第十話 散策

 結論からいうと、宿の食事は思った以上に美味かった。


 獣人の食生活に合わせているのか、野菜ばかりの皿や肉ばかりの皿が御品書メニューの中心だったが、幾つか組み合わせれば満足できる献立だ。


 不満点を挙げるとすれば、少々大味だったり薄味だったりする料理があったのと、主食が米ではなく饅頭マントウだったことくらいだろうか。


 特に後者は問題だ。


 饅頭が嫌いなわけじゃないが、やはり米がないと物足りない。


 ……とまぁ、そんなことを気にしていられるくらい、俺の精神状態も落ち着いてきたというわけだ。


(それにしても、本当に獣人しか泊まってないんだな)


 まだ就寝時間には早かったので、食後に宿の敷地を軽く見て回ることにする。


 細長く突き出した鼻口部ノズルを持つ、犬か狼の獣人。


 服を着たとしか思えない熊の獣人。


 猫らしき耳と尻尾を生やした人間に近い獣人。


 王子という立場上、ケイ国を尋ねてきた獣人とは何度も目にしてきたけれど、こんなに近くで接することは滅多になかった。


 そして当然というべきか、獣人達の側も俺に視線を向けてきている。


 俺がここにいることを嫌悪している様子はない。


 どうやら、白龍が連れてきた人間に対する好奇心が理由のようだ。


 あるいは『霊獣たる白龍が同行を許しているのだから、部外者に過ぎない自分達が口を挟む権利はない』と受け止められているのかもしれない。


(……そろそろ部屋に戻るか……おっと!)


 廊下の曲がり角で大柄な獣人にぶつかりかけ、危ういところで体を捻って回避する。


 毛皮に覆われた大男かと思いきや、そこにいたのは人間と見紛う顔立ちの女だった。


 背丈は俺よりも僅かに高く、肌は淡い小麦色で、金髪に近い色合いの髪をたてがみのように伸ばしている。


 獅子ライオンだ。顔は完全に人間のそれなのに、すぐ理解できた。


 実のところ、動物の獅子は雄にだけたてがみがあるらしいが、この獣人は筋肉質ながらも女性だと誰でも分かる体型だ。


 獣人には本物の獅子の特徴が当てはまらない……のではなく、単にこういう髪型なだけだろう。


「おっと、悪ぃ」


 獣人の女はぶつかりかけたことを軽く謝り、何事もなかったかのように通り過ぎようとしたが、不意に足を止めて振り返り――


「……ちょっと失礼」

「うおわっ!?」


 女はおもむろに頭を下げると、俺の胸元に鼻先を近付けてきた。


「むむぅ……気のせいか……」

「な、何だよ、いきなり」

「悪い悪い。探してる奴の匂いがした気がしてさ。空を飛べる虎の獣人なんだけど、見たことないか?」

「いや、聞いたことも」


 自分が空を飛ぶ破目になったばかりだったが、空を飛ぶ虎なんて噂程度にも聞いたことがない。


 というか何故、そんな代物の匂いが俺からしたと思ったのか。


 そもそも空を飛ぶ虎って何なんだ。文字通りの意味でいいのか。


 ごく短いやり取りなのに、やたらと気になる点が多すぎて、どんな状況シチュエーションに置かれているのか問い質したくてしょうがない。


 好奇心が鎌首をもたげてきたところで、宿の廊下の奥から獅子の女を呼ぶ別の女性の声が飛んできた。


「お前! そんなところにいたのか! お嬢が探してるぞ!」

「すまんすまん! 野暮用だ! ……つーわけで、手間取らせたな。んじゃ!」


 話しかけてきたときと同じくらい唐突に、獅子の女は手を振って立ち去っていった。


 遠目に見る限り、先程の声の主も長身の女性の獣人のようだ。


 獅子の女と比べて色白で、相対的にやや細身。


 額から一本の角が生えているが、薄い髪色と色彩が似ているせいで、正面からだと角の存在に気付きにくい。


 あの獣人は、一体どんな動物の特徴を持つ獣人なのだろう。


 知っている動物をあれこれと思い浮かべてみたが、どの動物も該当しないようにしか思えない。


 結局、夜の散歩は気持ちをすっきりさせるどころか、好奇心が満たされないことばかりで不完全燃焼に終わってしまったのだった。

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