第一章 四幕 13.魂からの号哭
一気にヘリの照準がバラけた。絶対に何かあったな。
「ジッ――」
一瞬だけ振り向いて後ろの状況を確認する。そしてカイは目を疑った。
ジンが膝から崩れ落ち、そのまま地面に倒れ込む姿がそこにあった。背中は赤く染まっており、ジンがなんらかの攻撃を受けたことが分かった。
「よそ見をしている場合か?」
ひんやりとした声に伴って刃が滑る。背筋に走る殺気に敏感に反応し、振り向き様にカイは剣を振った。
刃が互いに喰い込むくらいの勢いでぶつかり合う。ちょっと間に合わなかった。首に掠って少し切れ、血が皮膚の表面を流れる。
「ッ……!」
男の反撃が始まった。俺だけを集中的に狙ってきてる。何とか防ぎ切ってはいるが、伸縮自在で変則的な攻撃は余計な体力を消耗する。プリムラさんはどこに行った。
目が泳いでいることで見透かされたらしい。淡々と、だがおもしろおかしく男は告げた。
「あの女はどうしたかって? そこでくたばっているではないか」
突如攻撃をやめ、男は自身の後ろを指差す。
プリムラはそこに膝をついて震えていた。腹部辺りから血が滴っているのが見える。
「プリ……ムラさん」
プリムラは咳き込んで血を吐く。肩が激しく上下し、辛そうだ。
「何をした……!」
「何と言っても、少しばかり腹を斬り裂いただけだ」
大してそれで見栄を張ることもなく、カイを動揺させるような素振りも見せず、当然のことをやったまでと言わんばかりの調子。
それが余計に、俺の神経を逆撫でしやがる。
「よくも……っ!」
憤怒したカイは鬼の形相で男に迫り、これまでにない速度での剣撃を何度も仕掛ける。その心を占めていたのは、後悔と贖罪の思いであった。
プリムラさんがやられた理由は想像がつく。十中八九俺のせいだ。こいつに向かう途中に俺がジンに気を取られたから、突然一人でこいつと戦うことになってしまい、結果負傷した。全ては俺が気を逸らしたのが原因なんだ。
すいませんプリムラさん。俺はまだ未熟です、戦闘中に他のことに気を取られるなんて。どうか許してください。
俺の愚行が招いたであろうことならば、俺自身が責任を持ってその罪を償わなければならない。だからこそこいつを倒すのは“義務”なのだ。
そうでなければ、俺はプリムラさんに顔向けできない。
クソ、何でこんな強いんだ。そこらの魔術師より遥かに戦闘センスがある。自分の魔術が最大限活きるように戦っている。フレッドさんも上手かったがこいつもそれと同じくらい……戦闘に特化した魔術の分こちらの方が強いかもしれない。
「口先だけか? 小僧」
なんでだよ。なんでこんな全力で戦ってるのに、お前はそんな余裕なんだ。意味が分からない。俺ではハナから実力不足なのか? 俺ではこいつに敵わないのか? そんなことはない。武器の扱いだけは一丁前にやってきた俺だ。こんな奴に遅れを取るわけには。
「お前よりも、さっきの黒髪の方が骨がありそうだな」
黒髪……ジンか。ジンの方が俺より強い……
「鈍くなったな。お前じゃただの怠い戦いだ」
男の剣が伸びて喉元に迫る。しまった、戦闘中に深く考え込みすぎた。
無理だ、避けることなんてできない。ならば死? こいつに何もできずに死んでいくのか?
嫌だ嫌だ嫌だ。そんなことは認められない。俺は……俺は……
俺は……こいつには勝てない……!
悟ってしまった事実に絶望し、カイはその間、一筋の涙をこぼした。懸命に踠いても届かなかったときのように悲痛に塗れた表情。諦めをつけて目を閉じようとした。
――キン――
剣を弾き返す音がした。反応して目を開ける。口から血を滴らせるプリムラが、剣に変形させた右腕で男の剣先を逸らしたのだ。
「プリムラさん……!」
後悔と謝罪の気持ちが合わさって更にくしゃくしゃの表情になる。
「どうしたカイ……まだ、何も決着はついてないよ……!」
その姿勢を一喝してプリムラは男の目の前に立つ。「ほら、また隣に立ってよ。カイ」
「……すいません。わかりました」
涙を拭い、剣を構え、しっかりとした足取りで立ち上がり、プリムラの右隣まで来る。
「先程は本当にすいません……俺がしっかりサポートに回っていたら」
「気にすることはない。こんな経験は過去にもある」
傷もお構いなしにプリムラは構えを取る。
「傷口が開くぞ。もう戦うのはやめるべきなのでは」
「生憎だったね……ちょっと腹を裂かれた程度じゃ私はくたばらないよっ!」
プリムラが勢いよく飛び出す。カイもそれに続く。しかし、明らかにプリムラは衰弱していた。もう前までのキレは見られない。それでもプリムラは気持ちで喰らい付いていた。
「やはりいつ死んでもおかしくない……な」
伸びた剣身がプリムラの首に向かう。カイがそれを剣で打ち返す。
「メイジャーってのは強運に恵まれてるのさ。あんたが言ってたことだろう?」
「……そうとも。つくづく腹が立つ!」
そしてプリムラと男は何度も打ち合う。剣に変化させた腕でも傷がつく程に打ち合う。カイがつけこむ隙を見出そうとしたが、この男はやはり俺にも警戒を行いながらプリムラに攻撃している。俺に出来ること……それは、
遠距離からの援護射撃だ。
拳銃を取り出してすぐに撃つ。狙いは脳天。さあ避けてみろ!
男はしっかりその弾丸を見極めていた。脳天直撃で死亡コース……避けるか。
男は首を傾げて弾丸を躱した。
「今だ、プリムラさん!」
今の行動によって一時的に視界から消えたプリムラが死角に回って首を狙う。
「これで決まり……!」
気づいたときにはもう遅い。そうカイが踏んだときだった。
男の口端に笑みが浮かんでいた。
「俺の能力について勘違いしているようだな。俺が操るのは剣の長さだけじゃない」
男の剣とプリムラの右腕が打ち合う。そう思われた。
「剣の
次の瞬間、腕はスパッと斬れ。斬り上げられた右手が高く舞い上がった。切断面から血が吹き出す。
「……っ!」
「プリムラさん!」
何も考えずに突っ込んできたカイを軽く殴り飛ばす。
「感情的になるな……少年。それを受け入れるのもメイジャーだ――」
男の声が突然途絶え、苦悶に満ちた表情を浮かべる。突然体が痺れて剣を落とす。伸ばしたプリムラの左手が、男の首を絞めたのだ。
「カイ!」
プリムラは立ち上がり、振り解こうとする男をなんとか抑えている。「早く!」
「……分かりました!」
気にするな、全力で駆けろ。カイは剣を構えて走り出したときだった。
「……ぐっ……こ、しゃくなあ――!」
力を振り絞って男は屈み、剣を掴んだ。すぐに剣身が伸びる。
「足掻かずにくたばるがいい!」
男は剣を一振り。それでプリムラの左手も切断された。
さらにそれに満足することなく、男は正面に持って剣身を更に伸ばした。
どすりと鈍い音がして剣が止まる。その一部始終を見たカイは、途中から涙が止まらなかった。
伸びた剣身はプリムラの腹に突き刺さり、その身体を貫いた。
「……あ゙っ」
プリムラが大量の血を吐き出す。カイがプリムラを助けようと方向転換したとき、かすかにカイの耳に声が届いた。
「い゙、げ――」
ハッとさせられたカイはその進路を再び男へと向ける。プリムラさんが全てを懸けて作った千載一遇のチャンス。逃す訳にはいかない!
「おおおおああああ!」
カイは咆哮を上げながら男に迫る。男が剣を左右に動かす。抜き取られて血がべったりついた剣を振るい、カイを一刀両断しようとする。
それを右手に持った剣で受け止めながら更に進む。火花を立てているが気にしている暇はない。
ここで、決める!
――
左手で新たに剣を持つ。男の目の前に来たカイは首目掛けてその剣を振った。
血飛沫が飛んだ。しかし致命傷にはなっていない。男が切迫した表情でカイを見た。
「チッ」
続けざまにカイは両側から首を狙う。男は後ろへと逃げた。そしてすぐさま煙幕弾のようなものを地面に叩きつける。白い煙が辺りを覆った。だが舐めるな。俺の探知能力ですぐに……
と思ったが、その煙幕に気付いたヘリが不審に思ったのか銃撃を浴びせる。その弾幕に身を伏せる。
煙が晴れたとき、既に男はその場から消えていた。
「くそ……逃げんな……」
怒りに燃えるカイはすぐに追いかけようとしたが、後ろで鳴った物音で思考を現実に引き戻された。
プリムラさん。プリムラさんは大丈夫だろうか。慌てて踵を返す。
しかしそこに映ったのは、胴を両断されたプリムラの無惨な姿であった。
「プリムラさん!」
カイは必死に駆け寄った。既に涙がとめどなく溢れてきている。カイは地面に正座し、プリムラの上半身を膝の上に乗せ、その身体を抱きかかえる。
「しっかりしてください! 死んじゃダメです。死なないでください……プリムラさんが死んだら、俺はどう罪を償っていけば……」
止血の方法はないか。カイは自分の服を破いて包帯にしようとする。
しかし膝を軽く押すような感触があり、カイはすぐにプリムラを見る。
「…………ら…………て」
プリムラが笑顔を作り、何かを言おうとしていた。
「なんですかプリムラさん。でも喋らないでください! 余計な体力を……」
かすかに首を振ったのが分かり。カイはその唇に注目する。もはや声は出ていない。しかし、唇の動きでカイは最期の言葉を読み取った。
――生、き、て。
――だから、生きて――
口を開けて、呆然としてプリムラさんを見る。プリムラさんは最期にもっとにっこり笑った。その直後に生気が消え、身体中から力が抜けたのが分かった。
そして、カイは言葉にならない叫びを上げた。酷いよプリムラさん。なんで俺なんかに生きてだなんて……残酷すぎる。
遺言にしては美しすぎて、残酷なんだよ……!
カイの号哭は戦場中に響き渡り、何人かの手を止めた。
その何人かの中には、ジンも含まれていた。
なんとか治療を終わらせて立ち上がり、これからみんなを守ろうと動き始めたところだった。
カイの号哭を聞いてその咆哮を振り向く。見たことがない、カイが泣き叫ぶ姿。その膝に乗せているもので何があったかを理解し、そして絶望した。
守れなかった。僕は結局誰も傷つけずになんて出来なかった。僕があの撃ってきた相手に気づいていれば、僕がもっと早く治療を終えていれば、こんな敵さえ居なかったたら。
膝から崩れ落ち、ジンは闇に染まった顔で地面を唖然として見つめた。
「…………………でもいい」
もう全部どうでもいい。
全て消えてしまえ。
そう願ったジンの髪はこれまでになく金色に光り輝いた。直後、基地を取り囲むように無数の赤い気弾が展開される。中央にどす黒い何かを蠢かせた、禍々しい赤い弾。それは今のジンの怨念をそのまま体現しているようだった。
「消えてしまいたい」
他の人が制止させる間もなく、次々と気弾がとめどなく発射される。それは瓦礫を、ヘリを、森を、地面を、全てを次々と消し飛ばしていった。
最終的に、全て見えなくなるまでその弾幕は続いた。
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