第二話 エリシェヴァ・デウスクーラト

 中庭での説明会が終わり、他の運び屋が続々と美術館を後にする間に、俺達は人目を忍んで来賓用の階層に足を運んでいた。


 デウスクーラト家直々の招待客以外は立入禁止の特別区画。


 目的地である応接間はこのフロアの一番奥にあるらしい。


「なぁ、レイヴン。やっぱ引き返した方がいいんじゃないか? 絶対にヤバいって」


 リネットが不安げに苦言を呈したのはこれで三度目だ。


「サーシもそう思うだろ……って、何かダメっぽいな」


 一方のサーシはさっきから青ざめて震えているばかりで、リネットのように意見を口にする余裕すらなさそうだ。


 きっと、天使に呼び出された緊張感に押し潰されそうになっているのだろう。


「聖騎士の端くれとして言わせてもらうけど、天使の要請を何の口実もなく拒否するのは、さすがに無謀ね。せめて言い訳のネタくらいは用意しておかないと」


 意外にもと言うべきか、やはりと言うべきか、アヤの意見はリネットと正反対だった。


 職業柄、アヤはいわゆる『普通の天使』との接し方も熟知しているはずだ。


 原作シナリオで登場した天使も、地位が高ければ高いほど気難しく、面子や威厳をとにかく気にする傾向にあった。


「とにかく用件を聞きに行こう。話はそれからだ」


 指定された部屋の扉を叩き、返事を待ってから中に入る。


「失礼しま……」

「時間通りですわね。最低限の意識は持ち合わせていると見做して差し上げますわ」


 わざとらしいくらいに高飛車な少女の声が、広々とした応接間に響き渡る。


 ウェーブの掛かった金髪を背中に流した天使の少女が、貴族の令嬢を思わせる衣装を纏い、高級感溢れるソファーに堂々と腰を下ろして俺達を待ち受けていた。


 その後ろには聖騎士ローエングリンの姿もあったが、ソファーの横から静かに一歩退いていて、明らかに主導権を天使の少女に委ねている。


彼女こそがデウスクーラト家の令嬢、エリシェヴァ・デウスクーラト。


 原作で実装済みのプレイアブルキャラクターの一人だが、本来のメインシナリオではこんなに早く出会うはずがない登場人物でもある。


「まずは名乗りを上げるべきですわね。わたくしはエリシェヴァ・デウスクーラト。三大名門に数えられるデウスクーラト家の……」


 エリシェヴァは最初こそ余裕に満ちた様子で振る舞っていたが、エヴァンジェリンを視界に収めた瞬間、大袈裟なくらいに硬直して動きを止めた。


「なあっ!? エ、エヴァンジェリン・ルクスデイ! どうしてあなたがここに!?」

「えっ? ええっと……どこかで会ったかな……」


 エヴァンジェリンもエリシェヴァも―――文字にして並べたらややこしそうだ――二人揃って見事なまでに原作通りのリアクションを見せてくれた。


 メインシナリオでエリシェヴァが登場するのは、原作第五章の最終盤。

 本格的にストーリーに関わるのは次の第六章から。


 キャラクターとしての実装は第六章実装記念のピックアップだったと記憶しているが、今は関係ない情報だ。


 飛空艇グラティアのクルーにはならず、第六章以降の出番はシナリオのターニングポイントや季節のイベントなどで顔を出す程度。


 この上から目線で高飛車な態度も、最終的には『素直になれないツンデレお嬢様』に着地するのだと知っていると、大して気にならなくなるから不思議なものだ。


 まぁ、原作のエリシェヴァが素直になれない対象は、主人公のレイヴンではなくヒロインのエヴァンジェリンなのだけれど。


「は……はあああああっ!? 忘れたのですか? このわたくしのことを!」


 思いっきり声を上ずらせて叫ぶエリシェヴァ。


 後ろに付き従っていたローエングリンが、冷たいくらいに落ち着き払った声を掛ける。


「エリシェヴァ様。五年前に一度お会いしただけのご関係なのですから、記憶から漏れているのも致し方ないことかと」

「ローエングリン……仕方がありませんわね。エヴァンジェリン・ルクスデイ。あなたとわたくしの因縁を思い出させて差し上げます」


 エリシェヴァが大仰に語り始めた内容は、俺の原作知識とおおよそ一致していた。


 ――彼女とエヴァンジェリンが出会ったのは今から五年前。


 名門筆頭の一族の次期当主が成人を迎えたことを記念し、地位を問わずに数多くの天使を集めた祝賀会が開かれたときのことだった。


 同じく名門と呼ばれる一族のエリシェヴァはもちろん、名門筆頭の懐の深さをアピールするかのように、特権を失った没落天使までもが招待される大規模なパーティーだったという。


 この会場には、当時十歳程度だったエヴァンジェリンの姿もあった。


「かつては四大名門の一角と呼ばれながら、当主の失態で全てを失ったルクスデイ家! その娘を慈悲深く許し受け入れる、クウィストデウス家次期当主! あなたはこのパフォーマンスのために招待されたに過ぎなかった……それなのに!」


 エヴァンジェリンが特権階級として生きた経験はほんの数年しかない。


 そんな少女がいきなり天使社会の頂点の集いに招かれたのだから、拙い礼儀作法と酷い緊張で大変なことになってしまうに違いない――他の参加者達は誰もがそう予想し、ある者は憐れみながら見守ろうと考え、ある者は元名門の無様さを笑ってやろうと考えた。


 ところが次期当主の前に呼ばれたエヴァンジェリンは、完璧な礼節で完璧な挨拶を行って、参加者達の度肝を抜いたのだという。


「わたくしは頭が真っ白になってしまいました。あり得ないことが起きたのだから当然ですわね。そんな状態で順番が回ってきたものですから……ああ、思い出すのも忌々しい! まさかあんな無様を晒すことになるなんて! 一生の恥ですわ!」

「……え? 因縁ってそれだけ? 逆恨みですらなくない?」


 アヤがあまりにもストレートな感想を口にする。


 もうちょっと言葉を選んでも良いんじゃないかと思わずにはいられない、容赦という概念をどこかに置き忘れたかのような一撃だ。


「ていうかその流れだと、エヴァがあんたの名前を知らないのも当然じゃ……」

「なぁ、アヤ。相手、天使。お前、聖騎士。オーケー?」


 完全に素の口調での追及になっていたアヤに小声で指摘を加えておく。


 ロボットっぽい片言になった理由は、自分でも正直よく分からない。


「その後でちゃんと名乗りましたわ! ビュッフェスタイルのディナーを取皿いっぱいにかき集めているところを呼び止めて!」

「……あーっ! 思い出した! むしろ思い出したくなかった!頑張って忘れようとしてたのに! 後ですっごく恥ずかしくなったから!」


 エヴァンジェリンが顔を赤くしてエリシェヴァに食って掛かる。


 完璧な礼儀による挨拶の後で、完全に作法を忘れた食い意地を披露してしまった――これは確かに跡形もなく忘れ去ってしまいたい黒歴史だ。


 それを目撃した天使達もさぞ反応に困ったに違いない。


(原作通りの関係で感動的ですらあるんだけど、放っといたら話が全然進みそうにないな……そろそろレイヴンらしく横槍でも入れとくか)


 こんな風に個性の衝突事故が起きたとき、無理矢理にでも話を本題に引き戻すのも、原作レイヴンの大事な役割だ。


「彼女がここにいるのは偶然です。うちの船で働いてもらうことになった後で、たまたまこの仕事が転がり込んできたんですから」

「……そういう経緯でしたら、これ以上とやかくは申しません」


 エリシェヴァは短い溜息を吐いてから、俺達を呼び出した理由を口にした。


「依頼内容の変更を通達いたします。神器ケラウノスのレプリカの輸送をキャンセル。目的地を南西のヘラクレス空域から南東のアクィラ空域に。新たな輸送品目として……わたくし達と真の雷霆槍ケラウノスを指定させていただきます。よろしいですね?」


 ああ、やっぱりだ……軽い目眩を覚えて額を押さえる。


 俺は原作知識で既に知っている。


 このままだと、雷霆槍ケラウノスの輸送は間違いなく失敗する。


 撹乱工作も念入りな護衛も意味を為さず、ウルフラムが差し向けた連中によって強奪されてしまうのだ。

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