第二十一話 奪還

 俺達を乗せたまま急降下する雪那セツナ


 その降下地点に先回りしようとするかのように、巨大な幽霊船が異様な速度で清河セイガを下っていく。


 民間人を乗せた楼船は完全に自由の身だ。


 これなら心置きなく戦うことができる……のだが、その前に確かめておかなければ。


「雪那。標的は奴らのかしらが持ってる、あの破片か?」

『……君には隠し事ができないな。事情は後で説明する。どうか手を貸してくれないか』

「断るわけがないだろ? 作戦はそっちに任せた! 適当に指示してくれ!」

「私も手伝います! 手伝わせてください!」


 桃花トウカも俺にしがみつきながら声を上げる。


 こんな小さい子がそこまで言うなんて、よほどの事情を背負っているのだろう。


 まったく、なおさら負けられない理由ができてしまった。


『狙うは司令官ただ一人! まずは雑兵を一掃する!』


 白龍の姿の雪那は落水ぎりぎりで急転換し、水面に触れるかどうかの距離を滑るように飛翔して、巨大な幽霊船に正面から突っ込んでいく。


 そして紙一重ですれ違う瞬間、横薙ぎの竜巻じみた暴風を巻き起こした。


 吹き飛ぶ濃霧。消し飛ぶ甲板の幽霊兵士。


 巨大な船体すらも大きく揺らぎ、水面が大波を立ててかき混ぜられる。


 昼間に法術士達が遂行した迎撃作戦を、何十倍、いや、何百倍もの規模で実行したかのような圧倒的旋風。


 もしも不可視の力場で守られていなかったら、背中に乗った俺達も紙屑のように吹き飛ばされていたに違いない。


 ――伝説によると、龍は天候を自在に操る力をもつという。


 もしかして、これもその一端なのだろうか。


「凄いな! 一人でも沈められたんじゃないか!」

『沈めるわけにはいかないんだ! アレを取り返さないと! 作戦は――』


 雪那は水面で大きな孤を描いて旋回し、濃霧を剥ぎ取られた幽霊船と速度を合わせ、鱗が触れるほどに肉薄する。


 甲板に残ったのは、指揮官である武将の幽霊ただ一体。


 生前が屈強な武将だからか、兵士の霊よりも格段に頑健。


 しかも艦内にはまだ兵士の幽霊も大勢残っていて、時間を掛けたら再び戦力を整えられてしまいそうだ。


『黎駿! 頼む!』


 桃花を連れて甲板に飛び移り、迷うことなく武将の霊に肉薄する。


 狙うは短期決戦。長期戦を挑む利点メリットはない。


『そちらから来るとは好都合! 白龍に対する人質にしてくれよう!』


 武将の霊が長柄武器ポールウェポンを構え、俺達を正面から迎え討とうとする。


「させません!」


 駆ける俺の背後から、桃花が狐火の援護射撃を連射する。


 だがそれらは全て、武将の霊の武器によって叩き落されてしまった。


『ぬるい! この程度では話にならん!』


 俺はその隙を突いて一気に距離を詰め、武将の霊の顔面めがけて、を勢いよく吹き出した。


『何ィ!?』


 武将の霊が怯み後退あとずさる。


 今のは桃花の狐火だ。


 事前に悪食の異能で頬張っておき、飲み込まずに吐き出した――言葉にすれば単純だが、不意打ちとしては充分過ぎる。


『猪口才な!』


 炎に視界を塞がれながら、武将の霊が防御の構えを取る。


 俺が幽霊に触れられることを知っていたせいで、狐火のことを攻撃のための布石だと考えてしまったのだろう。


 当然、これも作戦通りの展開だ。


「見つけた!」


 半透明の鎧を纏った霊体に右腕を叩き込む。


 その腕は霊体を、懐に隠されていた例の『破片』を掴み取った。


『何だと……!』

「……こいつは、返してもらう!」


 勢いのままに武将の霊を透過して、速度を緩めることなく反対側の船縁ふなべりまで疾走する。


 俺の目的はあくまでこの破片を取り返すこと。


 あいつを倒す必要はないのだ。


 意図的に悪食の異能を使わなければ、俺の身体も普通に霊体を透過する。


 そして雪那の言う通り、幽霊の攻撃がすり抜ければ生命力を急激に奪われるが、攻撃でなければ負担もさほどではない――そうでなければ、奴らが武器を使う理由はないのだから。


「逃げるぞ、桃花!」

「はい! 足止めします!」


 桃花が作った狐火の壁を背にしながら、今夜二度目の飛び込みを敢行。


 こちら側に回り込んできていた雪那の背に乗って、巨大な幽霊船から一気に距離を取る。


「あっ、船が!」


 振り返って驚きの声を上げる桃花。


 どんどん遠ざかっていく巨大な幽霊船の輪郭が、まるで熱湯に溶ける塩のように、夜の大気に溶けて消えていく。


『あれは欠片の霊力で存在を補強していたんだ。欠片を失えば、過剰に膨れ上がった分は崩れて消えるしか道はない。本来なら人間の法術士でも退けられる程度のはずだ』


 亡霊のそれほどの力を与える謎の欠片――きっと、その正体は俺の想像通りの代物なのだろう。


『ひとまず着陸しよう。そこで全てを打ち明けさせてくれ』


◆ ◆ ◆


 俺達が降ろされたのは、清河セイガの川辺に広がる森林の中だった。


 雪那はすぐさま変化を解き……もとい、人型への変化を発動させて、一糸まとわぬ姿で俺に向き直った。


 幸いにも、ここは月明かりも枝葉えだはに遮られた暗闇なので、雪那のあられもない姿も視界に入ることはない。


 と、思ったのだが。


「灯りつけますね」


 桃花が良かれと思って狐火を灯したことで、むしろ神秘的な青白い輝きが色白の肢体を照らし出す状況になってしまった。


「黎駿、欠片を」

「あ、ああ……」


 さり気なく視線を外しながら、武将の霊から奪った破片を雪那に手渡す。


 できればこのまま誤魔化し続けたかったのだが、雪那の胸元から狐火よりも明るい光が浮かび上がってきたので、思わず目を向けずにはいられなかった。


 それは半分に割れた透明な宝珠だった。


「宝珠を奪われたというのは、厳密には不正確な説明だ。本当はこの通り砕かれて、その破片を奪い去られたんだ」

「やっぱりお前の宝珠だったんだな。どうして隠したりしたんだ?」

「……恥ずかしいからに決まっているじゃないか」

「えっ、裸よりも」


 思わず本音が口をいて出てしまう。


 雪那にとって人間の姿は変化した状態に過ぎないのだと、理屈では分かっているのだけれど、それでも感情的にはどうしても慣れないものだ。


「そういう方向性の羞恥心ではないよ。宝珠は龍の霊力の結晶体だ。砕かれたのは未熟の証明に他ならない。ただ奪われるだけじゃなくて、念入りな駄目だしまでされたようなものなんだ」

「ああ……恥ずかしさにも色々あるからな。今のは恥をかかされたって意味か」

「けれど、君のお陰で一歩前に進むことができた。まだ道半ばではあるけれどね」


 雪那は半分に割れた宝珠に奪還した破片を重ね合わせた。


 輝きがより一層強まって、二つの断片が一つに繋がっていく。


「ありがとう、黎駿。君に出会えてよかった」


 むき出しの胸に宝珠を戻し、雪那は朗らかに微笑んだ。


 その笑顔があまりに綺麗だったものだから、俺は先程とは別の気恥ずかしさを覚えてしまい、思わず顔を逸らしてしまったのだった。

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