第七話 全てはこの瞬間のために

 前方甲板で繰り広げられる激戦を、俺達は艦橋から見守ることしかできなかった。


 アヤとローエングリンの二人がかりの猛攻を、ウルフラムはわざとらしいくらいのノーガードで正面から受けきり、神聖杯の力を吸い上げた霊力防壁で無効化し続けている。


 その鉄壁ぶりはむしろ今まで以上だ。


「やはり想定通りですわね。天界に近く、エーテルに満ちたこの空間では、神器の力が地上よりも増大する……代わりに邪竜由来の力が減衰するとはいえ、このままでは……」

「……あの幽霊が、サーシが呼んでくれた魂が言ってた通り……」


 エヴァンジェリンとエリシェヴァの二人は、艦橋の大窓にギリギリまで顔を寄せて、自分達の騎士の護衛騎士の戦いを不安そうに見守っていた。


 甲板で交わされたやり取りは、アヤが開いた通信チャンネルを通じ、リアルタイムで俺達の元に届いている。


 ウルフラムはこちらが取りうる手段を尽く読み切っている。


 神器ネクタールを強制停止させられる距離の限界も、俺がベイルアウトを発動させる瞬間の予兆も、全て計算に入れた上でアヤ達を圧倒しているのだ。


 これ自体は不思議でも何でもない。


 原作のウルフラムも、回を重ねるごとにベイルアウトへの対応に慣れていき、簡単には逃げられないようになっていったのだから。


 そう、ここまでは想定の範囲内。


 後はタイミングだ。スキルを使うタイミングさえ見誤らなければ――


「ああっ! アヤ!」


 エヴァンジェリンが悲痛な声を上げる。


 ウルフラムの強打の直撃を受けたアヤが、まるで人形のように吹き飛ばされて、艦橋下部の外壁に叩きつけられたのだ。


 先程の演技とは違う正真正銘のダメージに、辛うじて保たれていた均衡が破れた。


 間違いなく、ウルフラムは勝負を決めに掛かるだろう。


 切り札を切るべき瞬間は、今をおいて他にない。


 決断が一秒でも遅れただけで、きっと全てが終わってしまう――俺はそんな確信めいた衝動に突き動かされ、叫ぶように最後の一手を実行に移した。


「ベイルアウト!」


◆ ◆ ◆


「来たか!」


 咳き込み蹲った聖騎士アヤの傍らに、特徴的な霊力場の歪みが発生する。


 それは紛れもなく、空間転移の予兆であった。


 竜騎士ウルフラムはその瞬間を見逃すことなく、無駄な抵抗を続ける聖騎士ローエングリンを蹴り飛ばし、大剣を歪みの中心めがけて投げ放った。


 二人の天使達の護りは脆い。


 特にエヴァンジェリン・ルクスデイは霊力防壁すら持たず、この一撃で息の根を止めてしまえば、強制停止命令を発動させることは叶わない――はずだった。


「ぐうっ!?」


 ところが、投擲された大剣の切っ先が捉えたのは、脆弱な天使などではなく。


「……いくぞ、アヤ!」


 戦士とは到底程遠い風体の青年が、大剣の直撃で防壁の半分を打ち砕かれながらも、精霊武器の大型拳銃を右手に構え――


「ええ、待ってた」


 聖騎士アヤがその銃把に左手を添えて――


「エレメンタル・バレット!」


 ――銃口から目も眩むほどの閃光が迸った。


 それはさながら、水平に放たれた嵐の雷光。


 落雷じみた衝撃が巨体を吹き飛ばす。


 肉体が宙を舞う数秒、裏切りの騎士は理解した。


 この一撃こそ本命。重ねに重ねた策の終着点。


 天使も神器も聖騎士も、この一撃を撃ち込むための布石に過ぎなかったのだと。


◆ ◆ ◆


 覚醒奥義エレメンタル・バレット。原作におけるレイヴンの最大攻撃手段。


 一連の作戦は、こいつをウルフラムに叩き込むための下準備だった。


 何も考えずにぶっ放しても、原作ゲームと違って防御なり回避なりで対処されるのは、火を見るよりも明らかだ。


 だから、何としてもウルフラムの隙を引き出す必要があった。


 エヴァンジェリンとエリシェヴァが大窓の前に立ち、アヤとローエングリンが艦橋の近くにウルフラムを誘い込もうとする――これならきっと、ウルフラムは俺達が『神聖杯ネクタールの強制停止』を狙っていると思い込む。


 後はアヤが頃合いを見てやられた振りをして、一か八かの賭けに出て神器を強制停止させようとしたと見せかければ、必ずウルフラムはその隙を突こうとする。


 最速最短、迅速果敢。真っ向切っての全力突撃。


 そこに油断と戸惑いが加われば、いくら俺が銃の素人でも、直撃させられる可能性は大幅に上がるはず――不確定要素の多い詰将棋のような作戦だったが、どうにかここまでやり遂げることができた。


「はぁ……ふぅ……レイヴン、ウルフラムは……くうっ!」


 しかしウルフラムを相手に『苦戦した演技』をするのは極めて難しく、アヤは本当に限界寸前まで追い詰められてしまっていた。


 霊力防壁は消滅ギリギリまで損耗させられ、体力もかなり消耗させられている。


 よろめきながらも立ち上がるアヤに肩を貸しながら、ウルフラムの方に顔を向けてアナライズを発動させる。


 あの巨体が叩きつけられた金属製の柵は、まるで飴細工のように折れ曲がり、衝撃の凄まじさを如実に物語っていた。


「ウルフラムは……」


 ――――

 NAME:WOLFRAM

 ランク:☆☆☆☆☆ レベル:100/100 属性:火・竜

 HP:201502/300000 ATK:21000

 ――――


「削れたのは三割ちょいってところだな。分かってはいたけど、完全に無傷だ」

「……味な真似をする。天使二匹を囮に使うとは。だが……惜しかったな」


 ――――

 HP:250337/300000 ATK:21000

 ――――


 ウルフラムが歪んだフェンスから身を起こす。


 もう一押しあれば、あるいはウルフラムを甲板から叩き落とせたかもしれないが、それじゃ意味がない。


 この高度から落としたとしても、仲間のドラゴンに回収されて倒しきれず、俺達を付け狙い続けるに決まっているのだから。


 ――――

 HP:289150/300000 ATK:21000

 ――――


「二重三重の奇策、悪くはなかった。しかし一手足りなかったな」

「いいや……俺達の勝ちだ」

「……何?」


 ――――

 HP:29■■48/3■000■ ATK:21000

 ――――


 ウルフラムの全身を覆う霊力防壁が激しく揺らぐ。


 ――――

 HP:■9■■48/3■0■0■ ATK:21000

 ――――


 弱まるのではなく、むしろ強く、更に強く。


 ――――

 HP:■■■■■■/■■■■■■ ATK:21000

 ――――


 強くなりすぎた力が行き場を求めて暴れ回り。


 ――――

 HP:■■■■■■■■■■■■/■■■■■■■■■■■■ ATK:21000

 ――――


 ウルフラムの肉体を、エネルギーの濁流が内側から突き破った。


「があああああっ!?」


 光の奔流がウルフラムの全身のあちらこちらから溢れ出し、霊力防壁のみならず肉体までもひび割れさせていく。


 原作における神器奪還作戦の結末、それは奪われていた雷霆槍ケラウノスの暴走だった。


 レイヴン達に追い詰められた実行犯の獣人は、邪竜から与えられた力の全てを振り絞ってケラウノスを振るったが、結局は制御しきれずに自滅を遂げてしまう。


 今、ウルフラムにはそれと同じことが起きている。


 エーテルに満たされたこの境界領域は、神器の力を高め、逆にそれを抑え込んでいた邪竜由来の力を弱らせる。


 その状態で霊力防壁に大ダメージを与え、回復のために神器の力を普段以上に引き出させることで、意図的に暴走を誘発させる――これこそが俺の作戦の中核だった。


 俺は戦士でもなければ騎士でもない。


 元々はただの一般市民で、この世界でもしがない運び屋だ。


 正攻法でウルフラムを倒せると思う方が間違っている。


 だから、運び屋らしく。


 奴をこの場所に『運び込むこと』で決着をつけようと決めたのだ。


「小癪、なぁっ!」


 ウルフラムが吼え、自分の胸に腕を突き立てる。


 そして苦悶に歯を食い縛りながら、ぶちぶちと嫌な音をさせて何かを引きずり出した。


「があっ!」


 甲板に投げ捨てられたそれは、純金よりも強く輝く金属盃――神器ネクタール。


 俺だけでなくアヤまでも唖然とする中で、ウルフラムの肉体を破壊しながら溢れ出ていた光が瞬く間に収まって、代わりに凄まじい炎が吹き出した。


「何だ!?」

「ウルフラム本来の精霊術! どこまで悪あがきを……!」

「もはや神器など不要! 貴様ら如き――」


 次の瞬間、一条の閃光がウルフラムを貫いた。


 胸に穿たれる大穴。

 甲板で戦っていた誰もが言葉を失い、そして閃光の発生源を見上げた。


 甲板の大窓が内側から砕け散り、その向こうで二人の天使――エヴァンジェリンとエリシェヴァが力尽きたように膝を突き、リネットとサーシが慌てて駆け寄る姿が見えた。


 ウルフラムを穿った閃光が幾何学的な軌跡を描いて舞い戻り、落雷じみた轟音を立てて甲板に突き刺さる。


 ――雷霆槍ケラウノス。


 グラティアの艦橋に接続されていたはずの神器がそこにあった。


 作戦開始の直前、エヴァンジェリンとエリシェヴァは、サーシからなにかの説明を受けていた。


 あれはまさか、ケラウノスの発動手段を確かめていたのか。


「っ……!」

「なっ! アヤ!?」


 突然、俺に寄りかかってどうにか立っていたアヤが、信じられないほどに力強い踏み込みで駆け出した。


 そして既に死に体と化したはずのウルフラムに、袈裟懸けの斬撃を叩き込む。


「……くく……ははは……!」


 瀕死とは思えないほどの哄笑が響き渡る。


「天使が手を汚したことにならぬよう……裏切り者の息の根を止めに掛かったか……愚かにも程がある……天使のための汚れ役……所詮、聖騎士とはこういうもの。そんな生き方に、一体何の価値があるというのだ……」

「それが裏切りの理由? 舐めんじゃないわよ」


 アヤは剣を引き抜き、血に塗れた切っ先をウルフラムに突きつけた。


「あんたは命を懸けてもいい誰かを見つけられなかった。命を懸けてもいいと思ってくれる誰かとも出会えなかった……私達とは違ってね。だから負けたのよ」

「ふ……小娘が。随分と言うようになったものだ……」


 ウルフラムは血反吐を垂れ流しながら、口の端を吊り上げた。


 壊れかけていた柵が限界を迎え、ウルフラムの体を支えきれずに破断する。


「貴様、いや、貴様らが、最期まで意志を貫き通せるか……一足先に、あの世で見物させてもらうとしよう……」


 ウルフラムがエーテルの夜空に落ちていく。


 戦いの決着はとても静かで、息をする音すらも大きく聞こえる。


 勝利を実感することすら覚束ないまま、ただ呆然としていた俺の視線の先で、力尽きたアヤがぐらりと崩れ落ちる。


「アヤ!」


 反射的に駆け出し、危ういところでアヤの体を抱き止める。


「……あははっ! やったわね、レイヴン!」


 いつもの不敵な笑みとはまるで違う、屈託のない笑顔。


 原作における最後の登場シーン、エヴァンジェリンと最後の別れを交わしたときの微笑と似ているようでいて、あのときにはない感情が胸を打つ。


 別れの悲しみを紛らわすために作った笑顔などではなく、心の底から湧き上がってくる喜びが自然と形になった笑顔。


 ああ――全てが報われたような気持ちだ。


 これまでに何度も危険に身を投じたことも、死ぬ気で知恵を絞ってきたことも、それどころか元の世界で死んでしまったことすらも。


 気恥ずかしくて言葉にはできなかったけれど、エーテルの輝きに照らされたアヤのこの微笑みを、こんなに近くで見つめることができた――それだけで――


◆ ◆ ◆


 男は、死にながら空を落ちていく。


 胸に穿たれた大穴。胴体を袈裟懸けに横切った深い切創。


 いずれも議論の余地なく致命傷。男の死は不可避の結末だ。


 後悔はない。


 敗北に対する口惜しさと忌々しさはあるが、天使教会を裏切らなければよかったという思いはまるで湧いてこなかった。


 最終的な結論として、男は己の死を受け入れた。


 天使教会を裏切り、聖騎士団を裏切り、その過程で踏みにじった天使の縁者に殺される――裏切り者の末路としては上等だ。


 意識が闇に消える直前、男は己に力を与えた邪竜の言葉を思い出す。


 小さな島を軽々と砕くほどの巨体を持ちながら、華奢な女型の有機端末を好んで使う変わり者だ。


 どうせいつもの戯言だろうと相槌も打たずに聞き流し、この瞬間まで記憶の片隅にすら浮かんでこなかったが、今となっては到底無視できるものではなかった。


 ――僕達の運命は始めから決まっている。忌々しいことにね。

 少なくとも当面の間、君が死ぬことはないし、僕が滅ぶこともない――


 ――だけど、もしも君や僕が殺されたとしたら。

 天使でもなければ騎士でもない、名もなき誰かに殺されたのだとしたら――


 ――その誰かは、運命の破壊者だ。世界を改竄する大詐欺師だ。実に羨ましい。

 本当に現れたとしたら、是非ともお近付きになりたいものだね――


 男は、声もなく大笑した。


 まさかこの期に及んで、未練が湧いてくるとは思いもしなかった。


 本当に運命が決まっているなら不愉快極まりなく、その運命を破壊する者が現れたなら痛快極まりない。


 それを誰よりも早く理解させられながら、しかし見届けることは叶わない。


 ここで死にたくはなかった。もう少し先を見てみたかった。


 男は感覚が途絶えた腕を空に伸ばし、何かを掴もうとするかのように空を掻き、最後の意識の一欠片を手放した。

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