第四幕 説明―インバース―

 ズズズと熱いお茶を湯呑で飲む音が久しく使われていなかった朧家の応接間に響く。

 その音を鳴らしているのはまさに人外の美しさを持った九尾の狐、名を玉藻。

 お茶請けを出しながらこの家の住人である叶夜は様子を見ながら玉藻が喋る気になるまでジッと待っている。

 玉藻がただお茶を飲む姿すら美しく感じながら。

 お茶請けを幾つか口にしてお茶を飲み干してようやく玉藻は朧家に入ってから初めて口を開く。


 「うむ、大変上手い茶であった。叶夜、お主は家事の才能もあるじゃな。」

 「まあ基本一人で暮らしてますから。…けどそのお茶安物ですよ?」

 「む、そうなのか?比較対象が千年以上前じゃからな。まったく人間の進歩というのは度し難い。」


 一人で納得しながら気にいったのかお茶請けの煎餅を齧る。

 その様子に呆れつつも叶夜は玉藻に話を切り出す。


 「…それで玉藻様。説明して下さるんですよね。何から何まで。」

 「ホガ、ホガ…。」

 「…煎餅食べた後でいいですから口に入れたまま喋らないで下さい。品が無い。」


 玉藻は口に入れていた煎餅をゴクリと飲み込むと指でお茶のお代わりを要求する。

 ハァとため息を吐きながらも叶夜は新しいお茶を新しく注ぐ。

 そのお茶をゆっくりと味わいながら飲みほす。


 「うむ。無論答えられる事は答えよう。まず我の胸の大きさは…。」

 「そ!それは教えなくていいです!?」

 「なんじゃ、面白みの無い。しょうが無いまた今度じゃな。」

 「その今度は永遠に来ません!!」


 ハァ…ハァ…と息を荒くしながら叶夜はソファに座り込む。


 「…しょうがないのう。先ずはあの世界について説明するかの。」


 それを聞いて叶夜は姿勢を正す。

 玉藻は指で空中に何かを描くとテーブルに立体的な街の図が浮かび出す。


 「言葉だけでは説明しきれんかも知れんからな。図があった方が分かりやすかろう?」


 叶夜にウインクしながら玉藻は説明を開始する。


 「簡単に説明すると世界には二種類存在しておる。まず叶夜を始めとした人間や動物ら住んでいる【表世界】。そして先ほどいた生きとしモノは妖のみの【裏世界】じゃ。」

 「【裏世界】…。けど【裏世界】にも建物とかありましたけど、アレは?」


 玉藻は質問されると手から恐らく妖術とやらでポンと眼鏡を取り出し人の耳にかける。


 (あ、人の耳もあるんだ。)


 その様なことを考えながら叶夜は説明の続きを待つ…つもりであったが玉藻が期待を込めた目で見てくるので質問をする。


 「…玉藻様?なぜ眼鏡を?」

 「うむ。人間がこういった説明をするのには眼鏡とやらが必須と聞いたのでな。どうじゃ似合うじゃろ?」


 かけた眼鏡をクイと上げながら叶夜に感想を求める。


 「…似合ってますよ、とても。」

 「ム~。どこか感情が乗っておらんような気がするぞ。」


 不貞腐れたようにする玉藻に対しハァとため息を吐く叶夜。

 実際、眼鏡は玉藻に非常に似合っていた。

 だが段々と真剣に対応するのが馬鹿らしくなってきただけである。


 「まぁよいか。えぇと何を説明すべきじゃったかな。…ああ。建物についてじゃったな。【裏世界】は【表世界】を模倣して造られとる。建物の類は【表世界】で無事ならば【裏世界】で幾ら壊れようとも少しすれば元に戻る。」

 「…それなのに【裏世界】で壊れようと【表世界】では何の以上も無い?」

 「まぁそうじゃな。…我が造った術式では無いのでな。細かい事はよく分からん。」

 「じゃあ誰が?」

 「妖の中の噂では【裏世界】を造ったのは晴明の奴ではないかとされとる。」

 「清明?…あの陰陽師の?」

 「そう、あのいけ好かん陰陽師の安倍晴明じゃ。」


 忌々しそうに顔をしかめる玉藻を見てこれ以上この話題を突くのは止めておこうと決める叶夜は別の話題を切り出す。


 「分かりました。えっとじゃあ【鉄ノ器】というのは?」

 「ん?あ、ああそうじゃな。」


 やけにずれる眼鏡を再度かけ直しながら玉藻は再び空中に何かを書いていく。

 すると先ほどまであった町の図は掻き消えて何やら年表が浮かび始める。


 「叶夜、お主はどこまで妖は人の世に存在していたと思う?」

 「えっと…江戸時代ぐらいには妖怪は浮世絵にも描かれていたとされてるらしとしか。」

 「フム、江戸時代…大体四百年ほど前か。そうじゃなこのぐらいまでは人と暮らしていたじゃろな。」


 玉藻が年表を指でなぞりながら江戸時代を確認する。


 「この頃にはあのような鉄の体、【鉄ノ器】を造り出す妖術など有りはせんかった。…これは妖が【裏世界】に住み着く理由の一つでもあるんじゃが、あの黒船とやらが来てから妖は人間と生きる事を諦めた。」

 「黒船。」

 「そう。あれは日ノ本という国しか知らん我ら妖にとっても衝撃じゃった。そして同じ頃、人間は妖を信じなくなっていった。…理由は分かるじゃろ。」

 「…文明開化。ですか?」

 「ああ、人間の間ではそう言うらしいのう。つまりは他の国の文明が普及した事で我々妖はその存在を信じられなくなった訳じゃな。」

 「…憎くはないんですか?」

 「憎い?なんでじゃ?」


 心底意外といった顔で叶夜を見る玉藻に叶夜は動揺する。


 「え、えぇと。つまり人間が信じるのを止めたせいで追いやられた訳ですから。恨んでいるのかなっと。」

 「まあそう思う妖もおるかも知れんが我は全然気にしとらんぞ。」

 「…それは、何故ですか?」

 「うむ、言葉にすると難しいのじゃがな。…妖というのは良くも悪くも人間の信仰心によって生み出される事が多いもんじゃ。『ああいった生き物がいるはずだ!』『この現象は人外の仕業に違いない!』とかの。まあ我みたいに自然発生する妖も多くいるがの。」

 「信仰心…ですか。」


 叶夜の言葉に大きく玉藻は頷く。


 「つまりは妖が生きるも死ぬも人間次第という訳じゃな。今は信じる者が少なくなっても【裏世界】で生きておるが…。今後千年経てばどうなるか。まぁ、そこまで深く考えている妖はほとんどおらんがの。基本本能に忠実じゃからな我ら妖は。」


 ハハハと笑い飛ばす玉藻に対し叶夜は笑う事は出来なかった。

 自分たち人間によって生み出され人間によって消えてゆくかも知れない妖に対し笑うという事は出来なかった。

 その様な考えが顔に出ていたのであろうか叶夜の頬を優しく玉藻が撫でる。


 「そんな顔をするな叶夜。妖はいつか消える定め、そのような事生まれた時から知っておる。それが陰陽師によって消されるか同族に消されるか、それとも自然消滅するかどうかの違いじゃ対して変わらん。」

 「…凄く変わるような気がしますが。」

 「細かいのう叶夜は。」

 「…分かりました、気にしないようにします。で、文明開化がどう関わって来るんですか。」


 と話題を元に戻す叶夜に合わせ玉藻も本題に入る。


 「つまりこの出来事を境に日ノ本の人間は今までに無い文化と技術を手に入れた。それにより我らと相対する陰陽師にもその技術が伝わった事にある。」

 「え、陰陽師ってまだ存在してるんですか?」

 「なんじゃ知らなかったのか?妖の中で人間と言えば襲った者か陰陽師を指すのじゃ。」

 「へぇ~。」


 今まで妖怪の存在を考えた事はあっても陰陽師については考えてこなかった叶夜にとっては驚く事であった。


 「この辺から陰陽師たちの妖狩りが激しくなっての。まあ妖の多くが【裏世界】にいるのもそれが理由の一端じゃな。とにかくしばらくはそれでも良かったがの確か百年ほど前ぐらいか、陰陽師どもが人間の言う『ろぼっと』に乗り始めたんじゃ。」

 「…なんだそれ。オーバーテクノロジーもいいとこじゃねぇか。」


 思わず叶夜はため口になってしまうが玉藻はあまり気にせず会話を進める。


 「恐らく純粋な『てくのろじー』ではなく陰陽道と技術の組み合わせじゃろうがな。」

 「にしたって妖相手に無茶が過ぎるでしょうに。」

 「兎に角、陰陽師どもはそれを使い【裏世界】まで来て妖を狩る訳じゃが我々もそれに対抗するために自身の体を鉄の塊に、つまりは『ろぼっと』に切り替える術を編み出した訳じゃ。それが【鉄ノ器】、陰陽師らは【怪機】と呼んでいるらしいがの。まあ叶夜は好きな方で呼ぶがいい我は気にせん。」

 「何と言うか…。オカルトなのか最新技術なのか良く分からないですね。」

 「…人間の言葉にこんなのがあるじゃろ『進化しすぎた技術は魔法と見分けがつかない』じゃったか?まあ魔法とやらではあらんがな。」

 「ハァ…おっしゃる通りで。」

 「…それでこれの他に聞きたい事はあるかの?ちなみに我の胸の大きさは…。」

 「このやり取りさっきやった!!」

 「こうやって話題を重ねるのが人間の流儀なんじゃろ?」

 「それお笑いの流儀だし!胸のサイズにも興味は無いです!」

 「なんじゃ胸ではのうて尻に興味か?尻にも自信があっての、大きさは…。」

 「ソイ!」


 そう言って叶夜はお茶請けの一つのクッキーを玉藻の口に押し込める。


 「ウグッ!!…(モグモグ)…煎餅と同じぐらい美味いのうこれ。」


 そう言って玉藻はお茶請けとして用意していたクッキーを全て口に放り込む。

 叶夜は言われる前に次のお茶の用意をする。


 「(モグモグ)それで?何か質問は無いのか?」

 「…情報が多すぎて質問が思いつきませんね。思いついたら…あ。」

 「ん?何かあったのかの?」

 「ありました。…何でこっち、【表世界】に来たんです玉藻様?」

 「?来ちゃまずかったかのう?」

 「いえ、説明して貰えたのはすごく嬉しいんですけど…。何か制約とか無いんですかずっと【裏世界】に居なければならないとか。」

 「いや、妖は自由自在に行き来できるぞ。普通の人間には姿が見えんし声も聞こえんがな。」

 「それもう俺が普通じゃないって言ってるようなものですよね。」

 「では聞くが、人間の世界で『ろぼっと』に乗ったことがある者は普通と言うのか?」

 「…いいえ。」


 ドヤ顔を決める玉藻に対して敬う気持ちが失われつつある叶夜は別の質問をする。


 「ええっとじゃあ玉藻…様。何故俺を【怪機】に乗せたんです?」

 「ん?戦わせる為じゃが?」

 「いや、そうでは無くて。【怪機】があなたそのものであるなら何故俺、じゃなくて自分が操作出来たのかと。」

 「ああ、そう言った意味か。それと一人称ぐらいは自由で良い。何ならため口でも良いぞ。これから長い付き合いになるのじゃからな。」

 「…考えておきます。」


 すぐさま頷きたかったが変なプライドが働き一先ず置いておいた。


 「理由は簡単じゃな。【鉄ノ器】、そちらに合わせて【怪機】と呼ぶかの。とにかく【怪機】は人が乗った方が実力が出せるからじゃ。」

 「?それはなぜ?」

 「陰陽師の『ろぼっと』を元に造りだした術式らしいからの。人が乗ってた方が力が出るらしい。まあ我の【怪機】の全力を引き出すにはまだまだそちらの修業が必要じゃがの。」

 「なるほど。」

 「強さに貪欲な妖は人間を攫って無理やり乗り手にするらしいがのう。…他に何かあるかのう?」

 「…では不躾ですが最後に一つだけ、あなたの過去の事で。」

 「…何かの。」


 明らかに今までとは違う雰囲気になる玉藻に恐怖を覚えるがそれでも叶夜は聞くことを決める。

 これから先、戦っていくのであれば聞いた方がいいと思うから。


 「妖怪について多少は調べました。だからあなたが時の上皇に寵愛されていた事も正体がバレて那須野に逃げた事も、…その地で討たれた事も知っています。」

 「では…何が知りたいんじゃ?」

 「…あなたは最初から上皇を呪い殺そうとしてのですか?…それとも本当に愛してたのですか?」


 玉藻前が上皇に近づいたのは災いをもたらすためだと言われているが同時に異種族の恋愛だったのではないかという意見もあるのである。

 その質問に対し玉藻はどうにも表情が読み取れない顔をしていた。


 「…それを知ってお主はどうするつもりなのかの。」


 その言葉と同時に叶夜に凄まじい殺気が襲う。

 倒れ込みそうになるのを必死に耐えて叶夜は本音を包み隠さず言う。


 「あなたの事が知りたかったから。もし言いたくなければ言わなくても良いです。けど一度も聞かないであなたを理解したつもりになるのは失礼だと思ったから。…あとは単なる興味です。」

 「…興味じゃと。」


 玉藻の問いかけに叶夜は深く頷く。

 あとは玉藻の考え次第で叶夜の命運はどちらにでも傾く。


 「…フフ。」


 その笑い声を切っ掛けに玉藻は大声で笑った。

 それは人であったならば隣人に聞かれるほどの大爆笑であった。

 同時に殺気は消え失せ場が軽くなる。


 「興味か、なら仕方が無いの人は興味を捨てられん生き物じゃからの。じゃが残念じゃが今はその質問には答えられん。」

 「…そうですか。」

 「別にお主に理由があるわけでは無いのじゃが。まぁ我の方が上手く言葉に出来ないのじゃ。まあそのうち話す事があるかも知れんな。」

 「…分かりました。今はそれで納得します。」


 それと同時に叶夜の腹から音がなる。

 時間を見ればもう夜も遅い時間帯である。


 「フフ、腹の虫が鳴いておるぞ。夕飯を済ませようかの。」

 「え、玉藻様も食べるんですか。」

 「当然じゃ、妖でもこっちの世界では腹が減る。」

 「…簡単な物しか作れませんよ。食材が補充できてないんで。」



 「うま!これ美味いのう叶夜!お主は天才か!?」


 ただの野菜炒めをひたすら美味そうに掻き込む玉藻。

 叶夜も一口野菜炒めを口にする。

 やはりいつも通りの不味くもなければ美味しくもない普通の野菜炒めである。

 もう一度叶夜は玉藻を見る。

 そこには気品も威厳もあったものではないただの野獣の姿があった。


 (…うん。今度からため口で呼ぼう。)


 叶夜はそう心に決めるのであった。

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