第六話 希望に向けた二度目の出港

 原作において、アヤは戦災孤児であると設定されていた。


 邪竜勢力との宿命的な戦いではなく、天使同士の権力闘争という名の内輪揉め。


 幼いアヤは、その愚行の巻き添えとなり、家族と故郷を失った。


 しかし、そんなアヤを救ったのもまた、有力な天使の一人であった。


 イノセント・ルクスデイ。


 今は亡きエヴァンジェリンとセラフィナの父親である。


 アヤはその天使に保護され、天使教会の一員として生きていくことになった。


 エヴァンジェリンにだけは甘いが他の天使や教会には冷笑的――アヤの極端過ぎる性格は、天使全体に対する不信と、特定の天使に対する恩義の感情の間に生まれたのである。


 全てを失ったアヤは、イノセント・ルクスデイに恩を返すことだけが自分の存在意義だと考え、聖騎士を目指して鍛錬を重ねた。


 ところが、アヤが聖騎士として独り立ちを遂げたときには既に、ルクスデイ一族の本家は特権を剥奪されて没落天使となり、当主のイノセント自身も病で命を失っていたのだった。


 ならば、恩人の忘れ形見であるエヴァンジェリンに全てを捧げよう。

 当時のアヤはそう考えた。


 だが、当のエヴァンジェリン自身はそんな関係性を望まなかった。


 ――私は特別じゃありません。偉くなんかないんです。

 だから代わりに、友達になってくれませんか。私の初めての友達に――


 エヴァンジェリンは一家の没落の理由を知らない。


 天使の社会から弾き出され、しかし人間の社会に対等な関係で溶け込むこともできなかったにもかかわらず、歪むことなく真っ直ぐに育った奇跡のような少女。


 アヤは最初こそ戸惑ったものの、やがてエヴァンジェリンの一番の親友となり――それと同時に、エヴァンジェリンのためなら命を捨てる覚悟を更に深めていった。


 その覚悟は、数年後のケフェウス空域で現実のものとなる――


◆ ◆ ◆


 シェパード島で一夜を過ごした次の朝。


グラティアの艦内の片隅で物思いに耽っていると、アヤが少しばかり不機嫌そうに声を掛けてきた。


「ねぇ、聞いてる?」

「わわっ!?」


 振り返った拍子に椅子からずり落ちそうになる。


 ちょうどアヤの設定を思い返していたところだったので、唐突な本人登場はインパクトが強すぎた。


「出発前にブリーフィングやるって言ってたでしょ。忘れてないでしょうね」

「忘れてるわけないだろ。皆はもう艦橋に?」

「あんたが最後よ。エヴァもサーシもとっくに集まってるわ。ほら、さっさと行きましょ」


 窓のない廊下はまだ修理が進んでおらず、まるで廃墟のホテルか何かのようだが、霊力照明はちゃんと機能しているので明るさは充分だ。


 そして廊下と同じ有様の艦橋を覗き込むと、長年の塵と埃でくすんだ大窓を背景に、エヴァンジェリンとサーシが話し込んでいる様子が目に入った。


「凄いよね、ほんと! ずっと昔の船がちゃんと飛べるなんて!」

「ひゃい! は、はい! そうですね……ふひ……天使様も、そう思います?」

「もう……天使様とか、そういうのはいいんだってば。敬語とかも要らないからさ」

「えっと、様付けは善処します。でも、喋り方は昔からの癖なので……これが私にとっての普通というか……」


 和気藹々と表現するには、サーシが気後れしすぎている雰囲気だ。


 エヴァンジェリンは昨日からずっと、サーシに普通の人間相手と変わらない態度を求めているのだが、どうにも上手くいっていないらしい。


 アヤはそんなエヴァンジェリンの様子を横目で眺め、うっすらと微笑を浮かべた。


 しかし俺がまじまじと見ていることに気が付いてしまったのか、わざとらしく咳払いをして早々に艦橋へ踏み込んでいった。


「ほらほら、艦長が来たわよ。さっさとブリーフィング始めましょ」


 アヤの呼びかけで駆け寄ってくるエヴァンジェリンとサーシ。


 俺は咳払いの真似事をして気を取り直し、艦長らしく今後の方針についての話題を切り出すことにした。


「……昨日も話した通り、次の目的地はアスクレピオス空域のラサルハグ島だ。この島にエヴァンジェリンを送り届けることが最優先。次に優先するのは、サーシを大きな港がある島に降ろすことだけど、順番としてはこっちが先になるかな」

「本っ当にありがとうございます! レイヴンさんがいなかったらって思うと……」

「わ、私も感謝しか……危うく帰れなくなるところで……」


 二人から喜ばれるのは満更でもないが、こちらは色々と隠し事を抱えている身の上なので、申し訳なさのようなものも少なからず覚えてしまう。


 アヤを助けたいという私情が動機の全てだというのは、教えたとしても信じてもらえそうにないどころか、気色悪がられたって文句は言えないだろう。


「だけど、まずは補給が必要だ。いくらグラティアに自己修復機能があるといっても、足りない素材が無から生えてくるわけじゃないし、霊力も他の空域まで飛んでいくには少なすぎる。何より水や食料を買い込まないと、俺達が生きていけないからな」

「確かグレイル級の飛空艇は、空気中の霊力をかき集めて補充できるんじゃなかったかしら。その機能はまだ直ってないの?」


 原作だと違うキャラクターが説明した内容を、アヤが質問という形で言及する。


「本艦が代わってお答えいたします」


 いつの間にか実体化していたグラティアの精霊体が、冷静な態度で口を挟む。


「霊力回収機能は既に回復しておりますが、当該機能はあくまで緊急用です。短時間での急速回復は想定されておりません。最寄りの島で補給を受ける方が時間を短縮できます」


 この程度の些細なことであっても、原作には存在しなかったアヤの言動というだけで、とても貴重なイベントのように感じてしまう。


 油断するとすぐに口角が上がってくるので、そのたびに何とか表情を引き締める。


 幸いにも、今のところエヴァンジェリンには不審に思われていないようだ。


「なるほどね。ところで、訊きにくいこと訊いてもいい? ……予算、ちゃんとあるの? 大型艦って相当な金食い虫だったはずだけど、運び屋の貯金で何とかなる?」

「え? 無理無理」


 包み隠さずに答えながら手を横に振る。


「いきなり詰んでるじゃない」

「そこは運び屋らしく解決するさ」


 呆れ顔のアヤに笑い返す。


 当然、補給の手段は最初から考えてある。


レイヴンが実際にやっていた、原作お墨付きの解決策だ。


「ケストレル工房って聞いたことないか? 空域最大手の飛空艇工房で、製造と修理の他に運送依頼の仲介もやってるんだ。グラティア向きの依頼を纏めて引き受けて、その前金を修理と補給の費用に充てさせてもらうんだよ」

「面白いこと考えるわね。問題があるとすれば、飛行ルートが仕事内容次第になるから、必ずしも最短経路を飛べるとは限らないってところかしら」


 さすがは聖騎士というべきだろうか。


 アヤは俺の説明を聞いてすぐに、この作戦の弱点を見抜いたようだった。


「でもまぁ、その辺を考慮しても他の手段より速くて確実ね。エヴァはどう思う?」

「もちろん賛成! サーシは?」

「わ、私も……反対する権利とか、あるわけないですし……あ、いえ、その! あったとしても反対なんてしませんよ!」


 サーシは興奮気味のエヴァンジェリンに気圧されたり、うっかり失言でもしてしまったかと慌てたり、随分と忙しそうだ。


 何はともあれ、今後の方針は全会一致で確定した。


 可能な限り速くアスクレピオス空域に到着し、強制敗北イベントを原作通りに起こさせず、アヤを絶対に死なせない――これはそのための第一歩だ。


「そういえば、ケストレル工房ってどこにあるの? 最初の島にはまだ近寄りたくはないんだけど。ほら、昨日の天使狩りが隠れてるかもしれないじゃない」

「『ジャンクヤード』だよ。デラミン島とは距離があるから、多分大丈夫だとは思うけど」

「ジャンクヤード? ガラクタ置き場ってこと?」

「それは……いや、口で説明するより、現物を見てもらった方が手っ取り早いかな。きっと驚くと思うぞ」


 少しばかりの悪戯心と、この目でジャンクヤードを見ることへの期待が、胸の底からじわじわと湧き上がってくる。


 普通の浮遊島も感動的な光景だったが、ジャンクヤードは間違いなくそれ以上。


 まさしく浪漫の塊のような存在なのだから、心が浮つくのも仕方がないと、声を大にして主張させてもらうとしよう。

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