第一章 四幕 2.あっけなし
「くそっ! ハメられた!」
派手に雪を蹴り飛ばして交渉役は怒鳴り上げる。「やっぱりそうだ。あいつらはもともと約束なんて守る気なかったんだ!」
「隊長、まずは落ち着いてください」
そう部下の一人が収めにかかる。「ここは敵地となってしまいました。早急な対応が必要です」
「ああわかってる……」
そう返したものの、苛立ちは隠しきれていない。考えている間も少しずつ雪が蹴り上げられる。「とりあえず逃げ道は無いだろう。魔術師たちが言うには、この手の魔術は術師を殺せば強制解除されるとか……つまりあのメイジャーを殺せばいいってことか。まずはあいつを探し出すとしよう」
とは言ったものの、どこに行けばいいか見当も付かない。そもそもここはどんな場所なのか、何かモチーフはあるのか、完全オリジナルの地形なのか、戦闘を行うにあたって必要となる地理的な情報が著しく欠如している。相手の位置に関する手がかりも皆無な状況。しかしそれは相手も同じであろう。となれば動き回って探すしかない。
「動いた方が寒さも和らぐだろ。行くぞ」
そうして彼らは吹雪の風の中を進み始める。スキーヤーにとっては歓喜するほどのパウダースノー。それが彼らの進軍を妨害する。深く積もったくせして、足を踏み入れると地面まで到達する。何度も地形に足を取られるため、自然と疲労が溜まっていった。
おまけにホワイトアウトしたこの視界では、結局進んでも何がなんだか分からない。うっすら山のようなものや木々の影が見えるが、その方向に進んでも大きくなる気配はなく、結局地理的な情報は集められそうになかった。
「なんて能力だ」
交渉役はそう呟く。アジュシェニュだって、これまで多くのメイジャーと鉢合わせては戦ってきた。それは彼も例外ではない。多くの魔術をその目で見てきたとしても、今回のような能力は初見だった。“陣”とやらものを広げるだけで、一定範囲の人々を強制的に領域に引き摺り込んでくるとは。
奴の魔術は、領域型の魔術と呼ばれるものだろう。一定条件を満たすことで、相手を自身の領域内に転移させる魔術だ。定めた条件をクリアすることで発動する。何発か殴るとか、ある言葉を相手に聴かせるとか……
――お集まりの皆々様、これより私の描く“冬”を体験していただくとしよう――
そう考えれば、アレは詠唱だったのかもしれない。それならこの能力も理にかなうものになりそうだ。条件が緩めなので監禁するタイプだとは考えにくい。やはり自身もここに転移していると考えて良さそうだ。決闘させるタイプでもないので、解除の自由も奴が握っていると推測。やはり見つけ出して殺すしかない……それしかないのだが。
粉雪が横殴りに吹き回る。風の逆巻く音のみが耳元でしつこく鳴り続ける。しかし寒さはあまり感じない。雪があると寒さが和らぐというのは本当らしい。おかげで行動はしやすい。手はまだ悴んでない。銃だってまともに撃てそうだ。今ある問題は本当に視界のみなのだ。
何も分からない土地で、俺たちはどう動けというのか……
そのとき、何かが上空を飛び回る音が聞こえた。戦闘機のようなジェット音ではない、ヘリなどのプロペラ音だ。でもそんな大層な物はあの場になかったことから、無人機かドローンか……とにかく俺たちを索敵しにきたのかもしれない。
「伏せろ」
その一言で全員が雪に潜るように身を隠す。黒い服は雪の上ではよく目立ってしまうため、雪をさらにかけてカモフラージュする。まだ音は聞こえている。周りの雪が溶けて水となり、服に染み込んでは体温を奪ってくる。もう少しの辛抱だ。
体感で数分経ち、そのプロペラ音は徐々に遠ざかっていった。
「よし、もう大丈夫だろう」
と、みんなは起き上がる。起き上がってから交渉役は考えた。
あの飛行物体は次の捜索ポイントに向かったのか、それとも捜索を終了して元の場所に戻ったのか。仮に前者であれば見つかるリスクが高まる。しかし後者であった場合、敵を見つけることが出来るかもしれない。前者だったとしてもいつかは元の場所に戻るだろう。何も情報がつかめない今、数少ない手がかりを得るためにあの飛行物体を追わない手はない。
「音はどっちに消えたか」
と周りに確認をとる。少しバラバラだが、ほぼ全員が同じような方向を指差す。というか耳を澄ませばまだ音は聞こえる。
「急ぐぞ。音が聞こえなくなってしまう前に」
駆け足で移動を始める。あの音を逃せば最後、俺たちは再び孤立してしまう。飛行物体は俺たちの足よりはるかに速い。しかし捜索ポイントでは旋回などしてそこに留まる必要がある。その間に追いつくことができれば、ついていくことは十分可能だろう。アジュシェニュは白銀に囲まれた土地をただひた走る。なぜか音が近づいてきた。旋回しているのだろう。予想は外れたが見つからなければいい。少し伏せてやり過ごしていれば……
重たく弾かれる金属音と爆発音。その直後、後ろにいた構成員の一人が短く声を上げて倒れた。
「おい! 大丈夫か!」
脇腹の辺りを押さえて呻く。そっとその手をどかしてみる。黒い血がどくどくと溢れてくる。
「狙撃……!」
なんてことだ。俺たちはとっくに居場所が割られていたんだ!
動揺が周りに伝播する間にも、銃声が次々と鳴っては兵士が倒れる。残りはほぼヘッドショット。確実に
「この場を離れるぞ! 動ける者は走って離脱しろ!」
そう叫び、走って移動を始める。
「待ってくれ! 俺は、俺はどうなるんだ!」
腹の辺りを押さえながら這いつくばって来る。だが悪い、お前を助けている暇はない。
「待っ……」
トドメの一撃が入り、男の声は途絶えた。振り向きもせずにアジュシェニュは移動する。
「ぐあっ」
それでも狙撃を完全に防ぐことはできない。いくつかの兵士がその餌食となり、吹雪の中に消えていく。やられた奴には構う義理もない。まともに生きている奴が最優先だ。それで早くあいつを殺さねば。
また一人、また一人と消えていく。スナイパーから遠ざかるように進路を変更する。背を向けてしまうのは逆に狙われやすい。ジグザグに進みながら遠くへと向かう。
「っ……!」
顔面を銃弾が掠める。別方向からの狙撃。逃げられないよう二人体制か。
一気に速度を上げ、射程距離から離脱する。
「走れ! これ以上死なれてたまるか!」
後ろを向いては叫び散らす。武器を捨ててまで一目散に逃げ続け、はぐれてしまった奴もいる。それでも逃げ続けた。無様であっても生きていればそれでいいのだ。
「もう……来ないか?」
狙撃の音はぴたりと止み、交渉役は止まった。「なんとか逃げ切れたか」
ついでに人数を数える。五十人以上いた兵士は半減してしまっていた。でもまあ良い。狙撃の手からは避けることができた。
そのとき、再び銃声が鳴った。まだ狙撃が続くのか……いや、それにしては音が軽い。
これはライフル銃の音か?
恐ろしい予測を立てた数秒後、それは悲運にも現実となってしまう。
四方から銃撃音が溢れて止まない。これは包囲されている。殲滅する気ならこちらもやらなければいけない。飛び交う銃弾を追ってこちらからも反撃を行う。しかし当たっているかどうかも分からず、ただ全方向から押し寄せる銃弾の波に飲み込まれるほかない。
「いったいどうなっていやがる……!」
混乱する交渉役の視界で、兵が何人も倒れていく。「なぜ俺たちは何もできない……何もできずに終わってしまうのか?」
「そのあたりはよーく
聞き覚えのある渋い声が耳に届く。吹雪の中から影が浮き出てきた。
※
――遡って能力発動直後のこと。
「もう大丈夫だ。みんな上を脱いでいい」
バルバドムがそう言い、周りにいた兵士は上に来ていた迷彩柄の軍服を脱ぐ、その中には純白の軍服が隠れていた。
「流石に暑かったですね」
手を仰いで風をつくりながら、兵士の一人が言う。
「ご苦労だった。して、これからどんな作戦で追い詰めるつもりですか? 隊長」
にやにやした顔で隊長を見つめる。その目の奥には、隠し切れなかった好奇心が煌めいている。
「まずは索敵からでしょう。この吹雪、目視では到底見つけることなんてできない。ここは機械に頼ります」
そう言って取り出したのは、小型のドローンだった。「赤外線サーモグラフィーカメラを内蔵した捜索用のドローンです。熱を持っていれば赤く映る。この環境では、吹雪の中でもすぐに見つけ出しますよ」
「頼もしいな。しかし、見つけた後はどう叩くつもりだ?」
「所定の位置にスナイパーを置き、狙撃で戦力を削りながら進行方向を誘導させ、そこで一気に制圧する予定です」
「なるほどな。そのスナイパーの位置まではどうやって?」
「それこそ、ドローンを使ってですよ」
隊長は自信満々に告げる。
「ほう……具体的には?」
「ドローンのプロペラ音を聞かせ、ドローンについてくるように仕向けます。それでスナイパーの近くまでおびき寄せるだけです」
「本当にそれで上手くいくのかい?」
「バルバドムさん。敵の位置や人数などの情報は、戦闘において不可欠であることは当然ご存知ですよね?」
「無論だ。その情報がなければ、我々は何も手出しすることができず、相手の対策をすることもできない」
「その通りです。しかし今のアジュシェニュを取り囲んでいる環境は非常に悪い。吹雪があたりを真っ白に染め上げ、地形すら把握させるのを阻止してくる。つまり視覚的な情報が一切入ってこない状態なのです。それでもなんとかして情報は欲しい。そんなとき、人間はどんな行動を取るでしょう?」
「……なるほど」
バルバドムは合点がいったようだ。「それ以外の五感を震わせたものに興味を持つ。そういうことだ」
「はい。足音や声のする方向に向かうように、物音がした方向を注視するように、人間は目で情報を掴めなければ他の五感……とりわけ音によって情報を得ようとする傾向があります。今回の場合。ドローンの音を聞くことで彼らは何を推測するでしょうか。少なくとも私ならこう思います。あのドローンを追えば敵の居場所が分かるのではないか……と」
「情報を得るための人間の本能をうまく利用した作戦だ。無事に成功するだろう」
「我々もそう願っております。さて、スナイパーたちには先行させました。こちらはそろそろ制圧ポイントへ移動しましょう」
「私のナビは必要かな?」
「いえ大丈夫です。この七日間で、我々はこの領域の地形を全て把握していますから」
本当に頼もしい連中だ。合同演習を重ねた甲斐がある。私ですら把握し切れていないこの空間を理解し、戦闘に適切な地点まで発見しているとは。
「一応、近くに潜んでいないか確認しながら行きましょう」
そう言って隊長は、サーモグラフィーレンズの双眼鏡を目に当てて見渡す。「大丈夫そうです。進みましょう」
そしてやや早足で進み、森と雪原の境界辺りにやってきた。こちらは身を隠せるが、向こうは遮蔽物も何もない。完全にこちら側が有利な立地だ。
「後は囲むように散開して制圧するだけです……」
双眼鏡を覗きながら隊長は呟く。視界にはまだ赤いものは見受けられない。しかし狙撃音が聞こえ始めた。緊張が一気に広がる。隊長の頬を、汗が一筋流れる。
視界に赤く蠢くものが映った瞬間、体調はすでに叫んで走り始めていた。
「突撃!」
※
「――で、まさかこうも上手く事が運んでくれるとはな」
四方八方から銃を突きつけられ、苦悶に満ちた表情となっている交渉役を煽る。交渉役の他に三人の兵士が生き残っているが、彼らは抵抗する意思を見せようともしない。
「お前ら……約束を破りやがって……タダで済むと思うなよ」
「約束……? 先に破ったのはそちらではないか。自作自演の発信機騒動を起こしたりなんかして」
悪事を簡単に見透かされ、交渉役の顔は徐々に怒りで歪み始めた。
「クソがぁ!」
遂には取っ組み合おうと立ち上がり始めた。
「動くな」
しかしそれより速く、バルバドムのひんやりとした刀が首元に当たった。あっという間に生殺与奪の権利を握られ、唾を飲み込む。
「両手を頭の後ろで組み、地面にうつ伏せになれ」
観念して交渉役はその言葉に従い、雪の地面に顔を突っ込む。それを見た部下も必然的に同じ行動を取る。
「……では確保しろ」
その言葉で隊員が近づき、彼らに手錠を掛けた。「君たちには聞きたいことが山ほどあるんだ。生きてその罪、償ってくれよ」
空間が光に包まれる――
※
そして彼らは現実世界に帰還した。
「お疲れ様です……その、後の構成員はどちらに」
警官が敬礼してきたが、圧倒的に少なくなった人数に違和感を感じる。
「この四人以外は殺害した。死体はこの辺りに散らばっている……なんてことはなく、今も私の領域内で凍りついたままだろう……じきに雪が隠してくれるがな」
「ああ、そうでしたか……」
「……言葉が詰まるのも無理はない。こればかりは、私の性格の悪さによるものだからな」
拘束したテロリストを誘導しながら、バルバドムは悪魔の微笑みを見せた。
「生きてない奴を帰すほど、私もお人好しではないのでね」
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