第七話 龍姫

 白い少女はひとしきり喜びを露わにした後で、ようやく俺から身体を離してくれた。


「おっと、そういえば自己紹介を忘れていた。僕は……」

「ま、待った! その前に服! 服を着てくれ! 頼むから!」

「そんなに見苦しかったかな。整った造形に仕上がったつもりなのだけれど」

「見苦しくないから問題なんだって!」


 少女は納得できていない顔のまま、とりあえず俺の懇願を聞き入れて、龍に変化するときに脱ぎ捨てた服を着直してくれた。


 これでようやく少女の姿を直視できる。


 俺は心からの安堵の息を吐きながら、白い少女に向き直った。


「改めて名乗ろう。僕はゴウ雪那セツナ。遠慮なく雪那と呼んでくれ」

「……俺は黎駿レイシュン。そのまま黎駿で構わないよ」

「よし、これでお互いにきちんと呼び合うことができる」


 少女――雪那は満足げに頷いた。


 字義通りに解釈するなら『遠くの雪』か『あの雪』といった意味合いだろうか。


 文字の意味をそのまま受け止めたら、俺も『黒い優れた馬』くらいの意味になってしまうので、深く考えるだけ意味はないのだろうけど――何故だか、雪那という名前は物凄くと感じてしまう。


「もう隠す必要はないだろうから、正直に伝えよう。僕の本当の姿は君が目撃した白い龍だ。西海龍王の娘、白龍の敖雪那。人間の国でも、僕の父上の存在は知られているだろう?」

「西海龍王……これまた凄い名前が出てきたな。東西南北の四つの海を分割統治する四体の龍、その西側担当だろ。そりゃあ誰でも知ってるって」


 とはいえ、名前と存在が広く知られているというだけで、西海龍王と人間の国家の間に深い関わりがあるわけではない。


 なにせ、西海龍王の領海と人間の国家は遠く離れているため、わざわざ西海を訪れる人間など滅多にいないからだ。


「実際にこの目で見てなかったら、とてもじゃないけど信じられなかったな……ひょっとして、本当の姿は龍の方だから、裸を見せるのも恥ずかしくなかったってことか? 君が龍だってことは信じざるを得ないとして……龍王の娘ときたか……現実味がこれっぽっちも……」


 ぶつぶつと呟きながら、頭の中で情報を整理する。


 雪那が龍に変身したのは紛れもない事実だ。


 俺が白昼夢でも見ていたのでない限り、そこは否定のしようがない。


 実際に龍を見たのは初めてだけれど、貴人に天命を告げる『霊鳥』なるものが実在している以上、伝説に名高い龍が存在していても不思議ではない。


 羞恥心の薄さも納得できるし、むしろ『これでも人間です』と言い張られるより、遥かに分かりやすいくらいだ。


「……でも、そんな凄い奴がどうしてこんなところに? しかも人間に化けてまで……」

「領海を離れて、見聞を広めるための旅をしていたんだ。その途中で不覚にも呪詛を受けてしまってね。旅の目的が『呪いを解く手段を探す』ことに変わってしまって今に至る、というわけさ」

「一体誰がそんなことを……」

「聞かないでくれ。相手が何者だったのかは、僕自身にも分からないんだ。恐らくは霊獣の類だとは思うのだけれど、なにせ完全な不意打ちだったからね」


 雪那は整った顔を忌々しげに歪めて首を振った。


「僕はあの呪詛に力を吸い取られていた。本来の姿を保つことすら難しくなるくらいに。その点、今の姿は消耗が少ないうえに目立たないから、代替としては最善なんだ」

「まぁ……龍の姿は目立つよな。下手したら悪い奴に捕まってたかも」


 もしもそうなっていたら、間違いなくろくでもない扱いを受けていただろう。


 良くて王侯貴族への献上品。


 運が悪ければ、霊薬の材料と称して解体されてしまったかもしれない。


 罰当たりなことをする奴はそこら中にいるものだ。


「この状態でも並の人間よりは強いつもりだ。その気になれば、昨日の悪漢如きは相手にもならなかった。けれど、正体を知られてしまう危険は冒せない……君に感謝した理由、分かってもらえたかな。あのときは本当に助かったよ」


 気恥ずかしさを感じて髪を掻く。


 つまり、俺の行動は『無力な少女を危険から守った』ものではなかったわけだ。


 それなら感謝する必要はないのでは、なんて考えが浮かんできたが、ついさっき雪那に言い放った言葉がそのまま自分に跳ね返ってくる。


 ――損得抜きで助けようとしてくれた。感謝するには充分な理由だよ――


 正体を知られることなく悪漢を片付けられたとしても、きっと雪那は俺に感謝の念を向けてくれたのだろう。


 俺がそうであったのと同じように。


「さて、次は君のことを教えてもらいたいな」

「……言わなきゃ駄目か?」

「言わなくても構わないよ。ただ単に、僕が君のことをもっと知りたくなった。それだけのことだからね」


 それはずるい。殺し文句だ。


 こんなの答えないわけにはいかないじゃないか。


「無様で情けない話だよ。遠慮なく笑ってくれ」


 俺はこれまでの経緯を雪那に説明した。


 かつてはケイ国の王太子だったこと。


 悪食の天命を授かったせいで廃嫡されたこと。


 国外追放の処分を受け、命からがらここに辿り着いたこと。


 俺が己の恥を語って聞かせている間、雪那は嘲笑わらうことも茶化すこともせず、真剣な面持ちで耳を傾けていた。


「関所を抜けて国境くにざかいを越えたから、ようやく支配の天命の縛りからも解放されて、好きに動けるようになった……というわけさ。面白みのない話だったろ?」

「……今後のことは、もう考えてあるのかい?」

「考える余裕すらなかったよ。追放されたのも突然のことだったし、落ち着いて計画を練る暇もなかったからさ」


 だが確かに、そろそろ今後の計画や目標を考えておくべきかもしれない。


 せっかくケイ国を出るところまでは生き残れたのに、そこから先が無計画ノープランでは野垂れ死にするだけだ。


「けどなぁ……当面の目標といっても、せめて人並みの生活は取り戻したいってくらいしか……まずは衣食住をなんとかするとして、それより先は思い浮かばないな……」

「それなら、僕と一緒に来てくれないか」


 雪那の突然の提案に、俺は驚きを隠しきれなかった。


 とても冗談を言っているようには思えない。


 にわかには信じられないことだが、雪那は本気で俺を誘っているらしかった。


「君のお陰で呪詛は消滅した。ところが、問題はもう一つあってね。実は呪いを受けたのと同時に、大切な『宝珠』を奪われてしまった。あれを取り戻さない限り、完全には力を回復させることができないんだ」



 宝珠というと、彫刻や絵画で表現された龍が持っている球体のことだろうか。


「僕は宝珠を取り戻すために旅を続けるつもりだ。もしも君がよければ、是非とも力を貸してほしい。もちろん無償タダとは言わないよ。龍王ちちの名に恥じない報酬を用意するし、道中でも不自由な生活は絶対にさせない。どうかな?」


 雪那は畳み掛けるように契約条件を並べ立て、ぐいっと顔を近付けてきた。


 ああ、間違いない。これは正真正銘の本気の勧誘だ。


 理由なら幾つか想像できる。


 人間社会に紛れ込むための協力者が欲しかったのかもしれないし、悪食の異能にまだ有用性を見出しているのかもしれない。


 俺としても悪い条件ではないし、それに何よりも――肉親から不要だと切り捨てられたせいだろうか。


 こんなにも強く、自分が必要だと求められているという事実が、本当に嬉しかった。


「……願ったり叶ったりだ。俺からもお願いするよ。一緒に連れて行ってくれ」

「よし! 決まりだ! ありがとう、黎駿!」


 湧き上がる喜びを抑えきれなかったのか、雪那は俺の肩に腕を回して、力任せに身体を密着させてきた。


 細くて柔らかくて暖かくて、そのくせ明らかに人間離れした腕力。


 微かに甘い香りが漂っているのも変化へんげの一環なのだろうか。


「だ……だから! そういうのはさぁ!」


 さっそく幸先が不安になってきてしまった。色々な意味で。

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