第四話 それぞれの想いのために

 後方甲板に出ると、そこは濃霧のような雲に覆い尽くされていた。


 雲に突っ込んだ飛行機からの視界も、きっとこういう風になっているんだろうと思わされる光景だ。


 無意味だと分かってはいるが、何となく雲をかき分けながら歩を進め、端の柵から身を乗り出して第二エンジンの様子を伺う。


 ちょっとした小屋ほどの大きさがある霊力ジェットは、敵艦から受けた砲弾によってざっくりと切り裂かれ、複雑な内部機構を露わにしている。


 砲撃を受けて破壊された割には、内部の機械が壊れているようには思えない。


 きっと、中身は既にリネットとグラティアの尽力で修理済みなのだろう。


 ――そして第二エンジンのすぐ傍に、作業を続けるリネットの姿があった。


 リネットは精霊術で編み上げられた霊力のワイヤーを命綱に、同じく精霊術で生み出された半透明の足場の上を歩きながら、大破した霊力ジェットの破損状況を確かめている。


 やがてリネットはエンジンの亀裂を正面から見上げる位置で立ち止まり、ゆっくり呼吸を整えてから大規模な精霊術を発動させた。


「セットアップ、ラージスケール・マニピュレーター。召喚数、二基。耐荷重重視。精密性非重視。ドレッドノートのとっておきを持ってきてくれ」


 周囲の霊力が高まったのと同時に、リネットの背後の空間に長方形の穴が二つ――まるで不可視のシャッターが上がったかのように穿たれ、そこから二基の巨大なロボットアームが伸びてきた。


 アームの根本は穴の奥に繋がっていて目視はできない。


 先端部分は人間の手とは似ても似つかない形状で、喩えるならショベルカーで何かを掴むためのアタッチメントに近いように思える。


 どこからどう見ても、戦闘用ではなく作業用。


 リネットが上級精霊ドレッドノートとの契約で得た力の方向性を、これ以上なく明確に表した代物だ。


「よぅし! 接合開始!」


 二基のロボットアームが駆動音を響かせながら、引き裂かれた霊力ジェットの外装の左右を掴み、破断して捲れ上がった金属板を、少しずつ元の位置まで引き戻していく。


 まるで深い傷を縫合する外科医のようだ。


 リネットの険しい表情を見るだけでも、一連の作業は完全自動というわけではなく、神経をすり減らす遠隔操作だということが伺える。


 俺は声を掛けるのも忘れて、リネットの仕事振りをまじまじと眺め続けた。


 深い雲による視界不良の真っ只中で、破損状況を悪化させないように細心の注意を払いながら、二基のロボットアームを自分の腕のように操作する――思い浮かべた通りにアームが動くのだとしても、俺にはとてもできそうにない大仕事だ。


「グラティア! ひとまずこんなもんで大丈夫か? 固定しとくから、後は頼んだ!」


 リネットはロボットアームを高所作業車のように利用して、応急処置敵に塞がれた亀裂を霊力のワイヤーで縫合しながら、アームの先端部分に乗って後方甲板まで戻ってきた。


 そこで初めて俺とアヤがいることに気付いたのか、目を丸くして驚きの表情を浮かべた。


「うわっ! いたのか!」

「順調みたいでよかった。それにしても、今のは凄かったな……」

「一人でここまでやれるなんて、騎士団のメカニックでもそうそういないんじゃない?」

「褒めたって何にも出ないぞ?」


 リネットは照れ臭そうに笑いながら、後方甲板の隅にあった椅子に腰を下ろした。


 あんな椅子を置いておいた覚えはないので、きっとリネットが自分で持ち込んだものなのだろう。


「とりあえず、経過報告でもしとこうか? エンジン内部は完全にぶっ壊れたところだけ予備パーツと交換して、後は自己修復機能に丸投げだ。外装は力技で繋ぎ直して再生待ち。あんだけ派手に歪んでると、自己修復任せじゃ何日掛かるか分かったもんじゃないからな」

「問題なしってわけね。そろそろ終わりそうなの?」


 リネットはアヤから差し入れのケーキを頬張りながら、笑って首を横に振った。


「こっからが面倒なんだよ。調整調整また調整ってな。プランBを実行するつもりなら、数分でもいいからフルスペックを引き出せるようにしとかないと。途中で限界迎えて爆発四散しましたなんて、いくらなんでも笑えないだろ?」


 プランB――ウルフラムを振り切って逃走するのではなく、ここでウルフラムを完全に打ち倒す第二の作戦。


 そのためにはグラティアの性能を最大まで引き出す必要がある。


 必要な道具などは既に手配できているから、残る問題はウルフラムの母艦の攻撃で追った損傷を直せるかどうか。


 つまりプランBが実行できるかどうかは、リネットの双肩に懸かっているというわけだ。


「安心しなよ。今のあたしは過去イチってレベルで絶好調だ」


 リネットが自信たっぷりに胸を叩く。


「こんな最高の舞台で最高の仕事ができないようじゃ、メカニックの名折れだからな。まぁ、しつこく追っかけられてるエヴァンジェリン達には悪いけど、この状況には結構感謝してるんだ」

「別に悪くなんかないでしょ。好都合なのはこっちも同じよ」


 アヤは数歩ほど後ろに下がって、甲板の柵にもたれ掛かった。


「好き好んでウルフラムの相手をしてるわけじゃないんだし、そもそもあいつの目的が口封じなら、私達をここから逃がすつもりなんかないに決まってる。不死身のカラクリがバレたんだからね。今すぐブッ倒す手段があるなら喜んで乗っかってやるわ」

「マジか。思ってたより大胆だな。やっぱりエヴァンジェリンのためってなると、思い切りもよくなるもんなのか」

「まぁ、それもあるけど」


 俺達の間にも濃霧のような雲が立ち込めて、アヤの表情が少しだけ見えにくくなる。


「私みたいな奴のために、わざわざ危険に首を突っ込んだ馬鹿もいることだし。たまにはそいつの気持ちも汲んでやらないとね」


 まるでここにはいない誰かに言及するかのような、それでいてどこまでも優しい口振りで、アヤは平然とそんなことを言ってのけた。


 聞きようによっては、友人の姫騎士ハルシオンのことのように聞こえるかもしれない。


 けれど俺には伝わった。伝わってしまった。


 だから、そいつが大馬鹿野郎だという事実に反論できなくて――しかも聞いたことがないくらいに優しい声色だったものだから――俺は意味深に笑うリネットに、何も言い返すことができなかった。

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