第二十話 白龍

 甲板の先端へ――雪那セツナの声はそれを最後に途切れた。


「どうかしたんですか?」


 桃花トウカが不安そうに俺の顔を見上げる。


 今の声は本当に俺だけにしか聞こえていなかったようだ。


「……白龍の雪那だ。急いで甲板の先に来てくれ、と……」


 もちろん応じない理由はない。今すぐ駆け出したいくらいだ。


 だが、桃花はどうする?


 自力で仲間のところに帰れと言って、ここに置いていくのか?


 それとも寄り道をして送り届けるのか?


 悩む俺に、桃花は必死に訴えかけてきた。


「あ、あの! お願いします! 私も一緒に連れて行ってください! 白龍さんに頼みたいことがあるんです!」

「一緒に? ……ええいっ! 悩んでるだけ時間の無駄だ! 行くぞ!」

「はっ、はい!」


 扉を勢いよく開け放って外廊下に飛び出し、一直線に下り階段へと走り出す。


 邪魔な幽霊兵士は体勢を整える前に強襲を仕掛け、力任せに突き飛ばして強引に突先を急ぐ。


 階段まではこの調子で速やかに突破。


 連中もまさか生きた人間に蹴散らされるとは思っていなかったようだ。


 桃花がついて来られるか心配だったが、そこはさすがの獣人というべきか。


 驚くほどの身軽さで俺の後を追いかけてきて、階段も手すりを坂道のように使って身軽に駆け下りていった。


「甲板の先端……くそっ、やっぱり大歓迎だな!」


 数え切れないほどの亡霊兵士が甲板にひしめき合っている。


 まるでこっちの楼船の方が幽霊船になってしまったかのようだ。


「どどど、どうしましょう!?」

「強行突破一択だ!」


 奴らがまだ状況を把握できていない今しか好機チャンスはない。


 幽霊兵士を押し退け、隙間をすり抜け、一瞬たりとも足を止めずに駆け抜ける。


 だが何もかも都合よくいくばかりではなく、回避のしようがない拍子タイミングを突いて、数人の幽霊兵士の壁が目の前に立ちはだかった。


「私だって! お役に立ちます!」


 尻尾を翻して飛び出す桃花。


「燐火炸裂ッ!」


 青白い炎が閃光を撒き散らして炸裂する。


 物理的な破壊力はなく、幽霊を霧散させることもできなかったが、体勢を大きく崩させるには充分だ。


「凄いな! 法術か!?」

「ありがとうございます! 今のは……って、後ろ! 後ろが大変です!」


 妨害をすり抜けて走りながら振り返る。


 甲板中にひしめき合っていた無数の幽霊兵士。


 その全てが俺達二人だけを標的に、雪崩を打って追いかけてきている。


 まさしく幽霊の大波。


 飲み込まれたら、ひとたまりもないに違いない。


「うわっ!? 冗談きついっての!」


 悪夢を具現化したような光景に追い立てられながら、桃花と二人して甲板の先端への全力疾走をし続ける。


 もはや行く手に幽霊兵士の姿はない。


 無事に逃げ切るか、捕らえられて見るも無惨な目に遭うか、二つに一つだ。


「はっ、はっ、はっ! は、白龍さんは!? 次はどうしたら!?」


 あと僅かで甲板の端に行き止まってしまう――そのとき、再び雪那の声が頭に響いた。


『飛び降りろ!』

「……っ!」


 口頭で説明している暇などない。


 俺は必死に走りながら桃花の身体を抱え上げ、速度を緩めることなく、夜の真っ黒な清河セイガめがけて身を投じた。


「へっ? きゃあああああっ!」


 桃花の悲鳴が耳をつんざく。


 落ちていく先は黒い水面。


 それが突如として隆起したかと思うと、白く輝く巨体が水柱と共に浮上して、そのまま空に向かって急上昇し始めた。


 俺は白い巨体に激突するかのように着地し、分厚い鱗を掴んでしっかりとしがみついた。


 月光を弾いて白く輝く巨体――白龍。


「……はははっ! お前、そんなところにいたのか! 探したって見つからないわけだ!」


 俺達が船内を駆け回っている間に、あるいはそれよりもずっと前に、雪那は清河セイガの暗く深い水の中に身を隠していたのだ。


 人間なら数分と耐えられないのだろうが、龍である雪那にとっては陸地よりも過ごしやすいくらいなのかもしれない。


「いつの間に飛び込んでたんだ?」

『襲撃があった時点で既にね。それより、一緒にいる子はもしかして……』

「桃花だ。結局、まだ会ってなかったんだよな?」

『残念なことにね。さて、はじめましてかな、桃花君。龍宮で会ったことがあったら、申し訳ないけれど』


 上昇していく速度を緩めながら、雪那は龍の姿のまま、落ち着いた声色で桃花に話しかけた。


 相変わらずの頭に直接聞こえる不思議な声だが、今回は俺だけでなく桃花にも聞こえているらしい。


 当の本人は思考が現状に追いついていないようで、目を丸くして口をぽかんと開けたまま、耳と尻尾をぴんと伸ばして硬直しているのだが。


「えっ……あっ! はいっ! ははは、はじめまして!」


 桃花は俺の左腕に抱えられたまま、何度も繰り返し頭を下げた。


『お互いに話したいことは山程あると思うけど、まずは目の前の問題を解決しよう。あの幽霊船を放っておくわけにはいかないからね。そもそも、あちらも僕達を放っておくつもりはなさそうだ』


 雪那が上昇を止めて緩やかに旋回する。


 遥か下方の清河セイガの水面では、俺達に出し抜かれた幽霊水軍が次の行動を起こしつつあった。


 楼船に乗り込んでいた幽霊兵士が、次から次に元の幽霊船へと引き返している。


 明らかに楼船の占拠を放棄しようとしている様子だ。


「あいつら、俺達を追いかけるつもりか?」


 船の捜索を切り上げてまで追跡するなんて、人間一人と獣人一人を取り逃しただけにしては対応が過剰だ。


 奴らの目的は謎の破片。


 俺はそんなもの見たことも聞いたこともないし、桃花が隠し持っていたとしても、奴らはその事実を把握できていないはず。


 だとすれば、奴らが本当に探していたのは――


『僕も彼らには用事があるからね。すまないが付き合ってもらうよ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る