第四話 少女達の密やかな歓談
――時は少しだけ遡る。
艦長のレイヴンが、ケストレル工房で仕事の打ち合わせをしていた、ちょうどその頃。
エヴァンジェリンはベッドの縁に腰を下ろし、シャワーを浴びてしっとり湿った翼を広げ、気持ちよさそうに金色の髪を乾かしていた。
「ごめんね。乾かすの手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ……そんなことは……天使様の翼に触れるだけでも光栄ですし……」
濡れた純白の翼を拭いているのは、アヤではなく降霊術師のサーシであった。
「もう。天使様じゃなくって、エヴァでいいんだってば。没落天使なんて普通の人と全然変わらないんだよ?」
「そ、それでも天使様は天使様ですから……善処はしますけど……あはは……」
アヤが使用中のシャワールームから、水滴が床を叩く音が聞こえてくる。
サーシは『天使様』と二人きりの状況に緊張しているが、このシチュエーションはエヴァンジェリン自身が望んだものだった。
ほんの少しでもサーシと打ち解けたいと思い、サーシを部屋に呼んだタイミングでアヤが席を外すようにして、二人きりで『ごく普通』の会話ができる場面を整えたのだ。
もしもアヤがここにいたなら、きっとサーシはいくらエヴァンジェリンから話しかけられても、直接返答せずにアヤを介して答えようとしたに違いない。
まるで領民と貴族が、従者を間に挟んでやり取りをするかのように。
「私ね、降霊術師に会ったの初めてなんだ。どんな幽霊でも呼べちゃうの?」
「い……いえ……何でも呼べるわけじゃなくって、色んな条件を整えて、成功率を上げないと……無理な場合は本当に無理ですから……」
「へぇ! 条件って、どんな?」
「えっと、亡くなった場所から遠くなるほど、難しいとか……遺品があれば呼びやすくって、遺体があればほぼ確実とか……同じ霊をもう一回呼ぶには、長めのインターバルが必要だとか……特定の霊を呼び出すよりも、条件に合う人なら誰でもいいから来てください、って呼ぶ方が上手くいくとか……」
目を輝かせたエヴァンジェリンにせがまれて、サーシは視線を泳がせながら、専門家ならではの知識を思いつくままに喋り続けた。
「あの……こんな話、楽しいですか?」
「うんっ!」
「薄気味悪かったり……」
「全然っ!」
言葉を失って手を止めるサーシ。
エヴァンジェリンは背後のサーシの反応に気付くことなく、楽しげに声を弾ませながら別の質問を投げかけた。
「そういえば、サーシってどうしてシェパード島にいたの?」
「ふへっ? え、ええと……お仕事です。詳しいことは話せませんけど……」
「守秘義務っていうの? 凄いなぁ。私と同じくらいの歳なのに、凄くしっかりしてて」
「し、しっかりなんて、してませんよぉ」
サーシは照れた様子で、エヴァンジェリンの翼をタオルでわしわしと掻き乱した。
エヴァンジェリンの褒め方は少しばかり大袈裟なところもあったが、サーシはそれですらクリティカルしてしまうほどに褒められ慣れていないようだった。
「そういう天使さ……エヴァンジェリンはどうしてシェパード島に?」
「私はね、お姉ちゃんを探しに来たんだ」
「お姉さん……? えっと……それってやっぱり、天使様だったり……」
「当たり前でしょー。でも入れ違いになっちゃったから、今度こそって感じでアスクレピオスを目指してるってわけね」
ベッドの縁に腰を掛けたまま、楽しげに足を揺らすエヴァンジェリン。
その視界の外、広げた翼の後ろで、サーシがぎこちなく表情を強張らせる。
果たしてそれは、どんな感情が込められた表情の変化だったのか。
単にエヴァンジェリンの姉がシェパード島にいた事実を驚いているようにも、何かしらの後ろ暗さを感じているようにも見えかねない、曖昧な感情の発露だった。
「子供の頃に色々あって、お姉ちゃんとはもう何年も離れ離れになっちゃってね。ようやく居場所が分かったのに入れ違いで間に合わなくって。本当、レイヴンさんがいなかったらどうしようもなかったなぁ」
「あ、あの! 私も同じです!」
サーシは声を酷く上ずらせながら、首から下げたロケットペンダントを握り締めた。
「私の場合は、その、両親なんですけど……手掛かりくらいは見つかったらいいなって、そんなこと思ったりしながら……あっちこっちでお仕事をですね」
「それでうっかり、シェパード島のフェリーがすっごく少ないのを忘れちゃったと」
「へへ……恥ずかしながら……うっかりでした」
「あはは、そんなところも同じかぁ。私は行くときに躓いたんだけどね」
無邪気な笑顔のエヴァンジェリンと、ぎこちない笑みのサーシ。
エヴァンジェリンが遠慮なくサーシを引っ張る構図ではあったが、二人の距離は誰の目にも分かるほど着実に近付いていた。
「……あの、せっかくだから、一回お聞きしたかったんですけど……天使様達って、どんな精霊と契約なさるんですか?」
「確か、天使や教会専属の上級精霊だとか、神器の守護精霊みたいなのと契約してるんじゃなかったかな。よく知らないけど」
「エヴァンジェリンもそうなんです?」
「私は違うよ。まだ誰とも契約してないっていうか、契約できないっていうか。うーん……追放天使だから普通の天使みたいな専用契約はできないし、普通の精霊には遠慮されちゃって契約できない……とかかなぁ」
曖昧な言い回しにサーシが小首を傾げた矢先、シャワールームの扉が開いて湯上がり姿のアヤが姿を現した。
「ふぅ、さっぱりした」
「ぶはっ!?」
思いっきり吹き出して顔を伏せるサーシ。
アヤは腰から下の衣服だけを着て、上半身はタオルを首に掛けただけの格好で、引き締まった体を惜しげもなく晒しながら平然と佇んでいた。
異性がいないのなら恥じらう理由などない。
そんな堂々とした考えが、あえて言葉にするまでもなく滲み出ている。
むしろ何故サーシが慌てているのか理解できていないようで、そのまま備え付けの霊力式冷蔵庫の中身を確認し、飲み物が入っていないことに文句を言うなど、自宅と変わらない寛ぎようであった。
「エ、エヴァンジェリン……アヤさんって。いつもこんな感じで……?」
「うん、だいたいこんな感じ。寒くないのって思うんだけど、平気みたい」
「そういう問題じゃないような……」
しかしそれから間もなく、扉の向こうからノックの音とレイヴンの声が聞こえてきた。
すると半裸のアヤは、弾かれたような勢いで更衣所に飛び込み、大慌てで衣服を着込んで色白の柔肌を隠そうとし始めた。
「だからお風呂上がりに半裸は止めなよって、いつも言ってるんだけどね」
「あ……あはは……」
親友だからこその気軽さで笑うエヴァンジェリン。
サーシは困ったような愛想笑いを浮かべながら、結局薄着でレイヴンを出迎えに行くアヤを見送ることしかできなかったのだった。
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