第六話 デウスクーラト美術館

 服飾店での一件から一夜明け、俺達は予定通りにデウスクーラト美術館の門を潜った。


 まるで宮殿のように豪華な造りの建築物だ。


 エヴァンジェリンとリネットは綺羅びやかな内装に目を奪われ、サーシは自分が場違いなのではないかと縮こまっている。


 唯一、アヤだけは普段通りの落ち着きを保っていたが、恐らく聖騎士の職務上、こんな雰囲気の建物は見慣れているのだろう。


(この建物……原作でも背景イラストにあったけど、中は美術館になってたんだな……まさか今になって謎が解けるとは……)


 誰にも打ち明けられない新発見に心を踊らせながら、宮殿のホールじみたエントランスを軽く見渡す。


 天使とその従者。高級な服に身を包んだ各種族の上流階級。


 落ち着いた態度で上品に芸術を鑑賞する者達に混ざって、俺達と同じように戸惑いまくった連中がちらほらと視界に映る。


「……あいつら、同業者っぽいな。俺達みたいに雇われたのか?」

「あら、見た目で分かるの?」


 アヤがからかうような言葉を投げかけてくる。


 今日のアヤの服装は黒を基調としたスマートなパンツルックだが、しかし男装と呼べるほどではなく、一部の目立つ起伏やしなやかな身体のラインが上品に演出されている。


 正直に言って、かなり良すぎる。

 デウスクーラト美術館のドレスコードを遵守しつつ、アヤの魅力を最大限引き出す工夫が凝らされているのがよく分かる。


 あの店長には心からの感謝と称賛を贈りたかった。


「当たり前だろ? 俺も人のことは言えないけど、上流階級しか招待されないはずの美術館には不釣り合いな奴らばっかりだ」


 しかしジロジロ見ていたら気色悪がられるかもしれないので、どうにか気合を入れて真面目ぶった態度を取り繕う。


「多分、今回の依頼はかなり大規模な輸送計画なんだと思う。俺達が考えてた以上に。相当な量の荷物を運ばないといけないから、大勢の運び屋を一度に纏めて雇ったんだ」

「なるほど、それなら納得だわ」


 アヤは口の端を上げてにやりと笑った。


「ケフェウス王やドレッドノートはああ言ってたけど、名門天使から持ち込まれた仕事を、適当な運び屋に回せるわけがない。それこそ沽券に関わるもの。でも『とにかく頭数を集めろ』って前提なら話は別ね」

「……俺としては、普通に信頼されてるんだって思いたいかな」


 まぁ十中八九、アヤの予想で大当たりだ。


 まさか追放天使が働いている運び屋だとは思わなかった――彼らは天使教会にそう言い張るつもりで俺達に仕事を回してくれたわけだが、相手はこの世界でも屈指の特権階級のデウスクーラト家。


 その他大勢の一部でなかったなら、こんな言い訳は通じないはずだ。


「まだ集合時間は先だよな。せっかくだし展示でも見て回ろうか」

「賛成。エヴァとかもう我慢できそうにないみたいだしね」


 わざわざ班分けまでは決める必要はないだろう。


 各々が好きな展示を見に行こうという流れで、集合時間と集合場所だけを決めて解散する。


 原作では描写されなかった芸術品の数々に、俺も視線を奪われずにはいられない。


 館内に流れる穏やかな音楽は、驚くべきことに生演奏だ。


 展示区画ごとに小規模な楽団を配置して、雰囲気に合わせたBGMを演奏させている。


 現実なら昔の王侯貴族がやっていたようなことだが、この世界における天使とはまさにそういう立ち位置なのだ。


(……お、エヴァンジェリンとサーシだ)


 見上げるほどに大きなタペストリーの下で、エヴァンジェリンとサーシが肩を寄せて首を後ろに傾けていた。


 そのタペストリーの題材は――四大天使の降臨。


 上半分には四人の天使が翼を翻して降りてくる様子が描かれ、下半分では七体のドラゴンが天使の威光に怯む姿が描写されている。


「えっとねー……左から順番に、神の似姿クウィストデウス、神の精鋭ウィルフォルティス、神の恩寵デウスクーラト、神の光輪ルクスデイ……だったかな。ちょっと自信ないかも」

「ということは、一番右の天使がエヴァンジェリンのご先祖様……?」

「かもね。本当のところは、お父さんにも分からなかったみたいだけど」


 エヴァンジェリンとサーシは楽しそうにタペストリーを鑑賞している。


 この辺りの話題は原作でもあまり詳しく語られていない設定だ。


 正直、かなり興味深くはあるのだが、今はそれより気になることがあった。


(珍しいな。アヤがエヴァンジェリンの傍にいないなんて。ここは警備が厳重だから、間違いなく安全ではあるんだろうけど……新しい友達と遊ぶ邪魔はしたくないってことかな)


 俺も二人の邪魔をしないよう、声を掛けずに違う展示へ移動する。


(あれは、リネットと……グラティア? いつのまに端末なんか飛ばしたんだ)


 地味ながらもドレスコードに合わせた格好のリネットが、肩にミニチュアサイズのグラティアの端末を乗せて、柵から身を乗り出して吹き抜けの下を眺めている。


 しかし不思議なことに、どう見てもやかましく騒いでいるはずなのに、物音も声もさっぱり聞こえてこない。


 まるで二人の周りだけミュートにされてしまったかのようだ。


(……ああ、リネットの精霊術だな。確か非戦闘スキル『サイレントルーム』だったっけか。作業場に展開して騒音を軽減させるのが本来の用途だとか何とか……迷惑にならないように気を使ったんだろうな)


 二人してあまりに盛り上がっているものだから、さすがに何を見ているのか気になってしまい、俺もリネットの隣に来て吹き抜けを見下ろしてみることにした。


 近くに来てみると、半透明の霊力の壁が二人を囲んでいるのが分かる。


 遮音も完全というわけではないのか、手の届く距離まで近付くと音漏れしているのが分かったが、それでも会話を聞き取れるほどではない。


 ホログラムのような壁を通り抜けた瞬間、リネットの歓声が耳に突き刺さった。


「いやマジで凄いな! 何分の一スケールなんだ!?」

「実に精巧な縮小模型です。この端末の本艦であれば、現物と同様に乗り込むことができる可能性があります」


 急に音量が上がったことに思わず面食らう。


 声を掛けたら邪魔にならないか悩んでいると、リネットの方が俺に気付いて無遠慮に手招きをしてきた。


「お、レイヴンも見てみなよ。グレイル級の復元模型だってさ」

「うおっ、本当だ」


 俺達が今いる場所は、ちょうど大きなホールの吹き抜けの上階部分に位置している。


 その吹き抜け部分の中間辺りに、ミニチュアと呼ぶには大規模すぎる飛空艇の模型が、三隻ほど空中に固定されて並べられていた。


 グレイル級の精巧極まりない縮小復元模型を、上からも下からも鑑賞できる展示コーナーというわけだ。


「なぁなぁ、レイヴン! グラティアのデータアーカイブ覗いてみて、初めて知ったんだけどさ! グレイル級って強化形態に変形できるんだってな! あの模型、真ん中のはグレイル級の基本形態で、横にあるのは二種類の強化形態!」


 リネットがまるで子供のようにはしゃぎながら、目を輝かせて吹き抜けの手すりから身を乗り出す。


「高速飛行形態は世界を一日と掛からず一周できるうえ、空の彼方の天界まで飛んでいける! 最大火力形態はたった一隻で艦隊の一斉砲撃を凌駕する! グラティアもシステム直したら変形できるんだろ? 見たいなぁー、原寸大ならもっと格好いいんだろうなぁー」

「そのためには、霊力増幅装置を兼ねた『リミッター解除キー』を再製造する必要があります。しかし素材の入手が極めて困難であり、変形機能の修復の優先順位は低いと判断。現在は保留とさせていただいております」


グラティアはいつものように感情の起伏を感じにくい喋り方をしているが、明らかに普段よりも饒舌になっている。


「エーテリウムだろ? しかもデカい剣が作れるくらいに大量の! ドレッドノートですら調達できない希少金属なんて、あたしらには到底無理だよなぁ……確か、アーカイブには『マスターキー』があるとかあったけど……」

「マスターキーの入手は不可能です。エーテリウムの調達を試みる方が現実的でしょう。本艦も可及的速やかに強化形態を取り戻したいと考えておりますが……」


 リネットとミニグラティアがちらりと俺に視線を向ける。


 そんな目で見られても無理なものは無理だ。


 原作のグラティアは二つの強化形態を披露したが、それはどちらも幸運が重なったことで、貴重な『マスターキー』を借りることができたからこそである。


(ていうか、二人とも楽しそうに……羨ましいな、くそっ)


 大人げない不平不満を黙って噛み潰す。


 俺だってテクノロジー関連の話題に混ざりたいと思っている。


 だけど『レイヴン』とリネットは前々からの顔馴染み。


 原作知識ありきで熱く語ったりしたら、どう考えても違和感しか与えないに決まっているので、我慢してよく分かっていない振りをするしかないのだ。


「鍵が手に入っても、すぐにはどうこうできないだろ。変形するための機構も直さないといけないんだからさ」

「実は問題ないんだな、これが。グラティアの自己修復があんまりにも高性能なもんだからさ。せっかくだからと思って、その辺の機能もまるっと直しちゃったんだわ。ほら、レイヴンも『直せるところは一通り直してくれ』って言ってただろ?」


 そう言って自慢気に笑うリネット。


 確かに言った。言ったのは間違いないのだけれど、鍵さえあれば高速飛行形態も準備万端なんてのは想像を超えていた。


 ちょっとリネットとグラティアを甘く見すぎていたかもしれない。


 特にリネットの飛空艇技師としてのこだわり具合を。


「いやまぁ正確には、直せる部分を全部直したら結果的にそうなってたってだけだし、準備できたのは高速飛行形態だけで、最大火力形態は全然なんだけどさ。グラティアの武装を核にして強化変形するっていう仕組みだから、丸腰だと鍵があっても無理なんだわ」

「それはさすがにな……勝手に再武装までされたらマジで困るぞ」

「分かってる分かってる。民間船の武装手続きがどんだけメンドイか、身をもって理解してるからねぇ」


 これもメカニックならではの気苦労というものなのだろう。


 さてと、そろそろ他の場所に移動しようか――そんなことを考えた矢先、リネットが予想もできないことを口走った。


「あっ、そうそう。エーテリウムで思い出した。アヤなら『神器』のレプリカ展示コーナーに行ったっぽいぞ」

「な、何でそうなる!?」

「エーテリウムといったら神器だろ? 別に『多分こいつアヤのこと探してるな』とか思ってないから。ほんと思ってないから」


 露骨に他意がある顔でニヤニヤと笑うリネット。


 思えば原作のリネットもこういう奴だった。


 一番好きなのはメカ弄りだが、他人の色恋沙汰を弄るのもその次くらいに好きな性格。


 原作では、主に『レイヴン』とエヴァンジェリンがターゲットになっていたものだ。


(別にアヤを探してたわけではないけど……神器のレプリカってのは気になるな。せっかくだし、俺も見に行ってみるか。アヤがいるからってわけじゃなくて、目玉の展示を見ずに帰るのは損だしな、うん)


 誰に聞かせるわけでもない言い訳を並べ立てながら、俺はひとまずこの場を離れることにしたのだった。

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