第六話 TAKE ME HIGHER

「飛空艇グラティア――発進!」


 爆発的な衝撃。全身に襲い掛かる圧倒的な加速度。


 雲海の分厚い雲を引き裂いて、グラティアの白い艦体が夜明けの空へ飛び出していく。


 しかしそれでも加速は止まらず、ただひたすらに上へ、ただひたすらに高く。


 発射された砲弾のような斜めの軌跡を描きつつ、シップレック・ベルトの残骸の合間を貫いて、ただひたすらに加速を重ねる。


「はははははっ! 凄ぇ! 凄ぇよレイヴン! これがグラティアの!」


 リネットの歓喜の声が艦橋に響き渡る。


「艦長! 前方に霊力反応! ハルシオン卿です!」


 ブラウニーの報告を受け、猛烈な加速度に耐えながら目を凝らす。


 急角度で上昇するグラティアの船体。


 ハルシオンはその針路を真正面から逆行し、脇目も振らずに急降下してきていた。


(さすがはハルシオン! 角度も時間もリクエスト通りだ!)


 瞬き一つの間に僅かな距離が塗り潰され、あわや正面衝突と思われたその瞬間、ハルシオンは曲芸じみた高速回転で軌道を捻じ曲げて、グラティアとの接触を紙一重で回避した。


 そして、ハルシオンの背後に隠れていたもう一つの影――ドラゴンの背に乗ったウルフラムの姿が露わになる。


 ウルフラムの目的が、不死身の理由を知る者を消すことだとするならば、俺達と接触した可能性のあるハルシオンを見逃すはずがない。


 ましてや自分自身の手で対処しないはずがない。


 だが、今回ばかりはその慎重さが命取り。


 ハルシオンは作戦通りに囮となり、必死に逃げ惑う振りをして、ウルフラムをグラティアの進行方向上に誘き出したのだ。


「いっけぇっ!」


 グラティアの船首が情け容赦なくドラゴンに直撃する。


 船体に衝撃が走り、昏倒したドラゴンが艦橋側面の大窓を掠めるように落ちていく。


「や、やりましたの!?」

「ちょっと! 縁起でもないって!」


 エリシェヴァが口走った危うい一言に、エヴァンジェリンがすかさず反応する。


 相手はウルフラムだ。これで倒せるなら苦労はない。


 ドラゴンから叩き落として雲海の底まで落ちてしまえば、あるいは二度と戻って来られなくなるかもしれないが、どうせそれも淡い期待だろう。


 ウルフラムに同じ手が――グラティアによる突撃が二度も通じるとは到底思えない。


「グラティア! 状況は!」

「霊力反応、依然として変化なし! ウルフラムはなおも健在! 本艦の船首に取り付いているようです!」


 高速飛行する飛空艇の先端に生身でしがみつく。

 それがどんなに異常なことなのか、現実の飛行機を思い浮かべれば分かるだろう。


「作戦通り! 出力を上げろ! 空の果てまでぶっ飛ばすぞ!」


 高く、高く、更に高く。


 まるで夜空を貫く一条の光のように、白い船体が飛翔する。


 無数の残骸が漂うシップレック・ベルトを飛び出して、浮遊島から見上げていた雲より高く舞い上がり、遂には空に輝く星々の領域へ。


 ――これは比喩表現なんかじゃない。


 この世界の星は現実の宇宙とは根底から違う。


 星々は宇宙の遥か彼方ではなく、球形の世界を覆うようにして、空の上層に散らばっているのだ。


 まさしくそれは星の大海。


 加速を停止して安定軌道に入ったグラティアの真横を、小さな星が――凝縮したエーテルの光球が横切って、艦橋を一瞬だけ眩しく照らし上げる。


 神秘的な光景に思わず呼吸を忘れてしまう。


 手を伸ばせば本当に届いてしまう星々の只中で、グラティアは加速と上昇をゆるやかに停止させ、船体を平衡状態へと戻していった。


「……綺麗。これが天界……天使の故郷……?」


 エヴァンジェリンが零した呟きに、エリシェヴァが緊張した声色で答える。


「いいえ……天使教会の伝承が正しければ、ここはまだ天界と人界の狭間、境界領域のはずですわ。天竜戦争の終結以降、この領域に到達できた記録は……」

「見惚れるのは後だ。ここからが正念場だぞ」


 俺は急いで艦長席から離れ、二人の天使を連れて艦橋の大窓の前に駆け寄った。


 ウルフラムが巨体に不釣り合いな身軽さと器用さで跳躍し、艦首側面から前方甲板の先端付近に飛び移る。


 それと同時に、前方甲板とグラティアの艦内を繋ぐ扉が開き、二人の聖騎士、アヤとローエングリンが武器を手に進み出た。


 俺の隣で、エヴァンジェリンとエリシェヴァが不安に息を呑む。


 グラティアの体当たりでウルフラムを倒せないことも、それどころか振り落とされずに追い縋ってくることも想定の範囲内。


 ここからが正念場だ。


 俺は大窓に手を置いて前方甲板を見下ろしながら、湧き上がってくる焦燥感をどうにか抑え込むのだった。


◆ ◆ ◆


 ――前方甲板で剣戟の嵐が巻き起こる。


 聖騎士アヤ、聖騎士ローエングリン、そして裏切りの黒騎士ウルフラム。


 名実共に人類の上位層に名を連ねる二人の聖騎士が、上級精霊から与えられた精霊武器の剣を振るい、旋風の如き斬撃を絶え間なく繰り出し続ける。


 対する黒騎士は防御を試みる素振りすらなく、あらゆる角度から繰り出される斬撃を鉄壁の霊力防壁で受け止めながら、規格外の大剣で二人の聖騎士を幾度も弾き返していた。


「ぐうっ……!」


 横薙ぎの斬撃が二人の聖騎士を防御の上から吹き飛ばす。


 アヤとローエングリンは受け身も取れずに甲板に叩きつけられ、艦橋の真下で倒れ伏し這いつくばったまま、どうにか立ち上がろうと足掻いた。


 ところが、この誰の目にも明らかな好機を前に、ウルフラムは甲板の中央辺りで足を止め、一歩たりとも動こうとしなかった。


「見るに耐えん三文芝居だ。貴様らの企みはとうに見え透いている」


 ウルフラムは吐き捨てるように言い切った。


「飛空艇の突撃はあくまで布石。他の飛空艇では到達不可能な高度まで上昇し、俺を孤立無援の状態に置いて撃破する……悪くない策だ。しかし、それすらも見せかけの偽装に過ぎまい。本命は神聖杯ネクタールの強制停止……違うか?」


 貫くような殺意を帯びた視線が、グレイル級巡航飛空艇の艦橋を――否、その大窓の傍で戦いを見守る二人の天使を睨み上げる。


「艦橋という安全圏からでは、強制停止命令を甲板全体に届かせることは到底不可能。俺を効果範囲内に誘い込むために芝居を打ったようだが、あまりにも不出来だ。敵を騙す演技の教練は受けなかったか? 聖騎士団の質も落ちたものだな」

「……黙って聞いてたらペラペラと。あんたってこんなにお喋りだっけ? 訓練教官だった頃は、指示以外に喋ったとこ見た覚えがなかったけど」


 アヤが苦しみ悶える演技を止め、涼しい顔をして立ち上がりながら、服に付いた汚れを払い落とす。


 それに続いて、ローエングリンもまた平然と身を起こした。


「邪竜教団に鞍替えをして人格でも歪んだか。少なくとも正気ではあるまい」

「これは降伏勧告だ。貴様らが取るであろう次善の策は、あの男の空間転移系精霊術だろう。天使を甲板に送り込み、標的を強制停止命令の効果範囲内に捕捉する……確かに厄介な精霊術だが、もはや発動の予兆は見切った。三度目はないと思え」


 シェパード島における救出作戦、グラティア甲板における攻防。


 スキル『ベイルアウト』は二度に渡ってウルフラムの裏を掻いた。


 しかし裏を返せば、スキルの発動を間近で二度も発動したことにより、発動の予兆や能力の制約を見切る機会を与えてしまったとも言える。


「天使共と神器を差し出せ。そうすれば残りの者達の命は保証してやろう。裏切り者の死霊術師も見逃してやらんでも――」


 ウルフラムの言葉が終わるよりも早く、アヤが神速の踏み込みで斬撃を叩き込む。


 頸を正確に捉えた刃。表情一つ変えない裏切りの騎士。


 アヤは不敵な笑みを浮かべてウルフラムの要求を笑い飛ばした。


「理解できた? これが答えよ」

「……貴様は変わらんな。たかが追放天使如き、執心する価値などないだろうに」

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