第三話 そうはならなかった、それでいい
医務室の外の廊下に出た俺とアヤに向かって、聖騎士ローエングリンが格式高い仕草で一礼を送ってきた。
「改めて感謝を。エリシェヴァ様のご成長は偏に皆様とのご交流の賜物。デウスクーラト家の聖騎士としてお礼申し上げます」
「こちらこそ、ありがとうございます。貴重な情報を教えてくださったお陰で、作戦の立案がずいぶんと楽になりました」
我ながら事務的が過ぎるやり取りである。
アヤとかリネットならまだしも、ローエングリンくらいの微妙な距離感になると、現代日本での社会人経験がどうしても顔を出してしまうらしい。
「貴殿の作戦は我々にとっても起死回生の一手です。協力を惜しむ理由などありません」
ウルフラムに対抗する作戦案を説明した後……つまり医務室に足を運ぶ直前に、俺は天使教会が秘匿していた情報の一部を明かされた。
その多くは原作で既に語られた設定だったり、ファンの間で考察されていた内容に近かったりしたので、幸いにも作戦内容を変える必要はほとんどなかった。
例えば、神聖杯ネクタールが何年も前に奪われていた事実が後者の筆頭だ。
原作ゲームの時点で考察されていた設定や、先程の小競り合いで目撃した内容を合わせて考えると、ウルフラムの不死性の源がこの神器であることは疑いの余地もなかった。
神器が奪われた経緯は頑なに教えてくれなかったが、俺の予想通りならきっと――
「そんなことより、サーシの処遇はどうするつもり?」
俺達の堅苦しいやり取りに、アヤが大雑把な口調で横槍を入れる。
矛先は俺ではなくローエングリンの方だ。
「処遇というと?」
「本人が言ってた通りよ。たとえ自分の代わりがいたとしても、やったことの責任は取らされる。そうじゃなきゃ組織的犯罪の下っ端を裁けなくなる。デウスクーラトは『罪滅ぼしとして手伝えって責任を取れ』って理屈で納得してくれるわけ?」
「ああ、なるほど。心配は不要だ。エリシェヴァ様が良しとしたのだから、嘴を挟むものは誰もいない。知り得たことを全て明かし、成し得ることを全て為せば、それで終わりだ」
ローエングリンは相好を崩してアヤの横槍に答えた。
「それに今回の一件は、我々にも反省すべき点が大いにある。強制降霊を防ぐ備えも固めているつもりだったが、あれほどの術師がいるとは思いもしなかった。確か精霊領域の出身だったか? やはり空は広いな」
「まぁ……確かにね。本人にはああ言っといたけど、正直なところ、簡単に代わりが見つかるとは思えないわ。どんな化け物と契約してるのやら」
「対策手段の更新が必要だな。彼女にはそれも含めて協力してもらうとしよう」
聖騎士が二人揃って同じことを言うあたり、サーシの降霊術は本当に強力なのだろう。
さすがはあのウルフラムから、重要な役目を与えられるだけのことはあるということか――この世界でも、原作でも。
「しかし驚いた。聖騎士アヤといえば、ルクスデイの追放天使に執着した不良騎士というのが定番の評価だったが、他の人間にも気を使えるのだな」
「さて、どうかしら。エヴァの友達だからってだけかもね。そんなことより、あんたも後で一仕事あるんだから、防壁とかしっかり回復させときなさい」
アヤはひらひらと手を振りながら、医務室の前から立ち去っていった。
俺もすぐさま後を追い、蛍光灯のような魔力灯に照らされた無機質な廊下を、アヤと肩を並べて歩いていく。
夜明けの作戦決行に向けて、準備すべきことはまだまだ山程ある。
けれどその前に、一つだけアヤに伝えておかなければ。
「なぁ、アヤ。俺が見た物語の中だと、アヤはデラミン島で殺された後で、ウルフラムの手下の死霊術師に蘇生させられてたって話……もうしたよな」
「工作員代わりに送り込まれたんでしょ? 趣味悪いわね、あいつ」
「……その死霊術師、多分、正体はサーシだったんだと思うんだ」
アヤの反応を横目で伺いながら言葉を続ける。
「根拠はサーシが持ってたペンダントだ。物語の中の死霊術師は名前も顔も分からなかったから、これまでは頭の中でサーシと結びつかなかったけど……あのペンダントだけはそいつと同じだったんだ」
この仮説はサーシのこれまでの行動とも矛盾しない。
恐らくウルフラムは、プロローグでエヴァンジェリンを捉えるなり殺すなりした後で、次は姉のセラフィナをターゲットにするつもりだったのだろう。
そして事が済んだ後で、セラフィナの霊を――あるいはエヴァンジェリンの霊も降霊させ、情報を引き出すなり原作のアヤのように操るなりするつもりだったのだ。
(セラフィナがこの作戦を見抜いていたかどうかまでは分からない……とにかく今回も原作でもウルフラムの計画は失敗した。事前に派遣されていた死霊術師はシェパード島に取り残されて……今回はグラティアに乗って島を出たんだ)
俺は今まで、サーシのことを原作には登場していない人物だと思っていた。
しかし、それは何の根拠もない思い込みだ。
記憶にある登場人物に合致しないというだけで、素性不明のキャラクターの正体だったとしても不思議はないのだ。
「さっき言ったよな、簡単に代わりが見つかるとは思えないって。あの死霊術師も常識外れの腕前っていう扱いだったんだ。そんな奴が二人も同時にウルフラムの配下にいるって考えるより、同一人物だって考えた方が……」
「……? どうかした?」
「いや……思ったより反応が薄いなって」
個人的にはかなり衝撃的な事実を口にしたつもりだったが、アヤは涼しい顔で耳を傾けているだけで、特に驚いた様子もなかった。
「蘇らされて操られて、危うくエヴァンジェリンと敵対させられるところだったんだ。もっと怒ったりしてもおかしくは……」
「でも、そうはならなかった。それでいいじゃない」
アヤは笑いながら足を早めた。
まるで、そんなこと大した問題ではないと言わんばかりに。
これもエヴァンジェリンの友達だからこその対応なのだろうか。
……それとも、サーシが置かれた境遇に思うところがあったのだろうか。
どちらにせよ俺は、そんなアヤの顔を見て、少し自分が恥ずかしくなった。
原作でこうだったからといって、そうならなかった『今』の扱いを変える方がおかしい――全くもってアヤの言う通りだ。
「そんなことより、あの件はエヴァにバラさないって約束、ちゃんと守りなさいよ」
「大丈夫、分かってる」
先程受けた説明の中には、当然ながら『神器ネクタールがウルフラムの手に渡った経緯』も含まれていた。
病に倒れた幼いエヴァンジェリンを救うために、父親のイノセント・ルクスデイが友人のデウスクーラト家当主から神器ネクタールを借り受けたのだが、返却する直前の隙を突かれて何者かに盗み出されてしまう。
アヤが『エヴァンジェリンに教えるな』と釘を刺した理由は、わざわざ説明されなくても理解できる。
自分の治療が一族没落、一家離散の遠因になったなんて、よほど強い心の持ち主でもなければ正気じゃいられないに決まっている。
(考察が的中したっていうのに、こんなに嬉しくないこともあるんだな)
嬉しさよりも痛ましさが胸を埋めていく。
ゲームの登場人物の過去設定ならただの娯楽かもしれないが、今の俺にとっては目の前で生きている人々の唯一無二の人生だ。
背景グラフィックそのままの街並みにはしゃぐのとは、まるで訳が違う。
ああ、そうだ。もう俺は、この世界を客観視できなくなりつつある。
一歩引いたところから『ゲームの世界だ』と認識する段階はいつの間にやら通り過ぎ、今の俺にとっての現実だと認識するようになっているのだ。
「……しかしまぁ、ウルフラムもつくづく気長だよな。容疑者から外れるためだけに、年単位の偽装工作をやってたってことだろ?」
「その根気と根性を、もっとマシなことに使えって言いたいわね」
事件当時、ウルフラムはイノセント・ルクスデイの護衛を務めていた。
神器を盗み出すタイミング自体はいくらでもあったわけだが、同時に最有力容疑者として即座に疑われる立場でもあった。
もしも事件直後に姿を消していれば、その時点ですぐさま犯人であると断定されてしまい、念入りな証拠隠滅も完全に意味を失ってしまっていたことだろう。
だが、ウルフラムは逃げも隠れもしなかった。
真っ当な捜査では犯人を特定できないと確信していたのか、降格や左遷を始めとする処罰と冷遇を粛々と受け入れ、いわば『怪盗の罠に嵌ってまんまと宝物盗み出された無能な警官』のポジションを演じきったのである。
そしていざ邪竜教団に寝返ったときも、天使教会と聖騎士団は『冷遇に耐えかねて逃げ出した』と認識してしまい、どこかに隠しておいた神器ネクタールを携えて離反したとは気付きもしなかったのだ。
「裏を返すと、自分が犯人だとは絶対に気付かれたくなかったわけだ」
「神器の所在が分かれば、天使教会は全力で奪還しようとするでしょうね。あんたが見たっていう『物語』でも、ケラウノスを取り戻すために大艦隊を動員したんでしょ? 私も同じ立場なら絶対バレたくないわ」
俺もその点に関しては同意見だ。
「それくらい慎重に立ち回ってきたくせに、エヴァンジェリンを狙うときは自ら最前線に出てきた。それも一度ならず二度までも」
「エヴァとセラフィナが事件の真相を知っているかもしれない……その可能性を無視できなくなったんだと思うわ。用心深くて他人を信用しない奴だから、口封じを手下に丸投げすることはできなかった。まったく……エヴァは何も知らないってのに、ほんと傍迷惑ね」
大袈裟に肩を竦めるアヤ。
恐らく、ウルフラムの行動原理はアヤの読み通りだ。
自分の不死身の源が神聖杯ネクタールだと気付かれたら、間違いなく本気の討伐艦隊を敵に回すことになるし、何よりエリシェヴァがしたような対策手段で無力化される恐れもある。
わざわざエヴァンジェリンを狙うのも、その際に自ら先陣を切るのも、用心深い性格だからこその行動なのだろう。
「……だからこそ、俺達にも付け入る隙がある」
俺が漏らした呟きを聞いて、アヤは不敵な笑みを浮かべた。
用心深く、執念深く、手下を信用しようとせず、それでいて圧倒的な強さと不死身の肉体を誇る――プランBの発動条件はほとんど揃っている。
「後はグラティアの状態次第ね。まともに飛べなかったら作戦以前の問題よ」
「リネットがいるんだから大丈夫だ。不安なら様子でも見に行くか?」
「別に不安じゃないけど、せっかくだから行ってみましょうか。差し入れでも見繕ってね」
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