第38話 弱音
メディルによると、鹿神様に会うための特別な方法などというものはなく、聖域と呼ばれる場所までいくと、鹿神様が自然と顔を出すのだとか。
メディルはいつもそれだけで会えるので、特に有効な手段を知らない。
たぶん、鹿神様に会うには、本当は何かしらの条件があるのだと思う。しかし、それはメディルにはわからなくて、当然、私たちにもわからない。とにかく一度行ってみよう、ということになった。
出発は、明日の早朝。メディルはまだ独り立ちしておらず、日暮れ前に家に帰る必要がある。また、普段は親の経営する料理店を手伝っており、いつでも好きなように家を空けられるわけでもない。明日はたまたま時間があるので、私たちの案内も可能らしい。
明日の約束をしてから、メディルとは別れる。私たちの宿は伝えているので、迎えにきてくれるそうだ。
「メディルにだけ会いに来る神獣、か。メディルには何か特別な才能でもあるのかな?」
正解など期待せず、問いだけをこぼしてみると、エリズが答える。
「メディルさんには、ヴィーシャさんと似た雰囲気がありますね」
「え? そうなの? どの辺が?」
「神聖なものに対して過剰な畏怖を感じていないところ、でしょうか? メディルさん、鹿神様を大切に思っていますが、友達のような存在として認識しているようです」
「そうなんだ……? まぁ、確かに、神聖で不可侵の存在だと思うなら、わざわざ他人を鹿神様のところに案内しようとはしないかな。自分以外を近づけないかも」
そういう気持ちがあったとして、それが鹿神様にとって何か良いことなのか。
良いことだとするのなら……鹿神様も、エリズと似たような感覚があるのかもしれない。自分を特別なものとして遠ざけないでほしい、とか。
「ま、考えても答えはわからないか。明日はメディルに案内してもらうとして、もう少し情報を集めてみよう」
町歩きを再開し、町の人に鹿神様について尋ねていく。
色々な人に話を聞いてはみたものの、あまり有益な情報はなかった。会おうと思って会えるものではなく、たまたま遭遇するものだ、と言われるばかり。
少しだけ違うことを言っていたのが、鹿神様を信仰しているという教会の関係者。
鹿神様は神聖不可侵の存在故、安易に探すべきではないし、会えたとしても決して触れてはならない……云々。
また、その関係者は鹿神様の体毛や絵をお守りとして売るなどしていて、鹿神様を利用して金儲けをしているようにも映った。
こういう取り扱いについては、町の人も迷惑しているように見えた。鹿神様は基本的に人に対して無関心だが、仇なすものには攻撃してくる側面もあり、下手に刺激して怒りを買うことを避けたがっている様子。
蒼幻の鹿。一体どんな存在なのか、ますます興味が沸いてきた。
一通り情報収集を終えたら、もう夕方になっていた。手頃なお店で夕食を摂り、宿へと戻る。その頃には、空はもうすっかり暗くなっていた。
今夜もローナとルクが二人部屋に行く予定にしていたのだけれど、ラーニャの提案で急に私とエリズが二人部屋になり、他の三人が同じ部屋になった。
「お二人がお寝坊しないための配慮です」
などと言っていて、それも一理あると言えなくもなかった。
旅の途中、宿に泊まる機会があるときには、ローナとルクが寝坊してくるのがある意味定番となっていた。
私たちだけで行動するならそれでも構わなくて、仲が宜しくて結構なことだとも思っていた。それが、明日はメディルも一緒になるため、寝坊はできない。
ローナとルクからも反対はなく、そういうことになった。
「エリズと二人きりなのはいいんだけど……いきなり抱きついてくるのは何?」
部屋の灯りを点け、ドアを閉めた途端、エリズに背後から抱きつかれて、身動きが取れない。
「……しばらくこういう時間がなかったので、ヴィーシャさんに抱きつきたくなりました」
「毎晩抱きついてきてるじゃん」
「それはそれ、これはこれです」
「……違いがわからない」
「ベッドで抱き合うときにはやらしいことを考えますが、今はただヴィーシャさんを感じていたいだけです」
「さらっと変な告白するのやめてよね……。そんなことならベッドは別々に……」
「ヴィーシャさんはわたしを殺す気ですか!?」
「別々のベッドで寝たくらいで死ぬわけないでしょ!?」
「そんなことはありません。別々のベッドで寝たら死にます」
「……一切の淀みもためらいもなく言い切るのね」
「単なる事実ですから」
「はいはい……」
「あ、信じていませんね?」
「信じてる信じてる」
「あ、適当に同調して話を早く済ませようとしていますね?」
「してないしてない」
「むぅ。ヴィーシャさんはいつも素っ気ないです。そうやってわたしの恋心を余計に焚きつける策略ですね?」
「……そんなことは考えてない。明日は早いんだからそろそろ解放してくれない?」
「それ、もっと強く抱きしめて、っていう意味ですよね?」
「違うってば。ぐぇ」
エリズが力強く抱きしめてくるので、変な声が出てしまった。愛情表現はもっと穏やかにしてほしいものだ。
「……せっかく二人きりなので、ヴィーシャさんにお尋ねします」
「……何?」
「ヴィーシャさんにとって、恋って何ですか?」
「……そんなあやふやな質問をされても困るよ。どういう意味で訊いてる?」
「ヴィーシャさんは、わたしのこと、好きですよね?」
「……嫌いじゃないよ」
「わたしのことが好きなはずなのに、その気持ちについて、あまり深く関心を持っていないように見えます」
人の話を聞け。いや、聞いた上で、あえて聞き流しているのかもしれないが。
「……私の気持ちは置いとくとして。私は、エリズほど恋愛に深く関心を持ってないんだ」
「それはどうしてですか? 過去に何か辛いことでもありましたか?」
「特にないよ。そもそも、自分の中でどれくらい恋愛を大事なものと考えるかは、人ぞれぞれでしょ。ものすごく大事にする人もいれば、そうじゃない人もいる。私は後者ってだけ」
「……ヴィーシャさんにとって、恋愛はどうでもいいことですか?」
「そこまで極端なことは言わない。でも、誰かを想って胸が一杯で……みたいな話は、私には合わないよ。私が素っ気なく映るとしても、それが私だっていうだけ」
「そうですか……」
エリズがしばし沈黙。私を解放してはくれない。
「……抱きつかれるのが嫌ってわけじゃないんだけど、この状態、いつまで続くの?」
軽く溜息混じりに尋ねてみる。エリズはすぐには反応しない。
少し待つ。
そして。
「少しだけ、弱音を吐いてもいいですか?」
エリズにしては珍しい、か細くて消え入りそうな声だった。
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