第十五幕 愛情―テナスィティ―

 本来チーノウヤは攻撃的なあやかしではない。

 古くは幼くして死んだ子どもの霊の世話をして養うと信じられていた。

 だがそれと同時に水辺などに潜みまだ生きている子どもをあの世に引きずり込むという話も残っているのも確かである。

 どちらがチーノウヤとして正しい姿であるかは不明であるが重要なのはチーノウヤにとって子どもが重要な要素であるという事である。


 そのチーノウヤは周りにいる同族と自分が少し違う事を自覚していた。

 周りのチーノウヤは幼くして死んだ霊や手当たり次第に引きずり込んで、あるいは滅しに来た陰陽師などを幼子にして世話していたがそのチーノウヤはそれでは満足出来ないと本能で分かっていた。

 そしてある別のチーノウヤが陰陽師を幼子にしているのを見て察したのである。


 (ああ、私は単純に幼子の世話をしたいんじゃない。母親の愛を知らずに過ごした者を幼子に変えてその上で自分の愛で埋め尽くしたい。私なしでは生きられないぐらいに私を欲してほしい。)


 それに気づいたそのチーノウヤはすぐに同族から離れ一人で【表世界】【裏世界】問わず彷徨さまよった。

 自分を求めてくれるだろう人物を探して。

 求める要素が多くそのチーノウヤは十年ものあいだ彷徨った。

 そのチーノウヤが求める要素は。

 ・母親を幼くして無くしている。

 ・無意識でも何でも母親の愛を求めている。

 ・結婚していない(別の愛で満たされている可能性がある為)。

 などなど。

 とにかく多かった。


 (私が求めるあかんぼうはどこにもいないの?)


 そんな諦めの思考がチーノウヤの頭を占めある町の【裏世界】にて今後を考えていると簡単な結界が破られ陰陽師が近づいているのが分かった。

 それがあまりに脆いものであった為に八重も玉藻でさえも結界があった事にも気づかないでいた。

 カーブミラーに潜んでやり過ごし逃げるつもりでいたチーノウヤはそこで運命に出会う。


 ―前を行く女の子の陰陽師は駄目だ。

 彼女は母親の愛を受けて育っている。

 ―次の妖は論外だ。

 そもそもなぜ陰陽師と一緒に歩いているか理由が分からない。

 ―突如動きが止まった男の子の陰陽師。

 …彼だ私が追い求めていた私だけのこども


 直感であるが叶夜に母親がいない事を見抜いたチーノウヤは歓喜に震える。

 彼女にとっては幸いな事にそして叶夜には不幸な事に前を行く二人はチーノウヤの存在に気付いていない。

 

 ―今しか無い!


 チーノウヤは僅かなチャンスを見逃さず行動を起こした。

 そして彼女は賭けに勝った。

 危うく助けを求められるところだったが間一髪口を塞ぎそしてそしてカーブミラーに引きずり込む。

 そうなればもう彼女のものである。

 徐々に幼子になっていく叶夜を見てチーノウヤは愛おしさが心の底から湧いて来るのを感じる。


 「助けを!!」


 故に叶夜が栄介を呼び出した事も、その栄介が壁を破って行った事もチーノウヤにはもうどうでもいい事であった。

 破られた壁を妖術で補修しつつチーノウヤはこれから始まるであろう素敵な永遠の子育てを思い浮かべて思わず鼻歌を口ずさむ。

 そしてようやく壁の補修が終わるとチーノウヤは前々から用意していた子育てグッズの中から哺乳瓶を取り出しミルクの準備をする。

 

 (本当は私の母乳をあげたいところだけど…我慢、我慢!)


 幼子に変えたところに妖力が詰まった母乳を与えると体に問題があるのではないかと心配したチーノウヤは人肌ほどにミルクを冷ます。

 もしチーノウヤが母乳を与える事を選択していたのであれば一発で叶夜の心は折れていたであろう。

 そんな精神の死を回避、あるいは処刑の延期が決まったような出来事があったとも知らず叶夜は泣き叫んで助けを呼ぶ。

 しかし不幸な事にチーノウヤにとってそれは自分を呼ぶ幼子の声にしか聞こえないのである。

 チーノウヤは喜び勇んで叶夜わがこの下へ向かう。

 勿論その手には哺乳瓶をもって。


 「僕ちゃん。ごはんの時間でちゅよ~♪ほら♪」


 彼女の子育てごうもんはまだ始まったばっかりだ。



 「あら僕ちゃんよく飲めまちたね~♪偉いでちゅよ~♪」

 (頑張った…本当に…頑張った…。)


 十五歳になって哺乳瓶を使うという精神的拷問に見事叶夜は耐えきった。

 チーノウヤは上機嫌になりながら哺乳瓶を片づけにいく。

 叶夜がミルクを飲み切るまでそれなりの時間があったが残念ながら助けは未だ来ない。

 栄介が二人を見つけられていないのか、それともここに入るのに手間取っているのか。


 (…どちらにせよ今の俺に出来る事はとにかく時間を稼ぐこと!)


 幸いにしてと言うべきなのかチーノウヤは叶夜が抵抗(幼子状態なのでたかが知れてるが)しても怒らず、寧ろ嬉しそうに世話するため暴行などは心配せずに済むと叶夜は見ていた。

 問題は時間と共に精神も幼子になっていく事であるがそこは二人と一匹を信じる他なかった。


 (来るなら来いチーノウヤ!俺は…絶対に負けない!)


 そう心の中でフラグ的な意思を固める叶夜。

 だが、叶夜にとっては残念な事に。

 そしてチーノウヤにとってはこれ以上なく幸福な事に。

 子育てというのはまだまだこれからなのである。


 「さぁ僕ちゃん♪今度は…。」


 そう言って背を向けてガサゴソと何かを取り出そうとするチーノウヤに何故か汗が止まらなくなる叶夜。

 まるでそう極限なバランスで積み上げられたトランプタワーを悪気もなく猫がやってきて全てを台無しにするそんな予感が叶夜を襲う。

 そしてその予感は彼には嬉しくない事に的中してしまうのである。


 「を着けましょうね~♪」

 (………は?)


 一瞬、叶夜の時間は完全に停止した。

 チーノウヤが何を言ってるかが全く理解できないでいた。

 だが徐々にその言葉が示す意味を理解し始める。

 おしめとはオムツの事でありそして幼子用と大人用とあるもののその使用方法は一つしか無い。

 そしていつか親戚の家で見たそれを使用している光景がスローモーションにて頭の中を流れ終えると。


 「おんぎゃあ!!おんぎゃあ!!おんぎゃあ!!」

 (やめろォォォォォォォォォォォォォォォォ!!)


 とにかく泣き叫んだ。

 恥も外聞も殴り捨て喉が裂けんばかりに助けを求める。

 哺乳瓶でのミルクの接種でさえ心が折れかけたというのにこの歳でオムツをそれも他人の手でなど叶夜の許容範囲を明らかに超えている。

 だが本当に残念な事にチーノウヤにとってはその行為は極上のエサでしかない。


 「あら僕ちゃんどういちたの?分かった!早くおしめを着けて欲しいんでちゅね~♪」

 「おんぎゃあ!!!」

 (全くもって違うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!)


 そうあらんばかりに心で叫ぶ叶夜であったが残念な事にチーノウヤに心を読む力は無いのである。

 …あったとしても都合のいいように書き換えると思われるが。


 「フフ♪僕ちゃんそんなに泣かないで♪いま着けてあげまちゅからね~♪」


 そう言って笑顔で近づいて来るチーノウヤが叶夜にとっては何よりも恐ろしい死神に見えた。

 全ての動きがスローモーションに見えその絶望感はまるで死刑囚を迎えに断頭台が向こうから近づいて来るかのよう。

 そしてついに叶夜が寝かされているベビーベットにチーノウヤがたどり着いてしまう。

 その手が叶夜と共に小さくなった狩衣の結び目を解こうと伸びてゆく。


 (ああ、死んだわ俺。ごめん世話になったな八重。短い付き合いだったな栄介。…先に逝くよ玉藻。)


 (精神の)死を真近に叶夜は三人に別れの言葉を贈る。

 決して聞くことはないだろうがそれでも何かを言っておきたかったのだ。

 そして狩衣の結び目にチーノウヤが手をかけ叶夜は覚悟を決める。


 ―しかし天は決して彼を見捨てなかった。


 ドカン!!

 チーノウヤの真後ろの壁が派手に破壊されて土煙を上げる。

 咄嗟に叶夜に覆いかぶさり庇うチーノウヤだがそこに一枚の札が飛んできて張られる。


 「きゃぁ!!」


 そんな声を上げてチーノウヤの動きが止まる。

 その僅かな隙を突き土煙の中から五本の長い尾が伸びてきてベビーベットから叶夜を助け出す。

 

 「これはこれは随分と可愛らしい姿になったのう叶夜。」


 そう言いつつも優しく叶夜を腕に収めたのは大妖怪玉藻。


 「玉藻前気を付けてなさいよ。叶夜君は今は本当に無力なんだから!」


 そんな玉藻に注意しながらチーノウヤを警戒しているのは龍宮寺 八重。


 「兄貴大丈夫か!精神死んで無いか!?」


 そう言葉を掛け続けるのは鎌鼬の栄介。

 三人によって助け出された事が分かり思わず叶夜は。


 「おんぎゃあ!!おんぎゃあ!!」

 (助かったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)


 そう喜びで泣き叫ぶのであった。

 だが心の読めない三人は。


 「どどどどうすればいいんじゃ!!お、陰陽師!お主があやせ!」

 「こ、子どもをあやす事なんてした事ないわよ!!大妖怪なんだから何とかしなさいよ!!」

 「あ、姉御に九尾!とにかく落ち着け!深呼吸だヒ、ヒ、フー。」

 「「それは深呼吸じゃない!!」」


 慌てふためく他に無かったのである。


 「…して。」

 「「「!!」」」

 「返して!!私の子ども返して!!」


 そう叫ぶチーノウヤの姿はまるで怨霊そのもののようであった。

 そんな彼女を前に八重は飽くまで優しく語り掛ける。


 「これはあなたの子どもじゃ無いわチーノウヤ。大人しくして…戦闘出来ない相手をなぶる気は無いわ。」


 八重からしてみれば最大の譲歩であるがチーノウヤから見れば挑発以外の何物でも無かった。


 「…そう。飽くまでも私の子を返さないつもりね。なら!」


 そう言うとチーノウヤの体が光に包まれる。


 「【怪機】になる気!?こんな所で!?」

 「何振り構わずって所じゃろうな。陰陽師、ここは我と鼬に任せよアレはお主が仕留めよ。」

 「言われなくても!」


 そう言うと八重は陰陽機の札を取り出すのであった。



 「返せ!私の子を返せ!!」


 八重の陰陽機である法眼がその姿を現すと【怪機】となったチーノウヤは直刀を迷いなく振り落とす。


 「クッ!!」


 それを間一髪のところで錫杖で受け止める八重は横目で叶夜たちの様子を見る。

 玉藻が自分と叶夜に強力な結界を張ったうえで栄介が飛んでくる瓦礫がれきを切り刻んでいく。

 一先ず安心する八重であるが直後に想像を超える事が起きる。


 「…返せ。」

 「え?」

 「返せ!!!!」


 そう鬼気迫る言葉と共に徐々に力負けして錫杖が押し込まれる。


 「そんな!あり得ない!」


 八重の認識ではチーノウヤは確かに厄介であるが戦闘力は皆無に等しい。

 まして力負けするなど本当にあり得ない事であった。

 彼女の認識は正しく事実であるが一つ重要な事を知らなかった。


 ―母親というのは子どものために何処までも頑張れるものだと。

 「うぅ…破ぁぁ!!」


 だがその必死さも実力差を完全に埋めるには至らなかった。

 掛け声と共に錫杖で直刀を滑らせて受け流す。


 「え?」


 突如襲った手ごたえに思わずチーノウヤはそんな声を上げてしまう。

 戦闘経験の差が如実に出てしまった。


 「貰った!そこ!!」


 八重は素早く錫杖を持ち直しその一突きでチーノウヤの心臓部を貫く。

 チーノウヤは突かれた所から徐々に崩壊しつつあった。


 「…私の子ども。…私の愛しい…子。」


 最後までそう言いつつチーノウヤは塵となって消えていった。


 「…ふぅ。まさかチーノウヤに力負けしかけるなんて。」


 まさかの展開だっただけに八重は冷や汗が止まらなかった。

 下の方を見れば元に戻った叶夜が玉藻に揶揄からかわれて顔を真っ赤にしているのを栄介が慰めている状況のようだ。


 「まあ、無事なら何より…ね。」


 今回は自分も気が焦り叶夜に意識を避けなかったという問題がある。

 一層気をつけなければと思いつつ今は助かったクラスメイトの下に向かうのであった。



 「はぁ。しばらく子どもがトラウマになりそう。」

 「まあ気にするなって兄貴。寧ろ貴重な体験をしたと思ってさ。」

 「そうじゃぞ。若返りなぞそう出来る事では無いからのう。」

 「栄介はともかく玉藻は顔が笑ってるぞおい。」

 「叶夜君。本当に後遺症みたいな事は無いのね。」

 「ないない。」


 そう言いつつ帰路につく四人であったがふと叶夜が立ち止まり後ろを向く。


 「じゃあな。方向性はともかくあんたの愛は本物だったと思うよ。」

 「叶夜君?何かあった?」

 「…気のせいだった。…八重、もう遅いし家で食事取ってけよ。」



 ―日本の医師である日野原 重明曰く。

 家族とは、「ある」ものではなく、手をかけて「育む」ものである。


 そう言うのであれば家族になろうとしてるのはこの四人なのかも知れない。

 そんな事を考えつつ叶夜はいつもの四人分の食事を作るのであった。

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