第256話 何故、それ程に“支配”を望むのですか?
兄と妹が居た時はそれなりに賑やかだったが騒がしくはなかった。
新たに屋敷にやってきた、リリィとタンカンは『昼夜の境界』が近い故に、ナイト領での立ち回りを慎重に行う旨をルークから説明される。
そして、夕飯は交流の意味も兼ねて四人で囲む。タンカンに関してはリリィにかなり鞭を貰ったのか謎の首輪をつけて大人しくスープを飲んでいた。
「……味がしないよぉ! パンばかりで、肉がない!! 量も少ないぃぃ!!」
「タンカン様、まずはコレに慣れなさい! お腹が空けばその蓄えている脂肪が勝手に消費されますことよ!」
「アリシアちゅあん! 何か作ってぇ!」
「このブタっ! 妻を横に他の淑女に眼を移すなんて……ブタっ!」
「帰りたいぃ!」
「…………」
「あはは……」
ブラッドとアリシアは目の前の調教に何と言って良いかわからない。ただルークは微笑ましく笑っていた。
次の日からリリィはタンカンに農作業を手伝わせる為に共に領地内を回る。
タンカンは毎回動くことを渋っており、ブタぁ! とリリィから鞭に打たれてようやく動く形だった。しかし、ある日を境に積極的に取り組む様になった。
「……一体、何があったのですの?」
「ブラッド様。何か知っていますか?」
「さぁな」
ブラッドのかわすような言葉にアリシアはタンカンと何かあったと推測するも、良い方向に向かってる様子に追及を止めた。
その後、ブラッドが当主になってから初めて領内で祭りを開催したり、ベクトランからの招待状にて『コロッセオ』に出場したり、作物に被害が出る魔物の大移動の対策を四人で考えたり、タンカンが野菜の出荷に関して自分の持つルートを提供したり、リリィが領内の警備体制と自警団を指導したり、各々の誕生日を祝ったり――
リリィとタンカンが着てから6年の月日が流れ、ナイト領は昔以上の活気に溢れて行った。四人の食卓も日々の成果と明日の動きなどを話し合うモノとなり、各々でやるべき役割をこなし、深い絆で繋がっていく。
だが、別れはやってくる。
「それでは世話になりましたわ」
「本当にありがとう、二人とも」
リリィと痩せたタンカンはナイト領から首都へ戻る事となったのだ。
元々はタンカンの体型と食生活の改善の為にやってきたのだが、思いの外居心地が良く4年で帰れた所を6年居たのである。
「お父様が帰れ帰れとうるさいので、一言ガツンと言ってきますわ!」
「リリィ、僕はガルライド家を継ぐ為に本格的に父上の片腕として動く。君の用事が済んだら一緒に行こう」
「当然ですわ! アナタは私が一生眼を光らせるの! せいぜい、またこの首輪をつけられない様に気を付けることね!」
太っていた時にリリィの意思で強制的に痺れさせる首輪はここに来て3年目には外れている。二人は領民達からも、馬車二つでは収まりきれない野菜を貰っており、首都から護衛の衛士達もやってきていた。
「お手紙をお書きしますね」
「達者でな」
アリシアとブラッドの言葉を受け、ガラガラと馬車は屋敷より出立。屋敷が静かになった様子に二人の間にはほんのり寂しさが流れる。
「洗濯を取り込みますね。『陽気』が多いと乾いた後も気持ちが良いですから」
「……アリシア」
仕事に移ろうとした彼女にブラッドは声をかける。
「君は帰らないのか? もう6年だ」
「まだ
「アリシア」
「何度も呼ばずとも居なくなったり致しませ――」
ブラッドはアリシアを抱き寄せるとその首筋に吸血牙を優しく突き立てた。そして、少しだけ血を啜り、ゆっくりと離れる。
「その……なんだ……ここまで待たせてしまってすまない。君をずっと側に欲しい」
真剣に彼女の眼を見てブラッドは告げる。
「――私は6年前からそうでした、ブラッド様」
頬を赤らめながらアリシアは微笑み応えると二人は夫婦となった。
二年後。
ブラッドは兄と妹を含める、ナイト家の墓石の前に花を下ろす。
「父上、母上、兄上、エマ。俺はずっと一人で良いと思っていたが……周りはほっといてくれないらしい」
名声など要らない。ただ、両手に抱きしめられるだけの家族が居ればそれだけでいいと今は亡き家族へ伝えた。
「ブラッド様。奥様が産気付いたご様子です」
「ああ。すぐに行く」
長子ネストーレの誕生は誰よりも祝福されたモノだった。
ネストーレは泣き、歩き出し、本を読み始め、アリシアと手を繋いで笑う。そんな
アリシアは付きっきりでネストーレの側に居るが、ブラッドは常に屋敷を空ける。一人で領内を回ることが多くなった事で、兄の遺した言葉を考える機会が増えたのだ。
“我々で終わりに……せねばならんのだ……この連鎖を……”
兄は何を言いたかったのか。ネストーレを見る度にこれが間違いのような気がして心がざわめいていた。
そんな、ブラッドの心象をアリシアはすぐに感じ取る。
「アナタ、今日は後ろに乗っても良いですか?」
一日だけ、ネストーレの世話をルークに任せてアリシアは数年振りにブラッドの馬の後ろに乗り共に領内を回る。
「ネストーレの世話は良かったのか?」
「ええ。あの子も十分に自分で考えられる歳になりました」
「そうか。もう……5歳か。早いモノだな」
寝食こそ同じだが、昔ほどに二人きりになる時間は減った故に、夫婦としての会話は久しぶりだった。
「…………ネストーレが苦手だ」
手綱を握りながら操馬するブラッドが呟く様に告げる。その言葉にアリシアは少し驚いたがすぐに微笑むと、
「何故、それ程に“支配”を望むのですか?」
予想だにしていなかった妻の言葉にブラッドは思わず驚いた。
「……君には俺がその様に見えているのか?」
「アナタはいつも、自身よりも他人の事ばかり気にかけています。己が“支配”すれば二度と失わないと言わんばかりに。だから、どの様に接すれば良いのか分からないネストーレが一番大切なのですね」
「……厳しく接すれば良いのか……誉めれば良いのか……考えれば考えるほど、ネストーレの前に立つ意味を見つける事が出来ん」
「父親で良いのです。“家族”に支配は要りません。手を取ってくれればネストーレもアナタの気持ちを理解してくれますよ」
そう告げるアリシアはブラッドの背にゆっくりと寄り添った。
「いつの日か、ブラッド様は大きな決断をするでしょう。その時はご自身の為の選択をなさってください」
「……明日、ネストーレとお前と、こうやって領内を回ってみるか」
「ええ。とても素晴らしいお考えです」
ギクシャクしながらも、アリシアが間に入りつつブラッドは少しずつネストーレの手を握る。
そして、数年後……第二子であるメアリーが産まれた。
ネストーレとメアリーは走り回ると言うよりも、座って景色や本を眺める事が多く、ブラッドとしては『陽気』を避ける性格であると良い方向に捉える。
特にメアリーに関しては、これはなに? これはなに? と知らない事や物に対しては良く質問してくる。その為、ルークが常に付きっきりで世話をしていた。
「やれやれ。私はここまでですな」
そんなルークも起き上がる事が難しくなり、伏せる様になった。長年『陽気』に当てられ続けた弊害。ナイト領に居なければ、まだ生きられただろう。
「ブラッド様。これは私が選んだ人生。あなた様が責任を感じる必要はありません」
「よくぞ、ナイト家を支えてくれた。ルーク……お前は私と兄上にとって師であり父親だった」
「――もったいなきお言葉です」
安らかに眠ったルークを領民と葬儀に参列したリリィとタンカンが共に見送った。
同時にブラッドはアリシアの事が気にかかる。
「大丈夫よ、アナタ。私は大丈夫」
どうにか出来ないかと、常に考えていた。
夜と太陽。この違いだけで本来の命を削られる理由が納得出来ない。
ナイト家の血筋は長くこの地に居るために『陽気』に対して多少の耐性はあるものの、妻は違う。
そして、その形が目に見えて現れたのはアリシアがミッドを身籠った時だった。
出産が近づいたある日、倒れたと言う報を受け、仕事を中断すると馬を即座に屋敷へ駆る。到着をメイド長が出向かえた。
「ブラッド様!」
「倒れたと聞いた。容態は?」
「今は意識もハッキリしておられますが……」
ブラッドはアリシアが伏せる寝室の扉を開ける。
「アナタ」
「……顔色は良さそうだな」
真っ暗の部屋で僅かな光源のみで照らされる部屋。外の光を完全に遮断し、ネストーレとメアリーが心配そうにアリシアへ寄り添って眠っていた。
「少し立ちくらみをしただけですよ。ミッドはとても元気な様です」
男でも女でもミッドと言う名をつけることを既に決めている。ブラッドはアリシアのベッド脇に座ると彼女の手を握る。
「身重だ。あまり動き回るな」
「わかっていますよ」
その時はそう告げて場が収まった様に見えたが、ブラッドにはわかっていた。
アリシアの身体は思った以上に危険な状態にある。しかし、こちらの知識ではどうする事も出来ない。
「…………」
ソレに最後に話しかけるのは20年以上前だった。だが……『陽気』の扱いに置いて頼れる者は他に居なかった。
「ライラック。約束を覚えているのなら……応えてくれ」
トーテムポールにそう告げると、ザザザ……とノイズの用な音ともにライラックが現れた。その姿は20年前と比べて少しだけ老けた様だった。
「久しいな、ブラッド。息災か?」
「……妻を助けて欲しい」
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