子供が李桜の前に飛び出してきた。倒れている男の子は口元が切れている。女の子が男の子の傍に泣きなが駆け寄っていた。

 「死ね、糞餓鬼!ああ?!」

 建物の横から腕を振り上げた大柄な男が飛び出してきた。目の端にその男を映すと李桜は子供達と男の間滑り込むように立った。

 「おら、どけ!?」

 勢いを止められ男は怒鳴り散らす。恐怖で女の子がぎゅっと目を瞑っていた。

 「野蛮ですね、貴方こそどこの部隊ですか。」

 男が軍服を着ていることを確認するとキルシュ大佐は眼鏡の奥で目を細めた。顎を軽く上げ男を見下ろす。格下のように見下ろされた男が激昂する。少年兵たちも固唾を飲んで様子を見ているしかできなかった。

 「うるせぇ!てめーこそ、ど、」

 怒鳴り散らしていた男は黙った。黙らざる得ない状況になったからだ。自身の喉元に垂直に突き立てられているナイフ。いつ、間合いに入られ、ナイフを抜いていたのか男には見えなかった。

 「ノービリス准将配下のキルシュ大佐ですが?あなたは?」

 男は答えない。いや、答えればまちがいなく喉元にナイフが刺さるだろう。男が額から大粒の汗を流したのは喉元のナイフと眼の前にいる麗人が軍で非道だと知れ渡るキルシュ大佐だからだ

 「こんな時間にこんな場所で何してるんです?夜勤明けですか?」

 男は答えない。変わりにガチガチた歯が鳴った。

 「・・・!」

 ただ、突き立てられたナイフの手元を見ている。

 「弱い者いじめですか、ブランシュ王に仕える兵士が。あまり関心しませんね?」

 答えない男に李桜は態とらしく嘆息した後、背後の子供たちに声を掛けた。男から視線は外さないまま。 

 「あなた達二人は何をしたんですか?」

 話を振られたことに赤髪の女の子はビクッと体を震わせた。男の子の服を強く握っている。 

 「こいつがマナに乱暴しようとしたんだ!」

 「おやまぁ。」

 ジャックと呼ばれた男の子の憎悪に近い絶叫にキルシュ大佐の目が更に細くなる。

 「品がないですね。遊び方も知らないとは。貴方のようなクズがいると軍の評価も下がってしまいますよねぇ?そんな輩と同列だと思われるのは屈辱です。」

 ナイフの持ち手を瞬時に逆手に持ち変えるとキルシュ大佐は迷う事無く、腕を引いた。

 男の軍服の詰襟が破け、首元に引かれる赤い筋。体中の力が抜けたのかその場に男が座り込む。ジワジワと股間部が濡れていく。

 「汚いですね。貴方達二人申し訳ないですが、この男を大通りの真ん中に運んで下さい。暫く反省するといいですよ。」

 少年達は困惑しながらも頷くと左右に男を抱えて引きずるように連れて行った。三人が路地から離れたところで李桜は子供たちに視線を向ける。二人はポカンと見上げていた。

 「あ、ありがとうございます。」

 赤毛の女の子ーマナーがお礼を言った。一緒に居た男の子ージャックーも頭を下げる。ふとマナの腕に目を落とすと赤くかぶれていた。

 「この腕は?」

 片足をつきマナの手を取る。視線を合わせ尋ねるとマナは驚いた顔をしていた。

 「多分、お花で。」

 「花?」

 「お花、売ってるの。」

 どうやらマナは花売りのようだ。路地を指差すと何本か散らばっているのが見えた。

 「拾っても?」

 「オレ、取ってくる。」

 李桜が尋ねると散らばっていた花をジャックが拾ってきた。形が綺麗な花を選んできたのだろう。そのまま李桜に手渡す。

 「プリムローズですか。」

 紫の花びらに思わず李桜の頰が緩む。

 「この花を摘む時は葉に気をつけなさい、かぶれますよ。」

 そう言って李桜はマナの手に金貨を5枚置いた。瞳を見開くマナに「お代です。」と告げる。

 「辛いことの後には良いこともあるはず。だから頑張ってね。」

 

  路地前では部下2人が敬礼でキルシュ大佐を出迎えた。大通りの真ん中に放置しろと命じた男は通りの壁に持たれ、焦点の合わない目で呆けていた。国軍の大男が小便を漏らし座り込んでいるのだから行き交う人々は足早に去ったり、コソコソと話をして去っていく。

 「平和」なこの国ではさぞ刺激的な情景だろう。

 「力量を知らないとは無様ですね。」

 蔑視を向け吐き捨てる上官を少年兵二人は硬直し凝視していた。この男の醜態は矢の如く軍内に知れわたることだろう。広場で軍服のまま小便を垂れるなど者など。プライドの高い貴族であっても階級の低い者の変えはいくらでもいる。失態を晒す者は即刻解雇だ。

 「貴方達も早く大切な事に気づけるといいですね、あの子達のように。」

  そう口にした途端、李桜は後悔した。価値観など、人それぞれだと言うのに。

 


北東の塔軍執務室


 各部隊には軍本部の事務室の他に執務室が与えれたいた。宮殿を囲むようにケルト隊第一部隊は南東の塔、ザフト第一部隊は南西の塔といった具合に。ケルト隊第二部隊は北の森が見下ろせる北東の塔が与えられていた。

 執務机の上で悠真は突っ伏していた。

 会議は無くなったが、事務処理が残っている。どういった経緯だったか忘れたが来年度の訓練兵のカリキュラム作成があった。

 「失礼します。」

 規則正しいノックの後に扉が開く。その音に悠真は勢い良く顔を上げた。

 「李桜!」

 母親が帰宅した子供のように綻んだ表情の悠真に李桜は人指し指口元で立てた。

 「勤務中はキルシュ大佐ですよ、ノービリス准将。」

 諭すように言うと悠真は「そうだったー」と笑う。本当に理解しているのか疑わしい。

 「Z1隊から苦情入ってましたけど。軍の規律を乱すのはやめろとか。新兵の態度が悪いって。」

 路地裏で買ったプリムローズを飾るため、李桜は花瓶の代わりになるものを探した。ソファ横のテーブルにあったグラスを手に取る。材質はガラスだろう。太陽光を浴びて煌めいている。満足げに頷き李桜はプリムローズの余分な茎をナイフで切った。そんな李桜を眺めながら悠真は「うーん」と思い返す。

 「先に喧嘩ふっかけってきたのはあっちだったような気がするけど・・・?」

 「どうせヴィントと一緒になって煽ったんでしょ。」

 「そーっだけかなぁ?」

 腕を組んで考え込んだ悠真に李桜はやれやれと首を横に振った。これ以上聞いても明確な返答はでないだろう。本人に自覚が無いのだ。仕方なく李桜の方から話題を変える。

 「それより、ジャケットは?」

 「会議無くなったから持ってきてないよ?」

 悪びれた様子もなく平然と答えた悠真に李桜の口から重く深い溜め息が出た。

 「あのですね、貴方これでも准将ですよ?K2隊の指揮官ですけど?立場わかってますか?」

 「邪魔だし、動きにくいから着たくない。」

 ダダを捏ねる子どのように口を尖らせ「そんなことよりね」と続けた悠真に李桜は飾り終わったプリムローズを持ち立ち上がった。

 「ホルスターは着用してますよね?」

 遮られて被さった言葉に悠真はハッとなりにへらと笑った。明らかな誤魔化しの笑みに李桜の額に青筋が浮かぶ。グラスを持った指に無意識に力が入る。

 「えっと、暫く戦闘は無いから・・・。」

 左右にせわしなく揺れる黒曜石の瞳。そんな悠真に李桜はそれはそれは綺麗に微笑んでみせた。我慢に我慢を重ねたキルシュ大佐の微笑みが悠真は一番苦手だった。口元は笑っているのに、眼鏡の奥の瞳は全く笑ってないのだ。表情筋をどう動かしたらこんなことができるのかと冷や汗を流して目線を泳がし続ける。

 「失礼します。」

 ノックが二回響く。どうぞとキルシュ大佐が促すとフェンが入ってきた。

 「キルシュ大佐、お戻りになってたんですか!」

 小柄な体が気にならないほど大きな動作で敬礼するフェンは尊敬の眼差しで李桜を見上げている。

 「フェン。敬礼の順番違うんじゃないですか?」

 「申し訳ございません!以後、気をつけます!」

 キルシュ大佐の声にフェンは体を捻り悠真に敬礼した。

 「助かったー、ありがとーフェン!」

 安堵の息と共に悠真はフェンに感謝をした。フェンは意味がわからないという表情になった。

 「で、どうしました?」

 「はい、藍玉国チェルノ伯爵からの書簡が一通と保護施設にいる子供達の名簿です。」

 フェンは持ってきた書簡とファイルを執務机に置いた。

 「頼んでたっけ?」

 置かれたファイルを手に取り内容を確認するが悠真には頼んだ記憶が無かった。

 「ご苦労さまです。それから保護施設の厩舎にアイナと黒竜を移動して下さい。馬の世話は子供でもできますから。」

 「白馬と黒馬ですか?しかしあの二頭は大佐と准将の言うことしかききませんよ。」

 アイナと黒竜はキルシュ大佐とノービリス准将の愛馬だ。暴れると危険ではないかとフェンは言いたかったが口には出さなかった。

 「あの子達は賢いですから子供たちに危害は加えません。心配ならこれを使いなさい。」

 ポケットから白いハンカチを取り出し、フェンに手渡す。フェンは黙って受け取ると「はい」とうなずいた。どうやらハンカチの匂いで主の指示だとわかるほどに調教されているらしい。

 キルシュ大佐は左手に持っていたグラスを机に置くと、代わりにファイルを手にとり中の書類を確認する。

 「それから、夕方より宮殿にて国王主催の晩餐会が催されるようですのでノービリス准将参加お願いします、では失礼します!」

 再度敬礼し退室したフェンに名を呼ばれた悠真は一瞬キョトンとしていた。

 「晩餐会ですか。貴族様は時間を持て余しており羨ましいかぎりです。」

 噴水広場でも遊んでましたしねと李桜が嫌味を続けた。珍しーと思っていた悠真だがはたっと我に変える。

 「俺?!」

 「ってフェン言ってたじゃないですか。」

 行きたくないと頭を抱え込む悠真に李桜は呆れるしかなかった。挙げ句に「さぼれないかなぁ」と李桜を見上げる。良い歳をして、それ以前に国軍四つの内の一つの部隊を率いているのだからしっかりして欲しいくらいだ。いくら「弱小」「お荷物」などとやっかみされているK2隊だとしてもだ。

 「やだなぁ、あそこ嫌いー。」

 まるで学校に行きたくないと駄々を捏ねる子供だ。腰に手を当て前のめりになった李桜の眼鏡が光る。 

 「おや、視えなかったんですか?」

 「李桜起こしたから今日は途中までしか視えてない。」

 『予知の力』は李桜と出逢ってからコントロールすることができるようになっていたが、李桜のことではズレる事もあった。

 今朝の平手打ちを思い出したのか悠真の機嫌がさらに急降下する。やれやれと李桜は話題を戻した。

 「晩餐会参加は階級が将位だからですよ。残業と思って参加してください。」

 「行きたくないー。」

 「我儘言わない。」

 ピシャリと李桜に言われ悠真は黙る。納得が言っていないようで唸ってはいるが。

 「なら准将の代理で私が参加せざるえませんね。」

 「それは嫌だ。」

 抑揚のない声で悠真が答える。真っ直ぐに李桜に向けられたのは紫紺の瞳だった。

 ざわりと室内の空気が変わっていた。悠真の紫紺の瞳。その瞳が李桜は昔から苦手だった。全てを魅了する色だと感じる。無意識的に引き付けられてしまうのが恐ろしいのだ。抗うことすら許されないような感覚に陥る。ある神話の蛇女の化物を連想させる。硬直した体を無理に動かすよう、李桜は息を吐いた。

 「じゃ、いってらっしゃい。」

 「はぁーい。」

 頷いた悠真はいつもの間延びした声で返事した。紫紺の瞳も漆黒に戻っている。胸を撫で下ろし、李桜も仕事モードに切り替えた。

 「私も夜は出ますからね。」

 プリムローズの入ったグラスを悠真の執務机の端に寄せる。この位置なら花が映えて見える。

 「え、どこいくの?俺も行く!」

 「・・・さっきは晩餐会に行くっていったじゃないですか。ああ、そのことで准将に相談があるんですけど。」

 「准将」という単語に悠真は仕事の話かとつまらなそうな顔になる。

 「路地裏の人たちを国から出したいんです。彼らの居場所を教えて下さい。」

 眼鏡のガラス越しからでも真剣さが伝わる真っ直ぐな深碧を悠真は無言で見つめ返した。

 「いずれは避難しないといけないのなら早い方が良いと思うんです。同盟国である藍玉国は国土も広い。国王も慈悲深い方ですし。女性や子供、ご老人を無下にはしないでしょう。ここに居るよりは大分マシだと思うんです。何よりも医療が充実している。」

 それはそうだと悠真も思う。この国の医者は貴族が独占している。下層民が医者にかかれないのは確かだ。貴族付きでない医者は高額な報酬で病人を診ていると聞く。李桜の言っていることは正しい。でも、悠真は直ぐに返事をしなかった。

 「それって、誰かに言われたの?命令?」

 予想外の言葉に李桜のトーンが落ちた。

 「・・・いえ。けれど、危険が迫っているのに手を打たないわけにはいかないでしょ?」

 悠真の意図を掴みかね、思わず声量が萎む。それでも李桜は必死に悠真に懇願した。悠真はぷいっと李桜から顔を背ける。

 「教えない。」

 「どうして?!助けられる人が一人でも居るんですよ?!」

 彼なら協力してくれると踏んだから李桜は話を持ちかけた。これまでも協力してくれていたのだ、まさか断られるとは考えてもいなかった。

 「だって李桜、じゃない大佐がさっき言っただろ、我儘言うなって。上層部からの指示がないのに許可できるわけないよ。」

 「ですから上官である貴方に話を、」

 「浮浪者でも国の人間だろ。現国王なら使いみちはあるから外に出すなって言うよ。」

 現体制ならその一言で片付けられる問題だろう。気付かないうちに人命が、自身の命が軽んじられている。その事に国民が気づくことはない。李桜とて入隊後に知る事実が多かったのだから。だからこそ、知ってしまったからこそ打開策を考えたいと思っている。

 「それはそう、ですけど、でも出来ることが、」

腕を組んで最もらしく話す悠真に李桜は唇を噛んだ。

 「俺も行きたくないとこに行くんだから、大佐も我儘言っちゃ駄目だよ。」

 得意げに鼻を鳴らした悠真に李桜は気づいた。悠真はただ、先程李桜にされたことと同じことをしているだけだ。困らせているのだけなのだ。子供が親に仕返ししているような。

 だから階級で呼んだのだ。

 ならばと李桜は後ろに結んでいた髪を解き、詰め襟を緩めた。眼鏡を外して、指を胸の前で組む。

 「悠真、お願い教えて?」

 眉を八の字に寄せ、瞳を潤ませる。この際、胸は潰れているが効果はあると李桜は確信していた。

 「うん。いいよ!李桜のお願いなら何でも聞く!」

 案の定、飼い主に餌を与えられた従順な子犬よろしく、悠真は李桜の頼みを承諾した。犬耳やしっぽまで付いているのかと思うほどの上機嫌だ。

 「で、どこですか?」

 「えっとねー、」

 引き出しから市内の地図を取り出すと悠真はペンを握った。幼児が落書きを楽しむように悠真は地図に○をつけていく。

 『教えない』

 先刻の悠真の言葉が李桜の脳裏を過ぎる。真意はわからないが悠真にとって『人命優先』は二の次のようだ。俗に言う「命の尊さ」を悠真は理解していなかった。最愛の母が殺された子供時代から悠真の心は止まったままだ。体だけ成長し、心の中では母の愛情を求めている。悠真の感情表現は「好き」「嫌い」「面倒くさい」くらいだ。単純である分、限度を知らないのが李桜は不安だった。

 「はいできた!」

 「ありがとう悠真。助かりました。礼服もすぐに用意しますからね。」

 「んっ!」

 地図を受け取り、李桜が笑顔で悠真を褒める。褒められた悠真もご満悦だ。しかも、礼服を用意するということは準備を手伝ってくれるということ。

 「あれ、この花どうしたの?」

 「巡回中に買ったんですよ、プリムローズです。綺麗でしょう?」

 飾ったプリムローズが悠真によく見えるよう李桜がグラスを寄せる。

 「この花がプリムローズなんだ・・・。」

 漆黒を見開き悠真はまじまじとプリムローズを見つめた。


 龍の国に夜が訪れる。沈みゆく夕陽が古城を赤く染める。城下町にポツポツと光が灯る。室内から漏れる小さな明かりが町中に広がると夜空の星を映したよう眩しくなる。その景色を眺め宮殿に続く坂道を悠真はのんびりと楽しみながら歩いていた。 

 「ノービリス准将?」

 警備兵に声を掛けられる。いつの間にか城門を抜け宮殿前に居たようだ。

 「護衛もつけずにいらっしゃるなんてどうかしてますね。」

 警備兵の嘲笑と嫌味を無視する。わざとらしく舌打つ警備兵の前を通り過ぎ双頭の龍門をくぐった。その先で悠真の姿を見つけた執事がお辞儀し見せかけだけの敬意を払う。執事に案内され悠真は宮殿内に足を踏み入れる。

 十七年前は広大な庭園があった。王妃の名にちなんだ様々な薔薇が咲き乱れていた場所は現王の命により豪奢な宮殿に造り変えられていた。

 歩く度に不快感が鉛のように悠真の胸に落ちてくる。その度に悠真は李桜の「いってらっしゃい」を思い出しては気合を入れ直した。


 晩餐会は貴族たちを中心に盛り上がっていた。宮殿の広間には立食式の軽食スペースがあり、給仕たちが酒を注ぎ招待客を饗していた。隣では頭上に輝く豪奢なシャンデリアの下で優雅に踊る貴族たちの姿があった。磨かれた大理石には他国からの舞姫や演奏家が音楽を奏でている。豪華な調度品に囲まれ、優雅に贅沢に過ごす時間。

 広間の中央の壁に飾られていたのは現国王のブランシュ王の肖像画だった。自身が使っているベッドの倍以上の大きさがあり額縁は純金で出来ている。悪趣味な絵だと悠真は思う。

 「ノービリス准将!准将、聞いているのか?!」

 「へ?」

 肖像画から視線を外すと目の前に同じ礼服でスキンヘッドの男が立っていた。誰だっけ?名前が思いだせない。それ以前に顔も覚えてない。特徴的な頭してるのに。

 「初めての参加でなかろう、気を引き締めろ。」

一喝されるがまだ思い出せない。

 「はぁ。」

 「あちらで二公がお待ちだ。」

 「はぁ。」

 苛立つスキンヘッドの男を見失なわないよう後を追う。「何故私がこんな事を」とブツブツ言う男。誰だっけー?と悠真は考え続けるが記憶の扉は開かない。

 スキンヘッドの男は大理石の階段を上がっていく。階段に足を載せた瞬間、悠真の顔から表情が消えた。上がる度に渦巻くどす黒い何かが上がる足を重くしていた。


 上がった先には贅を尽くしたと言わんばかりのソファに宝石が散りばめられている。悠真にとって悪趣味なデザインだが、彼らにとっては洗練された自慢できる品だという。高く吊るされた紅のカーテンも藍玉国から取り寄せたスタンドガラスも見るからに悠真にとっては無価値なものばかりだった。

 そして悠真が無価値だ思う品々に堂々と座っているのはこの国の国王のブランシュ王だ。隣に王妃のエリザ妃が座っている。後ろには不揃いな十字架をかけた男が立っていた。

 「ノービリス准将、国王を待たせるとはいかがかな?上官の顔が見てみたいものだな。」

 鼻で笑ったのは西地域を治めるジョルダン・フォン・ザフト公爵だった。

 肉付きの良い頬に細い目が更に細められている。太腕を後ろに組んでいるせいか、大きなお腹が強調されている。 

 ジョルダン公の隣には二名の部下がいた。一人はギルマン中将だとすぐに気づいた。顔にコンプレックスを持っているがプライドの高いことで有名だ。醜くくとも地位があれば裕福だと影で言われている。

 「一体、何をしていたのかね?」

 不機嫌に眉を寄せたのは東地域を治めるアドルフ・ディ・ケルト公爵。悠真の上司に当たる彼は嫌味を言われたことに苛立ちを隠さずに悠真を睨みつけた。

 「申し訳ございません。以前とは違う宮殿の様子に心奪われておりました。広間の国王の肖像画は特に。」

 慇懃に地に足をつけ一礼したノービリス准将にブランシュ王は「ほお。」と声を出した。

 「確かに平民の君があの絵の神聖さ、素晴らしさに魅入るのも仕方がないかもしれないな。顔を上げなさい。」

 「有難きお言葉。」

 顔を上げたノービリス准将は上司であるアドルフ公の隣に姿が隠れるように立った。国王の機嫌が良くなったことに上司のアドルフも機嫌が良い。対して、ジョルダンの機嫌は急降下していた。

 「今日は急に悪かったな。しかし、日が良いと龍のお告げがあったのだ。」

 ワインを手に語りだすブランシュ王に二公が我先に話しだす。

 「何をおっしゃいますか、龍のお告げは絶対でございます。今日という日が選ばれたのはこの国の繁栄を示しているのです。」

 「ええ、罰当たりな不在の者もいるようですが。」

 ジョルダン公が半ら笑いを浮かべアドルフ公を見る。アドルフ公は唇を噛み、屈辱に耐えた。

「コナー大将でしたら只今遠征中でして。本日の晩餐会には間に合いませんでしたが、国のために功績を持ち帰ってきますのでどうかご安心下さい。」

 声を上ずらせながら必死に喋るアドルフにブランシュ王が優越感に浸っていた。

 「楽しみにしているぞ、褒美も用意せねばなるまいな。」

 「必ずやご期待に添えます。」

 へこへこと頭を下げるアドルフ公を眺めながら悠真はこの茶番がいつまでかかるのかと憂鬱だった。 

 コナーはケルト隊第一部隊の指揮官だ。貴族出身である彼の階級は『大将』だ。遠征だとアドルフ公は話していたが、実際は長期休暇中で遠征になど出ていない。そもそも、ザフト隊が国外軍、ケルト隊が国内軍だ。神と称える国王によく嘘がつける。気付かない王も愚王だが。まぁ、龍の力は現王には無いことだ、気付かなくて当然か。段々と悠真は馬鹿らしくなってきた。欠伸を噛み殺す事に必死な程に。

 (うー。今すぐ帰りたい、李桜が恋しい。今頃浮浪者達の説得しているのかな。すぐに片付くことだし命の危険はないけど。一緒に居ないと不安。もう部屋に帰ってるかな?今日はどんな寝衣かな、帰ったら李桜のココアが飲みたいなー。)

 宙をみつめては悠真は李桜のことばかり考えていた。国王や上司の会話など耳に入っていない。

 ふと、視線を感じた。視線の先ではエリザ王妃が孔雀の大羽根を使用した扇子で口元を隠している。頰が赤い。なんで俺を見てるんだろう?いつもの癖で首を傾げそうになった時、悠真は李桜の言葉を思い出した。

 『貴族の女性には微笑んでください。』

 社交界では役立つからと李桜に練習させられた微笑。こういう場で無い限り実践することはない。悠真は言われた通りに王妃に微笑みかけた。王妃はさらに頰を赤め、視線を外す。

 「ノービリス准将はとてもお強いとうかがいましたが。」

 王妃の脈絡のない発言に皆の視線が王妃に向けれた。

 「ええ、エリザ王妃のおっしゃる通り、我がケルト第二部隊の指揮官を務めるノービリス准将は大変優秀でございます、胸に輝く勲章は国王や国の為の功績の証ですから。」

 アドルフ公が語りだす。悠真は口を挟まず聞いていたが内心どうでも良かった。それを表情に出さないよう、必死ではあったが。

 「この若さで素晴らしい働きですわ。」

 「彼はあのアーベントゾンネ戦で生還しているのですからね、戦闘もそれは見事で。現在は同盟国である藍玉国との親交を深め、また国王に忠実な即戦力となる新人兵育成に尽力しております。」

 止まらないアドルフ公に悠真はそんな命令もあったなぁと思い出した。

 藍玉国との軍事同盟の件はなんとなく記憶に残っている。先が見える悠真に取って会議の口論、ましてメモを取るなど必要のないことだ。結果を知っているのに何故メモを取る必要があるのかと度々思っている。が、その反面忘れっぽいので始末に負えない。事務処理も期限ギリギリにするので不備が多い。提出時に李桜に注意されてばかりだ。

 新兵育成の件も断ろうと考えていたが、李桜が是非にといったのだ。李桜は以前から軍養成施設での訓練内容に思うところがあったらしかった。それから保護施設も一緒に管理することを李桜が提案した。悠真の主な仕事といえば李桜の希望を上層部に通すくらいだ。

 「まぁ、それは。国王、是非彼の部隊にこの宮殿の警備をお願いしたらどうかしら?」

 「それは大変名誉なことでございます。」

 歓喜の声を出し、アドルフ公は悠真を見た。礼をしろと言っているようだ。とりあえず頭を下げる。

 「ふむ、良いのではないか。」

 了承する国王に王妃がすり寄った。その様子を面白くなさそうにみていたジョルダン公が声を上げる。

 「王妃様、我がザフト隊の宇航ーウーハンー少将も幾千も戦で戦果を上げております。宮殿警護はなら少将の宇航が適任かと。それにノービリス准将は新人教育で忙しいようですし。」

 「その任経験豊富な私めにお任せいただけないでしょうか?」

 ジョルダン公の隣で礼をした男は悠真を呼びに来た男だった。ああ、Z2隊の指揮官かー。と悠真は合点がいく。

 「ノービリス准将。」

 「はい。」

 王妃は宇航の申し出を聞き流し悠真を呼んだ。無視された事に宇航の額に青筋が浮く。奥歯を噛み締める音は宮廷音楽家の演奏でかき消された。

 「実は王女のナタリーが古城に幽霊が出ると怯えていますのよ。知っての通りあの城はずっと閉鎖されていて誰も入ることはできない。王女の勘違いと思うのだけど、引き受けてくれないかしら?准将の率いる兵士なら安心でしょうし。」

 「光栄でございます。」

 アドルフ公が頭を下げる。その隣で悠真も今度は注意されないようにと頭を下げた。

 「では、警備について王女にも説明願えないかしら?王女はとても神経質で。」

 満足気に笑う王妃に国王も口を挟んだ。

 「歳の近い准将ならば王女もリラックスするであろうしな。」

 「お待ち下さい。」

 王の承諾に異を唱えるように割って入ったのは今まで影の薄かったギルマンだった。

「城の警備に関することでしたら私の方が詳しく説明できます。これまでも携わっておりましたので。」

 王妃の思いつきで任務を外されると知ったギルマンは焦っていた。その焦りで声が上ずっている。

 「いえ、ここは准将の考えを聞いておきたいのですよ。それに貴方の容姿で王女に口をきくのですか。」

 暗に不細工は引っ込んでいろと王妃は言ったのだ。

 容姿を馬鹿にされ、他の者達も嘲笑している。ギルマンは屈辱に顔を歪め悠真に憎悪を向けていた。その視線を受け、悠真は面倒くさいと思った。早く帰りたい。利得ばかりを求める人間のいる場所が悠真は嫌いだ。



軍舎寮 東棟 ノービリス准将私室


 帰宅した李桜はすぐに戦闘服を脱いだ。そのまま浴室にはいると蛇口を撚る。

 降り注ぐ水の音がかき消してくれる気がした。シャワーの水量はいつもより強めで素肌に当たる粒も大きく感じる。何度も思い返すのは先程の路地裏での出来事だった。地図を片手に数名の新兵と浮浪者の溜まり場に向かった。

 突然現れた軍人を子どもたちは怯えと怒り、憎しみの表情で出迎える。その場には足の悪い老人も居た。身重の女性もいた。皆が生きるために身を寄せ合っていたその場所を奪うために、剣を突き立てひどい言葉で罵った。心を抉る言葉も放った。彼らの絶望する顔を見ながら追い詰めた。今日、路地で会ったマナとジャックもいた。正義感が強く、仲間思いのジャック。彼の言葉が響く。

 “居場所を奪うのかよ!”

 憎悪と憤怒に涙しながら叫んだ顔が李桜の脳裏から離れない。

 彼らはこれからこの国で起こる事を知らない。現状、彼らを救う為には追い出すしかない。疎まれてもいいと思っていたけど、実際に行うと辛いものだ。まだ、覚悟が足りなったのだろうか?

 (自分で選んだはずなのに。)

どうして自分はこんなにも弱いのだろう?

 「・・・お父さん、お母さん。」

 父と母の顔が浮かんだ途端、李桜は我慢しきれずにその場に泣き崩れた。

 (こんな娘に育ってごめんなさい。)

 今日のことが、この水のように流れていけばいいのに。やり直せたらいいのに。十七年前に、戻れるなら。未来を知っていれば父も母も弟も。助けることができたのに。

 弱者の未来が家族の死と重なる。

 ・・・生きていくのが、こんなにも辛いなんて。



リントエーデル国 龍王宮殿


 今夜の月は綺麗だ。

 白く輝く半月に青い夜闇。空気が澄んでいると月も輝くと李桜が言っていたことを悠真は思い出す。ガラス越しからでもこれだけ美しく、はっきりと見えるのだ。ならば昔はもっと綺麗な月が見えていたのかもしれない。

 (見たことあったかなぁ、覚えてないなぁ。この時間ならいっつも李桜とお月見してるのにー。)

 悠真の物事の基準は李桜だ。振り返ってダンスをする娘たちを見やる。財力を誇示するかのようなダイヤやパールのネックレス。ブレスレットで着飾っており、派手めな化粧をしている。その姿を美女と男たちが褒め讃える。どこに美女がいるんだろうと悠真は首を傾げてしまう。悠真の中で美女は李桜だけだ。李桜がドレスを着たら童話の中のお姫様みたいなのに。早く、李桜の好きな格好させてあげたいなぁ。

 視界に入る全てを李桜に重ねる。離れている分李桜のことが気になって仕方がない。

 「ノービリス准将?」

 声を掛けて来たのは待ち人の王女だった。国王と同じ茶髪に特徴のある離れ目。シャンデリアや大理石の反射で輝くよう計算された宝石が散りばめられたドレス。

 「お待ちしておりました、ナタリー王女。」

 「私を、待っていたのですか?」 

 「ええ。」

 頰赤らめた娘に悠真は笑顔でうなずいた。

 ここで待つように言われたから待っていたのだ。面倒だと思いながらも。

 「今夜は月が綺麗ですよ。」

 そう言うと王女は悠真をバルコニーに誘った。


 バルコニーに出ると夜風が気持ちよかった。目を瞑って肺に空気を多く取り込む悠真の横でナタリー王女が指を擦り合わせている。

 「冷えますね。」

 「そう、ですか?」

 王女の声に悠真は即答した。実際、悠真は厚手の礼服を着て、首元まで隠れているが王女は陶の開いたドレスを着ている。生地は薄いレースを何枚も重ねたものだった。

 それは寒いはずだ、が悠真の感想だった。アクションを起こさない悠真に痺れを切らしたのか、行動に出たのはナタリー王女だった。

 寒いと言い、王女が悠真の右腕を掴む。

 「これで少しは寒くありませんわ。」

 腕に体を密着させる王女に悠真は「あれ?」と違和感を感じた。

 「ノービリス准将は私を待っていてくださったんですよね?」

 恥ずかしそうに睫毛を伏せるナタリー王女に悠真は頷く。

 「私、姉さまたちのように父の言いなりで結婚なんてしたくないのです。父の選ぶ殿方とは歳が一回りも違うのですから。」

 国王が自身の娘たちを政略結婚の道具にしているとの噂は知っていた。しかし、悠真にとってそれはどうでもいいことだった。

 「はぁ。」

 歯切れ悪く返答する悠真に王女は可哀想な私を演じ続ける。なんで俺にそんな話をするんだろう。幽霊の話じゃなかったけ?適当に合わせようとしていたがどうにも悠真の理解の範疇を超えていた。恋愛小説より童話が好きな悠真である。恋愛の経験値などないに等しい。

 「ですから、すぐにでも相手を見つけ知りたいのです。」

 悠真の右腕にナタリー王女が顔を埋める。香水の匂いがきつく悠真は顔を上げて息を吸った。

 「男の人を。」

 小さく呟くと王女は力いっぱいに悠真の腕を抱いた。その呟きは悠真の耳には届いていた。

 「・・・男を知る?」

 繰り返された単語に王女は期待を込めて顔を上げた。しかし月明かりに照らされた相手の顔は子供のようにぽかんとしている。

 「・・・准将様?」

 王女は自身がこう言えば承諾して抱きしめてくれ、剰え、熱いキスを、抱擁をしてくれると確信していた。しかし相手はただ固まっているだけ。

 時が止まるとはまさにこのことだろう。互いにどうしていいかわからなかった。

 顔を見合わせること数十秒。頰を赤らめたナタリー王女が瞳を閉じた。年頃の王女は月明かりの下、若い兵士からの口づけを待っている。妄想するのは仕方がない。のだが相手が悪い。

 目を閉じた王女に「眠いのかなぁ」と思う悠真である。

 ふと、悠真の耳に音が聞こえた。

 「・・・准将様?」

 しびれを切らした王女が声をだした。

 「お静かに、声が聞こえます。」

 一瞬で目つき変え、悠真は夜闇を見渡した。微かに聞こえる声に耳を澄ます。歌が、聞こえる。

 「まさか、本当に幽霊が?!」

 青ざめ、ふらつくナタリー王女を悠真はその場に座らせた。

 「中にお戻り下さい!」

 そう言って悠真は軽々とバルコニーを超えて古城へと駆け出した。古城に向かう悠真の足取りは軽かった。これで帰れると思うと力も漲る。そして何よりこの歌を歌っているのは李桜だ。李桜が「帰っておいで」と言っているようで悠真は嬉しかった。



 シャワーを終えると李桜は真っ白のネグリジュに身を包んだ。そして錆びた鍵を握りしめある場所に向かう。

 地下道を抜け、狭い石壁の間を歩く。月明かりが組まれた石の隙間から入る。歩き慣れた石階段を上がり、最上階を目指す。

 昇りきった先の景色に李桜は感嘆の息を吐いた。地上から300メートル以上離れているこの場所からは月が大きく見えた。ここからなら神夜様に願いが届くかもしれない。そう信じて李桜は歌を歌った。

 誰もが幸せであるように、全ての生命に神夜様の加護がありますように。

黒髪が揺れる。優しく切ないメロディーが夜風に乗る。想いが届くように李桜は歌った。歌うたびに、フレーズの箇所ごとに幼いときの記憶が甦る。


 李桜の生まれた村は「月の地」と呼ばれていた。

 リントエーデル国の西側にあり、深い森の中にあった。月の地と呼ばれているのは空から村を見るとまるで三日月のように見えたからだ。森のなかに丸く切り開かれ、村の北西には大きな丸い形の湖があった。月の地に住む者たちは月の民と呼ばれ、月に住む神夜様と呼ぶ女神を信仰した。李桜の父は村の長であり、母は巫女として月に祈りを捧げていた。

 幼い李桜も母と祈りを歌い、月夜の下で舞った。

やがて母の中に新しい命がやってきた。李桜は嬉しくて母の手伝いをしようと決意した。幼い李桜にできることなど限られていたが弟のためと頑張る李桜の姿を両親は見守っていてくれていた。父に褒められるたびに、母の笑顔を見るたびにそして小さな弟の手を握るたびに李桜は幸せを感じた。ずっと続くと思っていた。

 『月は全ての命に平等に光を届けてくれます。だからね、李桜も皆の為に祈りを捧げなさい。癒やしの力は争いを起こさない。李桜が歌を歌えば、幸せが訪れる。誰もが望むものを手に入れるきっかけを与える。これはね、古より伝えれている私達月の民にしか持ち得ない力なんです。』

 『みんなをしあわせにする力?』

 『そうですよ、素敵なことでしょう?李桜が癒やしをくれるからみんなも李桜の事を好きなるんです。』

 『すき?』

 『ええ、李桜は月のお姫様ですからね。』

 満月の下、父はそう言って抱き上げてくれた。そんな不思議な力があるなんてすごいと思っていた。

 歌を歌えば、月に祈りを捧げれば幸せが訪れると信じていたのに。

 あの日、野鳥の罠を回収して村に帰るまでは。真っ赤に染まった父と母。燃えているゆりかご。赤い、熱い、村を目にするまでは。

 「・・・嫌だ!」

 気づくと李桜はまた泣いていた。泣いていては歌は歌えない。

 祈りの歌が救いがあるのならどうして大切なものが奪われたのだろう。この力がなければ今も父も母も弟も村の人と一緒に暮らしていたのだろうか。

 これまでに何度も考えても答えは出ない。

 涙を拭い、李桜は前を向き月を見上げた。そして夜風を吸い込む。  

 「李桜!」

 背後から聞こえた声に李桜が振り向くとそこには息を切らせた悠真が立っていた。

 「歌、聞こえたよ!」

 ようやく母親に会えたような無邪気な笑みを向ける悠真に安堵したのか李桜の瞳から涙があふれる。

 「李桜どうしたの?なんで泣くの?」

 涙を流し続ける李桜に悠真慌てて駆けよる。

 「誰かに苛められた?」

 「・・・ち、違う、」

 嗚咽で上手く伝えられなかった。首を振って李桜が否定する。自分は酷いことをしたのだとそう言いたかった。声を出したいのに嗚咽が止まらない。自分の体なのに邪魔されているようでもどかしかった。

 「李桜泣かないで?」

 悠真が李桜の顔を覗き込む。見上げた悠真は困っていた。背中を擦り、泣かないでともう一度呟く。

 「・・ゆう、ま。」

 「うん。」

 「私は、何も知らない人を巻き込みたくない。勝手だとわかってるから。」

 「うん。」

 「でも、あの子達から居場所を奪った!自分のエゴのために!」

 他人を管理しようと痴がましいことをした。憎まれてもいいと思っていたのに、終わった後にこんなに後悔するなんて。

 浅はかな考えだと思う。

 自身が情けない。無力だ。どうしていいのかわからない。弱いままだ。

 「『幸せを』って、みんなの為に祈らなくちゃいけないのに、自分の為に、」

 李桜の体が震える。大粒の涙が止まらない。

 「だって、嫌だもの、何も知らずに死ぬなんて。お父さんもお母さんもしおんも、みんな、何も知らずに、悪いことしてないのに。」

 昂ぶる感情が溢れ出す。止まらない罪悪感。加速する自己嫌悪。

 「李桜?どうしたの、変だよ?」

 「あの時、一緒に死んでいればって、ずっと、」

 「李桜!」

 李桜の両頬を掌で包み悠真は名を呼んだ。潤む深碧と漆黒が合わさる。

 「死ぬなんて言っちゃダメだ。」

 辛そうに表情を歪め悠真が言った。夜空の月を雲が隠す。

 「李桜が死んじゃうなら、」

 夜闇が古城を包む。互いの息使いがわかる距離で悠真の言葉が途切れた。

 それはほんの数秒だった。雲が流れ、月が淡く光を纏い現れる。月が古城を二人を照らす。  

 「俺が全員殺してくるから。」

 紫紺の瞳に見つめられ李桜は硬直した。

夜が素肌にまとわりつく。絡め取られ、動けなくなる体。足元から這い上がる、名付け難い感覚。

 「浮浪者が居なければ李桜が泣くことないし。」

 ね?と悠真は李桜に同意を求める。

 李桜が苦しむなら、辛いならその全てが無くなればいい。悠真の考えは単純だ。

 それが李桜は恐ろしいと感じる。

 「・・・悠真!」

 「なぁに?」

 普段と変わらず悠真は李桜を見ていた。間延びした口調も呑気な態度も変わらない。ただ、月明かりの下で紫紺の瞳に映る李桜は滑稽な程狼狽している。

 「あの子達の未来は、視えますか?」

 冷静さを取り戻そうと取り繕い聞く。体の震えを止めるように悠真の礼服を掴んだ手に力を入れた。

 「えーとー。」

 城下町より遠くを見ながら悠真は李桜を抱きしめた。その間も李桜は彼らの未来が明るくあるよう願う。

 「北の街道を通って山を越えるみたいだけど。今のままじゃ途中で狼とか野犬に食われて半分くらい死んでる。」

 淡々と話す悠真に李桜の体が強ばる。国に残れど、外にでれど待つのは死だというのか。

 「・・・そん、な。助かる方法は無いんですか?」

 弱々しい李桜を悠真は強く抱きしめた

 「李桜は生きててほしいんだよね。視えたんだからなんとかしてみる。」

 絶対に何とかするからと悠真は李桜に囁いた。李桜はそれに答えるよう悠真の背中に腕を回した。



 月明かりが古城に注ぐ。青い光の中のベッドに横たわる李桜の肌は青白く病人のようだった。その姿が悠真の不安を煽る。目元を腫らし、泣きつかれた李桜は深く眠っていた。革手帳と唯一の家族写真を手に眠る李桜を悠真は眺めていた。魘されないかな、辛い夢を見てないかなと。 

 李桜は優しすぎる。他人のことばかりを思い傷ついている。それは李桜の生い立ちのせいでもあるけれど。他者を思いやる李桜が悠真は好きだ。ただ、愛情深く、自身を追い詰めてしまうのは嫌だった。

 (李桜を苦しめるこの国は悪い国だ。だから、この国の滅びしか視えないんだ。)

 李桜の命と引き換えに何十万の人間が助かるなら、何十万の名も知らない人間の為に李桜は死を選ぶだろう。だが悠真は逆だ。何十万の人間より、李桜一人を選ぶ。李桜が犠牲になるくらいなら世界なんて無くなればいい。

 龍の力と言われる、予知能力を持っていっても、建物の外からの透視でも、遠くを見渡せる千里の力でも。過去を変えることはできない。李桜の悲しい記憶を取り除くことはできない。もどかしいと悠真は思う。未来に存在する複数の選択肢からより良く安全なことしか選べないのだ。望む結果への道標だけ。

 悠真の父である賢慎ーけんしんーはこの能力で国の安寧を願い、国のあり方を決めていた。大勢の国民を守る為に使っていた力。

 その力に悠真は子供時代は悩まされることが多かったが、月の民である李桜と出逢ったことで力の覚醒も能力強化もできた。

 だからこの力は李桜と自分の為に使おうと決めていた。これからも李桜を守る為に使う。

 李桜を護り続けるために悠真自身も死ぬわけにはいかないのだから。 

 「絶対に守るからね李桜。」

 誓いをたてるように悠真はそっと呟く。

 『全てを知る権利を龍から託されたのは悠真様一人だけです。そのことをお忘れなきよう。』

 遠い日に聞いた言葉を思い出す。

 そう、すでに結末は決まっている。

 

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