第6話 半日天下

 

「松原~。一緒に帰らない?」


 学校も終わり、学校から解放されたと思い、大きく背伸びをすると、俺の元に4軍の楠木がやって来た。


「ねえねえ。今日さ、松宮と一緒に帰ってどこか寄らない?」

「俺はどうでも良いが、バイトはいいのか?」


 確か楠木は、今日は放課後バイトとか言っていたような気がする。メイド喫茶でパンケーキを出してくれるとか言っていたような。


「それは勿論行くわよ。だからさ、一緒にアキバまで行かないかって事」

「それは良いね~。ホットケーキってある~?」


 もはや瞬間移動でこの教室に現れたと思うほど、一瞬だけ正面から視線を逸らしていただけで、もぐもぐと菓子パンを食っている菜摘の姿があって、菜摘は楠木にそう聞いていた。


「あら? パンケーキじゃなかったの?」

「今日はホットケーキの気分なんだよね~」


 菜摘がホットケーキを食べたいことを聞いた楠木は、急に菜摘の頭を撫で始めていた。


「いいわよ。とびっきり美味しいのを作ってあげる」

「ありがとうございます~」


 楠木に撫でられるのが気持ち良いのか。気持ち良さそうに菜摘は目を閉じて、楠木に頭を撫でられ続けていた。


「……ヒロ君もやって欲しいな~」

「やらんぞ」


 薄っすらと目を開けて、俺の方を見てそう催促する菜摘。そんな事は絶対にやらない。


「何か子猫を撫でているみたい」

「それはよくヒロ君に言われるよ~」


 なぜ菜摘はそんな嘘を楠木に言うのか。そんなこと、今まで一度も行った事無いぞ。

 だが、楠木も菜摘が気に入ったのか、本当の子猫を撫でるように、楠木は菜摘の頭を撫で続けていた。

 バイトの事を忘れて、楠木は菜摘の頭を撫でていたようだ。

 菜摘も何も言わずに、気持ち良さそうに楠木に撫でられている。今朝の嫌な事が吹き飛んだような、楽しそうに撫でていた。

 折角気持ち良さそうにしているのだし、俺は止めないでおこうとしたが。


「虫けら以下の存在の4軍のくせに、何、幸せ空間を作り上げてんだよ」


 俺たちが幸せにしているのが気に入らないのか。単独で不機嫌そうに見事カーストの上位に成り上がった渡邊が話しかけて来た。

 楠木が、変なアルバイトをしていると知った渡邊は、すぐに楠木を裏切り、あっという間に猪俣についた。

 これは教室の前でニヤニヤとこちらを見ている猪俣の指示なのか、それともただ楠木の幸せが気に入らなくて、単独で渡邊が俺たちの空間を妨害してきたのどちらだろう。


「4軍の人間は、1軍の前で笑うことはご法度なんだよ」


 渡邉が偉そうに楠木に忠告していたが。


「頭もいいけど、頬っぺたも撫でてほしいな~」

「頬を? ……あっ、すごくすべすべしてる~!」


 渡邉の話を無視して、楠木は菜摘の頬を撫でることに夢中になっていた。

 菜摘の頬は触ったことは無いが、見た感じだと艶やかで水分がしっかりあるようだ。突っついたらプニプニしていそうで、少し触ってみたい気もする。女子が触ってそう言うのだから、菜摘の頬は本物って事だ。


「ヒロ君。今のうちに、私の頭を撫でてほしいかな?」

「やらんぞ」


 俺に頭を撫でられ、そして楠木に頬を撫でられているその異様な光景。どうツッコんだらいいのか分からなくなる。と言うか、そんな恥ずかしいことが出来るか。


「話聞けよっ!!」


 流石にずっと無視は出来ないか。渡邊は怒りだして、菜摘を突き飛ばして、そして楠木の胸ぐらを掴んでいた。


「虫けら同然のクズの木なのに、何楽しそうにしているんだよ。調子こいているんじゃねえよ」

「……ははっ」

「何笑っているんだよ!」


 渡邊に胸ぐらを掴まれたままでも、楠木は渡邊に向けて、おかしそうに笑っていた。


「……渡邊さん。あんた、かわいそうな人よ」

「どういう意味だよ!」

「それが分からないから、アンタはかわいそうな人って事」


 楠木に笑われ、主導権を握られ、渡邊はさらに怒りだし、楠木を突き飛ばして、そして渡邊はポケットからスマホを取り出して、楠木に渡邊のスマホの画面を見せつけていた。


「クズの木!この写真をネットにあげてやる!」


 渡邊が楠木に見せつけた画面には、それは楠木が体操服に着替えている最中の写真だった。楠木はこちら側に背中を向けていて、下着のみの姿になっていて、セミロングの髪の毛を持ち上げているところの写真だった。

 きっと楠木を更に屈服させるために、背後から撮った写真なのだろう。これは盗撮。立派な犯罪だ。そして無断でこの写真をネットにあげることも犯罪に当たると思う。


「この写真をネットにあげられたくなければ、素直に言う事を聞きなさい」

「いいわよ。素直にあんたの言う事を聞いてあげる。その代わり、その写真を私の目の前で消して。そうしたら、どんな願いでも聞いてあげる」


 楠木の反応が意外だったのか、渡邊は一瞬だけ固まったが、すぐに嬉しそうな顔になった。


「シャッター音ぐらい聞こえていたわ。きっと私を脅迫させるために使うと思ったんだけど、本当に使ってくるとは思っていなかったわ。1枚だけじゃないはずよ、それ以外にあと5枚。全部消したら、アンタの下僕になってやるわ」

「……けど!」

「悪い話じゃないはずよ?その盗撮写真を消したら、私はあんたの下僕になるの。どんな無理難題なお願いでも、その写真を消すだけで、なんでも聞いてあげる。さあ、どうする?」


 楠木は結構頭が良いのかもしれない。主導権は完全に楠木が握っている。楠木が1軍で、渡邊が4軍のようだ。

 そして問い詰められた渡邊は、この話が両方得すると理解すると、渡邊はスマホの画面を楠木に見せつけて。


「消してあげる。ちゃんという事を聞けよ」


 本当に楠木の盗撮写真を樟の目の前で消した渡邊。これで楠木の取引は成立した。


「ありがとうございます。流石とっても偉い渡邊様ね」

「じゃあ優しい渡邊様の言う事を聞けよ。そうだな……」


 渡邊が楠木のパシリの命令を考えていると、楠木は俺の横にやってきた。


「……こういう事でいいんでしょ?松原?」

「……様子見ながらだな。……あまり言う事を聞きすぎるのも、かえって逆効果だ」

「分かった」


 渡邊が考え込んでいる間、楠木は俺に顔を近づけてきて耳打ちをしてきた。

 昼休みに俺が思いついたコツコツ積み立てるクーデター作戦。言う事を聞いている素振りだけ見せておいて、実際にはやらない。その作戦がうまくいくといいが……。


「クズの木。銀座の方に行って、10万円以上の化粧水を買ってこい。淫乱なバイトをしているんだから、金ぐらいすぐに貯まるんだろ?」


 取りあえず、バイトで稼いだ金を消費させたいようで、渡邊は金銭的なパシリばかり命令をする。


「分かった。えっと、10万円以上の化粧水を銀座で買って来いと……」

「何書いてんだよ」


 楠木はメモ紙を取り出して、渡邊に命令されたことをメモしていた。その光景を疑問に思った渡邊が楠木に尋ねると、楠木は丁寧な説明をした。


「渡邊様が、私のミスで怒らないようにするためのメモ。買い忘れないようにね。あ、そうだ。他にも買ってきてあげるわ。何が欲しい?」

「ははっ。ようやく私のパシリらしくなってきたじゃない。あとは、高級なネックレスと指輪に……」

「ネックレスに指輪……」


 あまり言う事を聞きすぎるなとは言ったが、楠木は一体何を考えているんだ?まさかとは思うが、本当に買ってくる気じゃないよな?


「私は帽子が欲しいな~。ヒロ君が私にメロメロになるぐらいの、可愛い帽子がいいな~」


 途中から話を聞いていたのか、菜摘が楠木に欲しい物をおねだりしていた。


「松宮は松原がメロメロになるぐらいで、抱き着きたくなるような可愛い帽子が欲しいっと……」


 その菜摘のおねだりもちゃんとメモをしていた。この様子だと、本当に渡邊と菜摘の分まで買ってきそうだ。


「あとはピアス。それを今日中に買ってこい」

「化粧水にネックレスに指輪。そしてピアス。分かった、じゃあ代金を今日中に用意しておきなさい」


 楠木の言葉に、渡邊は顔をキョトンとさせていた。


「な、何言ってんだよ! お前の淫乱なバイトで稼いだお金の使い道を決めてやったんだよ! なぜ私が払うことになるんだよ! 全額、お前が負担しろよ!」

「私はパシリで下僕なんでしょ? 偉い偉い渡邊様の代わりに、わざわざ銀座の方に足を運んで代わりに買ってきてあげるって言うの」


 楠木がそう言うと、再びイラついた渡邊は楠木の胸ぐらを掴んだ。


「タダで買えるはずないじゃない。どんなチンピラだって、パシリに使う時はお金を渡すわよ。世の中、そんなに甘くないわよ」


 そして楠木は渡邊を鼻で笑った後。


「ちゃんとお金をくれるなら買ってきてあげるわ。まあ、最後まで話を聞かずにいい話に食いついたのがダメなのよ。渡邊さん?」

「く、クズの木ー!!」


 楠木にバカにされてキレた渡邊は、本気で楠木にビンタしようとしていたが。


「あんたは降格ね」


 渡邊の背後に猪俣が立ち、そして渡邊の後ろ髪を思いっきり引っ張っていた。


「4軍に舐められ、そして4軍に主導権を握られて、4軍が提案したうまい話に簡単に乗る。1軍にしてやろうと思ったけど、こんなのが1軍にいたら、1軍の威厳が損ねるわ」


 猪俣は渡邊の髪を持ったまま、渡邊を教室の床に叩きつけて、床に転倒させ、大きな音を立てて、渡邊はうつ伏せで倒れた。


「渡邊。あんたはD軍に降格よ」


 猪俣が渡邊に向けて聞いた事のない階級を言った。1軍や4軍は分かるが、D軍とは一体どこのくらいなのか。


「4軍の更に下。ゴミは英語でDUST。その頭文字のD。つまりゴミの扱いとされるのがD軍。4軍はパシリとして使ってあげるけど、D軍は、他人に見向きもされない石ころのような存在」


 猪俣は何て恐ろしい事を考えるんだ。

 D軍はつまり誰にも必要とされない、どんなに目立つ行動をしても、無視をされる階級って事だ。4軍でパシリに使われる、肩身を狭くして過ごすより、誰にも見向きもされない方がもっと辛いだろう。


「もし、これに話しかけようとするクラスメイトがいると言うなら、そいつもD軍に降格よ。ゴミはゴミ同士で気が合うって事だし、それと憎まれている1軍に話しかけられないのよ? あんたたちにとっては、そっちの方が都合がいいんじゃない?」


 本当にこの猪俣って女は、恐ろしい事を考える。ちゃんと俺らが1軍や2軍を恨んでいる事を知っているから、そんな偉そうな態度を取れるし、そんな恐ろしい階級を作り出せる。


「ま、所詮はゴミって事よ。ゴミ、アンタは少しは友達は大切にしなさい。すぐに強い立場につこうとして、私に胡麻をする態度はマジで不快だったわよ。それとカーストで上の立場だからと言って、ずっと威張り散らして良い事なんて無いのよ。威張り過ぎたら嫌われるのは同然。ま、ゴミだから難しい説教しても分かんないわよね。行きましょ、日下部」


 投げつけた時に千切れた髪を渡邊の背中にかけて、そしてずっと猪俣を待っていた日下部と一緒に廊下を出て行った。


「……ねえ、紗良。……一緒にパックでも行かない?」


 猪俣が出て行った後、D軍に降格された渡邊は、今度は4軍の楠木にまた仲良くなろうとして、今朝の態度で楠木と再び仲良くしようとしていたが。


「べー」


 それは楠木もまた渡邊と仲直りをしたいと思わないよな。渡邊に向けてあっかんベーをしてから、楠木は俺の元にやって来た。


「松原。今日は私の奢りでホットケーキを奢ってあげる。あと、松宮にはホットケーキも作ってあげる」


 俺には笑いかけて、アキバのメイド喫茶で奢ってくれると言ってくれた。

 渡邊が降格されたことで気が晴れたのか、楠木はスカッとした顔で俺の横に立った。


「私がメイド服で作って、それで奢ってあげるって言っているんだから、もちろん松原は来るわよね?」

「だが流石に、女子に奢ってもらうのは申し訳ないし、料金は払わせてくれ」

「男がネチネチ言わないのよ。折角奢るって言うのだから、素直に女の子の言う事は聞く。いい?」


 楠木にジト目で俺は怒られてしまったので、俺は申し訳ないと思うが、楠木の提案を飲んだ。

 昨日のあのメイド姿で俺のためにパンケーキを作ると思うと、それは男の俺にとってはとても嬉しい。こんな冴えない俺のために作ってくれると思うと、正直なところ今からでも楽しみで仕方がない。

 下心丸出しで、すぐに行くとは言えなかったので、俺は楠木に女々しい男だと思われてしまったかもしれないが、これはこれでオッケーだ。


「楠木さん。フレンチトーストってある~?」

「あら?ホットケーキじゃないの?」

「何だか、フレンチトーストが食べたくなってきて~」


 相変わらず菜摘のマイペースは絶好調だ。だがマイペースにころころと食べたいものを変えてくる菜摘でも、楠木は菜摘の頭を撫でて菜摘のお願いを快諾していた。


「松原。4軍同士でこれからよろしくね。あと松宮も猫みたいで可愛いし、もっと仲良くなりたい。それを含めて、今日は美味しいパンケーキ、フレンチトーストを作ってあげる」


 そのきらりと光るような、嬉しそうな顔で俺に笑いかける楠木。楠木は俺をどう思っているのかは知らないが、猪俣がカースト制度を作ったおかげで、俺はアキバのメイドにパンケーキを奢ってもらえることになった。

 もしこのカースト制度が無ければ、俺は楠木に話しかけられる事は無かっただろう。こう言ったところは、猪俣に感謝してしまう。


「……」


 だがそのかたわらに、すべてを失った渡邊は、教室に残っていたクラスメイトに話しかけていたが、先程までの態度、それで猪俣が決めた制度のせいで、一向に相手される事無く、行き場を失った亡霊のように彷徨い続けていた。

 渡邊は、もう少しで1軍まで上り詰める所だったが、威張り過ぎたせいで、最悪のD軍に降格され、三日天下ではなく、半日天下で終わった。


 それは当然の結果だろう。すぐに友達を裏切り、そして強い物に付こうとする。それは典型的に嫌われる人間だ。


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