第七話 ■■術師サーシ

 ――時間は少しばかり遡る。


 デウスクーラト美術館における一件の前日、レイヴン一行が礼服を調達したその日の夕暮れ頃、降霊術師のサーシは一人でベガ島を歩いていた。


 後払い契約だった運賃を稼ぐためという名目で、艦長のレイヴンも承知の上の単独行動だ。


 しかしサーシは、何故か賑やかな大通りから遠ざかり、人通りの少ない路地裏へ迷うことなく歩を進めていく。


 絢爛を極めた芸術都市ベガといえど、路地裏は無機質で無味乾燥。


 路面も外壁も飾り気が一切なく、大通りで奏でられる音楽もここまでは届かない。


 そんな路地裏の奥で足を止めたサーシの頭上から、神経を逆撫でするようなやかましい声が投げかけられた。


『こいつは驚いた! まさか間に合うとは! てっきりシェパード島で身動き取れなくなってるかと思ったぜ!』

「……今回ばっかりは、文句言ってもいいですよね? 依頼のキャンセルだけならまだしも、迎えすらなしって……親切な人が見つからなかったら、今頃まだ……」

『ハハハ。文句は依頼主に言ってくれ。俺はあくまでメッセンジャーなんだぜ』


 ばさばさと空気を叩く音をさせながら、有翼のトカゲがサーシの目の前の壁に降り立つ。


 小型犬と大差ない大きさだが、全体的なシルエットは極小のドラゴンとでも呼ぶべき形状をしている。


「でも、肝心の依頼主は……やっぱり今日もいないんですね。顔も見たことないんですけど。何度も仕事してるのに……」

『例によって俺が代理だ。今回はコイツの霊を呼び出してもらう』


 有翼のトカゲ、あるいは超小型のドラゴンが首を向けた先には、大玉のスイカが収まる程度の木箱が置かれていた。


 サーシはすぐに箱の中身を確認し、何も言わずに目を細めた。


 そこに収まっていたのは人間の頭蓋骨であった。


 普通の少女なら悲鳴を上げているに違いない状況だったが、サーシは髑髏に対してそれ以上の反応を見せず、冷静さを保ったままで視線を有翼のトカゲに戻した。


「……今回も、仕事の目的は、教えてもらえないんですね。シェパード島のときも……やらせることだけ伝えて……何のための仕事なのかすら……」

『どうした、今日は愚痴が多いじゃねぇか。好奇心は猫を殺すって知ってるか? お前は黙って仕事をこなしてりゃいいんだ。依頼主もそれ以上のことは期待しちゃいねぇよ』


 憮然と押し黙るサーシ。


 脳裏に浮かぶのは、飛空艇グラティアで過ごした短い時間。


 素性の知れない自分を快く迎え入れてくれた優しい人々。

 まるで友人のように接してくれる天使の少女。


 その温かさを思えば、名前も知らない依頼主から受けたこの一連の仕事には、心を無にしてノルマを消化する以上の意欲が湧いてこなかった。


『今、この島にはエリシェヴァ・デウスクーラトって名前の天使がいる。そいつがどんな経路を通って島を出る予定なのか、頭蓋骨の持ち主から聞き出すんだ。お前なら朝飯前だろ?』


 サーシは返事もせず降霊に取り掛かった。


 おぼろげな霊体が現れるところまでは、シェパード島でエヴァンジェリンの父の霊を降ろしたときと同様だ。


 しかし、呼び出された霊体は激しい怒りを露わにして、燃え盛る旋風のようにサーシを包み込もうとする。


 路面の敷石がめくれるように砕け、破片が塵となって舞い上がる。


 だが、それもほんの一瞬のこと。


 サーシが小声で何事かを呟いたかと思うと、どこからともなく半透明の鎖の群れが出現し、怒れる亡霊を瞬く間に縛り上げて拘束してしまった。


「答えなくていい。直接『聞かせて』もらうから」


 苦悶に形を歪める霊を前に、サーシは懐から古びたペンダントを取り出して、その鎖を絡めた右手で霊の顔を鷲掴みにした。


 霊体を構成する霊力が、ペンダントを介して少しずつ吸い上げられていく。


「……そう。分かった。ごめんなさい、迷惑かけて……」


 十秒ほどその状態を続けた後、サーシは霊力の鎖による拘束を解除して、弱りきった様子の霊を解放した。


『へへっ、相変わらず薄気味悪い術だな。首尾よく聞き出せたか?』


 有翼のトカゲが牙を覗かせてニヤつきながら翼を広げる。


「乗り込む船は未定。まだ決めていないそうです。移動先はここから南東のアクィラ空域……シップレック・ベルトを通過する予定……情報はこれだけ……詳しいことは、知らされていないんだと思います」

『チッ、下っ端じゃこんなもんか。もっと大物を調達できたらよかったんだがな。まぁいい、シップレック・ベルトが狙い目だって分かっただけでも充分だ』


 そのまま飛び立とうとする有翼のトカゲを、サーシは冷めた表情で見上げた。


 依頼主がどこの誰で、一体何を目的としているのか、サーシは知らない。


 指示された通りに降霊を行い、要求された情報を引き出すだけの契約。


 しかし断片的な情報を繋ぎ合わせるだけでも、彼らが社会に仇為すことを企んでいると察することはできた。


 それでもサーシが彼らに従い続けている理由は、ひとえに『報酬』のためであった。


『にしても、ほんと変わってるよな、お前。色んな奴をこき使ってきたけどよ、金や物はいらねぇとか言い出したのはお前くらいだぜ。代わりに欲しがったモンも意味不明だしなぁ』

「……理解できるわけ、ないです……」

『ひゃはは! そうかもしれねぇな! せいぜい頑張れよ、死霊術師(ネクロマンサー)! 念願のご褒美が欲しけりゃな!』


 飛び去っていく小さな影を見送りもせず、サーシは足早に裏路地を後にした。


 あの依頼主からの依頼は過去に何度かこなしてきたが、こんなにも不快な気持ちになったのはこれが初めてだった。


「帰ろう……エヴァンジェリンも待ってる……」


 ――しかし、サーシはまだ知らない。


 今日このときの出来事が、自分自身の運命を揺るがす結果に繋がることを。

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