第ニ幕 運命―コントラクト―
―九尾の狐。
妖怪に詳しくない人間だろうと一度は聞いた事はあるであろう大妖怪。
文字通り長く生き力を蓄えた狐が九本の尾を持ったとされておりその存在は中国や朝鮮、遠くはベトナムにもその伝説が残っている。
時には霊獣とされていた事もある伝説上の生き物である。
「さて、人間。何時まで我の前で無様を晒すつもりか?」
「ぁ…。す、すみません?」
走り続けて未だに足に力が入らなかった叶夜ではあるがこのままだとこちらに殺されそうな雰囲気であったので無理矢理にでも立つ。
(それにしても…。やっぱり綺麗だな…。)
叶夜は改めて九尾の狐を見てそう思う。
色素の抜けたような白い毛が何の光かは知らないが輝いているようであり更にその白が美しい赤い目を際立たせている。
それに加え、ただそこにいるだけなのに九尾のもつ雰囲気のせいだろうか。
とても華やかな美しさがあるように思える。
「…人間。我の美しさに見惚れるのは分かるが礼を言うのが筋というものではないか?」
「や、やっぱりあの声はあなたの?」
「如何にも。外が喧しいので覗いて見ればあまりに哀れなほど必死だったのでな。つい声を掛けてしもうた。」
「…ありがとうございます。お陰で命拾いしました九尾様。」
頭を下げ本心からの礼を言う叶夜であったが。
「…。」
(あれ?何か不機嫌?)
叶夜なりに全力を尽くした礼であったがやはり九尾はどこか不満げである。
しばらく気まずい雰囲気が続くが考えても分からないので叶夜は直球で聞く事にする。
「あの…九尾、様?何か自分に不手際がありました…か?」
「ん?いや?人間が保身では無く本心から礼を言ったのは理解した。我はその礼を受け取ろう。しかし…。」
「し、しかし?」
何やら言いずらそうにする九尾を固唾を飲んで動向を窺う叶夜。
下手を打ったら、いや打たなくても叶夜の命はこの九尾の前では蠟燭の火より儚いものであるぐらいは彼は理解している。
そしてようやく九尾の口が開かれる。
「…いつまでも種族名で呼ばれるのは例え人間相手であろうと気分が良くない。と思うただけじゃ。」
「は、はぁ。では名前でお呼びすればいいのですか?」
「うむ…。我が名を気軽に呼ばれるのも癪に障るが…まぁよかろう。」
「……。」
「……。」
「……?」
「……?」
「あの…そちらに名乗ってもらわないと言いようが…。」
「ん?あぁ、そう言えば名乗っておらんかったのう。我は玉藻、以前は玉藻前とも呼ばれていた事もあったのう。まあ好きな方で呼ぶと良い。」
「玉藻…前!?」
九尾の狐という伝説において特に有名な名が二つある。
一つは古代中国は殷の時代においてその王朝を傾けたとされる美女、妲己。
そしてもう一つは日本の平安時代、時の上皇に仕えたとされる美女である玉藻前である。
かの有名な陰陽師、安倍晴明にその正体を見破られた玉藻前は那須野に逃げた後に数万という兵士たちと戦いそして討たれたという話である。
鈴鹿山で暴れまわった鬼である大獄丸、京の都を荒らしまわった鬼の酒呑童子と共に日本三大悪妖怪とされている。
その妖怪の中でもトップクラスの存在である玉藻前が目の前にいるという現状に改めて足に疲労とは別の震えが出てくる。
それでも叶夜は九尾、いや玉藻をしっかりと見つめ再度礼を言う。
「この度はお助け頂きありがとうございました、玉藻様。」
「…フム。まあ良かろう。」
それだけ言うと玉藻は叶夜に興味を無くしたようにそっぽを向き寝始める。
「え?あ、あの玉藻様?この後はどうすればいいのでしょうか?」
「ん?別に好きに過ごして良いぞ。あの雑魚らがこの付近から去ったら我がお主を送り返してやろう。」
「か、帰れるんですね!」
「そう言うとるじゃろ。」
玉藻の冷たい返しも気にならない程、叶夜は内心喜びガッツポーズを決める。
目の前の存在が居なければ普段はしないであろうダンスで喜びを表現したいほどであった。
だがその喜びも玉藻の一言で一瞬にして無くなるのであった。
「どうせ奴らは別の人間を喰らうだけじゃろうしな。」
叶夜は体中の血が引いていくのを感じる。
ここで自分が出ていかなければ他の人間が死んでしまうかも知れない。
そう思えば思うほど罪悪感に押しつぶされそうになってしまう。
「あ、あの玉藻様?」
「…他の人間が来ても我が助けるとは限らんぞ。お前が助かったのは単に我がお前を気になった、それだけじゃからな。」
「…そ、そうです、よね。」
叶夜が助かったのは言ってしまえばただ単に運が良かっただけ。
そして自分の後に巻き込まれる人はその運に恵まれないかも知れない。
そう思ったが最後、叶夜は迷い始めていた。
「…何を迷う事がある?お主に取っては全く関係の無い人間たちじゃろ?それが死んだ所でお主を責める者などおらぬぞ。」
「……そうかも知れませんね。」
「じゃろ?じゃから…。」
「けれど!!」
玉藻の声を遮るほどの叶夜の大きな声がその空間に響く。
玉藻はそれに怒る事もなく叶夜の言葉を待つ。
「知らない人だからといって、死んでいいとは思えない。知らない人だからといって、死ぬのが分かってて無視なんて出来る訳が無い。もしこのまま無事戻れたとしてもそれで誰か別の人が亡くなるなんて…自分が許せる訳が無いんです玉藻様。」
「…それは人間としての答えか?」
玉藻の問いに叶夜は首を横に振る。
「人間だって色々な考えの奴がいます。他人の命なんてどうだっていい人間だっているでしょうね。だからこれは…俺の我が儘です。」
叶夜の答えを聞き終わると玉藻はスクッと起き上がる。
「フム、これでつまらん道理を我に聞かせるつもりであったなら丸飲みにしてくようかと思うたが…我が儘、であるか。なら仕方無いのう。」
「ええ、…ついでにもう一つ我が儘、言ってみてもいいですか?」
「ん?構わんぞ。まあ我が聞き入れるかは分からんがな。」
玉藻に許可を取ると叶夜は一つ深呼吸して再び玉藻の目を見て語る。
「先ほど言った事は本心です。見知らぬ人間だからといって死んでほしく無いです。…けれど自分も死にたい訳じゃ無いんです。」
「そうじゃろな。人間で死ぬのが恐ろしく無いのは狂信者か蛮勇を勇気と間違えたただのアホじゃろうな。」
「ええ、だから…だから…!」
叶夜は両手で固く握り拳を作りながら何かを決意するように玉藻に嘆願をする。
「どうか助けて下さい…!玉藻様。」
「…ほう?お前を助けた我に更に助けを乞う、か。お主…図々しいと言われるじゃろ。」
「…本来なら助けて貰ったあなたにこんな事言うのは烏滸がましい事ぐらい、分かっています。…けれど!あなた以外にいないんです!この見知らぬ土地であの巨大な足長手長を倒せるのは!」
確かに叶夜が玉藻に助けを求める事は現状を考えれば当然と言えたであろう。
叶夜にとってはこの見知らぬ地で他に助けを求められる存在など見つからないであろう。
仮に見つかったとしてあの巨大ロボになった足長手長を倒せるかどうかは不明である。
だが玉藻であれば、そう今、叶夜の目の前にいる大妖怪玉藻前であるならば足長手長であろうが巨大ロボであろうが倒せるはずである。
「…確かに、いかに【鉄ノ器】になろうとあのような小物ぐらい我なら簡単に潰せるであろうな。」
倒す事が出来る。
分かり切っていた事ではあるがそれでも助かる一筋の光明が差し思わず顔が綻びかける叶夜。
…しかし。
「じゃが、それで助けたとて我に何の利がある?まさか我にただ働きさせる気ではなかろうな。」
「っ!そ、それは…。」
叶夜は何も言えなかった。
大妖怪である玉藻前を働かせる見返りになるような物が単なる高校生である叶夜が持っているはずがない。
その事は玉藻自身もよく分かっていた。
例えいくらかお金を持っていたとしてもそもそも人間社会のお金など玉藻にとっては意味の無いものである。
―目の前にいる人間からは何も得る物は無い。
そう理解してはいるが玉藻は俯いたままの叶夜を見続けていた。
目の前の人間が心折れる瞬間が見たいのか、それとも別の何かを期待しているのか。
その答えは玉藻自身も分からないでいた。
そしてようやく叶夜はその顔を上げる。
(諦めたか…。)
考えるのを諦めたであろうと玉藻が思っていると思わぬ答えが返って来た。
「差し上げるものは…あります。」
「…ほう、一体何を持っていると言うのじゃ?」
どうせ大した物では無いと玉藻は踏んでいた。
だが叶夜の一言に玉藻は不意を突かれる事になる。
「命以外の自分の全て…それを差し上げます。」
「…お主、それがどう言う意味を持つか分かっているのか?」
それは単純に奴隷契約と同義であった。
しかも大妖怪玉藻前ともなればどのような目にあうか?叶夜自身でも計れないでいた。
「…自分でもバカな提案である事ぐらい理解しています。けれどこのぐらいしか今の自分にはあなたに捧げるものはありません。」
「…ハァ。愚か、実に愚かな人間である。」
「っ!(駄目だったか。)」
玉藻の言葉を聞き叶夜は諦めの考えがよぎる。
これで駄目なら叶夜はあの巨大ロボに喰われるか踏みつぶされるかのどちかの運命を辿らなければならなくなるだろう。
「だが、そんな人間に興味をもつ我も愚かなのかも知れんな。」
そう言うと玉藻の体は発光しだした。
突然の発光に叶夜は目をつぶる。
目が慣れてき始めた時にはその光は人間サイズまで縮んでいた。
そして発光が収まるとそこには美しい女性が立っていた。
それが先ほどの玉藻が人間に化けたのだと理解するのにそう時間は掛からなかった。
まるで和服を派手に着崩したような一見すれば下品な衣装であるが持ち前の気品さというのであろうか、不思議と下品な感じはしなかった。
真っ白な長い髪と九本の尾をたなびかせながら玉藻は狐耳をピクピク動かしながら叶夜に近づいて来る。
そして玉藻はその赤い目で叶夜の顔をジッと見続ける。
まるで彫刻のように美しい顔を直視できずに思わず叶夜は下を見るが着崩した和服の隙間から谷間が見え顔を横に背ける。
そのリアクションを玉藻は気に入ったのか玉藻はクスクスと笑う。
「フフ、初心じゃのう人間。ほれ顔をよく見せい。」
そう言うと玉藻は両手で叶夜の顔を自分の顔の目の前に固定する。
叶夜は気恥ずかしくてその手から逃れようとするが凄まじい力で逃げられない。
「のう人間。名を何と言うんじゃ?教えよ。」
「お、朧 叶夜といいます。」
「ほう、朧 叶夜…実に趣のあるいい名ではないか、のう叶夜。」
「は、はぁ。」
玉藻にずっと見つめられ返事が曖昧になってゆく叶夜を未だ放さず見つめ続ける。
「フム、決めたぞ叶夜から貰うものを。」
「…え?一体何を…ん!?」
それは突然の口づけであった。
キスの不意打ちに驚く叶夜は少しして別の事にも驚く事になる。
何か力のようなものが自分の体に入っていく感覚を明確に感じた。
しばらくしてようやく玉藻は唇を叶夜から放す。
二重の意味でボーとしてしまう叶夜を玉藻は面白いものを見るような目で見る。
「これ、しっかりせい叶夜。」
そう言って玉藻は最小限の力で頬を叩く。
「大丈夫かの?」
「あ、はい。…何だか頭がゆで上がった感じですけど。」
「ふむ、ならいい。それで先ほど口づけした時ある契約をさせてもろうた。」
その言葉を聞いてようやく叶夜の目に理性が戻って来る。
「…一体どんな契約を。」
「ふむ簡単な事じゃ。叶夜、お主から貰うのは金でも宝物でもましてや命でもない。…その平和な未来じゃ。」
「…未来?」
いまいちピンと来ていないのか叶夜は首を傾げる。
「うむ、未来じゃ。これより先お主は我と共に戦う運命を植え付けた。これは我が死ぬか叶夜、お主が死ぬかするまでお互いが離れられん呪い。つまりこれから先、我とお主は一連托生。毎日が戦いの日々と思うておけ。」
「戦いの…日々。」
「そうじゃ、お互いが生きてる限り続く戦いの日々。どうじゃ平和が奪われた感想は。」
「…まだよく理解出来てないんだけれど。」
「フム、今はそれで良かろう。さて行くぞ。」
「ど、何処に?」
「うむ、説明してもよいが長くなるからの。取り敢えず叶夜、我の手を握れ。」
「は、はい。」
あまりに綺麗で華奢な手のひらであったので握るのに躊躇してしまうが意を決してその手を握る。
すると今度は玉藻だけでなく叶夜の体も光始める。
「え?…え!?ど、どうなるんですか!?」
「フフ、叶夜。お主は幸運じゃぞ。この玉藻前の【鉄ノ器】の乗り手に選ばれたのじゃからな!」
光が二人を包み消える頃にはその空間には誰も居なくなっていた。
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