第七話 乾坤一擲の大勝負

 さすがにこれは分の悪い賭けかもしれない。


 俺は内心の焦りを堪えながら、ただひたすらにトリガーを引き続けた。


 ウルフラム一人だけでも勝ち目がないというのに、奴のお目付け役のドラゴンまで艦上を旋回しているのだから、俺達としては堪ったものではない。


 不幸中の幸いだったのは、今のところドラゴンの方は甲板に戻ってくる様子がなく、周囲の空の警戒に徹しているという点だろう。


(確か、ボスのエルダードラゴンがウルフラムに押し付けた部下兼監視役……こっちの増援が来ないか見張ってるってとこか……他の手下は見当たらない……連れてくる余裕がなかったのか、あるいは役立たずとか言って見切りをつけたか……)


 アヤとウルフラムの剣戟の合間を縫って銃撃を繰り返しつつ、必死で思考回路をフル回転させる。


 少なくとも、最初から『グラティアが神器を運んでいる』とバレていたとは考えにくい。


 もしも事前に把握していたなら、もっと手の込んだ追撃なり待ち伏せなりを仕掛けてきているはずだ。


 この状況は奴らにとっても予想外。そう考えるべきだ。


(既に救援要請は送ってある……後は、エリシェヴァの部下とハルシオンが間に合うかどうか……それまで俺とアヤだけで耐えきれるかどうかだ!)


 両方とも間に合えば最高だが、ハルシオンだけでも間に合えば逆転の目はある。

 これは原作知識に裏付けされた勝算だ。


 そうでなければ、こんな無謀でしかない足止めを試みたりはしない。


(確かにウルフラムの霊力防壁は鉄壁かもしれない。でもそれは、あくまでダメージを与えても意味がないだけなんだ。精霊術をフルパワーでぶつければ相応に吹き飛ばせるし、甲板から弾き出してやれば戦線離脱もさせられる……!)


 ところが、戦況は俺達の都合などお構いなしに激変していく。


『レイヴン! まずい、未確認の飛空艇だ! くそっ、いつの間にこんな距離まで……雷雲が分厚すぎたせいか!? グラティアよりデカい大型艦……こいつは、戦艦だ!』


 通信越しにリネットの叫びが響いた瞬間、超高速の砲弾の豪雨が横殴りに降り注ぎ、空中を漂う残骸を粉々に粉砕する。


 更に、凄まじい衝撃がグラティアの船体を揺るがし、焦げ臭い爆風が後方甲板の瓦礫を吹き飛ばした。


『直撃食らったぁ! ダメコン急げ!』

『第二霊力エンジン緊急停止! 姿勢制御装置は!?』

『問題なし! もう一発食らったらまずいかも!』


 ウィンドウの向こうでブラウニーズの悲鳴が飛び交う。


 空を縦断する雲の壁を貫いて、巨大で歪な鉄の塊が姿を現した。


 俺はあの船を知っている。


 天竜戦争時代の古代戦艦に補修と拡張を繰り返し、異形の巨体と化したアシンメトリーの怪物的飛空艇。


 全長はキロメートルの大台にすら達し、周囲を漂う飛空艇の残骸と衝突すれば、それらをガラス細工も同然に粉砕する。


 航空戦艦インヴィディア・ドラコーニス。黒騎士ウルフラムの母艦にして活動拠点。


 その過剰なまでの火力と装甲は、もはや空中要塞とでも形容するべき代物だ。


(くそっ! 重装甲に物を言わせて強行突破してきたのか! まさかあんなモノまで持ち出していたなんて! 非武装のグラティアじゃ勝ち目はないっての……!)



 頭の中の引き出しをひっくり返して、現状を打破する手段を模索する。


 真っ先に思い浮かんだ攻撃手段――覚醒奥義、エレメンタル・バレット。


 覚醒奥義とはいわゆる必殺技のことだ。


 エレメンタル・バレットは原作のレイヴンの切り札であり、戦闘メンバーの一人から霊力を借りることで、その属性とレベルに応じた強力な射撃を繰り出すというものである。


これでもウルフラムを倒すことはできないが、直撃させれば甲板の外まで吹き飛ばすくらいならできるかもしれない。


 だが、根本的な問題が一つ。


(ゲームならコマンドを選べば一発で発動できる……だけど実際には無理だ。銃に触れてもらわないと霊力は借りられない。でも、この状況でどうやって? くそっ……どう考えても無理だろ、これ!)


 俺がアヤの側に駆け寄るにせよ、アヤにこちらへ来てもらうにせよ、ウルフラムに致命的な隙を晒してしまうことになりかねない。


 ベイルアウトを使えれば多少はマシかもしれないが、さっきの発動のクールタイムがまだ終わっていないうえ、再使用が可能になるのを待っている暇はない。


 とにかくグラティアに離脱の指示を出そうとした矢先、インヴィディア・ドラコーニスよりも遥かに想定外の存在が、艦内から後方甲板に飛び出してきた。


「アヤ! レイヴンさん!」


 ――エヴァンジェリンだ。しかもエリシェヴァまで一緒にいる。


 俺もアヤも驚きのあまり言葉もなく、ウルフラムすらも警戒を強めて間合いを取る。


 エリシェヴァは混乱する俺達に構いもせず、エヴァンジェリンと強く手を握り合って、よく通る澄んだ声を響かせた。


「我はデウスクーラトの血脈に連なりし者! 神の御名において星辰の盃に命ず! 我が声に従い、荒ぶる光輝を鎮めたまえ!」


 その口上が耳に飛び込んだ途端、俺の脳裏を懐かしい記憶が掠めていった。


 セレスティアル・ファンタジー第六章、最終盤。


 雷霆槍ケラウノスの奪還が目前に迫ったそのとき、実行犯の獣人が悪あがきでケラウノスを使おうとしたが、制御しきれずに暴走を引き起こしてしまった。


 これを止めたのは、他でもない原作のエリシェヴァであった。


 星辰の盃ではなく星辰の槍――暴走するケラウノスに向けて命じる口上で、無差別に撒き散らされる雷をあっという間に止めてみせたのだ。


「……っ! 貴様、これは……!」


 ウルフラムが胸を抑えて顔を顰める。


 俺は困惑を押し退けてアナライズを発動させ、ウルフラムに起きた異変を把握した。


 ――――

 NAME:WOLFRAM

 ランク:☆☆☆☆☆ レベル:100/100 属性:火・竜

 HP:300000 ATK:21000

 ――――


 ――――

 HP:198500 ATK:21000

 ――――


 ――――

 HP:78850 ATK:21000

 ――――


 ――――

 HP:26050 ATK:21000

 ――――


 ああ――俺だってそこまで馬鹿じゃない。


 みるみるうちに低下していく最大HP、即ち霊力防壁の最大耐久値だけでも、全てを理解するには充分だ。


 何故ウルフラムは無敵になることができたのか、そして、何故エヴァンジェリンの家族が聖域を追放されることになったのか――皆で考察した通りだったじゃないか。


「アヤ!」


 俺は力の限り叫んだ。


「今だ! ぶった斬れ!」


 返事の代わりに響き渡る、落雷じみた轟音。


 アヤはウルフラムの一瞬の隙を見逃さず、目にも留まらぬ踏み込みで間合いを詰め、雷撃を帯びた渾身の斬撃を叩き込んだ。


「ぐおっ……!」

「通った! これなら……ハアッ!」


 鉄壁を誇った霊力防壁に綻びが生じ、刃がウルフラムの黒衣に傷を付ける。


 次の瞬間、至近距離で炸裂した雷撃が巨体を吹き飛ばし、甲板を囲む手すりに背中から叩きつけた。


 金属の手すりはちぎれんばかりに捻じ曲がり、落雷の直撃を浴びた肉体は遠目でも分かるほどに深く裂け、真っ黒に焦げた骨肉を晒している。


 精霊術を受けて『痛い』で済むのは霊力防壁があってこそ。


 生身で受ければ命に関わるというのは、原作でも幾度となく描写されていた事実だ。


「さすがに終わった、でしょうね」

「まだ油断は……うわっ!?」


 ドラゴンの着地の衝撃でグラティアの船体が揺れる。


 即座にドラゴンとの戦闘態勢に移るアヤ。


 しかしドラゴンは俺達に目もくれず、強靭な前脚で甲板の手すりをウルフラムごともぎ取って、凄まじい風圧を撒き散らして再び空に飛び上がった。


『ははは! 何やってんだテメェ! 自慢の防壁はどこにやっちまったんだ?』

「予定変更だ。考えうる限りで最悪の状況になった」


 ウルフラムが軽やかな身のこなしでドラゴンの背に飛び移る。


 肩から胸に掛けて刻み込まれた深い傷――真っ当な人間なら間違いなく致命傷になっているはずの裂け目から、神器ケラウノスの穂先にも似た輝きの金属塊が覗いている。


 傷口はみるみるうちに塞がり始めていて、輝きが見えたのもほんの一瞬に過ぎないが、その正体を理解するには充分だった。


「母艦を前進させろ。船体をぶつけても構わん」

『お、おい! 何言ってやがる! ボスの命令は神器の強奪だろ! 神器もろとも空の塵にするつもりか!』

「奪取が困難な場合は破壊しろという命令でもある。運が良ければ、船を沈めた後で回収できるだろう」


 ウルフラムを乗せたドラゴンの離脱に合わせ、航空戦艦インヴィディア・ドラコーニスが霊力ジェットの出力を上げる。


 霊力ジェットはグラティアの専売特許ではない。


 技術的には天竜戦争時代の飛空艇の標準装備である。


 現代の技術での新規製造は困難を極めるが、修理して利用すること自体は決して不可能ではない。


 規格外に高性能な推力装置というアドバンテージすら、あの怪物戦艦の前では決定打になり得ないのだ。


 万全であれば軽量軽快なグラティアに分があるが、第二エンジンを潰された片肺飛行状態では、果たしてまともに逃げ切れるかどうか。


「ったく! やっとウルフラムを追い返せたかと思ったら、今度はこれ!? さすがに笑えないんだけど!」

「似たような状況なら記憶にある! 何とかできるかもしれない! 上手くいくかは正直言って五分五分未満だけどな!」


 エヴァンジェリン達を連れて後方甲板から艦内に駆け込み、廊下にいたサーシやローエングリンと合流しながら、通信ウィンドウ越しにグラティアに指示を飛ばす。


「グラティア、ハルシオン達の現在位置は! 追いつかれる前に合流できそうか!?」

『デウスクーラト私兵艦隊、ハルシオン卿指揮下の巡回警備部隊、共に急速接近中。まもなく合流可能です。しかし合流を果たしたとしても……』

「それなら問題ない! 降下開始だ! 速度を維持したまま急降下してくれ!」


 通信越しのグラティアだけでなく、ここにいる俺以外の全員が言葉を失う気配がした。


「レイヴン、あんたまさか……!」

「ああ、そのまさかだ! このまま雲海に飛び込む! 一か八かの逃走経路だ!」

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