第十八幕 豪雪―ムーンストゥラク―

 ―雪女。

 青森や新潟といった雪が多く降る地方は勿論であるが和歌山や愛媛といった地方にもその伝承が残っている存在である。

 多くの伝承において代表的なものと言えば雪女は男に息を吹きかけ凍死させるというものと男の精を吸い尽くし殺すというものであろう。

 その伝承が示す通り男性に対しての逸話が多く残る雪女であるがそれが恨みによるものか、それとも恋愛感情を持ったが故なのかは不明である。

 雪女で最も著名な作品といえば小泉 八雲の「怪談」の中での雪女伝説であろう。

 そして今この場で大切な場面では最後の自分の事を喋った男を自分との間で生まれた子を案じて殺さず去って行ったという事である。

 解釈は様々であろうが雪女には冷酷な面がある一方で愛が深い面も持っているとも言えるだろう。



 「ちょっ!ま、待った!睦さん!冷静に!冷静に!」

 「私は冷静ですよ旦那様。大丈夫、天井のシミを数えていればすぐですから!」

 「全然冷静じゃねぇ!こういう事はこう…そう!段階を踏んでから!」

 「最近では「できちゃった婚」というものもあると聞きます!大切なのは過程ではありません結果です!」

 「俺としては過程も大切にしたいな~!!」

 「そうですね家庭は大事ですね!やはりまずは女の子を!」

 「伝わってねぇぇぇぇぇ!!」


 睦が叶夜に馬乗りとなって既に五分が経過しているが一向に説得は出来ずにいた。

 振りほどこうにも馬乗りでは体を動かす事が出来ずにいた。

 そもそも少女に見えても睦は妖であるため力の差は明白であった。


 (し、仕方ない!栄介を!)


 この状況では揶揄われる事は間違いないがそれよりは貞操をとった叶夜は隠し持っていた栄介を呼び出す札を取り。


 「駄目ですよ。」


 …出せなかった。

 気づいた睦に腕を掴まれ叶夜は栄介を呼び出す事が出来なくなった。


 「そんな無粋な事をしないでください。初夜なのですから二人きりで。」

 (ど、どうすれば!!)


 他の打開策を考える叶夜であるが元々一般人である彼に名案がすぐに浮かぶ訳が無かった。

 叶夜は別に睦が嫌だという理由で拒否してる訳ではないがこのような状況ではゴメン被りたいところである。


 「旦那様、目をお瞑りください。そんなに見つめられると恥ずかしいです。」

 (その恥じらいはもっと別のとこで発揮して欲しかったな!!)


 そう思う叶夜であったが既に睦の顔が迫っておりそのような事を言う余裕すら無かった。

 覚悟をしなければならないと思ったその時急にピタと睦の動きが止まる。


 「?む、睦さん?」


 叶夜が問いかけてもまるで一時停止をしたかのように動かない睦。

 未だ馬乗りには違いないがどうにかならないかと藻掻き始めた時にようやく睦の口が開く。


 「…他のおんなの匂いがする。」

 「はい?匂いって…あ。」


 睦の言う匂いの正体が玉藻だと直感する叶夜。

 妖だと匂いが分かるほど近くにいただろうかと思い返していると睦はさらに叶夜の体の匂いを嗅いでいく。


 「む、睦さん!?恥ずかしいんですけど!?」

 「少し黙ってて下さい。」


 羞恥のあまりに抗議をする叶夜であったが睦は冷たく黙らせる。


 「…この匂いは獣の類の妖、それもかなりの力の持ち主ですね。」

 「え?」

 「それに他の人間の女性の匂いもします。…旦那様?これは、一体、どういう事か、教えて、貰いますよね?」

 「わ、分かった。教えるからそんな輝きの失った目で見ないでくれ。怖い、怖い、怖いって!」


 仕方なく叶夜は先ほどは語らなかった玉藻や八重の事、そしてここに至るまでの経緯を余すことなく語った。


 「そうですか別の妖に襲われてこのような事に…。」

 「ま、まあそうなるね。それで睦さん?そろそろ馬乗りを止めて貰えると…。」

 「ですが旦那様。…そのような一生は生きづらくありませんか?」

 「…どういう意味?」

 「妖怪である玉藻前と旦那様では間違いなく旦那様の方が早くその命が尽きてしまいます。その契約がある限りその命が尽きるまで旦那様が戦いという呪縛から逃れられる事は無いでしょう。…それは悲しい事です。」

 「…。」

 「その陰陽師にしても今は仲間のつもりでしょうけどいつ気が変わって旦那様を襲うか分かりません。…悪い事は言いません私を受け入れて下さい。ここにいればその契約も無効ですし戦う必要もありません。」


 その睦の言葉はまるで甘い毒のように叶夜に染みようとしていた。

 畳みかけるように睦は言葉を繋ぐ。


 「旦那様。本来あなたは戦う必要なんてないはずです。ここで安らかに過ごしていても誰にも文句を言われる筋合いはありません。いえ、私が言わせません。ですから私と共に暮らしましょう?」

 「…確かにそうかも知れない。」

 「旦那様…!」

 「けど、それは出来ない。」

 「…何故?」


 本当に信じられないモノを見る目で睦は叶夜を見つめる。

 叶夜は力強く睦を見つめると言葉を紡いでいく。


 「その提案に乗る事はあの時の覚悟を否定する事だ。そしてその先に平和があってもきっと俺は後悔すると思う。…きっとあの二人と一緒にいれば想像しないような危険があるだろうけど…あの日の選択を後悔したくないから。」

 「…本当に想像を超えた危険があるかも知れませんよ。死んだ方がマシだと思うかも知れません。…それでもですか。」

 「それでも、だ。」

 「…意思は固いようですね。」

 「…。」

 「仕方ありませんね。」


 ようやく納得してくれたと叶夜が安堵しようとした時、段々と手を抑え込む力が強くなっていくのを感じた。


 「無理やりは嫌でしたが無理にでも忘れさせて上げます!大丈夫です!子どもが出来ればきっと十年ほどで忘れます!」

 「結局ほとんど変わってねぇぇぇぇ!!」


 そして再び攻防が繰り広げられようとした時であった、入口と思われるところからトントンと叩くような音がした。


 「??何でしょう。ここは吹雪かせてはいませんから風のはずないですし人が来るはずも…。すみません旦那様少し様子を見てきますね。」


 睦はそう言うと叶夜の手足を凍らせて動けない様にしてから入口へと向かう。

 入り口を開けてみれぼそこにはやはり誰も居なかった。

 気のせいだったのだろうかと睦が背を向けた瞬間に姿を隠していた二つの影が現れる。


 「!!」


 睦もすぐに気づき凍らせようとするが遅かった。

 二つの影は同時に睦の頭を何かで殴る。


 「きゃあ!!」


 大した痛みでは無かったが驚きで睦は派手に転んでしまう。

 その隙に二つの影は睦に札を張り付ける。


 「っ!か、金縛りの札!?」


 睦がその札を剥がそうと四苦八苦しているうちに二つの影は叶夜に近づいていく。

 そしてその姿は叶夜にとってどこか見覚えがあるものであった。


 「ご、牛頭に馬頭?」

 「ブルル!」

 「ヒヒン!」


 叶夜の言葉を肯定するように鳴き声を上げる二匹であるがその声は以前聞いたものとは違いどこか可愛らしいものであった。

 筋肉隆々であった以前の姿とは違い二頭身ほどのマスコット人形のようになったいた。

 持っている武器もまるで子どものおもちゃのようであったが二匹が叶夜を拘束している氷を叩き壊した。


 「ああ!!」


 睦が悲鳴のような声を上げるが二匹は叶夜を担ぐとそのまま外へ逃げていった。

 その数分後、札の効果が切れ自由になった睦は叶夜と牛頭馬頭が去っていった方向を見つめる。


 「…なるほど。…私が甘かったようですね。」


 その言葉は極めて冷静に聞こえたが怒りのあまり握りしめた金縛りの札は氷漬けとなったのちに粉々となり天気も彼女の心の内を表すかのように荒れてゆく。

 睦は張り巡らしていた結界をあえて解く。

 そうすればあの善人な旦那様を誑かした玉藻と八重めぎつねたちも合流するためにやって来るに違いと思ったからだ。

 その二人を懲らしめればきっと叶夜も目を覚ましてくれるだろうと想像し思わず笑みがこぼれてしまう。


 (まったく。千年生きてきましたが私がこんなに一人の人間に執着するなんて…思っても見ませんでした。)


 睦は自分自身を雪女としては異端だと思っていた。

 だがいざあのような言葉を聞いた途端に叶夜を思う気持ちが止まらなくなってしまった。

 いや、もしかすると助けた時から彼女は叶夜に惚れていたのかも知れない。

 それがあの言葉を切っ掛けに噴き出したのかも…とまで考えて浮かべてた笑みはどこか冷酷なものとなる。


 「どうでもいいですよねそんな事。」


 そう彼女にとってそんな卵が先かニワトリが先かという問題はどうでもいい。

 大切なのはいかに叶夜だんなさまを助け出し誑かす二人を処置するかである。

 睦はそろそろ合流した頃とみて吹雪く風に消えていった。



 「ブルルルルルルルルル!!」

 「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒン!!」

 「さ、ささささささ寒い!!」


 叶夜と牛頭馬頭はさらに強烈になった吹雪の中で雪山の急降下をしていた。

 強烈な寒波が襲い掛かり叶夜は目が開けられないほどであったが牛頭馬頭はそれでも下るのを止めない。

 主である八重の命令だからという事が一番だが先ほどの睦が反撃してくるのを恐れたからである。

 二匹は学は無いが聡い妖であった。

 今の状態では勝てない事は一目見て分かっていた。

 急いで戻らなければと凍える足を一生懸命に動かす。


 「牛頭!馬頭!叶夜君!どこ!?」


 すると未だ山の中心だと言うのに八重の声が聞こえる。

 牛頭と馬頭はその声のする方向に向かうとそこには八重と玉藻が共に上っていた。

 二匹は急いで八重の下に向かうと担いでいた叶夜をそっと降ろす。


 「叶夜君!!…二人とも助け出してくれてありがとう。」

 「あ~。伝わるかどうか分からないけど俺からも言わせてくれ。ありがとうな牛頭に馬頭。」

 「ブルッ!!」

 「ヒヒン!!」


 二人から礼を言われるとエッヘンというように胸を張る二匹はその後は札に戻るのであった。


 「助かって良かったのう叶夜。ほれ特別に我の尾で暖を取る事を許す。」

 「あ、ありがとう玉藻。おお、フワフワで柔らかい。」

 「そうじゃろそうじゃろ。自慢の毛並みじゃからな。」

 「二人とも気を抜かないで。急いで降りるわよ。」


 そう言って八重は急いで来た道を戻り始める。

 玉藻も尻尾で叶夜に暖を取らせながら八重に続く。


 「それにしてもよくあの結界通れたな。」

 「ええ、玉藻前が結界を分析したからその条件に引っかからないように牛頭と馬頭に送る力を最小限にして通らせたの。」

 「それがあのマスコット状態の牛頭馬頭か。」

 「フフ、ええ。可愛らしかったから今後はあの姿で偶には出して上げる事にするわ。」

 「それで待っておったら結界が消えてのう。二人で急いぎ合流しに来たというわけじゃな。ほれ我の優しさに感涙を流しても…。」

 「ちょっと待った…結界が消えた?本当に?」

 「え、ええ。牛頭馬頭が上手くやって気絶させたのかと思ったんだけど…違うの?」

 「違う。あの雪女…睦は気絶はしていなかった。」


 三人は黙り込む。

 この事実が示す意味を三人とも理解できたからである。

 分かり切った事ではあるが玉藻があえて口を開く。


 「罠じゃな。」

 「そのようね。けど入らない訳にはいかなかったしどの道、避けては通れないわね。」

 「…そうだよな。…倒すべき敵…だもんな。」


 叶夜は睦の事を思い返していた。

 自分の為に食事を作り談笑する姿を。


 「叶夜。」

 「なんだ?」

 「何が起こったかは我にも分からんがこの先も共に進むんじゃたら悪い事は言わん忘れよ。」

 「…なるほど。そうやって誑かすのですね狐。」

 「「「!!」」」


 三人が振り向けばそこには先ほどまでいなかった睦の姿があった。

 八重は叶夜を庇える位置に移動して戦闘態勢に入る。

 だがそのような事を気にせず睦はひたすら叶夜を見つめ続ける。

 そして玉藻と八重に対しこう宣言するのであった。


 「その人を…旦那様を返して頂きます。」

 

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