ロサンゼルス・ギャンブル・スター

サイド

ロサンゼルス・ギャンブル・スター


「勝負しない? 大富豪」


 大学三年生の春。

 新緑のまぶしい季節に彼女は古い部室棟、一階のロビーにいた学生達に話しかけた。

 テーブルで花札をしていたテーブルゲーム部員達が怪訝そうな表情になる。


「誰だ、お前ら?」


 彼女の後ろに立っていた俺が返事する。


「警戒しなくていい。こいつは色んな部活にケンカ吹っ掛けてるだけの暇人だ」

「ふうん? ……まあ、いいよ。慣れたメンツじゃダレるし。大富豪なら細かいルールを決めるか」


 彼女が嬉しそうに頷く。


「うん、ありがとう!」


 そうしてルールを確認し合い、ゲームを開始する。

 そして三十分後。


「……どうしてぇぇぇ! 私は生まれついてのギャンブラーなのに! 未来のロサンゼルス・ギャンブル・スターなのにぃ……!」


 テーブルに彼女は突っ伏して、しくしく泣いていた。

 何度も聞いた痛々しい自称の二つ名に俺はため息を吐く。


「大見栄切って、貧民と大貧民の往復してるだけなら泣きたくもなるか……」


 部員達も気まずそうに、目を逸らす。

 だがその辺りは彼らも専門家だ。

 それはそれこれはこれとして、容赦なく大貧民になった彼女を封殺し、ゲームは終わった。

 俺は正直に事情を説明する。


「こういうワケだ。勝負は吹っ掛けるけど、弱すぎてどこも受け入れてくれなくて困ってる」


 そして、ちらと部長らしい男性へ視線を向けた。

 彼は苦笑する。


「オーケー。それも一つのスタイルだ」


 彼女は一転、喜色満面で礼を言う。


「ありがとっ! このまま負け続ける人生だと思ってた! 受けた恩は億で返すから、大船に乗った気分でいてね!」


 俺は後頭部にチョップする。


「先輩だ。敬語を使え」


 彼女はきびきびとした動作で、部長へ敬礼して見せる。


「失礼しました、サー!」


 今度は部員全員が苦笑し、彼女は姿勢を正して再び部長へ告げた。


「というワケでお願いがあるのですが、サー!」

「何だ?」

「少々、負けが込み過ぎました! 泣きたいので部室へ行ってもいいですか? サー!」


 部長は少し考える。

 部員の囁きから部室は備品の物置になっていて、普段の活動はロビーで行っているらしいことを俺は読み取った。

 やがて部長が頷いて答える。


「あそこはスマホや財布もあるし、監視は付くが?」

「イエス、サー!」


 そうして彼女は二人の部員を連れ、部室へ向かう。

 部室は真っ直ぐ歩いた廊下を右へ曲がった位置にあるらしい。

 廊下は一本だけで、往復する事でしか人は行き来できないようだ。

 俺はロビーで耳をすます。

 すると、「ごんっ!」という打撃音と、「しくしくしく」というすすり泣きが聞こえて来た。

 部長が視線で俺にその意味を問う。


「壁への頭突きと泣き声ですね。あいつ、いつもああなんです。弱いクセにガキの頃からギャンブルが大好きで」


 部員達は遠い目をする。

 流石、そういう人種には覚えがあるようだ。

 思わず俺は、ホント、ギャンブルって怖いねと心の中で呟いてしまったのだった。








 それから一年後、ロビーで俺は彼女と部員達とでカード麻雀をしていた。

 彼女の懐は相変わらず、極寒そのものだ。


「……飛びました」


 消え入りそうな声で彼女は敗北を告げる。

 ピンフで飛ばされたのが屈辱極まりなかったのか、彼女はイスから立ち上がり、フラフラと部室へ向かう。

 もはや日常となった光景に、部員達は揃って目を逸らした。

 ああはなるまい、と心に刻んでいるようだ。

 とある部員が聞いて来る。


「お前の彼女、ホントに弱いな。なんで安牌を切らない?」

「ブレーキが付いてないからな、生まれつき。後、俺の彼女じゃない」

「彼女じゃないのか? 同じアパートの隣同士だろ?」

「物心付く前からの付き合いってだけだ。そういう対象じゃない」

「そうなのか? ……まあ、あの変人の儀式をしてる間は放っておくのが吉だけど」


 そんな事を話していると、「ごんっ!」という打撃音と、「しくしくしく」というすすり泣きが響き始める。

 しばらくして彼女が泣きはらした顔で帰って来た。


「さあ、たくさん泣いたからもうひと勝負! 今なら勝てる気がする!」


 その完璧すぎる敗北フラグを聞き、俺は再び心の中で、「ダメだ、コイツ」と呟いたのだった。








 その日の夕暮れ時。

 彼女と並んで歩く俺のスマホが鳴った。


「うい」


 架電してきたのは部員だ。

 聞けば部室に置いてあった一人の部員のスマホと財布が消えたらしく、皆で探しているらしい。


「いや、俺に心当たりはないな」


 俺は視線を隣の人物へ向けるが、彼女はとある答えを口にするだけだ。


「彼女もないって。部室に人の出入りもなかったそうだ」


 それは部員も疑っていなかったらしく、あっさり電話は切れた。

 部員いわく、


「彼女が部室へ入って出るまで人の出入りはなかったし、戻って来た彼女の衣服や鞄に不審な様子もなかったから」


 とのこと。


「つまりお前が部室で頭突きして泣いてた間は人の出入りなし、と。犯行時刻はそれ以外だと考えているそうだ」


 言いながら、俺は横を歩く彼女を見る。

 その手には一つのスマホと財布、そして超小型ボイスレコーダーがある。

 ボイスレコーダーは縦四十五ミリ、横二十ミリ、薄さ五ミリで世界最小クラスのもの。

 彼女は満足した様子で、とてもいい笑顔を浮かべている。


「少し考えればすぐ分かる仕掛けだけど、一年かけて信頼を作ると効果あるね?」


 そう言われ、俺は一連の出来事を最初から思い返す。

 仕組みは簡単だ。

 まず、頭突きと泣き声を変人故の習性だと一年かけて部員達に認識させる。

 時間をかけて刷り込んだ後、頃合いを見て、勝負に負けて部室へ移動。

 頭突き音と泣き声の保存されているボイスレコーダーをUSBを通してスピーカーへ繋ぎ、大音量で流すことで彼女が部室にいると勘違いさせたのだ。

 部室棟が古い建築で、その窓に人が通れる幅があることは下見で分かっていたので、スピーカーの音を流したまま、彼女は一階の部室の窓から堂々と獲物を持って退室。

 そして鞄に入れたスマホと財布をコインロッカーへ入れ、再び部室へ戻った。

 仕上げにボイスレコーダーを奥襟に挟んで隠し、泣きはらした化粧をして何喰わぬ顔で俺や部員達と合流した、というわけだ。


「後は部員と一緒に活動を終え、ロッカーから盗んだスマホと財布を回収、と」


 俺の指摘に、彼女は嬉しそうに目を細める。


「いやあ、穴しかないトリックね! 見惚れる要素が何一つない!」

「少し考えれば犯人がお前しかいないことは分かるしな。初見にだけ通用する方法だ。信用とモラルを捨てなきゃ成り立たないが……」

「まあまあ、一年かけて作った思い込みの成せる技ということで! だからギャンブル好きの巣窟を狙ったんだし! 今頃、無駄に考え込んで私達の逃げる時間を稼いでいると見た!」


 などと話しながら俺達は街の大きな駅へ向かう。

 既にアパートは解約済みだから、後はどこか遠くへ逃げるだけだ。

 ちなみに俺と彼女の年齢自体は大学四年のものだが、最初から在学はしていない。

 こうしてまた、俺達は高校の頃から繰り返していたチャチな窃盗と逃走の日々へ戻っていく。

 ホントにザルで見惚れる要素のない人生だ。

 思わずこぼれた俺のため息に、彼女が反応する。


「ん、どうしたの?」

「ここまでやらかしたのに、財布とスマホはすぐ持ち主のアパートのポストへ……だもんなあ。損しかしてないと思って」

「ギャンブルの本質は娯楽だからね。楽しければいいの。高校の時、面白がって私の盗みに加担して、一緒に退学処分くらったのがマズかったんだよ」

「あそこで人生狂ったよなあ……」


 そう呟いて肩を落とす様子を見た彼女はにこにこ笑い、俺の肩を叩く。


「まあ、そう言いなさんな。私も責任感じてるから。大オチへの導線は組んでありますので!」

「なんだそりゃ?」


 俺の問いに彼女は意味深な含み笑いを浮かべるだけだ。

 今までに見せたことのない、いたずらっぽい子供のような笑顔。


「それはコンビニで買い物を済ませてから教えてしんぜよう。じゃあ行ってきます!」


 そうして俺は軽く手を振って、彼女を見送る。

 しかし十五分、三十分と待っても彼女は出て来ない。

 何度も腕時計を見た後、まさかと思って俺はポケットを調べる。


「やられた……。財布とスマホがない……」


 いつスられたのか分からないが、おそらく彼女の言動がフェイクとして働き、油断していた俺の心理の死角を突いたのだろう。

 やがて俺はポケットの奥に小さな紙片が入っていたことに気付く。

 そこにはサインペンで、


『私は今の生活が好きだから、罪は全部引き受けるよ。スマホと財布は実家に送っておくから、そっちは堅気に戻ってね? ……楽しかったよ、ありがとう!』


 などと書いてある。

 思わず俺は頭を乱暴に掻いてしまったが、不思議と腹は立たなかった。

 彼女とは生まれたての頃からの付き合いだ。

 つまり二十を過ぎるまで彼女は俺を騙すため、ずっと何かの伏線を張り続けていたということ。

 大きな転機と共にそのカードを切るならば、彼女にとってそれだけの価値があったということなんだろう。


「それが安全か危険かも分からないのに、迷わず切る辺りがあいつらしいけど……」


 俺はそう呟き、彼女との思い出を振り返りながら、目を閉じて思う。

 勝手な願いだと分かっているが、彼女にはこれからも好き勝手に、スリルを求めて生きて欲しい、と。

 善悪の枠なんて投げ捨てて、安い勝負に張り込み、賭場を歩いて人生を賭ける。

 それこそが彼女にお似合いの生き様だ。

 俺は星空を隔てて、どこか別の場所を歩く彼女へ語り掛けた。


「だって、それがお前だ。場末の宿場がお前の墓標だろ?」

『ひどいっ! 私の未来はロサンゼルス・ギャンブル・スターだよっ!』

「え?」


 聞こえるはずのない声が耳へ届き、衝動的に振り返ってしまう。

 そこに誰もいないのを確認した後、俺は苦笑し、再び歩き出す。

 そして背中越しに一度だけ手を上げ、「バイバイ」と最後の別れを彼女に告げた。

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ロサンゼルス・ギャンブル・スター サイド @saido

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