第六話 解呪

「……分かった。上手くいくかは分からないけど、試してみるよ」


 無遠慮に曝け出された胸に集中力を揺さぶられながら、その中央に食い込んだ呪いの根に手を伸ばす。


 軽く指先で触れた感触は、まるで瘡蓋かさぶたのようだった。


 僅かに隆起している中心を摘まみ、軽く引っ張ってみる。


「固いな。無理に剥がしたら、痕が残るかも」

「ふふ……」


 俺は真面目な懸念を伝えたつもりなのだが、少女は何故か満足そうに微笑んだ。


「見込んだ通りだ。君ならんだね」


 少女は俺の手を撫でるように、細い指を黒い呪詛の瘡蓋かさぶたに近付けた。


 しかし色白の指先は、黒い呪詛に触れることなくすり抜けて、そのまま素肌に達してしまった。


「力尽くで剥がせるなら、最初からそうしているさ」

「……火の玉を掴めたのと同じってことか」


 にわかに自信が湧き上がってくる。


 本来なら食べるどころか触れられないものでも、食べるためなら触れられるようになるのも異能の一端だというなら。


 触れられたということは、食べられるということのはずだ。


 指先に力を込めて、手始めにこのまま引き剥がせないか試みる。


「ん……くっ……!」


 白い少女が吐息を噛み殺す。


 痛みがあったのかと思って中断しかけたが、少女は眼差しでそれを否定した。


 続行だ。俺が躊躇していたら何も始まらない。


 瘡蓋かさぶたを剥がす感触にも似た手応えを感じながら、少女の胸元に蔓延る呪詛を中心から少しずつ引き剥がしていく。


 この調子でいけば――そう思った矢先、黒い呪詛が抵抗するかのようにうごめいて、俺の指先を力任せに振り払ってきた。


「くそっ! こいつ、生きてるのか!?」

「生きているわけじゃない。ただ、解呪に抵抗する能力も付与されているようだ。渾身の力で試してくれないか」

「渾身の力って言われてもな……」


 指先に込められる力には限度がある。


 さっきも本気で引っ張ったつもりだったが、それでもまだ足りなかったのだ。


 これ以上を要求するなら、やり方そのものを変えなければ。


「……その、念の為に、確認しておきたいんだが。本当に手段は問わないんだな?」

「当然だ。遠慮なくやってくれ」

「分かったよ……すぅ……はぁ……よしっ! いくぞ!」


 必要なのは覚悟だけだ。邪念を意識から追い払う決心さえあれば事足りる。


 俺は両手で少女の肩を掴み、胸の狭間に根を張った黒い呪詛に、直接


 胸元に顔を埋める、なんて艶のある有様じゃない。


 これは捕食だ。狼が獲物の皮を食い破るのと何も変わらない。


 指先など及びもつかない顎の力で瘡蓋かさぶた状の異物を捕らえ、両方の腕力で少女の細い体を突き放し、全身の膂力を総動員して黒い呪詛を引き剥がす。


「んぐっ……!」


 のたうち暴れる黒い呪詛。


 顎と口の動きだけで位置を調整して、呪詛の中核を一思いに噛み砕く。


 口内で苦味が迸り、黒い呪詛は跡形もなく霧散した。


「……ふぅ……これで、どうだ……?」


 少女の肩から手を離し、一歩、二歩と後ずさりながら、解呪の成果をあらためる。


 黒い呪詛は完全に消え失せている。


 胸骨から乳房の周辺に到るまで、きめ細やかな白い柔肌が広がっているばかりだ。


 腹の底から安堵感が止め処なく溢れてくる。


 それと同時に、綺麗な少女の半裸を前にした羞恥心も蘇ってきて、思わず顔を逸らしてしまう。


「ほ、ほら! どうだ! 上手くいっただろ! さっさと服を――」

「ふ……ふふ……はははっ! やった! やったぞ!」


 気が動転した俺よりも更に大きな声で、少女が高らかに笑う。


 直後、眩い光の奔流が周囲を飲み込んだ。


 偶然にも顔を逸らしていたことで、俺はその閃光に目をくらまされることもなく、光の中から飛び出してきたものを目撃した。


 渦巻くような暴風を巻き起こし、細長い巨体が大空へ舞い上がる。


 頭部から生えた二本の角。全身を覆う白い鱗。五指を有する四本の脚。


 純白の龍が、喜びを表すかのように大空で身を翻し、そして俺の目の前に向けて一直線に急降下する。


「白い龍……うわっ!?」


 地面に激突する寸前、龍の身体が光の飛沫と化して弾け飛び、白髪青眼の少女の姿と化して再構成されていった。


「ようやくだ! ようやく取り戻したぞ!」

「ど、どういう……こと、なんだ……これ……」


 目の前で繰り広げられた出来事を理解しきれず、呆然と呟くことしかできない。


 ありのまま言葉にするなら――白い少女が突如として真っ白な龍になり、とてつもない勢いで大空に飛翔し、大きく旋回してから再び地上に降下して少女の姿に戻った――と。


 どういうことだ。まるで意味が分からない。


 しかも姿を変えるときに服を置き去りにしたものだから、今の少女は一糸まとわぬ生まれたままの姿。


 芸術品も顔負けのそれが、余すところなく視界に収まっているというのに。


 羞恥やら邪念やらが湧き上がってくる余地もなく、ただ驚愕だけが思考を埋め尽くす。


「まさか、本当に、龍……うおわっ!」

「ああ! いくら感謝しても足りないくらいだ! 本当にありがとう!」


 感極まった少女が、裸のまま正面から抱きついてくる。


 その香りと柔らかさがになって、俺の意識は完全に固まりきってしまったのだった。

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