第一章 三幕 13.想定外
「……いつ聞いても胸が痛む」
ナリタがややひきつった顔で感想を述べる。「でも、ユカはよく立ち直れたと思うよ」
「サクラの話を聞いてわかったけど、私は苦しんだ期間が短かった。だからトラウマがそこまで残らず、精神が死なずに済んだんだと思う」
「ちゃんと人々に触れる機会もあったからな」
ナリタは加えて尋ねる。「列車の中で言ったメイジャーになった目的……月の謎を確かめるというのは本当か?」
「……申し訳ないけど嘘だよ。確かに気になるけども、そう言うのは天文台の人とかに任せたらいいし、私の能力では何も解決に繋がらない……私の目的は、この世から奴隷制度を完全に撤廃すること。経験してきたから分かる。アレはあってはいけない」
「……だよな」
お互いが沈黙したところで携帯が鳴る。
「コタローさんから」
ユカはそう言って電話に出る。「はい、ユカです……分かりました」
短い返事をして電話を切る。
「アジトを見つけたって」
「やっぱりあっちだったか」
やれやれとナリタが立ち上がる。「行くか」
「……うん」
二人はまた、雨の中を進み出した。戻りはどちらかというと下り坂気味だし、休憩していたので楽だ。やはり見つからないように、元来た道を戻って別れ道まで戻る。そこから右側の道――ナリタ視点から見れば左側の道へ進路を取る。先程よりは平坦な道が続く。自然と進む速度も速くなった。
「ナリタ、そこの獣道を曲がって」
しばらく進んで、右側にあった獣道に入る。だが獣道としては不自然なほど道幅が広く、草が綺麗に潰されている。車が通ったのだろう。黒い煤のようなものも僅かについている。
「どうして道の真ん中を歩いている」
突然横から声がかかる。
「あ……コタローさん」
「ここはアジュシェニュの拠点に繋がる道だ。よく車やらが通る。下手に動けば作戦が台無しだ」
「すいません」
やっぱり未熟だ。それを痛感しながら茂みに隠れる。そこから先は、今まで以上に用心しながら進んだ。道から大きく離れ、かろうじて何が通るか見える程度まで距離を置く。しばらく歩いていると確かにジープが通った。あのまま歩いていたら……と思うと冷や汗が少し流れる。
「見えた」
その声を聞いて視線を前に戻す。そこで二人は絶句した。
小屋とかいうものではない、軽いアパートほどの規模の拠点がそこにあった。仮とかではない、本拠点に近い出来。見張り台も完備されている。周りには十数人の監視が待機しており、先程のジープが何台も止まっている。
「いや……そんな」
これほどの基地、なぜ見当たらない? ユカは混乱しそうだった。これでは空から丸見えだ。エンダーの能力で容易に見つけることができる。それに……
「でもこんなに近いところなのに……なんでコタローさんの“陣”が反応しなかったんですかね?」
それを言う前にナリタが尋ねた。
「それは……これを見れば分かる」
コタローは携帯を取り出し、航空写真の地図を見せる。「見ろ、ここが私たちの現在地周辺だ」
それを見て、二人は自分の目を疑った。
そこに基地などなかったのだ。ただ木々が茂る森の一部分を切り取った画像が表示されている。鉄の一つもありはしない、ただの自然林の風景。
「いや……この写真が昔のとか、じゃないですか?」
「私もそれが気になった。なので調べた」
コタローはもと来た方向へ歩く。「基地が見えたとき、二人も何か違和感を感じただろう?」
「違和感……」
違和感と言えば、一つだけユカに思い当たることがある。基地がだんだん見えてきたのではなく、あるとき突然現れたような感覚だったのだ。
「ナリタ、私には基地が一瞬で出てきたような気がしたんだけど」
「僕もだ。霧が晴れたように突然出てきた」
「そうか。私も同じ感覚を覚えた」
コタローはある位置で止まって、足元を指差した。「そして、この答えがここにある」
特にそこに何かがあるわけではない。ただの草木が生い茂る地面だ。
特に通過しても何も起こらない。コタローさんは幻術にでもかかっているんじゃないか。ナリタはコタローの目を見た。
「何もない、と言いたげだな。だったら後ろを見てみるといい」
そのまま二人は、きょとんとした目で振り向く。
「……な……!」
その瞬間、二人は目を見開き、言葉を失った。
目の前に先程まであった基地は霧のように消えてしまい。視界の向こうにはただの森しか広がっていない。別に視界不良で遠くが見えないから基地が見えないとかではない。本当に消えてしまっているのだ。
「どうなって……」
「少し踏み出してみろ」
言われるがままにナリタは動く。慎重に、ゆっくりと前へ進む。
すると突然、目の前に再び基地が現れる。驚いたナリタが少しだけ後ずさるとまた消える。それに気づき、何度か軽く前後に移動すること数往復、ナリタはやっと状況を掴むことができた。
「ある地点を境に見えなくなっている……」
「そうだ。この境界は基地を囲うように存在している」
「囲う……まさかこれが」
ナリタは思い出したように、その言葉を口に出す。「魔術結界!」
魔術結界とは、概念型魔術がたまに持つ能力の一つ。魔術として確立されているものや、何かしらの触媒を必要とするものなのがあるが、基本は同じである。
能力を持った魔力のドームを展開し、その内側にある空間全てにその能力を適用させると言うものだ。
「これは恐らく、範囲を設定した際にその範囲内に無かったものを不可視化させるもの……と考えたが、それなら私の“陣”は反応する。したがってこれは不可視などと言う甘いものではなく、
「存在そのものですか……なら目に映らないのはもちろん、音も聞こえず気配を探れず……」
「私の知る限り、このような魔術結界を作り出せるのは一人しか心当たりがない」
コタローは前を見据えながら言う。「元メイジャー協会特殊実行部隊指揮長、イグジスド・ノプルーフ」
今のメイジャー協会調査団の前身とも言える舞台、特殊実行部隊。協会の命を受け、高難度の任務や極秘の任務を扱ってきたエリート部隊である。その中でも全部隊の指揮統制を担う指揮長は絶大な権力を持ち、類い稀なる才能を持つ者のみが許された。しかし五年前の改革以降、特殊部隊は解体され、イグジスドはその際に汚職が次々と発覚して追放された。
「イグジスド……僕らが敵う相手であればいいですが」
「恐らく勝てる。しかし厄介なのはその能力だ。と言っても私も詳しくは知らない。彼の能力は極秘扱いだったからな。唯一知ってることと言えば、彼が遂行した対象の抹消任務は成功率百パーセント。さらに未だ抹消したであろう対象の死体すら見つからないということだ」
つらつらと述べられた語句から察するに、人を消すことに特化した能力を持つようだ。確かにその周りを強い武芸者などで囲われると面倒な相手となる。
「相手の盤面を崩しながらの強攻作戦……としけこみたいですね」
「なるほど、具体的には?」
「例えば、拉致されているメイジャーと連携して奇襲を仕掛けるとか」
「その連絡手段なども考えなくてはいけないだろう」
「知ってますよ。だからそれをどうするか……うーん」
ナリタはちらりとユカを見る。ユカは結界付近を行き来しながら、自分の手をくるくる回したりして何か思い悩んでいた。ユカのことだ。どうにかして“
そしてナリタはユカの方へずんずん進む。
「ユカ」
「どうしっ」
そこでユカの声は途切れる。ナリタが頬を抑え、顔を近づけてじっと目を見つめてきた。
「ナ、ナリタ? その、何してるの? 少し恥ずかしいというか照れるんだけど」
やや頬を赤く染めながら、ユカは目線をずらそうとしてくる。それを強引に合わせ、
「大丈夫、すぐにヘーキになる」
とアドバイスした。そしてナリタの目が一瞬蛍光を含ませた、エメラルドのような緑色に光る。
――
するとユカの目がかっと開き、すぐにたるんでくる。
「あ……ナリ……タ覚えと――」
そこでユカの意識は心の底へと仕舞われる。虚ろな状態で立つユカに、ナリタは暗示をかけた。
「君は三日三晩森を彷徨っている遭難者だ。このままあっちに歩け。そうしたら助けがきっと来る」
虚ろなユカはそれに頷き、あたかもふらついて今にも倒れそうな「遭難者」として歩き始めた。
「……本当にいいのか?」
コタローがナリタに尋ねる。「ユカの同意なしにこんなことをやって」
「何も言わない方が遂行時の出来はいいんですよ」
ナリタが歩いて消えていくユカを見送る。「まあ、ユカが一番洗脳にかかりやすいってのもありますけど」
「……思ったより酷いことをするな」
「それほどでも」
「褒めたつもりはない……して、私たちはこの後どうする」
「周囲を調査した後はやることもないので帰りましょう。ユカの洗脳が解けるまで後数十分ははかかるので家に戻ります。あ、帰りは徒歩ですからね、ユカがいないので。その点はご迷惑をおかけします」
「……君の計画は無計画なのか想定内なのか」
ぶつぶつ言いながらコタローは歩き出した。
「思いつきですよ」
そう答えてナリタもそれについていった。
※
そして、意識も朦朧とした少女は基地の目の前まで歩いてきた。もちろん周りの兵が見逃すはずもない。自動小銃を構えて警戒する。
「おい止まれ」
兵の一人が銃口を向けて警告するも、その少女は止まる気配を見せない。ふらつきながら歩くのを止めず、基地へと近づく。
「おい、止まらないか!」
お構いなしに兵士が警告する。幾度か一方的なやり取りが続いた後、
「止まらないか! この……!」
兵士が少女の頭に照準を合わせた。すると、突然少女は前のめりに倒れた。
「……なんだ?」
おそるおそる兵士が脈を確認する。ちゃんと生きている。呼吸もある。ただ気絶しただけのようだ。
「門の前が騒がしいぞ。何があった」
上官から無線が来る。
「はっ、基地の前に女が現れ、倒れました」
「倒れた? 死んだのか?」
「いえ、恐らく気絶だと思われます」
「危険物を身につけていたか?」
「これから確認します」
「分かった。完了次第連絡を寄越せ」
「了解です」
兵士は無線を切り、そばにいたもう一人の兵士を呼ぶ。「おい、手伝え」
その兵士はすぐにやってきて、少女の頭に銃口を向けて構えた。「よし」
それを確認し、先ほどの兵士が銃を降ろしてボディチェックを始める。特に武器はなく、携帯のみがポケットから見つかった。
「特に武器は持っていません」
「そうか……しかし見られたことに変わりは無い。牢に入れておけ」
「どの牢に入れます?」
「こんな所で遭難しているような奴はどこでもいい」
「は、了解しました」
兵士は二人がかりで少女を持ち運び、基地の中に入る。階段を降り、最も近かった牢を開けた。
「新入りだ。仲良くしてやれ」
「え……」
人質の一人が声を漏らしたが、そんなのには構わず少女を雑に降ろし、再び牢の鍵を閉めて持ち場に戻った。
※
「……あのさ」
プリムラが口を開く。「私の目が間違ってなかったら、この人は多分」
「ちょっと確かめますね……」
カイがそーっと、倒れている少女に近寄る。うつ伏せになっている少女をゆっくり起こし、その顔を確認する。
「……ユカさんだ」
「ユカ・メランテだよね⁉︎ どうしてそんな人が……」
「なんですか、ユカさんってそんなにすごい人なんですか?」
「すごいも何もとんでもないよ」
フレッドが、混乱しているプリムラの代わりに説明する。「ユカ・メランテは『空帥』の称号を持つ。つまり『帥』の一員なんだ」
それを聞いたカイはユカを二度見した。確かにすごい能力の持ち主だったが、まさかメイジャートップクラスの戦力だったなんて思いもしなかった。
「でも……これ寝てますよね。しかもどうして捕まるなんてことが起きるのか」
「まあ、起きてから分かるんじゃないかな。今はそっとしておこう」
「はい……」
口にこそ出さないものの、他のメンバーもびっくりしていることは確実だ。アリアは口を押さえてえおり、アギトとダイレスは半信半疑の表情でユカを見る。本物であることは間違いないが、それを受け入れられていないらしい。
※
全員がモヤモヤしながら刻々と時間が過ぎる。そろそろ起こした方がいいんじゃないかとカイが考える。その前に行動に移ったか、プリムラがユカに近寄ったときだった。
「……ん」
ユカがその瞼を開けた。何度か瞬きをして身体を起こし、瞼を擦る。
「あれ……ここは」
「どうも……ユカさん」
……横にいる女性が苦笑いをして挨拶してくる。
「ユカさん、大丈夫ですか?」
「カイ……?」
様子を確かめに来るカイの姿。そして後ろには四人の男女。後ろを見れば鉄格子……鉄格子?
「あれ……私捕まってる?」
「はい……なんでか知りませんけど」
「……ナリタめ!」
突然ユカが怒って立ち上がる。「私に洗脳かけたかと思ったら、どんなところに放り投げてんのよ!」
「ちょ……落ち着いてください」
プリムラが必死になってユカを止める。「ここは敵地ですので、どうか」
「……そうなのね。やっぱりアジュシェニュの」
「……そうです」
思っていることこそ違うのに、二人は揃ってため息をつく。
「さっきナリタさんのせいって言ってましたけど……それは」
「ナリタの魔術には、見つめることで相手を洗脳させられるものがあるの。それを喰らっちゃっただけ。何を考えてるんだか……」
「俗に言う潜入捜査じゃないですか?」
ぶっちゃけナリタさんならそういった作戦も思いつきそうだ。カイは心の中でそう思っておく。「ユカさんの魔術なら、いつでも戻ってこれますし」
「それもそうだけど初めに言ってくれないかな……とりあえず殴ってくるね」
ユカは流れるように周囲の状況を確認し、カメラの死角になる位置までいく。壁に指で文字を書くような動きを見せる。
「よし……
直後、その壁に穴が空いたように、黒い空間が現れる。「
「あ、待ってください」
一歩足を踏み出したところでカイが呼び止める。「いつでも戻れるよう、コイツを持って行ってください」
そう言ってカイは、黄色い小人をユカの肩に乗せる。
「これは?」
「俺の魔術です。監視が来そうだったらソイツを通して呼びますので」
「いつの間に魔術なんて……誰が教えてくれたの?」
「プリムラさんです……さっきの」
カイは、藤色の髪をした女性を指差す。プリムラは軽く会釈した。
「そうですか……カイを育ててくれてありがとうございます。それでは急いでるので」
返答も聞かずにユカは
「……随分せっかちな人なんだね」
フレッドがカイに同意を求める。
「そうっぽいですね」
「何であれコレは歓迎するべきことなのか?」
ダイレスがみんなに聞く。
「さあ……でも……帥の一人なので、心強い……変わりないですよね」
「そうだな」
と、アリアとアギトが順番に答えた。
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