第四話 悲劇を予言するもの
「あ、あのぅ……ちょっとよろしいですか?」
その声がやたらと申し訳無さそうだったので、俺もアヤも揃って会話を中断してそちらに視線を移した。
背筋を丸めた癖っ毛の少女だ。一体いつからそこにいたのだろう。
他人と話すことに慣れていないのか、愛想笑いすら妙にぎこちない。
「村の人から聞いたんですけど……島の外れの飛空艇って、あなた方の船……なんですよね? あのすっごくおっきな船です……」
「私は乗客。艦長はこっち。話があるなら艦長としてちょうだい」
「……は、はい! その、よろしければ、私も船に乗せてもらえないかな、って……クルーになりたいとかじゃなくて……乗客としてなんですけど」
気の毒なくらいに視線を泳がせる癖毛の少女。
何が何だかよく分からないが、とりあえず深呼吸するように促してから、もう少し詳しい話を聞くことにする。
「すぅ……はぁ……はい、大丈夫です。実はですね、本当なら旅の仲間が迎えに来る予定だったんですけど、急に行けなくなったとか言われてしまいまして……次のフェリーを待たなきゃダメなのかって途方に暮れてたらですね、あなた方の船が見えたもので……」
なるほど、昼間のアヤとエヴァンジェリンの逆ということか。
小柄な体格に不釣り合いな大容量のバックパックも、確かに長旅の途中を思わせる。
「も、もちろん、運賃は払います! ちょっと手持ちが足りないかもですけど、私こう見えて占い師……ていうか降霊術師なので! 足りない分はお仕事で稼いで払います! 最寄りの島まで送っていただければ、後は自力で何とかしますから!」
相当テンパっているのか、癖毛の少女がどんどん早口になっていく。
「降霊術師? 実際に見るのは初めてだな……死霊術師とは違うんだよな?」
「ふひゃっ!? ち、違うと言えば、そうですけど……でも、違わないと言えば違わなくって……同じカテゴリの精霊術で、使い方が違うって言えば伝わります……?」
これで原作知識に間違いがなかったと確認できた。
どちらの精霊術も原作に登場していて、前者はストーリー上でレイヴンたちに助言を与える役回りが多く、後者はエネミーが使う精霊術としての登場が多い。
両方とも、名前や立ち絵が用意されている使い手もそれなりにいるのだが、目の前の少女の顔には全く見覚えがない。
さっきの羊飼いと同じように、原作ではわざわざ描写されていなかった、この世界に生きる普通の人間の一人なんだろう。
「どこか最寄りの島って、別にどこでも良いのか?」
「は、はい。ここより船便が多いなら……後は自力で何とかできると思います……多分」
「そうだな……だったら、試しに俺達を占ってみてくれないか? ほら、運賃を稼げる腕前かどうか確かめたいからさ」
無論、降霊術の存在そのものを疑っているわけではない。
原作のファンとして、この機会に本物の降霊術を見せてもらいたかっただけである。
「わ、私の占いはですね、あくまで降霊術なので……これさっきも言いましたっけ。とにかく、別に運命が決まってるとかじゃなくって、霊の助言みたいなものですから……不吉な結果でも回避できるので、その辺は安心してもらえたらなって……へへ……」
少女は不器用な愛想笑いを浮かべながら、背負った大荷物を床に下ろし、嬉々として降霊術の準備に取り掛かった。
村長の家の床に、複雑な円形の模様が描かれた敷物が広げられ、その後ろに降霊術師の少女が膝を突く。
そして少女は、両目を閉じて祈るような姿勢を取り、呪文か何かを呟き始めた。
――鬼火のような青白い燐光が、円形の模様の中央に浮かび上がる。
燐光はゆらゆらと形を変え、少女の呟きに合わせて揺れ動き、翼を背負った天使のシルエットを少しずつ形作っていく。
顔立ちまではハッキリしていないが、雰囲気で判断するなら壮年の男のように思える。
『――――』
天使の霊がゆっくりと俺を指差す。
『――油断してはいけない。運命はまだ変わっていない――』
聴覚ではなく、頭の中に直接響くような声だった。
運命は変わっていない? 何のことだ? まさかアヤの――?
俺がその意味を理解するよりも先に、天使の霊は指をアヤの方へと動かした。
『――アヤ。君はアスクレピオスに行ってはいけない。ウルフラムと戦ってはいけない。さもなければ、今度こそ君はウルフラムに殺される――』
天使の霊が薄れて消えていく。
俺とアヤは燐光の残滓が完全に消滅した後も、お互いに声一つ漏らさずに押し黙り、天使の霊の声とそのおぼろげな姿を思い返していた。
もしも、これが原作に影も形もない存在だったとしたら、俺だって何の疑いもなく信じ込んだりはしなかった。
だが、あれは違う。
原作ストーリーでも既に故人だった『とある重要人物』の霊であり、今回とは違う形ではあるが、原作でもレイヴン達に重要な助言を何度も残してくれた存在なのだ。
……けれど、あの予言の内容は――
「えっとぉ……いかが、でした? ちょっと物騒な内容でしたけど、あくまで親切な霊の忠告ですから……」
「……確かに、これなら運賃くらいすぐに稼げそうだ。運賃は後払いで、目的地は最寄りの大きな島ならどこでもいい……だったよな」
内心はそれどころではなく、心ここにあらずといった返事をしてしまったのだが、少女はまるで気にする様子もなく喜びを露わにした。
「は、はい! よろしくお願いします! 私、サーシって言いますので!」
癖毛の少女――サーシがぎこちない笑顔で頭を下げる。
ちょうどそのタイミングで、手紙を読み終えたエヴァンジェリンが書斎から戻ってくるのが見えた。
「あわわ、天使様!? そ、それじゃあ、私はこの辺で!」
逃げるように村長の家を飛び出すサーシ。
エヴァンジェリンはどこかホッとした様子で、手紙を読む前の酷い焦燥感はすっかり消えているようだった。
原作知識から察するに、セラフィナが島を出た理由が平和的なものだと分かったので、ようやく心の底から安心できたのだろう。
「遅かったわね。手紙、どうだった?」
「姉さん、ずっと医療精霊術の勉強をしてたんだって。将来はお医者さんになりたいって……私、全然知らなかった」
「立派な夢ね。天使らしい仕事だと思うけど。行き先は書いてあった?」
「うん。ここからずっと南、アスクレピオス空域のラサルハグ島に行くって。大学に合格できたから引っ越しただけみたい」
原作通りの展開に目眩がしそうになる。
エヴァンジェリンはキラキラと輝く笑顔を浮かべているが、俺は頭がクラクラしてきたのを顔に出さないだけで精一杯だ。
「医者を目指すっていうなら、まぁ誰でもそうなるわね。学術空域アスクレピオス、その筆頭都市ラサルハグ。医学研究の総本山。入学試験は相当に難しいはずだけど、さすがはエヴァの姉さんだわ」
天使の霊の助言に出てきた『アスクレピオス』は、十中八九この空域の名称を示していたに違いない。
しかもアヤには知る由もないことだが、原作におけるアスクレピオス空域は、原作レイヴンがウルフラムと戦って大打撃を受ける『強制敗北イベント』の舞台なのだ。
具体的には原作第七章。
アヤと再会し、既に死亡していたことを知る第八章の直前の出来事。
あらゆる要素が重なりすぎている。
これをただの偶然だと切り捨てられるほど、楽観的な思考回路はしていない。
何の対策もなしにアスクレピオス空域へ赴けば、原作と同じようにウルフラムと戦う破目になり、原作と同じように敗北し――そしてプロローグの焼き直しのように、アヤはウルフラムに殺されてしまうのだろう。
油断してはいけない。運命はまだ変わっていない。
その言葉が楔のように突き刺さってくる。
「でも、どうしよう……アスクレピオスって結構遠いよね。一度家に帰って、準備し直さないと駄目なのかな。でも、そしたら何年掛かるんだろ……」
「これからどうするのかは、明日になってから考えましょう。居場所が分かっただけでも充分に収穫はあったんだから。ほら、せっかく歓迎してもらってるんだから、お言葉に甘えてきなさいな」
アヤは悩むエヴァンジェリンの背中を押して、祭りの準備が進む広場へと送り出した。
そして自分は屋内に残ったまま扉を閉め、短く息を吐き出してから、真剣な面持ちで俺に向き直った。
「……レイヴン。仕事の延長、お願いできないかしら」
「延長って……おい、まさか」
「次の目的地はアスクレピオス。私とアヤを連れて行ってもらいたいの」
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