第七話 天界の十二神器

 リネットが言っていたとおり、アヤは美術館の中心付近の特別展示室にいた。


 部屋の三面の壁が大きなガラスケースになっていて、それぞれ一面ごとに三つの展示品が陳列されているだけの、空間をこれ以上なく贅沢に使った展示室だ。


 アヤはそれらの展示品の一つの前に佇んで、重苦しい顔で視線を落としている。


 その横顔があまりに真剣だったものから、気軽に話しかけるのが躊躇われてしまう。


(タイトルは『連作・天界の十二神器』……天界の『神器』のレプリカだな。本物はエーテリウムだけで作られてる設定だったけど、こいつは表面だけがエーテリウムなのか。それでも滅茶苦茶高価なお宝だろうな)


 金色とも白色とも言い切れない輝きの品々を眺めながら、添えられた解説にも目を通す。


 エーテリウムが持つ独特の色合いは、夜空に輝く星の色と形容される。


 あえて言葉にするなら、淡い金色を帯びた白銀とでもいうべきだろうか。


 一応、神器は『武器』であると設定されていたが、普通に剣や槍の形をしたものから、とてもじゃないが武器とは分類できないものまで、多種多様な代物が並んでいる。


(ていうか……これ見てもいいのか? 十二種類全部、名前もセットで飾られてるぞ? 原作だと、まだ名前すら分かってない奴がいくつもあったのに……くそっ、なんて贅沢だ。他のプレイヤーに自慢できないのが残念……てか、むしろ拷問だな)


 人にせよ物にせよ、作中世界で飛び抜けた存在という存在で、総数は最初から判明しているが、いきなり全部は登場せずに焦らされる――この手の想像の余地を残した設定のやり方は、どんなジャンルでも根強い人気を誇っているものだ。


 製作者的にも使い勝手がいいのもあるだろうが、顔出しだけ最初に済ませておく派生パターンも含めれば、その採用率はとんでもないことになっているに違いない。


 十二神器の設定もプレイヤー受けが良く、新しい情報が出るたびに界隈が盛り上がったものである。


(……『ケラウノス』のレプリカは……あった! 異形の武器って感じで、やっぱり迫力あるなぁ。現物だとなおさら凄いっていうか)


 第二神器、雷霆槍ケラウノス。


 二つの剣を柄頭で連結したようにも、短めの柄の両端に大きな刃が付いているようにも見えるシルエットの投擲槍。


 神器は黄道十二星座をモチーフとしていて、ケラウノスは牡牛座だ。


 牡牛座はギリシャ神話だとゼウスが変身した白い雄牛とされているので、典型的なゼウスのイメージに付き物な『雷霆』を武器らしくアレンジしたデザインになったらしい。


(原作だと暴走してヤバいことになってたよな……ゲームとして遊ぶ分には面白かったけど、実際に巻き込まれるのは御免だぞ)


 そして隣の神器に視線を移そうとしたところ、不意打ちで背後から声を掛けられた。


「あら、興味津々ね」

「わっ! アヤ!」


 思わず顔を上げると、にやりと笑ったアヤと目が合った。


 しまった。アヤの様子を見に来たつもりだったのに、ついうっかり展示品の神器のレプリカに気を取られてしまった。


 こんなもの見ずにはいられないに決まっているじゃないか。


「……そっちこそ、何見てたんだ?」


 改めてアヤが眺めていた台座に目をやる。


 そこに鎮座していたのは、芸術的な細工が施された星色の盃だった。


 大きさは片手に収まるかどうかで、他の神器と比べると格段に小さい。


 これも形状だけで言えばとても武器には見えないが、セレファンでは精霊術を発動させるための道具も武器として分類されるので、きっとそういう扱いになっているのだろう。


「第十一神器、神聖杯ネクタール……」


 原作では名前だけ登場していた神器だ。


 展示台に書かれていた解説によると、その効力は治癒の力。


 注がれた液体に天界のエネルギーを付与し、肉体の傷を塞ぎ、霊力を漲らせ、病魔を滅ぼす奇跡の水に変えるのだという。


 かなり誇張されている気はするが、強力な回復アイテムなのは間違いないだろう。


「せっかくだから、神器について軽く教えてあげましょうか? これでも聖騎士の端くれだから、それなりには詳しいつもりだけど」


 アヤにそう提案され、心が一気に揺らぐ。


 原作で説明された設定は一通り覚えているつもりだが、まだ語られていない情報があるかもしれないし、何よりアヤとこういう時間を過ごせる機会を逃すなんて、俺には無理だった。


 しかも都合のいいことに、他の客が展示室を立ち去ったタイミングだったので、変な目で見られることもなさそうだ。


「……そうだな、せっかくだし頼めるか?」

「じゃ、基本的なところからね。あんたがどこまで知ってるのか知らないし」


アヤの態度は普段の雑談のときと何も変わらない。


 さっきの重苦しい表情が嘘のようだ。


「いわゆる『普通の人間』が暮らしていられる高度は、基本的に『雲がある範囲』に限られるとされているでしょう? 雲が自然発生しなくなるくらいの上空だとか、逆にずっと下の雲海よりも更に下の高度になると、霊力が薄くなって飛空艇が飛べなくなるって奴」


 上に行けば行くほど、あるいは下に行けば行くほど、大気中の霊力の濃度は低下する。


 飛空艇は大気中の霊力を利用して宙に浮かんでいるので、霊力が薄くなればなるほど飛行コストが増大していき、アヤが言うところの『雲がある範囲』から外れると航行不能に陥ってしまうのだ。


「この範囲を越えてどんどん上昇し続けて、天使達の故郷とされる『天界』に近付いていくにつれて、今度は霊力の代わりに別のエネルギーが空間を満たすようになるの」

「確か『エーテル』だよな?」

「あら、意外と詳しいわね。基本から説明しなくてもよかったかしら」


 アヤはそう言って笑いながら、神器とエーテリウムについての解説を続けた。


「エーテルが結晶化したものが『エーテリウム』……天の星々を構成するとされる希少物質。天界でしか生成されず、地上に存在するのは大昔の天使が持ち込んだものか、流れ星として極稀に落ちてくる破片だけ。ジャンクヤードの上級精霊でも用意できなかったのは当然だわ」


 天竜戦争当時のフルスペックのグラティアなら、天界まで飛んでいくことも可能だったとされているが、現代の飛空艇には到底不可能。


 現代の天使にとって、天界はもはや伝説上の存在にも等しいのだ。


「神器は天界で創造された純エーテリウムのアーティファクト。全部でどれだけ造られたのかは知らないけど、地上に降臨した最初の天使達は十二の神器を携えていたそうよ。ここにあるレプリカのオリジナルね」


 オリジナルの神器の凄まじさは、原作知識である程度は理解している。


 原作メインストーリーでは、暴走した『雷霆槍ケラウノス』を止めるという名目のバトルが用意されていたのだが、これがまたとんでもない強敵だった。


 メインストーリー前半で最大の難所とされるほどの難易度で、シナリオ中では天変地異も同然の扱いを受けていたくらいだ。


 他にも、失われた神器の一つ『氷甲殻カルキノス』は期間限定イベントの題材として登場していて、暴走したことで浮遊島を丸ごと凍結させ、森林すら真っ白に凍りついた極寒の大地に変えてしまっていた。


 そんな代物が破壊されるなんて、天竜戦争は一体どれほど凄まじかったのだろうか――という話題は、プレイヤーの間での定番の語り草だった。


「長きに亘る戦いの中で、十二の神器のうち三分の二が失われた。こんなに喪失した原因は、当時のドラゴンが今以上に強かったのもあるけど、環境の問題も大きかったらしいわ」

「環境?」

「高濃度のエーテル環境下で使うことを前提に造られてたから、地上だと性能を発揮しきれなかったっていうアレよ。まぁ……未加工のエーテリウムを消費して、一時的にエーテル濃度を上げる手段もあったみたいだけど。コストが半端ないから最後の切り札だったみたいね」


 ……確かにそういう考察もあったけれど、まさか本当にそうだったのか。


 やっぱり、この世界を生きる本人からダイレクトに話を聞けるというのは、心が踊って仕方がない。


「で、残った四つの神器は、四大天使の末裔とされる一族の当主が管理することになったの。例えば神聖杯ネクタールはデウスクーラト家に。雷霆槍ケラウノスは……ルクスデイ家に」


 思わず驚きに息を呑む。


 その情報自体は既に知っている。

 メインシナリオで明らかにされた設定なので、今更驚くようなことじゃない。


 俺が驚いたのは、それが他でもないアヤの口から語られたからだ。


 エヴァンジェリンのことを何よりも第一に考えるアヤが、いくら本腰を入れて調べたら分かる情報とはいえ、エヴァンジェリンの秘密を自主的に打ち明けてくるなんて。


 もしかして、俺のことを信用できる奴だと思うようになってくれたのでは――そう考えてしまうのは自意識過剰だろうか。


「神器を託されるほどの家柄でありながら、世間に公表できない理由で聖域を追放された……それがルクスデイ家。だから今回の依頼主も、ルクスデイ家を快く思っていないかもしれない……万が一ってこともあるから、頭の片隅に置いといてくれないかしら」

「なるほど。何でこんなに親切なんだろうなって思ったら、やっぱりエヴァンジェリンのためだったのか」

「当たり前でしょう? 他にあると思う?」


 あっさりと言い切られてしまい、思わず苦笑いを零してしまう。


 ここまで貫き通されると、原作プレイヤーとしての好意を通り越して、むしろ尊敬の念すら湧いてくる。


 俺の反応を見て何か言いたげな顔をするアヤだったが、実際に口を開こうとしたタイミングで、依頼主の使用人が俺達を迎えに来てしまった。


「もうそんな時間? しょうがないわね……行きましょう、レイヴン。さっき言ったこと、忘れないでね」

「分かってるよ。もしものときは艦長らしく対応するさ」


 アヤは返事の代わりに満足そうな笑みを浮かべ、踵を返して展示室を出ていった。


(艦長らしく、か。そんな台詞が勝手に出てくるなんて、俺も『レイヴン』らしく生きるのに慣れてきたのかもな)

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