第三話 没落天使と裏切りの騎士

それから俺達は、セラフィナが手紙を預けていたという集落を訪問し、住人達から手厚い歓待を受けることになった。


 セラフィナは本当に住民から慕われていたようで、エヴァンジェリンの姿を見るために村中の人間が集まって、広場が人で埋め尽くされてしまうほどだった。


 しかし、当のエヴァンジェリンは村人の歓迎に応えるどころではなかった。


 エヴァンジェリンはすぐにでもセラフィナの手紙を読みたいと希望して、歓迎に応える余裕などないままに、一人で村長の家の書斎に籠もってしまったのである。


「それにしても、凄い歓迎ぶりだな。祭りでも始めるつもりだとか?」


 村長の家の居間から外の広場見やる。


 広場はもうすぐ日没だとは思えないくらいに賑やかだ。


「実際、そのつもりなんでしょう。どう見ても宴会の準備ね、アレ」

「やっぱり、普通は『天使が来た』ってだけで大事件なんだな。エヴァンジェリンはそういうの苦手みたいだけどさ」

「……エヴァは便利で快適な『聖域』育ちじゃないもの」


 アヤは物憂げな態度で首を横に振った。


「本当なら話すつもりはなかったんだけどね。ここまで巻き込んでおきながら説明しないってのは、さすがに道理ってモンが通らないわ」


 俺としては何気ない雑談のつもりだったのだが、どうやらアヤの耳には、遠回しな追及のように聞こえてしまったらしい。


 何故エヴァンジェリンは、たった一人しか護衛を付けずに旅をしているのか。

 何故セラフィナは、たった一人で田舎の島に隠棲していたのか。


 もちろん俺は原作知識で理由を知っているわけだが、原作におけるレイヴンのような一般人なら、当然気になってしょうがないはずだ。


「没落天使。それくらいは聞いたことあるでしょ?」

「実際に会ったことはなかったけど……天使としての特権を剥奪された存在だっけか。追放刑の一種だって聞いた覚えがあるな」


 要するに没落貴族のようなものだと思えばいいはずだ。


 視線を伏せるように軽く目を逸らしながら、アヤは静かに語り続ける。


「具体的には、天使教会からの献金に聖域の居住権……数え上げれば切りがないわ。まぁ一般人にしてみれば、変わらず尊い天使様って認識になるみたいだけど。少なくとも、天使の価値観では最底辺への転落ってこと」


 内容自体は原作で説明された設定と変わらないかもしれないが、それをアヤの口から聞かされているという事実だけでも、真剣に耳を傾ける価値があるというものだ。


 それに、俺が知っている原作の設定と、この世界における『現実』が完全に一致している保証はないので、確認はしておくに越したことがないだろう。


「エヴァの家族は、あの子がまだ子供だった頃に聖域を追放されて、没落天使になった。天使らしい価値観に染まってないんだから、そりゃあ天使様扱いはくすぐったくてしょうがないでしょうね」

「……エヴァンジェリンは、家族が追放された理由を知ってるのか?」


 セレスティアル・ファンタジーは未完結のゲームアプリだ。


 まだ回収されていない伏線や設定も山のようにある。


 エヴァンジェリンが没落天使になった理由は、その最たるものといえるだろう。


 もちろん匂わせる程度の描写なら何度もあった。

 プレイヤーから『これが正解だろう』と支持されている考察もあった。


 しかし公式にはまだ明言されていない――少なくとも俺が事故に遭った時点では。


「知らないわね。教会や聖騎士団にも箝口令が敷かれているし、そもそも理由を知っているなら、あんなに明るいままじゃいられないはずだもの。私ならきっと耐えられないわ」


 アヤの横顔は慈しみと哀しみが複雑に入り混じっていて、思わず息を呑んでしまうほどに綺麗だった。


「はい、こっちの経緯は以上! 他に質問は?」

「えっ? そ、そうだな……」


 横顔に見惚れていたことを気付かれないように、この流れで自然に聞こえそうな話題を、記憶の中から大急ぎで引っ張り出す。


「……質問というより感想なんだけど、没落天使にも護衛の聖騎士が派遣されるんだな」

「まさか!」


 アヤはテーブルを叩き、端正な唇を皮肉げに歪めた。


「あのしみったれた教会の連中が、わざわざ没落天使に聖騎士を派遣するはずないじゃない。星が降ってくるよりありえないわね。私の場合は裁量の範囲内の独断ってヤツよ」


 期待通りの返答に口元が綻ぶ。


 原作ではエヴァンジェリンが語った内容だが、アヤは聖騎士団の命令などではなく、自分の意志でエヴァンジェリンの旅に同行しているのだ。


 刺々しい態度に隠された、大事な存在に対する熱い思い……それを垣間見ることができた満足感は、とても言葉にできそうになかった。


「あーっ! それにしてもムカつくわ! あいつら適当な仕事してんじゃないっての!」


 俺の生暖かい視線に耐えかねたのか、アヤはわざとらしいくらいの大声を上げながら、椅子の背もたれに体重を掛けて軋ませた。


「あいつらって?」

「天使教会の諜報担当の連中よ。邪竜教団の『天使狩り』の予兆は見られない! だなんて自慢げに言っておきながら、蓋を開けたらアレだもの。後で念入りに苦情をねじ込んでやるわ」

「担当者は御愁傷様だな」


 天使狩り。この用語の意味は文字通りの理解で問題ない。


「普通の天使狩りなら私だけで軽く蹴散らせるんだけど、まさかあのウルフラムが加担してるとはね。悪い冗談だわ」

「……え? ちょっと待った。今なんて言った?」


 アヤが何気なく口にした、ウルフラムという人名。

 それは俺にとって軽く聞き流せるものではなかった。


「何よ、ウルフラムのこと知ってるの?」

「噂くらいは。聖騎士団を裏切って邪竜信仰に宗旨変えしたとか……」

「身内の恥って奴ね。あんなにでっかい顔面の斜め十字傷、見落とせっていう方に無理があるわ。あんたからは角度的に見えなかったかもしれないけど」


 黒騎士ウルフラム。

 原作のセレスティアル・ファンタジーに登場するボスキャラクターの一体。


 序盤から存在を仄めかされ、実装済みストーリーの中盤辺りから本格的に登場し、現時点の最新シナリオでもレイヴンの前に立ちはだかる強敵である。


 プロローグの襲撃事件の犯人も、ウルフラムが属する邪竜教団の手先だったと分かってはいたが、まさかウルフラム本人が参戦していたなんて。


 原作では描写されていなかった事実だが、それならあの化け物じみたボス仕様ステータスも納得だ。


「不死身の黒騎士、ウルフラム。正真正銘の『倒せない敵』……ひょっとして、さっきのグラティアの体当たりでも倒せてなかったとか……?」

「でしょうね。まぁ見た目の割に慎重な奴だから、当面は様子見に徹して派手に動かないとは思うけど」


 苦虫を噛み潰したようなアヤの前で、俺も苦々しく顔を歪める。


 原作のウルフラムはシナリオ的にもデータ的にも撃破不可能な強敵だった。


 もちろん主人公が連戦連敗なんてことはなく、ストーリーでは『ウルフラムをうまくやり過ごして戦略的勝利を掴む』という展開が多かったのだが、直接戦えば勝ち目は皆無。


 そして実際に戦えば、一定ターン経過で終了する耐久戦か強制敗北イベントのどちらかで、まともな勝利演出が表示されたことは一度もなかった。


(ウルフラムがいるって最初から分かってたら、あんな作戦は怖くて取れなかったかもな……知らぬが仏って奴だよ、ほんと)


 ちょうどそのとき、アヤともエヴァンジェリンとも違う少女の声が投げかけられた。


「あ、あのぅ……ちょっとよろしいですか?」

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