第一章 四幕 11.最後の楽園へ

 ――それが始まったのは、地の底から咆哮のような地響きが起きてからだ。


 至る所から警報が鳴り響くそれは、人質がなんの前触れもなく反乱を起こしたことを意味していた。想定していたことではあるが、それでも恐怖が止まらない。魔術師、超人とされるメイジャー。そんな奴らに俺が敵うのだろうか……


 だが幸いにも迎撃に向かうのは俺ではなかった。中枢部に近いところでの巡回を担当している俺はこちらの任務の方が重要なのだ。変更の指示が無いのでこのまま任務続行。


 ……銃声と怒号。衝撃音がこだまして建物を震わせる。激しい戦闘が起こっているに違いない。人質の数は何人だったか。この激しさからして、人質全員が戦っているのだろうな。今日はまだ見ていないが、ブラッドももしかしたら戦闘に参加しているかもしれない……無事だろうか。


 なぜか助けに行きたくなってモヤモヤしてくる。向こうのやりとりが気になってしまう。ダメだダメだ、任務に集中しないと。


 集中……と言っても廊下を銃持って歩くだけだ。集中も何もあったものではない。正直つまらない。でもやらなきゃいけない。


 気怠そうな顔で巡回を続ける。後ろから足音が聞こえ、道を開けながら振り向く。八人ほどが隊列を組み、銃を持って駆け足で通り過ぎる。あいつらも鎮圧に向かうんだ。ホープは立ち止まって、その隊列の背中が見えなくなるまで彼らを眺めた。


 その直後、爆発音が響いた。床がちょっとだけ震える。続いてかすかに細かく震えるような音が聞こえ……違う。これはガトリングガンの音。それを使うことになるほど苦戦しているのか? そもそも手榴弾を使っている時点で抑えるのに手こずっているのだ。


 メイジャーを甘く見ていたかもしれない。数で圧倒的に勝る俺たちにここまで拮抗……または押し切るほどの力。掃討作戦でボロ負けしたのもこれが一番の原因か。


 追い打ちをかけるように咆哮が空間を大きく揺るがす。肉と血に飢えた叫び声、虎やライオンみたいな唸り声。これもメイジャーが魔術で行っていることなのか。そうだとして……奴らを止めることは可能なのか?


 気づいたときには走り始めていた。任務を投げ出すなどあってはいけない行為だ。それなのに、居ても立っても居られなくなっていた。


 どの道あそこで食い止められなかったらここまでやって来る。今多くの兵が集結している状況を突破されたら終わりだ。中枢部も簡単にやられるだろう。そうはさせない。なんでもいい。一人でも多く向かって抑え込まないと。


 せめてさっき通ったあの集団に追いつこう。そう考えて足を速める。角を曲がって、少し進んで下に繋がる階段への通路を確認し、さらに曲がる。


「……は」


 そこで目にしたのは、八人の死体であった。盛大に血飛沫が撒き散らされており、壁に寄りかかっているものから地べたでくたばっているもの。その全てが例外なく銃創と見られる傷が至る所についていた。


 ここまで来ている。そしてメイジャーは武器を持っている。リーダーたちに魔の手が迫ってきている。ホープは来た道を戻り始めた。


 どこだ、どこに行った。忌々しいメイジャーめ、どこから入り込んだ。壁に隠れてないか、天井に貼り付いていないか、怨霊のように血走った目で舐め回すように探す。どこに行った。どこまで進んだ。


 結局元の場所まで戻ってきてしまう。中心部へ向かう通路を通り過ぎても痕跡が無い。既に中に入ったのか、もしかして反対側から遠回りして向かってきているのかもしれない。とりあえず他の被害は確認されていない。ホープがまた進み出したときだった。


 視界の向こうから人影がひょいと姿を現す。やや長身で痩せ気味の身体。ドローンを脇に従えている。


 メイジャーだ、メイジャーがいた、メイジャーがそこにいる。


 かつてない恐怖と焦燥が駆け巡って呼吸を荒立てる。死んでしまう。奴を殺さないと俺が殺される。死ぬのはやだ死ぬのはやだ死ぬのはやだ死ぬのはやだ死ぬのやだ死ぬのはやだ……


 死ぬのは嫌だ!


 ガタガタ震えた手で男に照準を向ける。ひきつった顔でホープは叫びながら銃を撃ちまくった。


「あああああ!」


 邪魔すんな。これ以上来るな!


 その抵抗虚しく、男はドローンを先に行かせて角に戻る。そして迫ってきたドローンにはガトリング砲のようなものが付いており、回転すると同時に圧倒的な連射でホープに弾丸の雨を浴びせる。


「がっ……」


 腹と足を貫かれ、ホープはうつ伏せに倒れた。痛い、熱い。そう思ったのも僅かな時間であり、すぐに意識は闇に包まれた。



 ※



 次に目を覚ますと同時に熱い痛みが全身を襲う。


「っ……あああ」


 エビのように丸まって苦痛をやり過ごす。悶えながら生きている実感を味わい、ホープは土壇場での自分の生命力に驚かされた。


 銃で撃たれても死なない。意識も一度失ったが今はある。身体は痛いが動くには動く。これが生存本能とかいうものなのか。今、俺はこれまでになく生きたいと思っている!


 力を振り絞り、ホープは前に前に手を伸ばし、床を這いずり始める。死ねない。こんなところで死ぬわけにはいかない。俺は彼女の夢を途中で終わらせることはできない。


 当てもなくただ必死に腕を動かして這った。両足はもう使い物になってない。服と傷が擦れて痛かった。諦めたくなんてなかった。


 しかし現実というものは非情であり、地を揺るがす爆発音が連続して轟く。床に亀裂が走った。まずいと思ったときにはもう遅い。ホープは瓦礫と共に建物を滑り落ち始めた。どこかにしがみつこうと必死で伸ばした手も虚しく、空を仰ぐだけだった。


 やっぱりダメなのか。どうしても俺は生き延びることができないのか。


 失意の中、ホープは瓦礫の波に飲み込まれていった。


 全部……無駄だったんだな……



 ※



 重い。重い。体に重圧がのしかかる。でも俺はまだ生きている。


 ホープは偶然にも瓦礫と瓦礫の間に収まっており、のしかかっている重圧もそこまでのものではなかった。


 ただ、身体中のあちこちから響くような痛みが走る。きっと骨が折れてる。ただ……まだ動ける。


 そして、前方から光が差し込んでいることに気づいた。ということはまだ希望はある。俺は見放されたわけじゃないのだ。


 どれだけ堕ちても、救いの手が差し伸べられる。その手が俺をぽいと投げ捨てようが、新たな手が差し伸べられる。これは天からの試練だ。どれだけ打ちのめされても諦めない心を試されている。ならば折れるわけにはいかない。


 周囲の瓦礫を退けて光に手を伸ばす。差し伸べられた手をぎゅっと握りしめるように地面を掴む。身体が動いた。光に近づくが、その隙間は人間が通るには狭い。


「折れるわけには……諦めるわけには……」


 上を塞いでいる瓦礫に右腕を押し付ける。力を込めて瓦礫を持ち上げる。隙間が広がった。もう少し、もう少し広がれ。


 身体が通ると感じた瞬間にホープは隙間に向かって飛び込む。持ち上げていた瓦礫が落ちて背中を強打し、少しだけうめき声を上げる。だがこれによって右肩まで出た。視界が明るくなって青空が見える。今更のようにヘリの音がうるさい。だが少しこもっているように聞こえる。鼓膜が破れたのだろうか。しかし瓦礫が崩れる音は鮮明に聞こえる。


 そして周囲を見て気づく。青空と思えたものは構造物だった。青みがかかったガラスのような壁。それが外界からの干渉をことごとく拒絶している。だから辺りに銃弾は散らばらない。ここに集まっている人たちが傷つかないわけだ。


 そして右側の人影に注目する。背は俺と同じくらいの少年。この中で唯一その壁に触れている。あれも魔術師なのか。


 その直後、ホープの胸に湧いたのは果てしない憎悪であった。


 味方の攻撃を全て跳ね返しているのが腹立たしい。お前さえ居なければ彼らは蜂の巣と化していただろうに。震える手で懐を探り、ハンドガンを取り出した。


 死ね、メイジャー!


 鈍く重たい発砲音が結界内でこだまする。弾丸は少年を背中から腹にかけて貫いた。


「ジン!」


 そう誰かが叫ぶ。ジンと呼ばれた少年は驚いた表情で振り返る。目が合った。


 慈悲をかけるつもりはない。更に銃弾をぶち込んだ。ちょうど左胸の辺りから血が滲み始める。少年は勢いよく吐血して前のめりに倒れた。同時に周囲を覆っていた青い結界が割れ、辺りに弾丸が飛び回る。周囲の人々は皆悲鳴を上げながら逃げ惑い、辺りは一気に騒然となった。


「は……ザマァ見ろ」


 達成感のある不適な笑みを浮かべてメイジャーを貶す。彼らを逃がさないと言わんばかりのミサイルが至近距離に着弾する。爆風でホープは瓦礫ごと吹き飛ばされ、キーンと耳が鳴ってそのまま意識も沈んでいく。ぴたりとそこで、一度記憶は途切れた。



 ※



 目を覚ますのにそう時間はかからなかった。三度も死の淵に遭って未だ生きている俺は何者なんだろうか。生きてるなら……戦闘に参加しないと。俺は起き上がろうとしたがなぜか立つことができない。足の感覚がない。そっか、足を撃たれたから立てるはずもなく――


 流れで下半身を見て呆然とする。腰から下はどこかに消えていた。もはや痛みの感覚も麻痺して何も気づかなかった。赤い血がどくどくと流れ出していることで何が起きたか理解する。さっきのやつで足が吹き飛んだということだ。


 そう理解した途端に視界がぼやける。体が寒い。力が入らない。灯火が徐々に小さくなるように、命が削られていくのが分かる。


 ああ……これ死んだな。


 人というもの、自分が死ぬというのはちゃんと悟れるんだな。この感覚を誰かに伝えてみたい気分だったが、その余裕も、時間も、もう残されていない。


 誰かの号哭が空高く響く。首だけ動かして横を向く。先ほどとは違う少年とだけ分かった。もう視界が暗くてよく見えないが、何かを抱きかかえてずっと嘆いている……人間だろうか。


 お前も大切な人を失ったんだな。


 憎き敵であるはずなのに、その瞬間だけは何故か同情して涙が出てきそうになった。こっちは何人も死んでるのに、たかが一人死んだだけでどうしてこんなにも悲しく、そして苦しいのだろう。


『それは、あなたも大切な人を失ったからじゃない?』


 ――それは数年前に途絶えた、懐かしの声だった。


 彼女はあの頃の私服姿ではなく、純白のワンピースに身を包んでいた。透き通った白い肌に目を惹かれる。細い腕、小さな手、整った幼なげな顔。


「……そうだ。俺は大切な君を失った」


 名も知らぬ彼女がそこに立っていた。こちらの顔を覗き込む黒い瞳が全てを飲み込んでしまいそうで、あの日と何も変わっていない。


 彼女は俺の目を見たまま、少し寂しい顔をして尋ねる。


『……私がいなくなってから苦しかった?』


「苦しかった……でも君ほどではない。君は拷問の末に亡くなったんだろう? そんなものに比べたら……これくらいどうってことはない」


 俺は彼女に尋ねた。「君も辛かった? 痛かった?」


『……痛かった』


 彼女は胸のあたりに手を置く。『毎日水に漬けられて、鞭で打たれて、デモの首謀者というだけで数えきれない苦しみを味わった。火にも炙られたよ。この姿では火傷の跡はついてないけど』


 ほら、と彼女は一回転する。その純白で無垢な肌を傷つけられることを想像しただけで涙が出てきた。


「ああ……そんな辛かったんだな」


『……泣いてる?』


「泣いてるさ」


 堪えきれず、両目から大粒の涙を流して、咽びながら悔やんだ。


「俺は結局何も守れてない。大口叩いておいて君を守れなかった。その思いを引き継ぐという決意も守れなかった……暴力を嫌う君の考えも守れなかった」


 彼女が眩し過ぎて、目を腕で覆う。「ごめん、ごめん。何もかもごめん。本当はこれから全部償いたいよ。ずっと君の隣で罪滅ぼしをしたい。でも……許されないよな。犯罪に染まった俺は地獄行きだ」


『……私の死因』


 彼女はおもむろに口を開く。『なんだと思う?』


「……拷問死じゃないのか?」


 彼女は首を横に振る。


『私はね、自殺したの。拷問に耐えきれなくなって舌を噛みちぎった……でもね、それって重罪なんだよ』


「……は?」


『ヨミの世界では、自らその命を断つことはとても重い罪なの。あなたは自分が地獄行きだと言ったけど、それは私も同じだよ』


 そう言った彼女の顔は、寂しくもあったしどこか嬉しそうでもあった。


 そして、彼女は俺の脇にしゃがみ、手を伸ばした。


『私の遺志を継いでくれてありがとう。死んじゃってから、あなたをずっと見てたの。私をすごく大切にしてくれたんだね。だからこそずっと苦しかった。それも全部見てたよ』


「……俺は、君のそばにいていいのか?」


 彼女はそこで初めて泣いた。涙を流しながら、バカみたいと笑った。


『もちろん……! もうこの世界にはさよならして、一緒に地獄に堕ちよう。あなたと二人ならきっと耐えられる』


 彼女はさらに手を伸ばした。『ね、逃げよう。世界の果ても越えて』


 世界の果て……結局俺は世界の果てまで逃げることはなかった。だが今となってはそれで良かったと思える。


 たぶん、どこまで逃げたって俺は満足しなかっただろう。幸せを求めたって、叶わなかっただろう。君が俺の幸せを体現しているから。


 この世界には初めから希望など無かったのだ。世界の果て、逃避行の結末に楽園は待ち受けず、絶望と破滅を招くだけだったのだろう。


 俺が求めるラストリゾート……それはこの世界のさらに向こう側にあったのだ。


「ありがとう……そうだ、君の名前が聞きたい」


『私の? ……言ってなかったか』


 彼女は長い髪をクルクルさせながら目を逸らした。


「前に言われていてもまた聞きたい。これから一緒なら自己紹介ということで」


『……そうだね』


 ちょっと恥ずかしげに彼女は言った。『私の名前はメリー・アフロディーテ。これからよろしく』


「俺はケージロー・アヤセ。よろしくメリー」


『じゃあ行こう、ケージロー』


 ケージローはメリーの手を取った。もう痛みも何も感じない。視界が優しい光に包まれる。


 そして、ケージローは静かに目を閉じた。

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