第一章 四幕 14.立ち止まってもいいから
――五月十三日――
『おはようございます。初めに先日行われたアジュシェニュとの戦闘についてのニュースです。五月十二日、グリーンウィンド国立公園内で多国籍軍及びメイジャー協会とアジュシェニュによる大規模な戦闘がありました。戦闘は数時間に渡って続き、多国籍軍がアジュシェニュを鎮圧しました。レトン国政府からの情報によると、アジュシェニュ側の死者は推定三百人以上と言われています。また詳しい情報はまだ分かっていませんが、多国籍軍の死者は数名、そして人質一名が作戦中に死亡したとのことです。双方の負傷者は――』
残酷な朝のニュース番組が耳を逆撫でする。耐えられなくなったカイはテレビの電源を消す。
日差しは明るいのに、食卓はやけに暗い。ジンは未だ病室、ナリタさんとユカさんは用事で協会に行っている。独りとはこんなに寂しいものだったっけ。
食べなきゃ苦しいのに喉を通ってくれない。いや、何もしなくても苦しいままだ。
また、目の前で大切な人が殺された。
俺はいつも肝心なときに人を守れない。
※
――五月十二日、午後――
「なんで? なんでよ!」
ユカが泣きじゃくりながらプリムラにしがみつこうとして離れない。「嘘ですよね? 嘘って言ってくださいよ、プリムラさん……!」
「ユカ、プリムラはもう死んでいるんだ」
アギトが感情を乗せずに伝える。ヘリのプロペラ音がうるさいのに、その言葉は酷くくっきりと耳に入ってきた。
それを聞いたユカの顔は歪み、その場に崩れ落ちた。顔を手で覆い隠し、声を詰まらせながら泣き続けた。一緒に出迎えに来ていたゴーストも同じように、口元を隠してただ呆然とそれを眺めていた。
沈んだ顔、誰もが無表情の中で、ユカだけがずっと絶望に打ちひしがれ、言葉にならない嘆きを上げ続けていた。
※
そして今日、ユカは協会内で偶然アギトに遭遇した。ユカの顔はまだ沈んでいた。ハイライトの無い目でアギトの顔を見上げる。
「……そろそろ立ち直ったらどうだ」
どうしようもない、という感じでため息をつかれる。その姿にユカは憤慨しそうになった。この人はプリムラさんの死をなんだと思っているんだ。心の底から怒りが湧くと共にプリムラの姿が頭に浮かぶ。短い間の思い出から、最期の姿までが頭をよぎり、ユカは再び涙を流し始めた。
「なんで……あなたはそんなに平然としていられるんですか」
震える声でアギトに問う。
「……何を言っている。俺も平然とはしていられない」
思わぬ言葉が出てきてユカは顔を上げた。アギトの目から涙が出そうになっているのに気づいた。彼も今の会話だけでプリムラのことを思い出したのだろうか。それには本人も気づいているらしい。一度顔を逸らして目の辺りを拭い、また向き直る。
「だが、悲しみに明け暮れている時間はない。今日これから、また新しい任務が飛び込んでくるかもしれない。そのときには既に切り替えていないと支障が出るからだ」
そう忠告したものの、アギトはユカの気持ちも汲み取れていた。その情けを精一杯行動に出し、優しくユカの頭を撫でる。
「……でも君はまだ若く、立ち直れないのも無理はない。プリムラの死はとても重いものだ。だからこの感情は決して忘れるな」
アギトは頭に置いた手を離した。「“帥”なんだろ。実力を認められた存在なんだ、もっと強くなれ。そしてプリムラの願いを叶えてやってくれ」
「願い……?」
「決戦前夜のことだ。あいつは俺に話しかけてきて、遺言とか言って自分の想いを語った。その中にプリムラの願いも含まれていたんだよ」
「どんな、ものですか」
「それは――――」
アギトはプリムラの言葉を要約しながら伝える。綺麗事のようで綺麗事じゃないその願い。改めて思い返せば、今回の件でプリムラの夢は破られてしまったんだと心に染みる。
それでも次がいる。一人では成し得なかった願いは必ず誰かが引き継ぎ、聖火のように途切れることなく、いつかゴールに辿り着く。だから、人の想いの力というのはここまで神秘的で偉大な奇跡になったんだと思える。
「――――そういうことだ」
言い終わってアギトは振り返って進み始めた。
「待ってください」
呼び止められてまた後ろを振り返る。目を赤く腫らしたユカが立っていた。
「あなたは継いでくれないんですか?」
その言葉に冷や水を浴びせられたような気分になった。俺はあくまでこれを伝える役目だと勝手に思い込んでいた。
脳裏に浮かぶ一番星のような光に手を伸ばす。こんな俺でもできるのだとしたら……
だが理想は遥か遠く、光は遥か高くからアギトを見下ろす。伸ばした手は力無く下がっていった。
俺にプリムラは眩しすぎる。夢を持ち、どこまでも理想を追い求めて運命を切り開くその姿は、俺とはかけ離れすぎている。
「君だからこそできることだ。俺はその手助け程度しかできない」
そう言い残してアギトは今度こそこの場を去った。
「……はい……!」
ユカの目はまだ赤かったが、それでも笑顔を浮かべて答えた。プリムラさんがそう言うなら、私もそうできるよう頑張ろう。いつまでもくよくよしていたらそれこそプリムラさんに失礼だ。
そういうことですよね? アギトさん。
何も言わず、少し鼻を啜りながら去っていくアギトに深い礼をした。
※
メイジャー協会本部の地下にある安置室。真っ白な灯りに照らされた個室に、プリムラは顔に布を被せられて寝かせられていた。その両側にナリタとソロが立っている。
「すみません……僕の詰めが甘かったばかりにこんな結果を招いてしまって」
「いや、むしろよくやった方だ。限られたわずかな時間の中でよくここまで情報を集められた。途中予想外の事態が多々あったが、それに対応して犠牲を僅か一名に留めることができた。これは圧倒的な大勝利……と言っても過言ではないだろう。よくやった」
「……それが協会としての総評ですか」
ナリタが皮肉のこもった声で一蹴する。「あなたからしたらどうですか。今回
「……悔しいさ」
ソロはボソリと呟き、後の言葉はナリタに聞こえる程度の声の大きさまで戻す。「プリムラ・マラコイデスという一つの命が失われた。たかが一人、されど一人。彼女を失った穴は大きい……できれば生きていて欲しかった」
「……同じですよ、僕も」
続けて何か言おうとした途端、安置室のドアが開く、コタローが付き添いながら入ってきた老齢の女性は、二人と目が合い、ゆっくり深くお辞儀をした。少し遅れてナリタたちもお辞儀する。
言葉を発さずに女性はプリムラの遺体に近づく。ソロが顔を覆っている布を外す。
真顔になったプリムラの顔。しかしその口端は少しだけ上がっている。全体を俯瞰してみると微笑んでいるようにも捉えられる。
「……娘は」
表情を動かさずに母親が問う。「立派な最期を遂げることができましたか?」
「…………はい」
長い間を置いて、ナリタが振り絞るように答える。「彼女は、とても勇敢なメイジャーでした」
「……そうですか。頑張ったねえ」
ボロボロと涙をこぼし、優しい笑みを浮かべて母親は娘の頭を撫でる。「向こうにいるお父さんによろしく頼むよ。でもせめて子供の姿は見せて欲しかったねえ。おまえがどんな人と結ばれてどんな子供を産んでくれるか楽しみだったんだけどねえ」
「お母さ――」
「分かっています。プリムラは命を賭して戦った。そこには何の未練もないでしょう。夫もそういう人物でしたので……でも、私の願いとしては……せめて私よりも長生きしてほしかった……」
その場に崩れず、ただ寄り添い続ける母親を前に、ナリタは何の言葉も出なくなっていた。
子供とは、親にここまで愛される存在だったんだ。慈愛、自分よりも相手を優先してしまうその愛情は、僕には程遠い。
親の愛を知っていれば、僕はあなたに同情できたのでしょうか。
ふと肩を叩かれる。ソロさんが扉を指差す。
「……そうですね」
二人は静かに安置室を後にし、安置室前の椅子に座った。
「聞いて分かったと思うが、プリムラの父親もメイジャーだった。だが神塚襲撃事件でプリムラを庇って亡くなったらしい」
「そう、だったんですか……」
考えてみれば、僕はプリムラさんのことを全く知らない。今回たまたま任務を共にしただけの関係なんだ。ただの仕事仲間、それだけのはずなのに、どうしてこんなにも苦しくなるんだろうか。
一名の死亡、そんな言葉で締めないでほしい。犠牲を抑えることができた、そんな言葉で褒めないでほしい。
この後、数週間数ヶ月も経てば、僕の中でも“プリムラ”という人物の影響は薄れていくだろう。明日明後日には、この沈んだ気持ちも元通りになっているだろう。
でも、僕はこの
下を向いて涙を落とす。そんなナリタの姿を横目で見たソロは、目線を前に向けてナリタに言った。
「……今は立ち止まってていい。だがずっと前は見ていろよ」
「……はい……」
※
「……」
無機質な白い天井。病院みたいな天井。ジンは再び医務室のベッドで目を覚ました。
「……何でここに?」
「あ、起きたのね」
前から声がしてガバッと起き上がる。椅子に座り、物静かに本を読んでいるコノハがそこにいた。
「……コノハさんか」
「私じゃ何か問題がありましたか?」
「いや、何も……」
咄嗟に出てきた言葉が場を気まずくさせ、ジンはコノハと目線を逸らす。しばらくして、ちらちらとコノハの様子をうかがうようになる。何事も無かったかのように本の続きを読み始めていた。そう、初めから何も無かったみたいに。
「……悲しんだりしないんですね」
と、ジンは呟く。
「……何に?」
予想外の返事が来てジンは戸惑う。悲しむ悲しまないの前に、その感情を抱く対象すら存在していないような言い方。
「いや、だって人質……メイジャーが一人亡くなったんですよ」
「そうですね。でも私と深い繋がりがあったわけじゃない。みんなはプリムラさんと何らかの関係があったり、以前から彼女のことを知っているらしいけど、そもそも私はあの人をよく知らないので」
「そんなの僕も同じです。実際戦場で会うまで全く知らなかったし、まともに話したこともありません。それでも僕はプリムラさんの死がとても悲しいです……あなたはそれでも思わないんですか」
「……そんなの、いちいち思ってたらキリがないですよ」
感情を全く込めない無機質な話し方が、ジンの心に刺さる。「メイジャーには死が付き纏うものです。一緒に任務をこなして死んでいった仲間たちは何人もいます。大規模な作戦なら尚更死者数は増加しますが、そうやって自分と同じ作戦に参加していただけの人たちを悲しんでいたら、立ち直る暇は無くなりますよ」
「コノハさん……そんな感じに人の死を見ていたんですか?」
「コタローさんも同じことを言うでしょうね。私は現実的に物を見ますから」
「その現実を変えようと動かないんですか? それを変える夢とかは持たないんですか?」
「……」
ここで初めてコノハの言葉が止まった。目から漏れていた薄暗い光が一瞬消えたように見えた。「私は元から、夢なんてもの持ち合わせていません」
「……そうなんですか」
その発言の裏に隠された重々しい雰囲気を感じ取り、ジンはしばらく黙ってしまう。
沈黙した、気まずい空気が何分も流れる。無音に等しい病室で、たまに紙がめくられる音だけが耳に残る。
その間にジンはあれこれ考えすぎてしまう。
最後の瞬間、僕は結局耐えることができなかった。悲しみの雄叫びを上げるカイ、カイに抱えられた誰か。その前に起きた自分の失態。
守れなかったこと、守りきれなかったこと。その全てが最終的に僕を絶望させた。悲しさよりも後悔が強い。僕がもっと周りを警戒していれば、バリアを張るだけで余裕を無くしていなかったら、回復がもっと早かったら、救えた命があったかもしれない。
そんなイフを妄想したって無駄だ。あのときの僕の実力がまるで足りていなかったのだ。足りない力でありえないことをやってみせようとやる気を出した挙句、見事に現実を叩きつけられる。僕は、誓ったことすらまともに守れないただの、
「無能……」
意図しない呟きはコノハの耳にも届く。
「……なんて言いました?」
ここで何でも無いと言っても詰め寄られるだけなのは分かっていた。
「やっぱり自分に才能はないんじゃ無いかって……」
「……バカみたい」
大きくため息をつかれ、ジンはさらに萎縮した。「才能が無いって言うのは、私みたいな人間を指すんですよ」
「……え」
全く予想外の言葉が聞こえ、ジンはコノハを凝視した。その圧に押されてコノハは自分語りを始める。
「……私は元々、由緒正しい魔術師の家系です。当然長女である私はその代を継ぎ、魔術師として生きていたでしょう」
「メイジャーは魔術師では無いんですか?」
「あー……厳密に言うと違います。メイジャーは免許のような物で、他に職を持っている人はかなり居ます」
メイジャーに関する知識を的確に入れ込みながらコノハは続ける。「それで、でも、今の私の職業は通訳です。私にはその魔術の才能が無く、継ぐことができませんでした」
「……ごめんなさい。才能が無いだなんて簡単に使ってしまって」
「全くその通りですよ。私……いや、ほとんどのメイジャーから見て、あなたは充分過ぎるほどの才を持っているのですから」
「そんなにですか?」
「でなければその年であんな作戦に参加出来ていません」
「……それもそうですか」
急に自分が情けなく見えてきた。僕は才能が無いと思うことを言い訳にしてきたんじゃないか。才能が無いからと言って出来ないことを仕方ないで片付けていたんじゃないか。カッコ悪すぎだろそれは。
「それでも一つ忠告しておきます。才能があるのと活かせるのは別次元の話です。才能を活かすには活かせるだけの知識と経験と努力が必要です……あなたは、才能に胡座をかかないでくださいね」
言い回しているようだが、コノハさんは僕が暴走してしまったことをフォローしているようだった。あれは僕の才能の問題では無い。その才能を使えるだけのあれこれがまるで足りていなかったんだ。そして、僕がいつまでも自分の才能という枠に囚われないよう、今後に向けたアドバイスをしてくれたんだと思う。
「才能があるからって調子には乗りません。それは約束します」
凛とした真っ直ぐな瞳がコノハに向けられる。嘘偽りの欠片も無い純粋な目つき。それが異様な安心感をもたらしてくれる。
「約束して下さいね」
初めてコノハは微笑んだ。「ところで、アカデミーには通っていますか?」
「? あかでみー……」
「メイジャーアカデミーを知らないんですか?」
いや、前にカイが少し説明していたような……でも忘れてしまった。
「あんまり知らなくて……て言うのも、ナリタさんの元で教わっていたもので」
ここでも、コノハは大きなため息をついた。
「メイジャーアカデミーは、試験に合格したばかりのメイジャーを実戦で機能するレベルまで育成する言わば教育機関ですよ――」
その学習範囲は魔術関連に留まらず、体術や交渉術などの戦闘知識からその他諸々社会に必要な知識まで教えている。どれだけ偉く強かろうが始めはアカデミー在籍が基本となっている。
「――まあ基本知識としてはこんな感じです。魔術関係の教育はその系統ごとに教える内容が全く違ってきたりするので、系統ごとに分離されていたりします」
「系統って何ですか?」
「……あなたそんなことも知らないでメイジャーになったんですか?」
コノハの冷たい視線が刺さる。
「ごめんなさい……」
「系統とかは面倒なので『現代魔術全解』でも読んでください。ただ、あなたの魔術をさらに深めるとしたら学部は
「ディーブ……」
「“放出科”の別名みたいなものです。アカデミーの学部は各系統ごとに別名がついていて、それが最も偉大だった魔術師の名前のどこからか持ってきていると言うだけの話です――」
基本中の基本らしいので、その別名も含めた学部を一通り教えられる。
「思ったより数あるんですね……」
「名前はいいとして、それぞれの特徴まで無理に覚える必要はありません。あなたに必要なのは放出科で学ぶこと、つまり放出系の魔術について更に詳しくなり、自分の魔術として
「……いや」
ナリタさんならきっとオッケーをくれる。学びには積極的であってほしいと言うのが、恐らくナリタさんの理想だろうから。
――好奇心旺盛な生徒は印象がいい――
でないと絶対こんなこと言わないだろうしな。
「お陰で目が覚めた気がします」
真剣な顔つきでジンが言う。
「それなら良かった。また会うときには、もっと強くなっていて下さい」
本を閉じ、逆に真っ直ぐ、笑顔も無くジンを鋭く見る。
「はい」
それに対し、決意のこもったジンの瞳はより強さを増したように見えた。
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