第2話 祈り



 全身を襲う激しい痛み。


 バーバラはゆっくりと目を開く。


 どうやらあの後川に落ちて助かったらしい。見知らぬ川岸に流れ着いていた。


 背後から突き刺された胸の傷からは、今もドクドクと血液が流れ続けている。


 今はまだ生きているが、助かったとは言い難い。


 カウンターマジックで全身は大やけど、胸には心臓を貫かれた穴……人並外れて頑丈なバーバラとはいえ、命が尽きるのは時間の問題だろう。


 なぜこんなことになった?


 朦朧とする意識の中、バーバラは考える。


 子供の頃から剣一筋で生きてきた。


 騎士とは民草を守る刃であると、父に鍛えられ剣を振り続けた。


 酒も飲まず、賭け事もせず色恋にも走らない。ただ正義の刃たらんと愚直に生きてきたつもりだ。


 死にたくない。


 正義のために生きた自分が、あんなくだらない理由で命を絶たれるなんて間違っている。


 バーバラは歯を食いしばり、最後の力を振り絞って立ち上がった。


 木々がうっそうと茂っている。


 ゴツゴツとした小石が足の裏の柔らかな肉に突き刺さるが、そんな事を気にする余裕もなかった。


 一歩、一歩ゆっくりと前に進む。


 こんな状況だ。どうあがいても助からないかもしれない。


 しかし、だからといって生を諦めることなんかできなかった。


 頭に浮かぶは自らを陥れた仇敵の顔。


 ギリリと歯を食いしばる。


 あの綺麗なすまし顔をずたずたに切り裂いてやらなければ気が済まない。


 だから………………………………死ねない。


 突如開けた場所に出た。


 明らかに人工的に木々を切り倒し、確保されたスペース。


 その中央には粗末な石造りの祭壇が鎮座していた。


 霞む目をこすって祭壇を確認する。


 しばらく手入れされていないのだろう。植物のツタが巻き付いて見づらいが、どうやら祭壇に刻まれているマークに見覚えがありそうだった。


 よろよろと祭壇に近づいてそっと植物のツタをどかす。


 石造りの祭壇にでかでかと刻まれていたのは、かつて世間を騒がせた邪教徒のシンボルマークであった。


 確かそれは神を冒涜する異界の邪神を信奉する新興宗教で、多量の命を生贄にして邪神をこの世界に呼び出そうとたくらむとんでもない集団だった。


 当時騎士として邪教徒たちと刃を交えたことを覚えている。


 バーバラは顔を皮肉気に歪めた。


 何の因果かわからないが、正義のために正しく生きた自分の死に場所は、邪教徒の祭壇らしい。


 何という皮肉。


 自分のこれまでの行いなんて、何の意味も無かったのだ。


 …………ならばもういい。


 どうせもうこの命は尽きる。ならばくれてやろうじゃないか。


 邪神だか異界の神だかしらないが、この命を捧げて祈りを捧げよう。


 バーバラは自身の胸に空いた穴に手を突き入れ、心臓を抜き取って祭壇に掲げた。


「願わくば……あの忌々しい女に地獄を味合わせて……」


 そして、バーバラはそのまま息絶えたのだった。
















 そう、思っていた。


 ハッとバーバラは目を覚ます。


 いつの間にか日は暮れ、周囲は夜の闇に覆われている。


 自分は死んだのではなかったのか?


 バーバラは自身の胸の傷に手を当て……その傷がすっかり塞がってしまっている事に気が付いた。


「……どういうことなの?」


 月の光が祭壇に差し込む。


 バーバラの血で真っ赤に染まっている邪神の祭壇には、先ほど自分でくりぬいた心臓が捧げられていた。


 胸に当てた手から鼓動は伝わってこない。


 どうやら死んでいるらしい……。


「……これが答えだというの?あの女に地獄を味合わせるのはこの私だということ……?」


 そしてバーバラは火傷でボロボロになった顔に、ゆっくりと歪な笑みを浮かべる。




「あぁ……あぁ!感謝します!感謝します邪神さま……私…きっとあの女の心臓をこの祭壇に捧げるわ!」



 夜の闇に、バーバラの狂ったような笑い声がこだまするのだった。



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