第一章 四幕 15.それぞれの一歩を踏み出して

 泣き止んでからしばらく経って、プリムラの母親がコタローと一緒に出てくる。相変わらずコタローは何も喋らず、横に佇んでいるだけだ。


「最後に娘の顔を見たいと言う願いを聞いてくださって……本当にありがとうございます」


 と、また深々とお辞儀をする。ソロが立ち上がって同じようにお辞儀をした。それを見たナリタもやや遅れて真似る。


「……エントランスまでお見送りいたします」


 コタローがそう言い、母親が頷いて歩き出した。来たときよりもずっとしっかりした足取り、本当に後悔はもう無いのだろうか。


「……ナリタ、やめておけ」


 “真実の眼タンテイ”を使おうとしたことが、魔力の流れで看破されてしまう。


「じゃあ……ソロさんに聞きます。なんで、あの人は僕たちに感謝したのでしょうか」


 母親の言葉と態度には、最後まで優しさと感謝が含まれていた。そこに「なぜ私の娘だけが」という嘆きもなく、「あんたたちがしっかりしていれば」といった憎悪も感じられない。


「……それも愛が故、ってやつかもしれないな」


「大切に思っている人である程余計に後悔だったり、悲しみだったり、そういった負の感情が溢れるものかと思っていたんですけどね」


「これは恋愛ではなく家族愛だからだな」


「家族愛ですか……」


 あまりそれを知らないナリタは顔を落とす。


「……いつか分かるさ。『愛』がどんなものかをもっと知れば」


 そう言ってナリタの頭をくしゃくしゃと掻き回すように撫でた。


「……はい」


 とひとつ頷きナリタは進み出す。その歩み方もまた、来たときよりもずっとしっかりしていた。その様子を見てソロは少し微笑み、ナリタとは反対の道に進んで違う階段を登る。地上階に出て喫煙室に向かい。煙草を吹かす。


「……愛は貰える内に貰っておけ、ナリタ」


 君に送られる感情には、すでにたくさんの愛が含まれているのだから。



 ※



 「……あ」


「あっ」


 ジンを迎えに行く最中、乗ろうとしたエレベーターに偶然ユカが乗り込んできた。


「……もう肩は大丈夫なんだな」


「医療班が優秀過ぎてね。でも魔力が繋げているだけで完治には一週間程度必要だって」


「随分と短いんだな」


「元々私たちの治癒能力が高いし、繋げている魔力に傷を早く治す効果が付与されているみたい」


「お世話になってない間に成長してきてるんだな」


「一言多い」


「ごめんよ」


 その後はエレベーターの駆動音だけが聞こえる。付かず離れずの距離で二人は到着を待つ。ベルの音がしてドアが開く。先にナリタが出て、後にユカが続いた。


「……あのさ」


 ユカがナリタに聞く。「私が帥になったのってなんでだっけ」


「……選考理由の話か?」


「そういうこと」


「えー……完璧に覚えてるわけじゃないけど」


 天井を見つめながらナリタが指を折る。「特筆すべき点としては“虚空操術インターカーシャ”の類い稀なる使い手であること、健康な男性をも圧倒できるほどのパワーを備えていること、」


「それはコンプレックスでもあるからやめて」


「……じゃあ二番目は無しにして、“虚空操術インターカーシャ”自体が持つ高い汎用性と利便性、危険が大きい作戦でも躊躇せずに遂行する胆力、瞬時の状況判断能力、長時間に渡って支援を続けられる体力……とかじゃないか」


「……そう」


 頬を赤らめてユカは髪をくるくるさせる。言われている間に全て褒め言葉であることに気づき、恥ずかしくなっていたのだ。


「でもさ……そこまで私は強いかな」


「……と言うと?」


「いや前々からそうだったんだけど、周りには私よりも強い人たちがたくさんいる気がして。帥の選考基準は決して戦闘力だけではないとは言え、同じ一級や私より上の準特級、特級の人たちを差し置いて私が帥にいていいのかなって……」


 しばらく呆然とユカを見つめていたナリタだったが、不意に堪えきれない笑いが襲いかかってきて吹き出してしまう。


「なんだ、そんなことで悩んでたのかよ」


「冗談無しに、本気で悩んでるの。大体ナリタが強く推したからこんなことになってるんじゃないの?」


「いやいや、確かに推薦したのは僕だけど、それに賛同したのは他でもない元からいた先輩方だ。むしろまだ新参者だった僕の推薦にここまで納得してもらえるなんて思わなかったし、それはみんなにユカの実力が認められている確かな証拠じゃないか」


「……そうなんだ」


 しかしユカはまだ立ち直らない。「それでも、私はみんなが期待していた通りには出来ていないと思う……それで帥が務まるのかな」


「……うーん……」


 これにはナリタも腕を組んで熟考してしまう。目を閉じて首を傾けたとき。あっとナリタが声を出した。


「……何か思い出したの」


 ユカには聞き覚えがある声色で、何か大切なことを思い出したときに出す声とそっくりだった。もちろん何でもないと言えば、ユカの尋問が始まる予定だ。

 だがその必要は無い。ナリタがクスッと笑って言う。


「ユカが帥になれた理由、“未来ある若者”だから」


「……はあ」


 思い出したと言うより思いついた感じがしてユカは疑心暗鬼な表情を向ける。視線が痛いナリタは顔を逸らしながら弁明する。


「いやいや、これは他の候補者から言われた言葉だよ。その人も有望視されてたけど、ユカがいると知った途端にこの言葉を残して辞退しちゃったんだ」


「何それ」


 それだけ聞くと、少女に媚び売る悪どい人と感じても無理はない。だがこれはナリタの言い方が悪かっただけだろう。なぜならその本人は決して悪い人では無いからだ。


「まあそういうこと。若い人たちを積極的に入れようって意見だったんだ。だからユカは自信を持っていいんだ」


 ここでようやくユカも、ナリタの方を向いて目を合わせる。「帥にいながら成長していたっていいんだから」


「……そうね。ナリタがそれでもいいって言うなら、私も少し安心した」


「そりゃ良かった」


 雰囲気が元通りになったところでタイミング良く医務室に着く。


「ジーン、起きたか?」


 と呼びながらドアを開ける。


「あ、ナリタさん、ユカさん」


 起き上がったジンが二人を呼ぶ。少しやつれているように見えるが、顔色は悪くない。


「もう大丈夫だな。ちょっとドクターに診察してもらってから帰るとするか」


「分かりました」


 ジンはベッドから立ち上がり、ナリタの方へ行く前にコノハと向かい合う。


「……ありがとうございました」


「……ん」


「コノハさん居たんですね……静か過ぎて分かんなかった」


「こちらから見つけてもらおうとも思っていなかったので」


 ジンが医務室から出るのを確認して、コノハも同様に出てくる。


「それでは」


 軽く手を振ってコノハは廊下を歩いて行った。


「やー……コノハさんってユカに似てるよな、性格」


 そこの角を曲がっていった途端にナリタが言う。


「え、そう?」


「ちょっと無気力なところとか、目にハイライトが少ない感じとか。あと僕に当たりがきつめなところも」


「はいはい、この話は終わりにして早くジンを診せに行こう」


 素早く話を折りたたんでユカが急いだ。実はメイジャー協会の医療施設はある程度の規模を有する医療機関としても機能しており、稀に診察が長引くこともあるのだ。


 幸いにも今日は空いており、すぐに受けることができた。ジンの体を軽く診察してもらったが、心音や呼吸音に問題はないとのことだったので帰宅許可が出た。


「カイは……どうですか?」


 診察室から出た後、ジンが聞いてきた。


「……まだ立ち直ってないだろうな」


 逆に立ち直っていないのが普通だろう。僕であればユカや師匠を殺されたときと同じくらいのショックだろうし、加えてカイには過去のフラッシュバックもある。


 でもずっとあのままで居させるわけにもいかないし、カウンセリングでもさせようか……そうナリタが考えていた隣で、ジンが携帯を取り出す。


「……どうした?」


 このタイミングで取り出したことに疑問を抱き、ジンに尋ねる。ジンは微笑しながら答えた。


「カイを勇気付けるんですよ」



 ※



 借り物の自室に閉じこもり、自己嫌悪のループを繰り返す。明るいところには居たくない。電気も消し、カーテンを閉め、流れでベッドに倒れる。重く長いため息を吐く。

 協会に戻った後や、ナリタさんの家に戻るとき、いろんな人が「カイの責任ではない」と言ってくれたが、俺はそう思えない。当事者だからこそ絶対に俺のせいだと言い切れる。


 ちゃんとしていたらプリムラさんがあんな目に遭うことはなかった。ジンに意識を逸らし過ぎたのが原因なんだ。その後も、プリムラさんが負傷するたびに動揺して、腕を切られたときは我も忘れて敵に突っ込む愚行。斬り伏せられていてもおかしくは無かったはずだ。


 プリムラさん、本当に最期のは本心なんですか? 散々足を引っ張ってしまって、結果的にあなたを死なせる元凶となったこの俺に何の恨みも抱かず、生きろと。


 分かんない。俺にはその意図が分かんない。


 ぶんぶんと頭を振る。その後一人で勝手に辛くなっては後悔と自責の念が湧いてきてまた頭を下に向ける。


 さっきまで真っ暗だったのに、何だか眩しい光が漏れている。携帯の画面が明るくなっていた。手を伸ばして携帯を手に取り、画面を見る。眩し過ぎて目を細める。だんだん慣れてきて画面が見えてくる。


「ジン……」


 ロック画面に表示されたのは、SNSの通知。送り元はジンだ。


 “いつまで下を向いているの?”


「……は」


 それを見てカイは肩で笑う。「お前だって散々自暴自棄になってたくせに」


 もう一度画面を見たときに丁度良くもう一つ通知が来る。またジンからだった。


 “今のカイを見たら、プリムラさんはどう思うだろうか?”


 その言葉を見て、カイは笑っていた顔を引っ込めた。


 今の俺をプリムラさんが見れば……か。


――何をそんなに沈んでいるんだ? 下向くだけ無駄だぞ?――


 言われたわけでもないのに自然と耳に届いた。そして穏やかに笑みを浮かべながら頭を撫でてくる動作までが目に見える。だるく絡まず、寄り添うようにして励ましてくれるプリムラの姿。


――私が死ぬことは覚悟の上だ。若手を未来へ託せたのなら、それで私は満足なんだ――


 ああ、だから「生きろ」だったんだ。


 すいません。それに気がつけなくてすいません。今しか見えてなかった俺を許してください。


 それでもやっぱり俺は愚かなんだ。プリムラさんを死なせてしまったことに変わりはない。その原因の大元が俺にあることも変わらない。そして、プリムラさんの言葉の真意も読み取れず、未来を見据えた考えもできないことに気づいた。枯れていた目から再び涙が流れ始める。


 俺は愚かだ、俺は無力だった。俺はまだまだひよっこだった。


 だからこそ、プリムラさんの遺志には必ず応えなくてはいけない。


 ※


 ナリタの家に帰る途中、携帯の通知が鳴った。ロック画面を見ると、カイからの返信が一言。


 “ありがとう”


 それを見て、ジンは安心したように静かな笑みをこぼした。



 ※



 「ただい……」


 夕方、ドアを開けたナリタの声が途切れる。玄関先に、目を赤くしたカイが立っていたからだ。「……まぁ」


「……ナリタさん」


 おかえりも言わずにカイが言う。「メイジャーアカデミーに通わせてください」


「……急だね」


「急ですけど……気づいたんです。プリムラさんに応えるには、もっとハングリーに強くなるべきだって」


「そういうこと……」


 途中から話を聞いていたユカが頷く。「私はいいと思う。いろんな所から教われば様々な知識も身につくし、実践も増えるから強くなるには効果的」


「僕も賛成だよ……にしてもねぇ」


 しょうがない、みたいな感じでナリタが後頭部を搔く。「君たち、以心伝心なのか?」


「以心伝心……まさか」


「カイが悟った通りだ。ジンもアカデミーで学びたいって言い出してな」


「動機はかくかくしかじかだけど、根本はカイと同じであるはずだよ。貪欲に経験を積んで、もっと強くなって、今度こそみんなを守れるメイジャーになるんだ」


「……そうなのか」


 考えていることは同じかと恥ずかしくなりそうであったが同じことを考えていると分かって安心もした。俺独りで行くことはないんだな。


「君たちが望むなら、明日から電撃編入させることもできるぞ」


「それ本当ですか!」


 虫のいい話だがナリタさんが言うなら信用できる。カイは話に食いついた。「それで、お願いできますか」


「もちろんだ……ジンもそれでいいか?」


 その熱意に少し引きながらジンにも確認を取る。


「明日からですか? 僕もそれがいいです。楽しそうですから」


 二人とも予想の数倍乗り気だ。後悔を次の努力への燃料と変換している。辛い思いをしたというのに、彼らには「じゃあ次は絶対そうさせない」という意志がひしひしと伝わってくる。


「そうと決まれば荷造りも今日のうちだからな? さっさとやっとけよ〜」


「はい!」


 その夜は寮に入るための荷造りと授業を受けるための荷造りを行った。夕食はユカが一段と手を込めて作っていた。最後の晩餐を楽しんだ後、二人は明日を待って早めに寝てしまった。


 ※


 ――そして翌朝――


 二人は大きなカバンを背負い、玄関前まで行く。


「あ、そうだ」


 ナリタが財布を出し、十何枚かの札を出しては二人に等分して渡した。「今回の任務の報酬が振り込まれると思うが、それまではその金でやりくりしろよ。あと無理言って学費をタダにしてもらってる代わり、滅茶苦茶に厳しくして良いって言ってあるから、ちゃんと教わってこいよ?」


「分かりました!」


 朝から元気なジンが真っ先に返事し、ちょっとだけ遅れてカイも続く。


「……ま、昨日くらいのやる気があればどうってことはないでしょ。行ってらっしゃい」


 特に感情的になるわけもなく。いつもの感じでユカは手を振って送り出す。


「いっぱい学んでこいよ」


 ナリタが二人の背中を押した。「おし、行ってこい」


「行ってきます」


 そうして、ジンとカイは新たな一歩を踏み出した。




      ――第一章・完――

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