第七話 復活のグラティア

 それから数日後、遂に俺達は出港準備を終えたグラティアに乗り込んだ。


 幽霊船としか思えなかった外観は、現役当時の純白の輝きを取り戻し、廃墟も同然だったボロボロの内装は、床も壁も滑らかで亀裂一つ走っていない。


 元々が軍艦なので華やかさはないが、新築のビジネスホテルを思わせる清潔感に満たされていて、空気すら爽やかなように感じられる。


 いや、空調設備も自己修復が進んでいるはずだから、実際に前よりも空気が良くなっているのかもしれない。


 艦内照明の霊力灯も眩しすぎず暗すぎずのちょうど良さだ。


「わぁっ! この部屋も凄い! こんなにいい部屋が客室なんですか!?」

「私の家より、ずっと豪華かも……」


 部屋を一つ覗くたびに、エヴァンジェリンとサーシが無邪気な歓声を上げる。


 隠されていない翼が無自覚にパタパタと動いていて、後ろから見ているだけでも興奮がハッキリと伝わってくる。


 そして二人ほど騒いではいないものの、アヤとリネットも何となく足が地に着かないでいる。


 もっとも、リネットは補給作業を指揮したメカニック本人なので、興奮の理由は正式にグラティアのクルーになれたことなのだろう。


「さすがは天使が前線にいた時代の飛空艇ね。隅から隅まで快適性の塊で、聖騎士団の軍艦が鶏小屋に思えてくるわ」

「いやぁ、関わってみて分かったけど、本当にヤバい船だよな! 真っ白な外装も、アレだろ? 雲上迷彩! すぐに汚れて台無しになっちまうから、普通は思いついてもやれない代物なんだけど、自己修復機能があるなら問題にならないってわけか!」

「……ところで、今更なこと訊いてもいい?」


 アヤは魔力照明に照らされた廊下を見渡しながら、俺の肩を小突いてきた。


「私とエヴァを合わせても、五人しかクルーがいないわけだけど、本当に大丈夫なんでしょうね。全然足りないんじゃないの?」

「ああ、それは……百聞は一見に如かず、だな。グラティア、頼めるか?」


 俺が何もない空間に向かって声をかけると、そこにグラティアの精霊体が実体化する。


「了解しました。出てきなさい、ブラウニーズ!」

『イエス、マム!』


 グラティアの号令に、甲高い声の四方八方から返事が飛んでくる。


 更に艦内のあちらこちら――使われていない客室や廊下の曲がり角、果ては天井を通るダクトから、小柄な人影が次から次に飛び出してきた。


 それは大人の背丈の三分の二ほどの小さな少年少女であった。


 背丈がやけに小さいことと、髪や瞳がブラウン系の色をしていることを除けば、どの子供もグラティアにそっくりで、かつお互いに瓜二つである。


「はあっ!? 何、精霊!?」


 驚きに目を剥きながら、ぶつからないよう壁際に飛び退くアヤ。


「ひゃああああっ!? な、何なんですかこの子ー!」


 今まで聞いたこともない声量で、上擦った悲鳴を響かせるサーシ。


「きゃーっ! 可愛い!」


 その隣で黄色い声を上げるエヴァンジェリン。


「ブラウニーってことは、妖精さんですよね? 初めて見ました!」

「厳密には、妖精ではなく精霊です。妖精はあくまで生物の一種ですが、精霊は高密度の霊力の集積体であり……細かい定義は脇に置くとして、彼女達のことは本艦の分身のような存在だとお考えください」


 ブラウニー。チョコレートケーキの一種と同じ名前だが、この場合はイギリスの民間伝承に登場する『お手伝い妖精』が元ネタになっている。


 典型的なイメージだと、服を着た小綺麗なゴブリンに近いものらしいが、ここにいるブラウニー達はグラティアの分身だからか、小柄で可愛らしい子供の姿形をしていた。


「これより本艦の雑務は彼らが担います。皆様の身の回りのお世話も職務のうちですので、ご用件があれば遠慮なくお申し付けください」

「人工精霊が人工精霊を作るとか……規格外にも程があるでしょ。でも、これでクルーの問題もないってわけね。よーく分かったわ」


 アヤはブラウニーズに囲まれて、眉を顰めて頷いた。


「とりあえず、最初のリクエストいい?」

「はい、何なりと」

「さっさと離れてもらえないかしら。一歩も動けないんだけど」


 大真面目な顔でそんなことを言うものだから、思わず吹き出してしまう。


 もちろん悪いとは思っている。だから人を殺せそうな目で睨まないでくれ。


◆ ◆ ◆


 一通り艦内を見て回った後は、艦橋で出港に向けた最後の準備に取り掛かる。


 艦長席は他の座席よりも一段高い場所にあるので、ブラウニーズが手際よく計器を操作している様子がよく見えた。


 数日前まで埃と汚れに覆われていた大窓も、今は隅々まで磨き上げられていて、文字通りの透き通るような青空が大パノラマで広がっている。


 相変わらず、ファンタジーよりもSF風味の強い光景だが、これもセレスティアル・ファンタジーというゲームの個性の一つだ。


「ひとまず一段落ってとこかしら。後は専門家に任せましょうか」


 アヤが俺のすぐ近くの席に――恐らくは副艦長席だろう――腰を下ろす。


 艦橋にいるのは、メカニックのリネットとグラティア達だけではない。


 アヤとエヴァンジェリン、そしてサーシもまた、自分もクルーの一員だからということで、自主的にリネット達を手伝ってくれていた。


「それじゃあ、出発前に今後の計画を振り返っておこうか。エヴァンジェリンとサーシも聞いてくれ。おっと、座ったままでいいから」


 座席から慌てて立ち上がろうとしたサーシを手振りで制し、出港後のプランを改めて説明する。


「ケフェウス王から請け負った依頼は二つ。まず一つ目の依頼は、ここから南へ向かった先にある『ライラ空域』に特別な羊毛を運ぶ仕事だ」


 ライラ空域は琴座モチーフの空域だ。


 琴座は小さな星座だが、全部で二十一しかない一等星の一つが存在している。


 その名前はベガ。いわゆる七夕の『織姫』である。


 もちろんこれも設定に反映されていて、ライラ空域のベガ島は空域自体の規模の小ささとは裏腹に、セレファンの世界で第五位の大都市であるとされていた。


「ライラ空域の別名は芸術空域。絵画に音楽、演劇に文芸、建築に服飾。俺達が運ぶ羊毛も、そのための材料ってわけだ」


 アヤが苦い顔で顔を逸らし、エヴァンジェリンが愛らしく苦笑する。


 積荷の羊毛はシェパード島で育った羊の毛だ。


 つまり、アヤとエヴァンジェリンが巻き込まれた例の群れの羊達である。


「二番目の依頼は……現時点では詳細不明。他の誰かに『運び屋を紹介してくれ』って頼まれたのを、俺達に回してくれたらしい」

「依頼主も仕事内容も本人に合うまで分からないんでしょ? 王様の紹介じゃなきゃ誰も受けそうにないわね」


 わざとらしく肩を竦めたアヤに、俺も軽く頷いて同意する。


 これがケフェウス王の紹介じゃなかったら、さすがの俺もこんなに軽々しく飛びついたりしていない。


「羊毛をベガ島の市長に引き渡したら、そこで次の積荷を受け取る。届け先は更に南西のヘラクレス空域コルネフォロス島だ。補給費用を支払うための仕事はこれで完了。そこから南に向かって少し飛べば、晴れてアスクレピオス空域に辿り着くってわけだな」


 いつの間にか、グラティアが頭上に霊力の球体映像を出現させ、飛行予定のルートを分かりやすく点と線で表示してくれていた。


 この世界の大きさを地球と同じくらいだと仮定するなら、ここケフェウス空域からライラ空域までの前半部分と、ライラ空域からヘラクレス空域までの後半部分は、どちらも日本列島を縦断するくらいの距離がある。


 もちろん俺の目測に過ぎないので、厳密に計算したら違うのかもしれないのだけれど。


「普通の飛空艇なら、ライラ空域まで一直線に飛んでも三日は掛かる。でもグラティアなら半分以下だ。きっと明日の今頃には――」


 そのとき、通信用のウィンドウが開いて、管理者ドレッドノートの姿が――巨大な本体ではなく軍服少女型の小型端末だ――大きく映し出された。


『お邪魔するよ、レイヴン艦長。出発前に伝えたいことがある。構わないかな?』

「ええ、大丈夫ですよ」

『ありがとう。それではまず、リネットを預かってくれたことに感謝を。彼女にはこれまでよりも一段上の加護を与えてある。自動修復機能の助けがあれば、グレイル級の整備を一手に担えるはずだ』


 ドレッドノートの話に耳を傾けながら、艦橋内のリネットの座席に目をやると、リネットは自慢気に胸を叩いてみせた。


 リネットの心強さは原作でよく分かっている。


 グラティアが損傷を受けたときの修理のみならず、更に強化を重ねるときにも頼りっぱなしだったくらいだ。


『もう一つは老婆心からの忠告だ。ここ最近、ライラ空域周辺で空賊の活動が盛んになっているらしい。グレイル級にとっては驚異にならないかもしれないが、万が一ということもある。気に留めておいてくれ』

「分かりました。気をつけます」

『こちらからは以上だ。幸運を祈る。よい旅を』


 ドレッドノートの姿と通信ウィンドウが掻き消える。


 ――万が一ということもある。


 その言葉を改めて心に刻み込む。


 これまでは本当に調子よく物事が進んでいるが、これからも都合のいい展開ばかりが続くとは限らない。


 俺は改めて覚悟を固め、気合を入れて出港を宣言した。


「……よし、時間だ! 飛空艇グラティア、発進!」

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