クリスタルを君に

陽花

第1話 「救出」

また同じ一日が始まる。


きっとこれから先も、同じ──────。





誰もいない家に鍵をかけ、通学カバンを背負い直す。

いつもと同じことが待ってる。お腹に力を入れて、我慢すればいい。チャイムが鳴ったら、一旦休憩出来る。それを繰り返すだけ、もう何年もそれで済んできたから────。


変わり果てた上靴を履き、2階へと歩みを進める。

今日は何をされるかな、と心のどこかで嘲るような声が聞こえた。


「来たわよっ!」

教室に入った瞬間、黄色い歓声と被さるように、激しい痛みが身体を貫く。

「おはよう、波乃ちゃん!」

足を払われ教室の床に前のめりに倒れ込むと、上からクラスメイトたちの声がふってきて、背中を棒状のものでとめどなく叩かれた。今日はホウキか…。

「どんくさーい」

「見てこいつ、きっも!!!」

「ほんと、あははは!!」

私は強く目を瞑って耐えたが、思わず痛みに喘いだ。肺の中の空気が押し出されるようで苦しい。もう何回もされているけれど、完全に我慢しおおせたことはなかった。

突如誰かに顎を掴まれ、上を向かされる。メイクをした綺麗な顔が目の前にあった。神田さんだ。

「あんたも毎日懲りないわよね。わざわざ私たちに殴られに来てるの?私あんたの顔も見たくないんだけど」

頭を殴られる私を見て、まわりの女の子たちが一斉に笑い声をあげる。可愛い声だな、何故かそう感じて、私の周りを囲う、綺麗な上靴から妙に目が離せなかった。

「聞いてんの!?」

「えっ……あ、、うん」肺が苦しくて、咄嗟に声がでない。私は慌てて笑顔を見せた。

「もう時間じゃん。…これ、片付けといてよね」神田さんが10本はある凶器たちを私に投げつける。時計が授業準備を始める時間を指していた。

「う、うん」

ゆっくりと起き上がって、散らばったホウキをまとめる。

「普通にやるのもそろぼち飽きてきたしぃ~、次考えよっ」

「さんせー!」

教室の後ろから飛んでくる女の子たちの視線が、私の背中に突き刺さった。


私にはもう長い間、友達がいない。

最後に心から友達と笑いあったのは、中学二年の夏頃だっただろうか。その思い出はもう茶色にぼやけてしまって、もはやそれから活力を得ることは出来なくなっている。そしていつからか、私は心身ともに痛めつけられるようになった。きっかけなんて知らない。知りたくもない。今となっては早く諦めれば良かったと思うけれど、あの頃の私は元いた場所に帰ろうと必死で足掻いていた。親に言い、先生に言い、近所に住んでいるお姉さんにも相談した。結果はお察しの通り、何も変わらなかった。いじめはどこまでもついてきた。めげそうな私を楽しそうに追ってきた。教室で遊べなくなったら裏庭、そして追加で放課後、休日。可哀想な私の信心はだんだんと脆く壊れていった。

そして、私はすっかりひとりぼっちになった。


効きすぎたクーラーが肌寒い。おかげで眠気覚ましになるなら結果オーライかもしれない、なんて思いながら、暗雲が立ちこめる外をふと見る。梅雨はまだあけないようで、麗らかな春の日々はいつの間にか終わってしまっていた。

巣に帰るのか、黒々とした鳥が、校庭を飛び回っているのが見える。烏だろうか。お腹を空かせた雛でもいるのかな、人には嫌われ者だけど、鳥にも家庭はあるんだよな。いいな…。

帰る場所があって。

烏にしては大きいそれは、木の枝にしなやかに降り立つ。

その姿を見て、私は目を疑った。

「あれ、人間…!?」

しかし、私の意識はチャイムによって突如現実に引き戻された。授業終了の挨拶をして、再び外に目をやった時には、それは消えていた。



あれは何だったんだろう。昼休み、トイレでスリッパに履き替えながら思う。私はさっきの光景が気になって仕方なかった。立ち方が完全に人間だったけれど…。でも人間がそこに立てるわけがないし、見間違えかな──


ベシャッ


「…………っ」脇腹に感じる、冷たい感触。咄嗟にそこをかき乱すと、ざらついてドロドロとした物体が、制服を染めていた。

嫌だ、これだけは。脳内に母とクラスメイト達の顔がフラッシュした。泥だけは……。

「やった~!!狙撃成功!」

「私にもやらせてっ」

バケツを持った数人の女の子たちが、私の目の前に立ちはだかる。

ダメ、これだけは。私の心の中で誰かが叫んだ。お母さんに迷惑がかかる。ただでさえ忙しいんだから…


『これ以上お母さんの邪魔をしないで!!』


気がついたらトイレから走り出ていた。踵が踏まれたままの上靴で、階段をかけ下りる。

「あ~!!いけないんだ、逃げちゃ!!!」

「待てよ!」

まるでサバンナみたいだ、なんて、真っ白な頭の中でどうして考えられるのだろう。追うものと追われるもの。野生動物にとってそれは自然の摂理だ。

私がこんな目にあうのも、当然のことみたいだった。

いつの間にか、別棟まで走ってきていた。突き当たりまで行って、階段をまた降りようと角を曲がる。しかし、そこはテープで塞がれていた。

「あっ」

1週間程前から、改修工事が始まっていたことをすっかり忘れていた。どうしよう、別棟の廊下は一本道で、逃げ場がない。近づく足音に、脚の震えがおさまらない。

終わった、と思った瞬間、急に視界が真っ暗になった。

「……!?」停電か、病気か、それとも泥か。 しかし、体が動かない。というより、動かすべき体の感覚がない。まるで意識だけ浮いているような。

「~~!!」視界とは裏腹に、頭の中は真っ白だった。私は声にならない叫びをあげるが、近くにいるであろう女の子たちの反応もない。

そこで私は慌てて息を潜めた。見つかる、絶対に見つかってるはず…

「……あれ?」私にいつも暴言を吐く女の子の声が、耳元で聞こえた。心臓が飛び出そうなほど音を立てる。息を止めても、この心臓の音で気づかれるのでは、と思うほどに。

「あいつ、いねーじゃん」

「うそっ!!絶対ここ曲がってったのに…」

私は確かにここに存在するはずなのに、女の子たちは微塵も気づかない。

(私、消えちゃったの…!?)

私には今起きていることが全く理解できなかった。どうして気づかれないのだろう。頬をつねろうにも、体は依然として動かないままだった。

「ちょ、さがしにいこーぜ!あののろまじゃ、そんなに遠くには行けないはず」

「わかった!」

さっきからの喧騒と緊張が嘘のように、私の周りに静寂が訪れた。

「……。」

「行ったみたいだね」

「ひゃっ!?」

謎の声とともに、ベールが剥がれるように暗闇が無くなり、体の感覚が戻る。しかし、脚がぐらつき、私は床に尻もちをついた。

「…大丈夫?立てる?」

差し出された手。そこには全身真っ黒な服で身を固めた人がいた。長い髪の影からちらつく緑色の瞳、そして色白な肌。

「腰が抜けちゃったかな…?」

「誰ですか!」

やっと出た声は、自分のものではないと感じるほど裏返っていた。

目の前のその人物は、屈んで私と目線を合わせて言った。

「しがない魔法使いだよ」

緑色の瞳の奥が、輝いたように見えた。

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