第十九話 隠伏

『大人しくしていれば、命までは奪わん。今宵は貴様らを討ちにきたわけではない』


 欄干の向こうから現れた新たな幽霊――その姿は簡素な鎧の兵士ではなく、重厚な鎧に身を包んだ武将の姿をしていた。


『これを見ろ。同じものを持っているのなら、潔く渡せ。知っていることがあるのなら、全て話せ』


 指揮官らしき武将の幽霊が、手にした何かを俺の眼前に突きつけてくる。


 割れた水晶玉の破片……だろうか。


 元の大きさが三寸余り十センチ程度なら、全体の二割程度の残骸のように見える。


 幽霊が触れられているあたり、単なる物質ではないのは間違いなさそうだ。


「……何の欠片だ? そんなの見せられても……」

『ふむ、魂の揺らぎは感じられん。偽りは言っておらぬな。他の生者諸共、拘束を施して監禁しておけ』


 どこからともなく、古びた鉄製の手枷がふわりと浮かび上がり、俺の両手を乱暴に拘束する。


 酷く錆びついた手枷だ。


 恐らく、生前の幽霊水軍が船に積み込んでいた、捕虜を拘束しておくための軍需品だったのだろう。


 この場で抵抗を試みるか、諦めた振りをして隙を伺うか……ひとまずは後者を選んだ方が良さそうだ。


「随分と優しいんだな。皆殺しにでもされるかと」

『普段であればそうしている。此度は特別だ。ゆえあって、な』


 武将の幽霊が俺の隣を通り過ぎ、船室の外壁をすり抜けて姿を消す。


 ――そのとき、あり得ない臭いが俺の嗅覚を刺激した。


 雪那を苦しめていた呪い――それを喰らったときに感じたものとよく似た気配においが、ほんのわずかだが漂っている。


 勘違いなんかじゃない。


 アレを口に含んだ瞬間の異様な感覚は、一度味わったら簡単に忘れられるようなものではないのだから。


◆ ◆ ◆


 監禁場所として放り込まれた先は、宴会場となっていた三階の広間だった。


 他の三階の乗客も捕らえられていて、鉄枷で両手を拘束された状態で床にへたり込み、恐怖と絶望に震えた声を漏らしている。


「……もう駄目だ、殺される……!」

「た、助けて……誰か……」

「あああ、だからこんな、こんな船になんか乗りたくなかったんだ……」


 荒事とは無縁な階層の連中ばかりなのだろう。


 どうやら一人残らず心が折れてしまったらしく、脱走を試みようという発想すら浮かんでいないらしい。


(それにしても、何なんだ? この手抜きっぷりは。申し訳程度に手枷だけして、一つの部屋にまとめて放り込むだけで、見張りらしい見張りも立てていない……乗客には本気で関心がないのか……?)


 俺は他の連中に気付かれないように部屋の隅へ移動して、手枷に歯を突き立てた。


 ばき、ごり、と容易く砕ける鉄枷。


 口さえ届くなら拘束は何の問題にもならない。


 足も拘束されていたら多少は手間かもしれないが、それも大した障害にはならないだろう。


(外に見張りは……一人、いや、一体だけか……)


 扉を少しだけ開いて外の様子を伺う。


 脱出するなら今だ。


 けれど、他の連中を連れ出すつもりはない。


 別に見捨てるとかそういうわけではなく、俺一人では守ることも誘導することも難しいからだ。


 解放して騒ぎを起こさせ、幽霊水軍が対応している隙に……という手段を取るなら話は変わってくるが、さすがにそこまでやるのは非道としか言いようがない。


(……よし、今だ!)


 扉の隙間に滑り込むようにして廊下に飛び出し、見張りの幽霊兵士の死角を抜けて密やかに階段を駆け下りる。


 やろうと思えば幽霊兵士を食べることもできただろう。


 だがさすがに人間大のものを無抵抗で食い切れるかは分からなかったし、何より人間を食べるのと変わらない気がして躊躇してしまう。


 一体や二体を減らした程度でどうにかなる数でもないのだから、ここは安全策を取った方がいい。


(とにかく雪那を探さないと。逃げるにしても戦うにしても、俺一人じゃどうしようもない。獣人達に会いに行ったなら、一階か二階にいるはずだけど……)


 二階の見張りは三階よりも多そうだが、敵船から乗り込んできた総数と比べると、まだまだほんの一部だ。


 身を低く屈めながら、欄干の隙間から下の様子を伺う。


 やはり一階は乗客が多いせいか、幽霊兵士もかなりの数が配置されている。


 そして甲板の下に設けられた貨物室にも、大勢の幽霊兵士が出入りしているようだ。


 時折激しい音が聞こえるのは、誰かが抵抗を続けて戦っているからだろうか。


 あれだけ大勢の乗客がいるのなら、幽霊と戦える異能持ちの一人や二人はいてもおかしくない。


(水晶玉の破片みたいなアレを探してるんだな。乗客を尋問したり貨物室を漁ったり……いちいち乗客に危害を加えてる暇もないってわけだ)


 恐らく、二階でも三階と同じように、乗客はどこか大きな部屋に集められているはずだ。


 まずはそこを探すべきだろう。


 とはいえ人数が多いから、一つの部屋ではないかもしれないが。


 あれこれ思考を巡らせ、物陰に身を隠しながら、乗客が閉じ込められていそうな部屋の捜索に取り掛かる。


(雪那が幽霊に後れを取るとは思えない。でも隙を伺うために一般人の振りをした可能性はある……もし二階にいなかったとしても、あの三人組の誰かを見つけたら、何かしらの手がかりを……うわっ!?)


 外廊下の角を曲がろうとしたとき、向こうから飛び出してきた小さな人影がぶつかってきた。


「ご、ごめんなさい!」


 深々と頭を下げる小さな人影。


 その頭には狐と同じ形をした獣の耳が生えていた。


「君は……っと! まずい!」


 廊下の向こうに見張りの幽霊兵士の姿が見えた。


 反射的に狐耳の少女を抱え、手近な無人の客室に飛び込んで身を隠す。


 そのまましばらく息を潜めて様子を伺ったが、どうやら見張りの幽霊兵士は俺達の存在に気が付かなかったらしく、不気味な唸り声を漏らしながら部屋の外を通り過ぎていった。


「ふぅ、危ない危ない。君は確か、桃花トウカ、だったよな。他の二人はどうしたんだ?」

「は、はい! パーラとシュリンガは、一階に残って戦ってます! 私は白龍さんに助けてもらおうと思って、こっそりここまで来たんですけど……」

「白龍って、雪那のことか!? ……一緒にいたんじゃないんだな? 雪那はちょっと前に、君達と話がしたいからって、一階か二階に降りていったんだ」

「会ってない、です。ごめんなさい。そっか、こっちにいなかったんだ……」


 狐耳を萎れさせて落ち込む桃花トウカ


 そうなるのも無理はないだろう。


 龍族の力を借りればあるいはと思って三階まで来たのに、その努力が空振りに終わってしまったのだから。


 俺としても唯一の手がかりが潰えてしまった状態だ。


 落ち込みたいのは山々だが、ここで俺が考えるのを止めてしまったら、それこそ完全に手詰まりだ。


 ――どうする? このまま当てもなく、幽霊兵士の目を盗みながら探し回るのか?


 分の悪い賭けだ。けれど他に探しようがないのもまた事実。


 他に手段があるとすれば、雪那との合流を諦めて、桃花トウカの仲間に手を貸して幽霊水軍と戦うことくらいだろう。


 選択肢は二つ。


 しかしどちらを選んでも上手くいく保証は――


黎駿レイシュン、聞こえるかい?』


 ――悩む俺の脳裏に、雪那の声が響き渡った。


「雪那!?」

『すまないが、この呼びかけは一方通行だ。君に届いていることと、君が信じてくれることに託して伝えよう。今すぐ甲板の先端まで来てほしい。可能な限り迅速に』

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