第四章 綺羅びやかな芸術の島
第一話 空賊事件多発地帯
一隻の飛空艇が静まり返った夜空を飛んでいる。
それは民間船でもなければ軍艦でもなく、現実における海賊船を思わせる外観をしており、そして事実、この船の乗組員は『空賊』と呼ばれる空の無法者であった。
彼らが探しているものは、夜間航行中の民間輸送船だ。
空域を跨いだ航行は数日掛かりの旅となり、多くの船は空の上で夜を過ごす。
空賊達はそこを狙って略奪を働くことを企み、警戒が薄そうな飛空艇を探して音もなく夜空を渡っていた。
――やがて、彼らの目の前に絶好の得物が現れる。
白い外装の金属艦。
帆もプロペラもなく、見るからに普通とは思えない構造だが、その速力は普通の飛空艇を明らかに上回っている。
しかし武装はどこにも見当たらず、他の飛空艇が護衛している様子もない。
秘密裏に開発されていた新型飛空艇か、それとも富豪の道楽か。
金目の物を積んでいるかどうかは不明だが、船体を売り飛ばすだけでも大金を得られるのは間違いないだろう。
空賊達は奇妙な船に対する警戒心よりも、襲撃によって得られるであろう利益を優先し、あの飛空艇を今夜のターゲットとすることに決めた。
――彼らの略奪方法は常に同じ。
ハンググライダー型の滑空装置を使って生身で母船から飛び立ち、風の契約精霊の力で急加速。
そのままターゲットに取り付いて奇襲を仕掛け、略奪を働くというものだ。
白い金属艦は異様に速く、後ろから追いつくのはまず不可能だったが、今回は空賊達の船が前を飛び、金属艦に追い抜かれそうになっているというシチュエーション。
すれ違いざまに速度を合わせるという形で、数名の空賊が首尾よく後方甲板に着地を成功させた。
よもや追い抜いた飛空艇から、生身の人間が乗り込んできたとは思うまい――そんな優越感もあってか、空賊達はにやにやと笑いながら、艦内に通じる扉の破壊に取り掛かった。
――次の瞬間、その扉が内側から勢いよく蹴り明けられる。
一番近くにいた空賊が無様な悲鳴を上げて吹き飛ぶ。
そして他の空賊達が武器を構えるよりも速く、雷光と斬撃が全員の霊力防壁を一瞬のうちに打ち砕いた――
◆ ◆ ◆
「はい、おしまい。あんまり大したことなかったわね」
俺が後方甲板に到着したときには、既に戦闘は終わっていた。
ドレッドノートが忠告してくれた通り、ライラ空域を目指す旅路は、とにもかくにも空賊だらけであった。
しかしこれまたドレッドノートの読み通り、この辺りの空賊はグラティアにとって何ら問題にならない程度の脅威でしかなかった。
第一に、グラティアは索敵性能もオーバーテクノロジーだ。
天竜戦争の時代に作られたレーダー的な索敵装置を標準装備し、周囲にどんな飛空艇がいるのか常時把握することができる。
それを使って船の装備や飛行ルートを分析すれば、相手が民間の船なのか聖騎士団の船なのか、あるいは空賊の船なのかも一目瞭然。
後は速力を活かしてさっさと逃げ切るのも、今回のように誘い込んで返り討ちにするのも自由自在というわけだ。
「さてと、誰の差し金か白状してもらうとしましょうか」
「その前に、これでも羽織っとけよ。いくらなんでも寒いだろ」
腕を通さずに着ていた上着をアヤに投げ渡す。
アヤはきょんとした顔でそれを受け取り、俺と上着の間で何度か視線を往復させてから、微笑むように相好を崩した。
「お気遣いどうも」
空賊を誘い込んで捉えようという話になったとき、アヤは寝巻き姿のまま――パジャマの類ではなく、黒いタンクトップに緩いショートパンツを合わせただけの簡素な服装だ――現場に向かってしまった。
見ているこっちが肌寒くなってくるし、胸を持ち上げるように腕組みをしているものだから、どうしても目のやり場に困ってしまう。
そんな心境を誤魔化すように、通信ウィンドウで艦内のリネットに連絡を取る。
「こちら後方甲板。予定通り拘束用のロープか何か頼む」
霊力防壁が破壊された以上、この空賊達はしばらく精霊術を使えない。
しかし生身で抵抗することはできるので、念には念を入れた方がいいだろう。
『りょーかい。にしても、意外と紳士だねぇ。レイヴンのタイプってああいうのだっけ?』
「んなっ!? お前、いつから見て……」
『てっきりエヴァンジェリンみたいな娘が好みだと思ってたんだけどね。意外な伏兵もいたもんだ』
「どうしてそんな話になるんだよ」
ニヤけるリネットが映ったディスプレイから目を背ける。
そのとき、上着に袖を通すアヤの背後で、突風が不自然に渦を巻く。
普通なら風なんて見えるわけがない。
にもかかわらず、それが俺の目に見えた理由は、風が光を放つ霊力を帯びていたからだ。
「アヤっ!」
「……っ!」
俺の視線だけで背後の異変を察したのか、アヤは素早く振り返ると同時に、俺のすぐ手前まで大きく飛び退いてきた。
「グラティア、アナライズ!」
解析スキルの結果がウィンドウに表示されたのとほぼ同時に、不自然な旋風が半透明の人間の姿に変化していく。
「風属性、一つ星の中級精霊……空賊と契約してた奴か……?」
一体何事かと身構えたが、想定していたよりも普通の相手だった。
精霊は『下級』『中級』『上級』の三つに分類される。
下級精霊は単なる霊力の塊とあまり変わらず、明確な意識や人格も備わっていないため、まだ人間と契約を結ぶこともできない。
上級精霊はジャンクヤードのドレッドノートが典型例で、端末と巨大な本体を自由自在に使い分け、人間では足元にも及ばない強大な力を振るうことができる。
契約相手の数も、数十人や数百人、場合によっては数千人に及ぶほどだ。
中級精霊はその中間。
本体は人間と大差ない規模で、契約できる人数も多くなく、ゲーム中のエネミーとして登場して倒されることすらある。
喩えるなら、下級精霊は動物で中級精霊は人間、上級精霊は神様というイメージだ。
というわけで、思わず安堵に胸を撫で下ろしてしまったのだが……相手にとっては挑発同然のリアクションに映ってしまったようだった。
「貴様! 俺の契約者を蹴散らしたのみならず! この俺まで侮辱するとはな!」
風の精霊を中心に暴風が吹き荒れる。
「レイヴン、下がってなさい。あんまり汗は掻きたくなかったんだけど、もう一仕事片付けないといけないみたいね」
「一人で俺に勝てるつもりか? どいつもこいつも舐めた真似を! よほど命が要らないと見え……」
まさにそのときだった。
突如として風の精霊の真下が発光したかと思うと、そこから何本もの半透明の鎖が勢いよく飛び出してきて、精霊を縛り上げ引きずり倒してしまった。
「ぐはあっ!?」
俺とアヤも驚きに顔を見合わせる。
すると今度は、背後からサーシの気まずそうな声が聞こえてきた。
「遅くなりましたぁ……あの、お手伝いのつもりだったんですけど……余計なことしちゃってたりとかは……」
「むしろ楽できて助かったけど。そんなことより、今のってあんたの精霊術?」
「は、はい。えっと、降霊に失敗したりするとですね、悪霊とか呼び出しちゃうことがあるんです。そういうときに使う精霊術、ですね。精霊にもちょっとは有効なので……」
サーシは安心したように表情を崩した。
この鎖、原作でいうところの『ソウルバインド』だろうか。
対象に確率で攻撃デバフとスタンを付与し、幽霊や精霊の特性を持つエネミーには付与確率が上昇するという効果の精霊術である。
ビジュアル的な演出も、さっきと同じく足元から鎖が伸びてくるというものだったから、十中八九間違いないだろう。
原作キャラクターではないサーシが、原作にもあったスキルを使う――理由は言葉にし辛いのだけど、何だか心が踊る光景だ。
「さて、どうして私達を狙ったのか、じっくり追及させてもらうとしましょうか」
「ま……待て!」
追及を試みるアヤに、空賊の精霊はすぐさま白旗を上げた。
「こんな船、どこからどう見ても金になるとしか思えないだろ! そのくせ護衛の船もいなかったから、好都合だと思って狙ったんだ! それだけだ!」
「ふぅん? 誰かにそそのかされたとかは?」
「ない! 本当だ! お前達がこんなに強いと知ってたら、もっとマシなやり方で乗り込んでたよ!」
この態度を見る限りだと、嘘を吐いているようには感じられない。
そもそもウルフラムは、俺達の目的地を把握していないはずだ。
アスクレピオス空域を目指していることも、その途中でライラ空域を経由することも知らないのだから、先手を打って空賊に根回しするなんて不可能に決まっている。
とりあえず、今回のところは『空賊の襲撃は偶然』と考えた方が良さそうだ。
倒した空賊達を改めて縛り上げ終えたところで、サーシがふとした疑問を口にする。
「……そういえば、エヴァンジェリンはどこに?」
「エヴァならまだ寝てるけど」
「え……? すっごくうるさかったと思うんですけど……警報も電撃も……」
「あの子、一度寝たら朝まで起きないから。夜中に起こそうと思ったら、物理的に叩き起こすしかないんじゃない?」
ぽかんとした顔で絶句するサーシ。
俺もエヴァンジェリンの寝付きの良さは知っているつもりだったが、まさかあれほどの大音量でも太刀打ちできないとは。
そのくせ朝はちゃんと時間通りに早起きするあたり、本当に不思議なものである。
エヴァンジェリンの幸せそうな寝顔を思い浮かべながら、俺はスタンしたまま縛り上げられた空賊を、力任せに艦内へ引っ張っていったのだった。
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