第254話 ブタを調教する場が必要なのですわ
「おい……俺の後ろに隠れるな」
「お前っ!」
案の定、巨漢の視線はブラッドへ向いた。
なんだ、なんだ? と物見さにパーティ会場から他の貴族達とスピルが注目してくる。
「アリシアちゅあんは、ぼきゅのだぞ! はぁ……はぁ……」
「…………」
喋るだけで息が上がってる。相当な肥満体質だとブラッドは見る。
「だっはっは。バードン卿。これはどういう事ですかなぁ?」
「見ての通りです、ガルライド卿」
すると、両家の当主が現れた。ガルライド卿は酒に酔っている様子で状況を楽しんでいるが、アリシアの父――バードン卿は目くじらを立てている。
「お父様! 私には想い人がいらっしゃるのです! この方……ナイト卿です!」
その言葉に会場がざわめく。
ナイト卿? 誰だ?
どっかで聞いた事があるなぁ……
昔の地図に確か領地名が乗ってたな。
それ、今は消えてるだろ?
ああ、あの安くて旨い野菜のトコの。
「お父様! ナイト卿は皆様がざわつく程のお方です!」
はぁ……とバードン卿は呆れて額に手を当てた。そして、
「ナイト卿。貴方に真意を聞いても宜しいですかな? 貴方は娘と、どの様な関係で?」
その言葉に全員が注目する。ブラッドが否定してくれればこの茶番も全て終わりだ。
そして、ブラッドはこれ以上の面倒事はゴメンだった。
「彼女と私は――」
その時、アリシアはブラッドの前に回ると身長差に背伸びし、その首筋に、ぱくっ、噛みついた。そして僅かに吸血を行う。
キャー! と見ている女性陣は声を上げて、男性陣は唖然とする。
男女の吸血を行為は、相手の血を自分のモノにすると言う宣言の様なモノ。つまり、アナタの全てが欲しいと言う、プロポーズだった。本来なら挙式のトリで行うモノである。
アリシアはブラッドからナイト離れると、口の端から血を滴らせながら父親へ向き直り、
「恋人、です!」
「お……お前は……公衆の面前で……な、なんと言う事を!!」
「まだだお! アリシアちゅあんは、ソイツから吸血されてない! ぼくきゅが救う!」
ビシッ、と巨漢にブラッドは指を刺される。
「たっはっは! 良いぞ、息子よ! やれやれー!」
ガルライド卿は息子の動向の全てを酒の肴にしていた。
「ふむ。そう言う事であれば、私が場を用意しよう。決闘だね」
そこへ、
「ブラッド様。気を確かに持ってください」
「はっ!?」
ルークに言われて我に返ったブラッドは皆に注目されてつつも額に手を当てた。そして、先ほどの茶番を思い出し、
「……ルーク。何故お前は止めなかった?」
「私はガルライド卿と話しておりましてな。野菜の取引が決まりましたぞ」
「それは良くやった。だが……」
むふー! と動きやすいように上着を脱いで肥満気味な上半身を晒す巨漢は、やる気満々だった。
「何故こうなる?」
「ガルライド卿は豪胆なお方です。此度の件はあまり気になされていないご様子ですが、タンハン様とバードン卿は納得しておらぬ様ですので」
「…………」
ブラッドは上着を脱ぐと側にいるアリシアに手渡す。
「ナイト卿――」
「いいか?」
何か言いたげなアリシアの言葉を遮ってブラッドは告げる。
「後悔するなよ」
「あ……は、はい……」
その強い瞳はアリシアから巨漢――タンハンへと移る。ワイシャツの袖を捲りながらブラッドは決闘に応じる様に前に出た。
すると、立ち会うようにスピルが両者の間に立つと確認する様に両者へ説明する。
「此度の決闘は格式の差を持ってして行われる。ナイト卿、ガルライド卿の子息であるタンハン殿が貴方に直接この決闘を挑まれた。だが、貴方はこれを拒否する権利がある。いかがかな?」
「決闘に応じます。結果に対していかなる異議申し立てもしません」
「ぼきゅも!」
二人の意思が間違いなくこの決闘を望む事を確認したスピルは微笑む。
「武器は素手。動けなくなった方が敗者。タンカン殿の要求だが、ナイト卿はこのルールに準じるかい?」
「問題ありません」
「ぼきゅも!」
両者、躊躇いなく宣言する。
突然始まった余興のような決闘。周りに余計な被害が生まれない様、衛士達がブラッドとタンハンを囲む。
準備が整った様子にスピルが高らかに宣言する。
「それでは始めたまえ!」
ふわっ……と空気が変わった。
パーティーに浮かれる和やかなモノから張りつめたモノへ。
体格はふた回りもタンハンが大きく、打撃など無効だと言わんばかりの肥満体質でずんずんとブラッドに近づく。
その様子は慣れた足取りで、何度もこの様な経験がある様だった。
でゅふふ。こいつも小さいぞぉ。今回も掴めば簡単に手に入りそうだぁ。でゅふふ。
タンハンは何度が父親へ欲しいモノをねだった時に、その度に決闘をしてきたのだ。
甘やかされて育てられたとは言え、ある程度は自分の力で欲しいモノを手に入れる様に突き放される年齢。タンハンは自堕落な生活を維持する為に己の体格を武器にして決闘を繰り返してきた。
条件は武器なしの素手。いつもなら個人的に貯め込んだ資産を引き合いに出し、相手を納得させるのだが、勝負が始まれば関係ない。
掴むか組み付けば終わりだからである。
「ぐふふ」
アリシアちゅあん。待っててねぇ。ぼきゅは君で今夜卒業――
その時、ブラッドの姿が消え、変わりにタンカンの目には地面が起き上がって来た。
え? なんだぁ? これぇ? 地面近いよぉ? あれ? 王城が傾いて――
そのまま、ズウゥゥン……と転ぶようにタンカンは前のめりに倒れる。何故こんな事になったのか理解できぬまま、目と口を開いて床とキスをしていた。
「目の前の存在から意識を反らすなど、小卯でもやらないぞ」
タンカンに背中を向けるように位置が入れ替わったブラッドは振り返る様にそう告げた。
その勝負の行方を理解できる観客達は本当に少なかっただろう。
近づくタンカンに対してブラッドは腰を落として迎え撃つ様に構えていた。
そして、タンカンの意識が逸れた瞬間にブラッドは動いた。タンカンの顎をかすらせる様に拳を当て、彼の脳を揺らすとそのままダウンさせたのである。
「なんだ今のは!?」
「一瞬で位置が入れ替わったぞ!?」
「タンカン様が一撃!?」
「何をした!?」
アリシアも何故タンカンが倒れたのか理解できなかった。
衛士がタンカンの様子を確認し、スピルにアイコンタクトを送る。
「勝者、ナイト卿。思った以上に実力差があったようだね」
「まだ、『マッドベア』の方がマシでしたな」
「な、何が……起こったのですか?」
アリシアも理解が追い付かなかった。
タンカンが近づいていたら突然倒れた。他の者達と同じ様に状況の理解が追い付かない。
「生物の欠点を的確に突いたのです、アリシア様。あの程度、ブラッド様には雑作もない事です」
だっはっは! 負けたなぁ、息子よ!
と、笑うガルライド卿の声と、バードン卿の訝しげな視線をひしひしと背に受けながらブラッドは、スピルに失礼します、と一礼してルークとアリシアの元へ戻ってくる。
「ルーク帰るぞ」
「その方が良さそうですな」
余計な事が起こる前に場を退散する事を選択する。ブラッドはアリシアから上着を受け取った。
「アリシア殿。後にナイト領に参られよ。良いな?」
「は、はい!」
全くのノーマークだったナイト卿の異質な様を目の当たりにし、ブラッドが去った後でも、場のざわめきは止まらない。
タンカンをノックアウトしたブラッドの動きを理解する者が会場に二人だけ居た。
「ベクトラン。貴方はどう見ていましたの?」
「ブラッド・ナイトは『太陽の戦士』を容易く抑え込む実力者だ。当主になってから衰えているどころか、鋭さが上がっている。タンカンがああなる事は
扱いと習得が難しいとされる『雷魔法』を使ってブラッドはタンカンを無力化したのだ。前々から考えていた理論。経路を作る事で敵に急接近する技は必中必殺となる。
その更にブラッドの練度はかなりのモノだと見て取れた。
「私が考えていた理論をナイト卿は既に実用的に……。ナイト領……興味がありますわ」
「あの領地は『陽気』が強い。薄い毒霧に包まれている様なモノだ。ナイト家の血筋以外は近づかぬ方が良い。長生きしたければな」
「そうは言って居られませんの。バードン卿とのお約束で、あのブタを調教する場が必要なのですわ」
「お前も大変だな。リリィ」
首都衛士隊、総司令の娘であるリリィ・ヴェンダースは倒れているタンカンへと歩み寄った。
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