第五話 作戦決行
――長い夜が明けて、いよいよ決行の時が来た。
艦長席に深々と腰を下ろし、作戦に向けた最後の準備が進む艦橋を見渡す。
正面を見れば、大きな窓の外は白一色。
まともな飛空艇では潜ることもできない雲海の色。
時計の表示が正しいなら、雲海の外はもうじき日の出を迎える頃合いだ。
右を見れば、サーシが二人の天使に作戦の内容を改めて説明している。
詳しい内容まではよく聞き取れなかったが、きっとこれまでの説明の振り返りをしているのだろう。
エヴァンジェリンもエリシェヴァも緊張で強張った顔をして、真剣にサーシの説明に耳を傾けていた。
左を見れば、徹夜明けのリネットが座席に深々と腰掛けて、興奮を抑えきれない様子で両足をぶらつかせている。
リネットの仕事振りは万全だ。
本当に一晩でグラティアの修理を完了させ、作戦を問題なく実行できるくらいに仕上げてくれた。
しかし、さすがにこれ以上の仕事を押し付けるような余裕はない。
艦橋での作業はブラウニーズに任せて、リネットには休んでもらおうと思ったのだが、本人の強い希望で作戦を特等席で見届けることになったのだった。
「レイヴンさん。いよいよですね!」
不意に声を掛けられて振り返ると、椅子に座ったままの俺に視線を合わせたエヴァンジェリンと目が合った。
「間合いとかタイミングとか、そういうのもちゃんと頭に叩き込みました! 一人だったらちょっと不安でしたけど、エルザと一緒ならきっとやれます!」
「わたくし達の出番が回ってくるとは限りませんけれど。ウルフラムの動きが想定以下でしたら、プランBの実行すら不可能になりますもの」
エヴァンジェリンは原作におけるニックネームの『エルザ』でエリシェヴァを呼び、当のエリシェヴァも当たり前にこの呼び方を受け入れている。
それを見るだけでも、二人の連携に問題はないと確信できた。
神器ネクタールの本来の所有者のデウスクーラト家……その一員であるエリシェヴァが、同じく天使であるエヴァンジェリンから天使の属性を帯びた霊力を借りて、ウルフラムの支配下にあるネクタールに干渉する――これこそが、昨日の戦いの勝敗を分けた一手。
実際にネクタールと契約で繋がっているのはエヴァンジェリンの方で、エリシェヴァは神器の使い方を知らないエヴァンジェリンに代わって命令を送ったというのが正確らしいが、この事実はエヴァンジェリンには伏せてある。
ルクスデイ家追放の原因が自分にあるなんて、間違ってもエヴァンジェリン本人に知られるわけにはいかない。それがアヤにとって決して譲れない一線だったからだ。
ともかく、これはウルフラムの不死身の肉体を無力化できる数少ない手段の一つ。
当然、プランBでも活用することになる切り札だ。
「私にできるのは、ここまで……ですね。お役に立てましたか……?」
サーシが二人の後ろから不安そうに話しかけてくる。
「もちろん大助かりだったさ。後は俺達に任せてくれ」
率直な感想を伝えると、サーシは嬉しさと気恥ずかしさが混ざった顔ではにかんだ。
雷霆槍ケラウノスを触媒に使った、神器の専門家の降霊。
飛空艇グラティアそのものを触媒に使った、天竜戦争当時の機械技師の降霊。
これほどまでに貴重な助言を得ることができたのは、サーシがいてくれたからこそだ。
「わたくしも一安心ですわ。この様子でしたら、邪竜教団に与した咎もすぐに相殺できそうですわね。ところでレイヴン艦長。作戦はいつ開始なさいますの?」
「戦闘チームの準備が終わればいつでも……っと、噂をすれば!」
通信ウィンドウが開き、艦内の別室の様子が映し出される。
グラティアは軍艦だ。
もちろん出撃待ちの兵士が待機しておくためのスペースも、普通の船室とは別に用意されている。
高速飛行にも耐えうる座席だけが配置された、飾り気がなく無機質な空間。
そこにはアヤと聖騎士ローエングリン、そして姫騎士ハルシオンの姿があった。
『こちら戦闘班、いつでもいけるわ』
「了解っ! 他の皆も早く座席に! 体は船首の方を向けてしっかり固定! 間違っても転がり落ちないようにな! デウスクーラト家の使用人にも指示を徹底してくれ! それとブラウニーズは内装の固定を再確認!」
逃走のプランA、闘争のプランB。
どちらを実行する結果になったとしても、グラティアは最大最高の限界速度を叩き出して飛行することになるので、しっかり備えておかなければ大怪我の元になってしまう。
環境にいる面々がバタバタと出発準備を整える中、俺は改めて通信ウィンドウに視線を戻した。
「……ハルシオン。改めて礼を言わせてくれ。危険な役目を任せてしまって……」
『何を言う。感謝するのはこちらの方だ。お陰で奴らの企みを打ち砕く機会を得られたのだからな。私にしかできない役目、しっかりと果たさせてもらおう』
「ローエングリン卿も、無理をさせてしまって申し訳ありません。ダメージがまだ残っているはずなのに」
『エリシェヴァ様のために戦うことこそ私の使命。たかがこの程度で戦線離脱などしていられないさ』
二人から頼もしい返事を聞かされても、内心の不安は完全には消えてくれなかった。
原作知識を元にした草案を原型に、サーシが呼び出した霊の知識で修正を加えたことによって、現状における最善手に近い作戦を立てられたと自負している。
残された懸念材料は、ウルフラムが俺の期待した通りに動くかどうか――そして、アヤに万が一のことが起こったりしないかどうか。
俺はアヤの死の運命を覆すために戦っている。
しかし、そのためにはアヤに危ない橋を渡ってもらわなければならない。
もちろん、アヤは現時点のメンバーで最強の戦力なのだから、アヤを助ける作戦のためアヤに戦ってもらうというのは、本末転倒な矛盾などではなく当然のリスクである。
だが、いくら理屈として分かっていても、気持ちが追いつかないのはどうしようもない。
『何よその顔。情けないわね』
アヤはそんな俺の葛藤をあっさりと笑い飛ばした。
『分かってるから。あんたが何のために苦労してるのかも、全部分かってる。感謝もしてる。でも、やっぱり守られるだけってのは性に合わないっていうか。そう思うのは……私らしくないと思う?』
「いや……ありがとう。凄く君らしいと思う。それでこそ聖騎士アヤだ」
『ならよかった。柄でもないことはやるもんじゃないし。喜んでもらえて何よりだわ』
通信ウィンドウ越しに冗談めかして笑うアヤの顔を見て、思わず頬が綻んでしまう。
守られるよりも戦いたいと思うのも。
優しさを素直に見せられず、どこかひねくれた態度になってしまうのも。
俺が好きになったアヤの在り方そのものだった。
『レイヴン艦長。配置に着いたぞ。発艦許可を頼む』
新たな通信ウィンドウが開き、ハルシオンが作戦準備の完了を告げる。
「分かった! 行ってくれ!」
『了解! 武運を祈る!』
勢いよく閉じられる通信ウィンドウ。
一拍の後、白く深い雲に覆われた艦橋の大窓の外を、小さな影が高速で飛び去っていった。
あれは飛行の精霊術を発動させたハルシオンだ。
その姿はあっという間に雲海の分厚い白壁の中に消え、数秒と掛からずに影すらも見えなくなってしまう。
(これでウルフラムはハルシオンに気付くはず。いや……むしろ気付いてもらわないと困る。あいつがハルシオンに食いつくことが、プランB発動の最低条件なんだ)
きっと大丈夫だと自分に言い聞かせながら、俺は同時進行で次の指示を飛ばした。
「グラティア! マスターキーを!」
「命令を受諾しました」
艦橋中央に白尽くめの少女型の精霊体が出現する。
同時に、その足元の床がせり上がり、霊力の光を放つ簡素な祭壇状の装置が展開した。
「感謝致します、レイヴン艦長。あなたに発見していただいて本当によかった」
グラティアはいつもの無表情で、万感の思いが込められた声を漏らす。
「あなたのお陰で、本艦はまた一歩、あるべき姿に近付けます。天竜戦争において最強を誇った、あの頃の姿に」
凄まじい霊力の輝きが渦を巻き、グラティアの手元に機能解放の『マスターキー』が転送される。
稲妻を固形化したかの如き、輝けるエーテリウムの短槍。
雷霆槍ケラウノス。レプリカではない、正真正銘の神器。
天界よりもたらされた十二の神器こそが、グレイル級のフルスペックを開放するための、本来のあるべき鍵。
グラティアがエーテリウムを求め、新たに製造することを望んでいた鍵は、あくまでマスターキーたる神器の代用品に過ぎなかったのだ。
「秘匿機能解放、高速飛行形態再臨! コード・ケラウノス!」
ケラウノスの矛先が、グラティアの手で祭殿型の鍵穴に突き立てられる。
迸る霊力の閃光。
凄まじい光の波がグラティアの船体を駆け巡り、その形状を高速飛行のための姿へと変えていく。
内側から展開するように大型化する霊力エンジン。
主翼および姿勢制御翼も伸展、拡張し、全ての翼が倍以上の規模に拡大する。
全ての変形工程が完了したちょうどそのとき、ハルシオンが飛び去っていった方向から、風属性の霊力弾が雲を掻き乱しながら降り注いできた。
「来た! ハルシオンの合図だ!」
もはや後に引くことなどできない。俺は艦長として宣言すべき言葉を口にした。
「標的は竜騎士ウルフラム! 飛空艇グラティア――発進!」
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