第5話 4軍への誘い
「ちょっとクラスのみんな~。聞いてください~」
翌日。朝のHRが始まる前に、スクールカーストの頂点に立つ猪俣が俺たちに呼びかけていた。
「このクラスの中に、密かに淫乱なバイトをして、しかもキモオタがいます~」
そう猪俣が言うと、俺の少し離れた左斜め上の席の楠木が、肩をビクッとさせて表情をこわばらせていた。
新宿駅のホームでで4軍の俺と楠木、それと菜摘が、1軍の猪俣と日下部に遭遇した。
どうやら渋谷で服の買い物をして、その帰りだったようだ。
俺たちの反対のホームの緑の電車から降りて、新宿駅で乗り換えようとしたら、偶然にも俺と楠木が話している光景を見て、そして気づかれないようにひっそりと盗み聞きして、楠木がメイド喫茶でアルバイトしていることを聞いたらしい。
そして楠木がメイド喫茶でアルバイトしている事を知った猪俣は、楠木をゴミで見るような目で見下し、そして楠木の服に唾を吐き捨てて、楠木が乗るはずの黄色い電車に乗って行った。そして今に至る。
「2軍の
楠木。やはり降格されてしまったか。
猪俣の宣告を聞いた他のクラスの奴らは、楠木の方を見てひそひそと話し始めて、次第には楠木を冷ややかな目で見るようになった。
「……ねえ、紗良。……淫乱なバイトって何?」
「た、ただの――」
「タダで男性客に良い事をする仕事よ」
いつも仲良さそうに話している渡邊が、アルバイトの内容を楠木に聞いて、渡邊に説明ようしようとしたら、猪俣は大きな声で樟の言葉を遮っていた。
「言ったでしょ? 恋愛経験のない世の男性をもてなし、奉仕をするために、高校生と言う未熟な体で、関東の男性客に良い事をする仕事が、楠木の淫乱なアルバイトらしいわよ。そうでしょ、楠木?」
全く出鱈目な事を説明する猪俣に、もちろん楠木は反論した。
「で、出鱈目言うんじゃないわよ! 何!? メイド喫茶でアルバイトする事って、ダメな事なのっ!?」
「私は事実を言ったまでよ。あんたこそ出鱈目言うんじゃないわよ。昨日さ、ちゃんと私の目の前で口頭で説明したじゃない」
「していないわよ! あんたが勝手に思い込んで――」
楠木が反論をしている最中、猪俣の制服のポケットから小さなボイスレコーダーを取り出していた。
『アルバイト~? 猪俣、内緒なんだけどさ~、私は男性にご奉仕するアルバイトをしているの~。私の体で――』
そのボイスレコーダーから再生されたのは、間違いなく楠木の声だった。ノイズ混じりだったが、声は紛れもなく楠木紗良。本人の声だった。
俺は真横にいたから知っているが、楠木はそんな話を一切していない。となると、この楠木の声は、誰かが編集して、楠木を脅迫させて、4軍にさせるために作ったって事か? 楠木を徹底的に追い詰めようと、手の込んだ工作をしているようだ。
「これでも出鱈目って言う?」
「違うわよ! 私はそんな事を言わない! ねえ、
窮地に陥った楠木は、親友の渡邊に助けを求めていたが。渡邊は楠木の手を引っ叩いた。
「触んな!」
さっきまで仲良さそうに話していたとは思えない、思いっきり楠木の手を払って、飼い主におねだりする猫のように猪俣に寄り添っていた。
「猪俣さん~。放課後、予定って空いてる?」
その光景を見た俺は、凄く恐怖を感じた。
さっきまであんなに仲良かった楠木と渡邉が、楠木が淫乱な事をして、そして4軍に降格されると、すぐに手の平を返して、1軍の猪俣に接近していた。渡邊、あいつは凄く恐ろしい女だ。
「あら~? 楠木はいいの~?」
「楠木……? そんな人、私の仲良い人にはいないいない。 ねえ、放課後にパックでも寄らない? 新作のハンバーガー出たみたいだからさ、食べてみたい」
「いいわよ? そうね、他のクラスの人も誘って楽しく食べましょうか。仲良くね?」
あっという間に、猪俣に手の平を返した渡邊は、あっさりと猪俣に気に入られていた。こういう光景を見ていると、女って怖いと実感して思う。
涙を溢して絶望している楠木を見て、猪俣は我が子のように渡邊の頭を撫でて、嫌な微笑みを浮かべていた。
「2軍と3軍の人たちも、変な隠し事はいずれバレるのよ。隠し事なんかしていたら、あの淫乱女みたいになるから」
猪俣がそう言うと、クラス中は静まり返って、そしてHRの開始のチャイムが鳴り響いた。
今朝のHRの出来事は余程みんな効いたらしい。
メイド喫茶でアルバイトしているのに、ヤバいアルバイトをしているとクラスで有名になった楠木は、誰も寄り付かないようになっていた。
そして猪俣と日下部は、楠木を『クズの木』と呼び始め、周りの1軍と2軍の奴らに広めようとしていた。
「クズの木。変な事して稼いだ金でさ、パン買って来いよ」
そして昼休みになると、渡邉が楠木の前に立ちはだかった。
猪俣にあっという間に気に入られた渡邊は、すっかり猪俣と意気投合し、渡邊はクラスの中で威張り散らしていた。
そして偉そうな態度を取りながら、楠木の前髪を掴んでそう命令していた。
「……」
何も反論しない楠木。前髪を掴まれても、楠木は無表情で渡邊の顔を見つめていた。
「猪俣様と日下部様。そして私の分を至急買ってこいよ。変なバイトしているんだから、金は持っているんでしょ? 4軍のクズの木。さっさと買って来いよ」
「……」
そして楠木はフラフラになって席を立ち、そして渡邊の言う通りにパンを買いに教室を出ようとしたが、扉の前で待ち構えていた日下部が、楠木の足を引っかけていた。
「ちゃんと足元見て歩きなさいよ~」
思いっきり転倒した楠木は、日下部に怒ること無く、すぐに立ち上がって教室を出て行った。
そしてその光景をバカみたいに大笑いする日下部と渡邉。その笑いが不愉快で仕方がない。
クラスで圧倒的に権力を握る1軍の奴らに立ち向かう奴がいれば、楠木のようにあっという間に奴隷と化してしまう。
そうなるのが嫌だから、誰も楠木をかばおうとはしないのだろう。
よく漫画やアニメのキャラに、正義感の強い委員長がいる。
だがこのクラスにはそう言うキャラのクラスメイトは存在しないようだ。そう言った人物がいてくれたら、このクラスも少しはマシになってたかもしれない。
「今日のお弁当は何なの? ヒロ君」
「さあな、いつも通りに煮物と卵焼きのパターンだろ……って、菜摘。お前いつの間に現れた?」
「たった今です~」
ほんの数秒前までは、菜摘は俺の席の前にいなかった。
だが、ほんの数秒だけ鞄から弁当箱を取り出すために視線を逸らしたら、前の席に菜摘がちょこんと座っていた。
菜摘の奴。本当にいつの間にか現れる時があるから凄く怖い。これもマイペースの性格のせいだからか?
「ヒロ君。今日は私とヒロ君ともう一人で、一緒にお弁当を食べてもいいかな?」
「……誰だよ。あまり知らん奴と食べたいと思わないんだが」
ここで菜摘の提案を否定しても、菜摘のマイペースで俺の意見は無視するだろう。
机の横にかけてある鞄から水筒を取り出して、そして再び正面を向くと。
「……ど、どうも」
何故か渡邊のパシリとして使われていた楠木が、気まずそうに俺の横の席に座っていた。
「……なぜ楠木がいるんだ?」
俺が楠木に聞こうとすると、代わりに菜摘が答えた。
「一人で歩いていたから、声をかけたんだ~」
昨日、少し話しただけでも、もう菜摘にとって友達のような感覚なのだろう。無表情で歩いていたはずなのに、よく話しかけられたな。
「早速食べましょうか~。ヒロ君、私のコロッケあげるから、ヒロ君のお母さんが作った煮物をください~」
「……ほらよ」
「ありがとうございます~」
なぜうちのおふくろの料理が好きな菜摘。だからよく俺の家に遊びに来る一つの理由なのかもしれない。
筍の煮物を菜摘にあげて、俺は菜摘が作ったコロッケをもらい、そしてそのやりとりを見ていた楠木は。
「……やっぱり彼女じゃない」
そう呆れた様子で、楠木は俺たちにそう呟いていた。
「彼女だなんて、照れるよ~」
菜摘は楠木の言葉が嬉しかったのか、少し頬を赤く染めて筍の煮物をチビチビ食べていた。
「……今はあいつらはいないわよね」
楠木は教室の一帯を見渡すと、俺の方に顔を向けて、俺の肩に手を置いてきた。あいつらと言うと、安藤や猪俣たちの子を差すのだろう。
「松原。あんたも4軍なら、一緒にあいつらに復讐しない?」
今の楠木は本気だ。
目にはあいつらを見返したい執念のようなものを感じる。あんな仕打ちに合ったのだから、今の楠木は腸が煮えくり返るような、怒りの感情しかないのだろう。
「……策はあるのか?」
「……それがないから、こうやって松原に協力を求めているのよ」
まあ、俺もこのくそったれのカースト制度には反対だ。これを賛成しているのは、1軍と2軍の奴らだけ、上層部にいる者だけだ。
「俺もこのアホらしいスクールカーストには反対だ。大体の奴は反対だとは思うがな。いいぞ、協力する」
「ありがと、松原」
4軍と言う立場の低い同士で、仲間が出来たことが嬉しかったのだろう。楠木はメイド喫茶で働いているメイドのような、可愛らしい微笑みをしていた。
菜摘と同様、楠木も見た目には何も文句はない女子だ。だから2軍と言う立場にいられたのだろう。
「楠木さん。私も入れて欲しな~」
仲間外れだと思ったのか、菜摘は楠木の腕を引っ張って、1軍の奴らに見返すグループに入りたいと思ったようだ。
「仲間は多い方がいいわよね。松宮さんも協力してくれるなら、私も心強いわ」
「任せておいて~」
この態度だと、菜摘は俺と楠木がなぜ協力しようとしているのか分かっていないだろう。まあ、どんな理由だろうが、菜摘は俺がいるなら、例え火の中水の中。地獄の果てまでついてきそうだ。
「それでどうしようっか?」
本当に楠木は何の考えも無しに1軍の奴らに復讐しようとしていたようだ。
入学式初日。猪俣がこのカースト制度を取り入れようとした理由を言っていた。
それは自分が他の人と同列になりたくない。自分は頂点に立ち、目上の立場に着く。そして優劣をつけて自分は女王様気分を味わいたい。簡単に言うと、そんな理由だ。
「……なら、サボタージュ作戦か」
「ポタージュ作戦? 美味しそうな名前だね~」
「菜摘。お前は煮物でも齧ってろ」
菜摘がそんな難しい名前を知っていると思っていなかったが、案の定だった。
「……ワ、ワタシエイゴワカラナイデスネー」
こんな怪しい片言の日本語になるって事は、楠木も知らないようだ。
中学校で習ったはずなんだが。菜摘は俺と同じクラスだったから、当然聞いているはずだが、すっかり忘れているようだ。
「……つまり、今の楠木の事を差すんだよ」
そう言っても楠木は首を傾げていた。
「なら、サボるって言葉は分かるだろ?」
「うん。それならよく知っている」
「そのサボるって言葉の、『サボ』って言葉は、俺がさっき言ったサボタージュの『サボ』なんだよ。つまり、俺たちは1軍の奴らがどんなに命令されても、聞くだけは聞いておいて、実際にはやらない。命令をサボる、すっぽかすって作戦だよ」
俺がそう説明すると、楠木はようやく合点が付いたようで、手の平をポンと叩いていた。
「けど、そんな事したら、あいつらの報復が怖くない?命令を背く人は、お仕置きするって言っていたし」
「いや。意外とこういう作戦が聞くかもしれないんだよ。例えるなら王様と家来。威張り散らしている王に嫌気が差した家来は、愛想が尽きて命令を聞かなくなり、最悪はクーデター、反乱を起こす。そうすると一気に王の人気は落ちるし、権力も無くなり、他の家来からも信用を失う。そして失脚。それを狙うしかない」
咄嗟に思いついた作戦だが、果たしてそれがうまくいくのか。それは俺も分からん。
渡邊や日下部、佐村はこの制度を利用して上手く上にいるだけなので、すぐに俺たちの4軍入りに出来るかもしれない。
だが、安藤と猪俣は頭の切れる奴だ。このクラスの頂点に立つ2人は、容易く失脚は出来ないだろう。
「……やっぱりその作戦しかないのね。……私さ、一応その作戦も考えたの。あいつらの命令を素直に聞くのも嫌だし、買いに行くふりをして、さっきゴミ箱に捨ててあったパンを見つけたから、それをあいつらにあげようと思ったの」
「いいんじゃないのか? 俺らをパシらせる事がダメなんだから、あっちも文句は言えないはず。立派なサボタージュ……、いや、立派なクーデターだな」
この場合はサボタージュではなくて、立派な反乱だろう。作戦はクーデター作戦にするか。
「……いきなり王を狙うのは無理だから、まずは今日の数分で見事に成り上がった渡邊を奈落の底に落とすか。渡邊なら、すぐにボロが出そうだしな。どうする?」
俺がそう問いかけると、楠木は大きく頷いた。
「一人だと出来ないと思ったけど、松原がいるならなんかうまくいきそうな気がする。……やってやろうじゃない! 松原、やってやるわよ!」
「あれ? クズの木さん~?」
渡邊の復習に燃え上がっている楠木だったが、呑気に俺らと会話して、パンを買いに行かなかったことが気に入らなかったのか。イライラして話しかけてきた渡邉に声をかけられると、ビクッとしていた。
この空気はまずい。またこの教室の空気が悪くなってしまう。
「パンはどうした? 空腹で死にそうなんだけど。なあ、私と猪俣様と日下部様の分は――」
「買ってあるわよ」
制服の上着のポケットから、楠木は渡邊に向けて何かを投げつけていた。
「……何よ、これ」
「あんたたちが欲しがっていたパンよ。まあ、購買近くのごみ箱に捨ててあった物。誰かの食べ残しだと思うけど、3人に分けるなら丁度いい量なんじゃない?」
樟の話を聞いた渡邊は、楠木からもらったパンを地面に投げつけて、楠木に掴みかかっていた。
「4軍のくせに、なめた事すんな!」
「渡邊。今ここで殴ったら、スクールカーストの更に上に立つ、先生と言う奴らに制裁をくらうことなるんだが、それでもいいのか?」
俺がそう言うと、渡邊は楠木を解放した。流石に先生と言う単語を言うと、渡邊も手を止める。これは意外と使えるパターンかもしれない。
「俺は渡邊の行動を止めたわけじゃないぞ。あくまでもスクールカーストの上に立っていてほしい渡邊様の為に、4軍の松原が忠告しておいただけだ」
「……ふん。……いいわよ。……忠告ありがとう、松原君」
不機嫌そうに鼻を鳴らし、渡邊は俺たちの元から離れ、2軍の生徒の所に話しに行った。
「……弱気になるなってことだ。強気になれば何とか行けるだろ」
「……この作戦はありかもね。松原、4軍同士、あいつらに立ち向かいましょ」
楠木は俺の腕に抱き着いてそう言ったので、俺は楠木の容姿、他の女子にこんなに好印象を持たれていることが、照れてしまい、顔を赤くして楠木から顔を逸らした。
「何だか、少年漫画のような展開だね~」
今の出来事があっても、菜摘の奴はマイペースに弁当を食って、お茶を飲んでいた。
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