第41話 森
朝食を食べ終えてから、さっそくジュナルの森を目指して移動を開始。
森の中に道らしい道は存在せず、馬車を使う余裕はないということで、徒歩で向かうことにした。エリズが私と手を繋ぎたがるのは、もういつものことなので放っておく。
ジュナルの森は、ビオナクの町からそう離れていない。しかし、鹿神様がいる場所は森の奥深くなので、そこに辿り着く頃には正午近くになっているだろうとのこと。
「メディルは、時間があるときはいつも鹿神様に会いに行っているの?」
森に向かいながら、メディルに尋ねてみた。
「うん。ただ、天気が悪いときとかまで、あえて森に入るわけじゃないよ」
「一人で?」
「うん。メディルが一人きりのときじゃないと、鹿神様は会いに来てくれないから」
「そっか。でも、一人で森に入るのは危ないんじゃない? 魔物はいないみたいだけど、猪とかだって普通の子供には危険な存在でしょ? 他にも、悪い人だっているかもしれないし……」
「大丈夫だよ。ジュナルの森の動物たちは、自分たちに害をなさない者を襲うことはないの。それに、森で悪さをしようとしたら、変な病気にかかって立ってることすらできなくなる」
「……そうなの? それ、鹿神様の影響?」
「たぶんね。確証はないけど」
「へぇ……それが本当なら、鹿神様ってとてもすごい力を持っているんだね……」
一般の森では、そんな話は聞いたことがない。ジュナルの森はかなり特殊な場所のようだ。
不思議に思っていると、ローナが続けて問う。
「害をなさない者って、どういうこと? 動物を狩るような人には、襲ってくるってこと?」
「うん。狩りをしにきた者に対して、森の猛獣が襲ってくることがある。でも、狩りもしないし、ただ森を歩くだけの人に対して、危害は加えてこないの」
「……不思議な場所だ」
「みたいだね。そういうことだから、皆も気をつけて。森で狩りをしようなんて思っちゃダメ。あと、森にある木の実とか果物を採るくらいは大丈夫だけど、程度を考えずに採りすぎると、森の動物たちから嫌がらせされるよ」
「嫌がらせ?」
「鳥がフンを落としてきたり、近くでやたらと騒いだり」
「……帰れ、と言われているみたいだな」
「うん。たぶんそう。言葉はもちろんわからないけど、そういうことなんだろうってわかる」
さらに続けて、ルクが尋ねる。
「けど、森の恵みで町は潤っているんですよね? 採りすぎっていうのは、どれくらいのことを言うんですか?」
「明確な基準はないけど、町の人は、採れるものの半分以上は採らない、という風にしてるよ。それくらいなら特に何も問題ないみたい」
「なるほど。人が森に入ることも、森の恵みを採っていくことも拒絶はしないけれど、独占は許さないということなんですね。本当に不思議な森です」
「うん。たまに、事情を知らない余所者が色々と採りすぎて、罰を受けることがある。このときも変な病気になって、しばらくは立ってることすらできない」
「……しばらくということは、死にはしないということでしょうか?」
「うん。この森が人を殺すことはほとんどない。……森を焼き払おうとするとか、よほど酷いことをしようとしたら、話は別らしいけど」
「……そうですか。あえて危険を犯すつもりはありませんが、頭に入れておきます」
森の危険な一面も知り、あえて悪いことなどするわけがないと思ったのだけれど……。
「……ラーニャ。何か変なこと考えてない?」
ラーニャが妙にそわそわしている気がして、指摘してみた。ラーニャはぴくりと肩を震わせて、平静を装ったような声で返事。
「……まさか。自然をこよなく愛するこのあたしが、あえて鹿神様の怒りを買うような真似をするわけないじゃありませんか」
「……ならいい」
「安心してください。あたしは平和を尊ぶ純真無垢な乙女です」
「……はいはい」
言葉を重ねるごとに怪しさが増すラーニャ。本当に大丈夫かな……。
話しているうちに、森の入り口にたどり着く。
きゅっとエリズが私の手を握ってくる。左を向けば、エリズが緊張した面もちになっていた。
「エリズ、どうかしたの?」
「……少し、探るような視線を感じたもので、緊張してしまいました」
「探るような視線……? もしかして、鹿神様から?」
「たぶん、そうなのでしょうね。ヴィーシャさん、ちょっといいですか?」
「え? 何?」
エリズに手を引かれて、森の中に一歩入る。
エリズはそこでとまって、ペコリと丁寧に頭を下げる。
それから不意にこちらを向いて、急に私に抱きついてきた。
温もりと柔らかさが伝わってきて、ちょっとだけ、ちょっとだけだけど、ドキッとした。
「え? 本当に何?」
エリズは無言。同伴の四人に見つめられながら、エリズに抱きつかれるという時間が過ぎる。
無理矢理引き剥がす場面ではないと察するけれど、だんだん恥ずかしくなってくる。
「ヴィーシャさん、キスをしましょう」
「……は? なんで?」
「嫌なんですか? 昨日、わたしのことを好きだって言ってくれたじゃないですか」
エリズがさらっと言って、あらあらまぁまぁ、と同伴の四人がニヤける。
「そういうこと、皆の前で言うのやめてっ」
「ごめんなさい。とりあえず、キスをしましょう」
「だから、なんで?」
「後で説明します」
「……どうしても、しないといけないわけ?」
「はい」
「むぅ……」
たぶん、精霊様としての何かが関わっているのだろうと思う。でも……。
「……そっちの四人、後ろ向いてて」
「無理です」
即答したのはラーニャ。この悪戯娘がっ。
「……こっち見るな」
「恥ずかしがってる師匠、悶絶必死の可愛さですね!」
「うるっさい! ちょっとローナ! 何とかして!」
「仕方ないなぁ。私も見たいのに」
「見るな!」
「はいはい。ほら、ラーニャ。……鏡を渡すから、大人しく後ろを向いて」
「やれやれ。仕方ありませんね」
「鏡を渡さないで!」
うー、と唸りながら睨むと、ようやく四人が後ろを向く。……鏡は、見てないと思う。
「……納得できない理由だったら、怒るから」
「わかりました」
エリズが顔を上げて、にこりと幸せそうな笑み。
エリズが目を閉じて、キスを待つ。
私から行かないといけないのか……。
もう! 仕方ないなぁ!
無駄に視線をさまよわせた後、エリズと唇を重ねる。一瞬で終わらせようとしたのに、それを知っていたかのようにエリズが私の顔を掴んで離さないものだから、離れることができなかった。
瑞々しい果実のような、エリズの唇。キスをするのは嫌じゃない。嫌じゃないどころか、その……。でも、やっぱり恥ずかしいっ。
私が両手でエリズを押し返すと、エリズは大人しく離れてくれた。
「……そんなに長くする必要あった!?」
「はい! わたしが幸せになるために必要な時間でした!」
「今、それ関係ないよね!?」
「まぁまぁ、お互いに幸せになれたんですから、いいじゃないですか」
「私は、別に……っ」
幸せなんかじゃない、とは、気恥ずかしさを誤魔化すためだろうと言いたくはない、かもしれない。
私の心中を察してなのか、エリズはニヤニヤ。
「ふふ? やっぱりヴィーシャさんは最高です。あ、それより、もう大丈夫です。森の中に入りましょう」
エリズが私の手を引いて中に歩いていく。
……本当に、くだらない理由だったら許さんっ。
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