第8話

「音楽でもかけよう」

 薄く流れ始めたのはピアノの音だった。優しさと諦めが同居しているような音。

「バッドに入らないためだよ。音楽を聴くというより、他の音を遮断するため。どうせ間もなく聞こえなくなるから。……こういうのは好き?」

「うん。……好き」


 ラヴェル、プーランク、サティ、フォーレ。どこかで聞いたことがあるような気がして、頭の中にフランスの作曲家が何人か浮かんだけれど、結局誰なのかよくわからなかった。でも、そんな面倒なことを考えるのはやめちゃおう。だって面倒なんだもの。……頭の中がゆらゆらと揺れ出す。そのうちに後頭部がぽかんと抜けおちた感じがした。


 宇宙人がラブソファに移動してきて、わたしの上に乗って、膝で脚を割って、ゆっくりとキスを始める。唇を合わせ目を割って、ゆっくり舌が入ってくると、次第に音楽が遠くなっていった。それと同時に周囲がどんどん暗くなっていき、何も見えなくなった。


 舌の根元まで探られる。柔らかい粘膜が舌先で撫でられて、増えた唾液が口の端から流れる。……キスをしてるだけなのに下腹部が熱く腫れてきている。皮膚に軽く触れられただけでも強いズキズキした快感が体の奥に走っていく。


 目を開ける。何も見えない。不安なはずなのだけれどそうでもなくて、どうでも良くて、すうっと自分そのものが消えていった。消滅していくことが気持ちいいだなんて知らなかった。

(そういえばさっき、後頭部落っことしちゃったんだっけ。どこに行ったのかな?)


 ふと気がつくとわたしは大きな穴の淵に立っていた。

 穴は巨木のそばにあった。そこは森の中でとても静かだった。

 直径五メートルほど、深さはもっとあるだろう。暗いので穴の底は見えない。わたしはここに入りたい、いつかきっと入るだろう。

 でもなぜかわたしの体には巨木から伸びてきている蔓がしっかりと巻きついていて、そこから先には行かれない。


「ここ、入りたい。ねえ、この穴に埋めて」

「ん? 埋める?」

 近くで宇宙人の声がした。側には誰もいないのに。

「そう。早く穴に埋めて」

「そっか、埋めて欲しいのか。まぁでも、もうちょっと待ってよ。すごく深く埋めてあげるから」


 わたしは早く穴に入りたくて仕方なかった。もうそれしか考えられない。何もかも忘れてしまった。


「ねえ、早く、早く。お願い」

「せっかちだな、もう我慢できないの?」

 わたしは頷いた。

「うん、我慢できない。早く。お願い。早く……」


 だって目の前に穴があるのだ。

 わたしは体に絡みついた蔓を外そうともがきながら、深い穴の奥だけを見つめていた。

 苦しい、鬱陶しい、体。

 巨木から派生してきた蔓はとても強くて、わたしの力では外すことができない。

 そんなことをしているうちに、わたしに絡みつく蔓に枝が生え、そこからさらに伸び始めた。


 その枝には、白みがかった青の、丸みを帯びた小さな葉がたくさんついていた。なんとなくユーカリの葉に似ていた。


 それらの葉がわたしの体中を撫で、敏感な場所にぴたりと吸いついてくる。唇に、首筋に、乳房に、乳房の頂に。そしてさらに別の枝が秘部の蜜口や花芯を探るように撫で、しゅるしゅると奥にまで入り込んでくるのだった。

 枝の先が恥骨の裏側をポンポンと叩き、乳首に細い枝が絡みつき、きゅうっと締め付けられると、体がビクンと痙攣して、次の瞬間に体が屋根を突き破り、夜の空まで移動した。

(わっ!)

 あっという間に下界が遠くなる。空の上から、キラキラした夜景を眺めた。


「きれい。キラキラしてる」

「そっか、良かった。じゃあ、入れるよ」

 宇宙人の声がして、枝ではなくて、木の幹がずぶずぶとわたしの中に入り込んできた。いったいどうなってしまったのかよくわからない。そのまま喉元まで串刺しにされてしまった。

「あ、あ、あ」

 体中に巻きついていた蔓がすべてぱらりと外れ、急降下する。わたしはあっという間に深い穴の中にいた。


「どう、気持ちいい?」

 喉元まで木の幹を突っ込まれているから返事なんかできるわけがない。

 わたしは喘ぎながら、さらに穴の中をどこまでも落ち続けた。目を開けても何も見えない。闇が広がっている。


 そのときふと、ブラックホール? と思った。

 その思いつきは良かったのか悪かったのか、突然体に遠心力がかかった感じになって別の方向へふっ飛ばされ、圧力がかかり、ものすごいスピードで飛び始めた。


「ワープ?」

 思わずそうつぶやくと、

「そっか今ワープしてるんだね。もう、キラキラしてないの?」

また、どこからか宇宙人の声が聞こえた。いないのに。

「ブラックホールかなぁ」

 そう答えながら、わたしって発想が貧困なのかな、と頭のどこかで考えた。周りの風景は昔のSF映画みたいな感じがしたから。

「ふーん、じゃあ今ちゃんと宇宙にいるんだね」

 宇宙人がクスクス笑っている。姿は見えない。声しかしない。けれど、近くにいるってわかる。だからわたしは不安じゃない。


 


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