第二話 まずは大急ぎの下準備

 聖騎士アヤは、メインヒロインである『エヴァンジェリン』の護衛役として、チュートリアルより前のプロローグに登場するキャラクターである。


 エヴァンジェリンが無邪気で心優しいヒロインの鑑であるのとは対象的に、アヤの言動はどこか投げやりで刺々しく、態度も無愛想でイラストの表情差分にも可愛げがない。


 もちろん、ゲーム的なお約束としてずば抜けた美少女ではあるのだけど、それはそれ。


 原作主人公のレイヴンは小型飛空艇を使ったフリーランスの運び屋で、エヴァンジェリンとアヤとの出会いは、二人が『目的地の島まで自分達を送り届けてほしい』という依頼を持ちかけてくるというものだった。


 しかし、エヴァンジェリンを狙う敵がレイヴン達を襲撃。


 アヤは一人で敵を足止めし、レイヴンにエヴァンジェリンを託して送り出す――これがプロローグの概要だ。


 以降、アヤは行方知れずになってしまうのだが、その人柄はエヴァンジェリンの過去回想という形で徹底的に掘り下げられることになる。


 ――エヴァンジェリンを何よりも大事に思い、彼女を守るためならどんな強敵とも臆せず戦う勇気を持ち、それどころか聖騎士団の命令に歯向かうことも厭わない。


 無愛想な態度と可愛げのない表情差分は回想でも変わらないが、エヴァンジェリンの前だけで時折見せる優しい顔は、アヤに対するプレイヤーの印象を変えるには充分すぎた。


 そして迎える第八章、レイヴンは遂にアヤとの合流を果たす。


 直前の第七章でプロローグの襲撃犯の組織と戦い、ボロボロになりながら逃走していたレイヴン達を助けに来るという劇的な登場で、多くのプレイヤーが――もちろん俺も含めてこのサプライズに歓喜した。


 ところが、この第八章のクライマックスで衝撃の事実が判明する。


 アヤはプロローグの時点で既に殺されていた。


 第八章に登場したアヤは、敵勢力の手によって一時的に復活させられ、スパイとして送り込まれたアンデッドだったのだ。


 しかし、アヤは強靭な精神力で命令に抗い、レイヴン達を力の限り支援した末に、最期はエヴァンジェリンに看取られながら塵と化して消滅してしまう。


 この悲劇的かつ感動的な展開は多くのプレイヤーの心を粉砕し、シナリオライターには人の心がないのかと嘆かせ、そして聖騎士アヤというキャラクターの人気を不動のものとしたのである。


 ――とまぁ、とにかくアヤは魅力的なキャラクターなのだと熱弁を振るいたいところだが、重要なのはそこではない。


 アヤが殺されるのはプロローグの時点。


 要するに時間がないのだ。


 何日も掛けて念入りに準備することは不可能で、残された時間は丸一日と少し。


 俺は原作知識を総動員して作戦を考案し、その日のうちに行動を起こしたのであった。


◆ ◆ ◆


 そして今、俺はレイヴン所有の小型飛空艇に乗り込んで、セレスティアル・ファンタジーの世界の大空に繰り出していた。


 船体は漁船程度の大きさで、速度も多分同程度。


 内蔵された装置が大気中の霊力に干渉して船体を浮遊させ、左右に一基ずつ設けられたプロペラが推進力を生み出す――この世界ではごく一般的な小型飛空艇である。


 飛空艇は現実の飛行機と比べるとかなりスピードが遅い。


 しかし飛行機と違ってエンジンを切っても墜落せず、宙に浮かび続けることができる。


 何故なら、飛行機が推進力を使って揚力を生み出すのに対し、飛空艇は推進力と浮遊力の発生源がそれぞれ独立しているからだ。


(操縦のやり方はレイヴンの体が覚えてる。自動車の運転の感覚も役立ちそうだ)


 風景は基本的に空の青と雲の白ばかりだが、時折ハーピーの一団が島を渡っている姿が視界に飛び込んでくるし、何より遠くに見える隣の浮遊島がちょうどいいアクセントだ。


 時間さえ許すなら一日中でも乗り回していたいくらいである。


(おっと! そろそろだな)


 プロペラの速度を抑え、小型飛空艇を空中で減速させる。


 飛空艇は大気を満たす霊力――いわゆる精霊の力を利用した浮遊装置で船体を宙に浮かせ、風力を受ける帆や霊力装置のプロペラ、あるいは魔法的な能力を使って推進する。


 だから仮にプロペラを止めたとしても、海に浮かぶ小舟のように浮遊していられるのだ。


(原作の描写から逆算するなら、今は多分この辺りに……あった!)


 空の下に切れ目なく広がっている雲の層。

 真っ白な海を思わせるそれの上を、一隻の古びた飛空艇が音もなく漂っている。


「うわぁ、すっげぇ……!」


 あまりの興奮に、語彙力も何もない感想を口走ってしまう。


 全長は一五〇メートルから二〇〇メートル。

 横幅も相応にあり、姿勢制御用の翼を除いても二〇メートルは下らない。


 現実の駆逐艦や巡洋艦、自衛隊でいう護衛艦あたりの大きさだ。


 普通、セレファンの飛空艇の多くは帆船に近いデザインをしている。


 ここに来るまでにすれ違った飛空艇も、空を飛ぶ帆船としか表現できない代物ばかりだ。


 もしくは、俺が今乗っている小型飛空艇のように、スチームパンク的なガジェットを思わせる外見が一般的である。


 だが目の前の大型飛空艇は、現代的を通り越してSF的な流線型のボディを持ち、宇宙戦艦としてデザインされたと言われても信じてしまいそうになる外観であった。


 もっとも船体の前後に広い甲板が設けられているので、よく見れば空気中で使われる前提のデザインだと分かるのだが。


 そして最大の特徴は、推進力を生む帆やプロペラがどこにも見当たらないことだろう。


 原作知識で答えを言ってしまうと、あの飛空艇は霊力ジェットというオーバーテクノロジー――あるいはロストテクノロジーで動く構造になっているのだ。


 普通の飛空艇を大きく凌駕する、規格外の高性能艦。

 プレイヤーの分身であるレイヴンが乗り込む、パーティーの母艦。


 俺は今から、原作よりも一足早く、あの飛空艇の入手を試みる。

 原作では避けられなかった悲劇を回避するために。


(……緊張するな。うまく行けばいいんだけど……)


 雲海を漂う大型艦の後方甲板に船を降ろし、万が一に備えて係留ロープで船体を軽く固定させておいて、壊れていた扉の隙間から艦内に足を踏み入れる。


(完全に無人で真っ暗だな。いやまぁ、誰かいたら困るんだけど)


 鞄から霊力ランタンを取り出して、進行方向の廊下を照らす。


 懐中電灯よりも頼りない光源だが今はこれで充分だ。


 本来のプロローグの展開では、この飛空艇は追手から逃げるレイヴン達の小型艇の目の前に浮上してきたが、それはあくまで上昇気流に押し上げられたことによる偶然に過ぎない。


 この船はずっと昔から無人で大空を漂流していた、文字通りの幽霊船なのである。


 雲海は普通の飛空艇が飛ぶ高度の遥か下にある。


 そんな場所を流れに任せて漂う船なんて、さしずめ太平洋のど真ん中に眠った沈没船、あるいは砂漠の奥深くで乗り捨てられて砂に埋まった自動車のようなものだ。


 探しても見つかりにくいのはもちろんのこと、そもそも探そうという発想すら浮かんでこないのが普通だろう。


 今すぐ探検に乗り出したい衝動を堪え、飛空艇全体をコントロールする艦橋を目指して先を急ぐ。


「多分、この扉の向こうが艦橋のはず……素手で開くかな……んぐぐっ!」


 艦橋に続く扉を力任せにこじ開ける。


 すると、霊力ランタンが不要なくらいの光が溢れてきて、思わず目が眩みそうになる。


 薄暗い艦橋に窓ガラス越しの日光が差し込む光景は、まるで廃墟になったビルの一室を思わせる雰囲気に満ちていた。


 現実の軍艦と同様、この飛空艇の艦橋は三方向が大きなガラスの窓になっていて、周囲をぐるりと見渡せるように作られているのだ。


(レイヴンはエンジンもろくに動かないこの船を、どうにか馴染みのメカニックがいる島まで漂着させた。出発地点の島でもなければ目的地の島でもない、無関係な別の島だ。元の島にはまだ敵がいるかもしれないから、すぐに戻るわけにはいかなかった……)


 一番奥に設けられた艦長席に霊力ランタンを置き、その脇からキーボード型のコンソールを引っ張り出す。


 プロローグの次に待っているのはチュートリアルだ。


 レイヴン……というよりもプレイヤーは、この飛空艇の修理に必要な素材と情報を集める名目で、空域の各所を巡りながら基本的なゲームシステムを解説されることになる。


(その過程で、飛空艇の制御システムを再起動させるパスワードを見つけるんだけど……俺は原作知識でもう知っている。こいつさえ通ってくれたら、アヤが死ぬより前にこの飛空艇……『グラティア』っていう強力な武器を入手できるんだが……)


 祈るような気持ちで、艦の制御システムを再起動させるためのキーワードを入力する。


(入力完了……どうだ?)


 それから数秒程度の間を置いて、飛空艇全体に鈍い振動が走ったかと思うと、電灯にも似た艦橋の照明がまばらに点灯し始めた。


 更に艦長席の少し手前、ちょうど艦橋の中央辺りに描かれた魔法陣のような模様から光の粒子が溢れ出し、瞬く間に人間らしき姿を形作っていく。


 白尽くめの少女――衣服も髪も雲のように白く、浮世離れした雰囲気を湛えている。


 その真っ白な少女はゆっくり目を開き、感情の起伏を感じさせない声色で、事務的な言葉を淡々と並べ立てた。


「制御システムの再起動を確認。グレイル級巡航飛空艇二番艦グラティア、自律行動を開始します。本艦は現在、所有者不在による無期限の待機状態にあり――」

「よっしゃ! 動いた!」


 喜びのあまり思わず大声を上げ、白尽くめの女の声を遮ってしまう。


 すぐに『しまった』と思って態度を取り繕うも、既に白尽くめの女は形のいい眉をひそめ、怪訝な視線を向けてきていた。


 そんな目で見られることをした自覚はある。ちゃんと反省もしている。


 だけど状況が状況なのだから、誰だって同じリアクションをすると思うんだ。

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