第一章 三幕 14.歯車は再び動き出す
家に帰ると、ユカが鬼の形相をしてそこに立っていた。
「よくもやってくれたわね……」
それはまさしく、愛に取り憑かれ嫉妬が怨念と化した女性のようだった。「面倒事増やして……!」
「気持ちは分かるが落ち着け。まずその包丁をしまえ」
至って冷静なナリタに怨念の飛ばしどころを失い、ユカはいそいそと包丁をしまう。
「とりあえずいろいろ言いたいことがあるだろう。全部答えるから座ろうか」
「……分かった」
いつもの冷静なユカに戻り、椅子に座る。「まず、今回私をわざわざ敵地に潜らせた目的は?」
「人質とこちらの連絡手段をより確実なものにするためだ。少なくとも誰が囚われてるとかは少し分かるだろ?」
「それはそうだけどリスクが高すぎない?」
「まだメリットはあるさ。非常に危険ではあるかもしれないが物資の輸送も可能。一定の戦力を侵入させて、外から襲撃と同時に内部からも組織の破壊が可能。ゴースト辺りを連れていけば偵察だって容易だ」
「確かに……リスクを補うだけのメリットはあるけど、それは私に一言言ってからやってよ」
「ごめんな。その作戦をする時間もなかったんだ。なにより言うと意識させちゃって、潜在思考が強くなるあまり洗脳されてても何らかのトラブルが起きちゃうこともある。ほら、ユカ演技苦手だし」
「演技苦手……? メイジャー試験のときも」
「ああ、あのときもかるーく、意識に干渉する程度にね」
その事実を知って相当ショックを受けたようだった。ユカは頭を抱えて顔を下げる。
「そんな……上手くできていたと思っていたのに」
「……まあこの話は置いておいて、どうだ? 誰が人質になっていたか分かったか?」
「ごめん……名前聞きそびれた。まずはナリタを殴ってからと」
「えっそんなに怒った?」
「……怒った」
なぜか照れてしまい、頬を赤くして視線を逸らしながら返す。
「ごめんよ、次からはちゃんと言おう」
流石にナリタもまずいと思ったのか、頭を下げた。
「それで、今後の具体的な活動計画はあるの?」
「当分、というかずっと、ユカには人質側で過ごしてもらいたい。生活状況、戦力、どんな構成員がいるかとか。そしてたまに物資提供、偵察要員の派遣だ」
「作戦決行時の運搬は……?」
「代替案も考えられなくはないけど、現状それもユカにやってもらいたい」
「一気に仕事が増えたわね……」
「本当にすまない。終わったら何か欲しいものをあげようか?」
「……カフェ巡り」
「カフェ巡り?」
「私だってそういう年頃なんだし、いろんなオシャレなカフェ行きたいから、ナリタもついてきてね」
「僕と一緒でいいのか?」
「もちろん。代金は全部払わせるから」
「やっぱりね」
財布が苦しいと言わんばかりの表情を見せた。「そこまで言うならよろしく頼むよ」
「分かってる」
そうしてユカはテレポートを使い、戻ろうとする。しかしその前に一つ思い出したことがあった。
「ごめん。二つだけ言わないといけないことがあったんだ」
「うん、なんだい?」
「カイは人質だった。後プリムラって人も捕まってた」
「分かったよ。もう一つは?」
「カイが魔術を習得してた」
「カイが? 獄中で? いやはやすごいなあ……どんな能力だった?」
「……出てこれる?」
「勿論」
どこに引っ付いていたのか、黄色い小人のようなものがユカの肩に乗る。
「これがカイの能力の……名前なんていうの?」
「
と、その肩に乗った小人が名乗る。
「リトルレンジャー……まあそう言うらしい」
「へえ……いい能力じゃないか。戦闘から偵察までいろいろできそうだ」
「そうね。センスはピカイチかも」
「それにはプリムラもいるとなると、思ったより上手くいきそうだな。じゃ、頼むよ」
「任せて」
そう言ってユカは闇の中に消えた。それとほぼ同じ同時にインターホンが鳴る。孤児院の職員から呼び出しだ。
「どうした?」
「玄関前で、会長と名乗る方がお見えですが……」
そういえばジン。特訓目的で置いてきてたんだっけ。わざわざドンさんの手を煩わせてしまった。電話かけたら迎えに行くんだけど。
「わざわざご足労いただきありがとうございます」
「いいんじゃ。ワシも少し体を動かす気になっての」
そう微笑むドンの脇にはジンが抱えられている。ぐったりしているというか、ひとつも動かない。
「ジンは……」
「少し訓練に疲れて寝ておる。特に問題はないから、今日はゆっくり休ませてあげなさい」
「分かりました」
ナリタはドンを見送った後、ジンを抱えて寝室まで運ぶ。ベッドに降ろした際、その衝撃が強かったかジンが目覚める。
「……僕、いつの間に」
「特訓頑張っていたようだな」
横に座り、ナリタが話し始める。「どうだ? 自分が成長した感覚は掴めたか?」
「はい、バッチリ掴めました。と言ってもまだ未熟なので、もう少し技を完璧にしたいです」
「もう質においては並と変わらないかもしれないな」
「もうそんなにですか?」
ジンがガバッと起き上がって詰め寄る。
「ああ、元々の素質に僕やドンさんの教えが入っている。それらは時に強さの足し算ではなく掛け算と化していたことだろう」
「確かに……ナリタさんの教えも分かりやすかったですし、ドンさんの教えも優しく的確でした……カイもこの教えを受けることができていたら」
分かりやすくジンが肩を落とす。
「そのカイなんだが……もう魔術を習得したらしい」
「えっ⁉︎」
「かなり使い勝手ありそうな魔術だったぞ」
「よかった……」
ジンは安堵の息を漏らす。しかし数秒考えたところで、ある当然の疑問が浮かんでくる。
「誰が教えたんですか?」
「プリムラという人らしい。僕は会ったことないが、優秀な人だ」
「そうなんだ……」
その話を聞くと、段々いてもたってもいられなくなる。ジンはベッドから飛び出した。
「休んだ方がいいんじゃないか?」
「カイの話を聞いたらワクワクしてきました。ナリタさん、少し手合わせお願いできますか?」
この感じだと絶対少しでは済まない。晩御飯を作る時間が残っていればいいのだが。
「いいよ。すぐにトレーニング室に向かおう」
とは言え楽しみなのはナリタも同じである。大幅にパワーアップしたジンはどんな攻撃を繰り出すのか楽しみだし、エンフェント族と一度手合わせしてみたかったんだ。
これは僕も歯止めが効くかどうか分からないな。
※
「――と言うわけで今の情報を整理すると、私が協会サイドとの連絡手段となります。必要に応じて物資の提供、偵察人員の輸送も可能です」
「なんか一気に便利になりましたね……」
唖然としてカイが呟く。一筋どころか、光の束が正面から襲いかかってきた感覚だった。ナリタもこんな計画をすぐに思いつくあたり、型破りな性格をしている。
「そして、協会が攻撃に転じた瞬間に内部から反撃を開始する。この計画でアジュシェニュを打倒します」
「なるほど……私たちも計画していましたが、これで繋がりましたね」
「現状、指揮はプリムラさんが?」
「あ、はいそうです」
「それでは指揮系統を変更しましょう。と言っても、私は全体を見れるわけではないのでプリムラさんは続投で、参謀クラスを決めて負担を軽くしましょう」
「分かりました」
参謀はプリムラ自らが指名し、ユカ、カイ、アギトが選ばれた。
「俺を選ぶのは、これまでの仕返しか物好きか」
「単にあなたの考えは現実的でリスクを考慮されている。私たちのストッパーとしての役割を期待してですよ」
「そうか。ことごとく計画潰しても知らんぞ」
「いいですよ。というかしませんよね」
「……当たり前だ」
初めこそ険悪な雰囲気だったものの、今ではすっかり打ち解けている。結束力が強まっている証だ。
「私……あの戦略立ては苦手なんですけど、あと割と飛び回ると思うので望むようなサポートは難しいと」
ユカが降りたことで、プリムラは新しくフレッドを指名した。
「分かりました。頑張ってサポートします」
「よろしくお願いします……さて、あとは一つ」
プリムラが大きく息を吐く。「みなさん、自分の魔術をここで説明できますか?」
「ここでか?」
既に魔術を行使した者はいいが、それ以外の人たちが面食らった表情になる。基本的自分の魔術の詳細は隠すものであり、共同任務でもその全てを明かすことは極めて稀だ。
「もちろん無理なお願いであることは分かっています。しかし今は団結するとき、互いが互いを信用するために、どうか」
プリムラが深く頭を下げた。あたりには沈黙が流れる。誰も微動だにせず、プリムラを見ている。
「……ごめん」
フレッドが沈黙を破る。「話が突然過ぎて固まってしまったよ。でも、敵地のど真ん中で話すべきことではない……少なくとも僕はそう思った」
「……ですよね。メイジャーにとって、魔術の公表は自分の弱点を曝け出すのと同じ原理ですから――」
「だが、言わないとは言ってない」
フレッドがそう宣言し、落としかけていた顔を上げる。「ここから出る際、必ず僕の能力を使うときは来る。その時が来たら遠慮なく披露しましょう」
「フレッドがそういうなら、俺もそうさせてもらうぞ」
ダイレスも乗っかり、プリムラにそう告げる。「だが俺のは戦闘特化だし、見た方が早いし、近づかない方がいいけどな」
「余程危険なんだな」
「たりめぇだ。俺にもなんでこんな能力にしたのか分からんくらいだからな」
ダイレスとアギトは親しく会話する。同世代というものは、どこでも親交を深めやすい。特に男同士の絆というものは切っても切れない関係がある。プリムラには少しそれが羨ましかった。
職業上、やはり女性のメイジャーは少ない。なので会う機会も少なく、親交を深める機会も少なく……親しくなったと思ったら戦死してしまった人だっていた。固く紡がれた想いの糸、プリムラはどこかでそれを渇望していた。メイジャーになってから仕事相手としか人を見なかったことが少しだけあった。でもそれは間違いだと、いろんな人が教えてくれた。
プリムラは手を打ち、みんなの注目を集めた。
「みなさん、それでは作戦を考えましょう。どんなルートでどう他の人も助けるかなど、課題はまだ山積みです」
「そうでした。今一度みんなで話し合いましょう。七人よれば文殊どころじゃないはずだ」
「いいことです…………とりあえず、何についてでも……話しませんか……? 時間は……たくさんありますし」
「そうだな。みんな集まってくれ、ユカさんも」
「ええ、分かってるわよ」
ユカを加え、七人となった彼らの表情は、人質であるとは思えないほど生き生きとしていて、盛り上がった空気はその場を和やかにしてくれていた。
※
「……結局出前頼む羽目になったなあ」
肩で息をするナリタは、
「はあ……なんですか?」
「飯食べたらその後もやるだろ? それまで回復するために何食べる?」
「何かいいのありますか」
既に何十回も行ってきて、思考すらままならない。ジンは適当に返してしまう。
「相当疲れてるから……カレーとかでいいか」
「いいですよ……」
その内容も理解せす、ジンはかろうじて答えた。
待っている間、ナリタにはとてつもない好奇心が湧いていた。
ジンとの手合わせ。それは想像をはるかに上回る激戦だった。今までとは二段三段と強さが違う。魔術も合わせた、ユーモアに富む戦法の数々。今回覚醒を見られなかったのは残念ではあったが、今の戦力を計るためには十分だった。
※
「ありがとうございます」
ジンが出前のカレー弁当を受け取る。すでにぐったり倒れていたジンはいない。タフさも向上している。継戦能力も上がっていることが十分にうかがえる。
「ナリタさん、カレー来ましたよ」
「お、わざわざありがとうな」
「いえ」
そう返して、ジンはテーブルに弁当を置く。二人は席について手を合わせる。
「いただきます」
ジンはとんでもない速さで平らげる正面で、ナリタにはある案が浮かび始めていた。ぼんやりとしながらスプーンを小さく動かし、口に入れる分のカレールゥとご飯を軽く混ぜる。
……もしかして、これを応用できたりしないか?
エンフェント族の気弾術。色によって効果が異なる気弾。もしそれらの色を組み合わせ、合体した効果となる気弾をつくることができたら……
「今楽しいこと浮かんだ!」
ナリタは突然テーブルを叩いて立ち上がった。「ジン、このあとまだ動けるかい?」
「え? まあ動けますけども」
「新しい技を開発できるかもしれなくなってきた。ジンも使ってみたいと思わないか? 超伝導を起こす電気玉とか」
「ちょうでんどう……?」
ジンにはよく分からなかったが、多分すごいことだけはわかってる。ジンも期待と高揚が止まらないと言った感じだ。
「これが終われば、いよいよ掃討部隊の人たちと特訓を重ねよう。いいか? 次は少し厳しく行くぞ」
「はい! どんとかかってきてください!」
カレーを食べ尽くし、二人はまたトレーニングルームへと進む。わずかながらも、ようやく膠着していた状況が動き始めた瞬間であった。
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