小説『ピアノ』 

【エピソード5】


小さな北の町。

私は月に一度ある「ピアノ教室発表会」で、子どもたちと一緒に音楽を楽しむ。

調律は半年に一度になったけれど、ここにはタバコもアルコールもない。

夜は大きなホールのすぐ脇にある楽屋に置かれた。

音がしない建物で一人で暮らすのも悪くない。暗闇さえ怖くなかったら。

子どもたちは緊張した顔で私に向かい、汗ばむ指で私の鍵盤を弾いた。


それは、私の励みになった。

子どもたちというものは、常に不安にかられ、将来を悲観するものだが、決して成長を止めるものじゃない。

伸び盛りの人間とともに過ごす時間は、私を安心させた。

老齢のジャズ・ミュージシャンとばかり時間を過ごしてきたせいだろうか。


ある日、私の住む音楽ホールが火事になった。


浮浪者が北海道の厳冬に耐えかねて、暖をとるつもりだったのかもしれない。

煤にまみれた私は、お払い箱になった。

無用となったピアノがどういう運命になるのか私は知らない。

このまま焼却されるのがおちかな、と私は諦めていた。

神戸の街から東京の雑踏へ、そして北海道。

もう、これで私も十分だ。


暖かい家庭を見た。

円熟したジャズシンガーの魅力も知り尽くした。

伸び盛りの子どもの才能を驚嘆した。

これ以上、私のピアノ人生に何を望むというのだろう。

十分だ。

最後は煤にまみれたが、私は私を演じきったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る