第一章 三幕 12.雨宿りの回想
ナリタたち一行は慎重に元の場所に戻ってきたが、当然そこに人の姿は無かった。
「……やっぱりお願いします」
何とは言わなかったが、コタローには十分理解できる。
「任せろ」
陣を広げ、人の存在を探知する。先程の巡回は見当たらない……かなり遠いところまで行ってしまったようだ。
「林道に沿って探していくとしよう」
ナリタとユカは頷き、コタローの後ろについた。辺りは打って変わって、不気味なくらい静かだ。空も雲が増えてきて、日光が当たらない時間が増えてきた。
本当に動物の一匹も見当たらない。コタローさんが陣を使ったせいで逃げてしまったのか、先の戦闘で危険を感じて離れたか、少しでもいた方が心の癒しにはなるんだけどな。とナリタは思った。
※
しばらく進むと、道が二手に分かれた。コタローが再度陣を広げる横で、ナリタはあるものを見つけた。
「タイヤ痕……かな」
地面についたその痕跡を指でなぞる。「やっぱりそうだ」
乾いた土の上では見えにくいが、僅かにタイヤの痕が残っている。しかし厄介なことに、そのタイヤ痕は両方の道に伸びていた。
「歩きでこんな速いわけないとは思ってたけどな……さて、どっちが巡回ルートでどっちが基地だ?」
「それが分かったら苦労しないよ。二手に分かれようか」
陣を解き、コタローも話に加わる。
「残念だが、人は確認できなかった。かなり遠いところに基地があるらしい」
「じゃあやっぱり、二手に分かれて探しますか」
「そうしますか」
そこで数分話し合い、コタローが単独で右の道に回り、ナリタとユカの二人で左の道に回る。という案に落ち着いた。
「それじゃ、何かあったらユカの携帯にお願いします」
「分かった」
そう言うとコタローはすぐにその場から消えた。僕たちと行動するより、単独行動の方がはるかに速いんだなと、ナリタは思った。
「よし、僕たちも行こう」
「うん」
二人も林道沿いの木に身を隠すように、しかし素早く移動する。空気がどんよりしてきた。顔に湿気がまとわりつく嫌な天気だ。
「ユカの陣はどこまで伸びるっけ?」
「えーっと……今なら半径四十メートルとかかな」
半径三キロの陣を広げるやつを知った後だと情けなく見えるが、これくらいが普通である。むしろユカは伸びる方であり、並のメイジャーは十五メートル程度で上出来とされる。
さらに言うとナリタは陣を苦手としていて、半径十メートルにギリギリ満たない。陣は魔術の系統によって大きく得意不得意が依存するため、このような差が生じる。
「四十メートルか……やっぱりコタローさんの存在って大きいな」
「当然でしょ。特級の上、極級メイジャーなんだから」
逆にコタローさんがいないとここまで無力なのかと痛感する。僕たちはまだ帥としては未熟だ。経験も、実力も、まだまだ足りない。
いろいろ考えながら道なき道を進んでいると、額に水滴が落ちてくる。雨が降ってきた。予想通り雨は僕たちの音を掻き消してくれるが、それはこちら側から音が聞こえないことも同じだ。
木の葉から落ちる水滴が頭に落ち、顔を伝って顎から落ちる。雨はだんだん強くなり、気温が一気に冷える。ユカを見ると既にずぶ濡れだ。髪の先端からも雨水が滴る。だがそれはナリタも同じだ。急激に体温が奪われ、手がかじかむ。
体が冷えると低体温症になり、任務の遂行に支障が出る。コタローさんは大人だし、背も高いから体温をある程度は保持できる。しかもあの人なら魔術使ってどうとでもなる。
対して僕たちは体格が大きいわけでもない。だからどんどん体温が下がるスピードも早い。ずっと動いているであろうコタローさんには申し訳ないけど、ちょっとばかし暖を取る必要がありそうだ。
「大丈夫か?」
念の為ユカに聞く。
「大丈……やっぱり休んだ方がいいかも」
木の幹を掴んだユカの手がぶるぶる震えていた。そして、それはナリタも同じだった。
「そうだな、ちょっと休もう。近くに雨宿りできる場所ないかな……」
「もうちょっと奥に行けば、もう野生の森みたいなものだし、その辺に洞窟でもあるかもよ」
「そんなのあるかなあ」
とは言ったものの、進んでみるほかない。二人は先を急いだ。徐々に勾配が急になる区間が多くなる。ここから先は森と言うより軽く山である。自然と疲労も溜まりやすい。普段ならなんともないであろう。しかしこのゲリラ豪雨にも等しい荒天に晒されるとそうもいかない。
もともと体温を維持するために削られた体力がさらに削られる。ユカの息が荒い。僕も息が上がってきている。やっぱり休んだ方がいいな。
フラグ立てたのに、一切洞窟が見当たらないのは残念に思えたが、幸い岩壁に窪みができている所を発見した。近づいてみるとそこそこの大きさがあり、少し狭いが、二人共雨宿りできる広さがあった。
「しばらく……雨上がるまでだと長いか?」
「いや……別に大丈夫」
「オッケー。んじゃちょっと脱ぐわ」
そう言ってナリタは上着を脱ぎ、力いっぱい絞って脱水する。かなり水を含んでいたらしい。濡れ雑巾レベルに水が出てきた。
その光景を見て、ユカがぼそりと呟く。
「私にもそれができたら……こんな寒い思いしなくていいのかもしれない」
「ユカも脱いで絞ればいいじゃないか」
ユカの頬が赤くなる。
「それができないって言うんでしょ……!」
「だって下着くらい着けてるだろ? 別に上裸になれなんて言ってないし、僕はそんなドスケベ野郎じゃない」
「いやいや……下着でも充分恥ずかしいよ。男子の前でなんて」
「男として見てることに驚いた……師匠一筋かと思ってたのに」
「そんなん関係なく恥ずかしいものでしょうっ!」
羞恥心でいっぱいなのか、耳まで赤くなっている。最早それのおかげで体温上がってるんじゃないかと思うほどだ。
「あー……まあ悪かった。そっぽ向いてるから、その内にすませたらどうだ?」
「……分かった」
ナリタはユカとはほぼ反対の、入り口側を見ていた。布が擦れる音や水が滴る音が聞こえる。なんかこれはこれで暇だったので、テロリストがこっちに来ていたか確認をする。
――
大体一時間前くらいからよく見てみる。車が通った記録は見当たらない。とするとただの巡回ルートだったのかも。タイヤ痕は付いてたのに、残念。
「ユカ、そっち向いてもいいか?」
「……いいよ」
ナリタが振り返る。確かにユカは上を着ていた。だが今度はズボンを脱いで、水を絞ってる真っ最中だった。
「もっとダメじゃん」
すかさずナリタが突っ込む。
「いや、なんかもうどうでも良くなってきて……」
それはそれでどうなんだかなあ……とナリタには思うところもあった。とりあえず思いっきり露出が激しい下半身に目が移らないよう、ユカの顔を見て話す。
「悪いけど、こっちに車は通ってないみたいだ。どうする? 引き返してコタローさんを追うか?」
「追いつかないんじゃないかな……それならここで休んでたい」
よっと小さな声を出し、少しはマシになったズボンを履く。「というか、確認できるなら初めからそうすれば良かったのに」
「まあ……直接確かめるというのも必要だし、なんならまだ巡回中の可能性だってある。コタローさん側が巡回ルートで、こっちが基地への帰還ルートだったりとか」
さらにナリタは言葉を返す。「そういうユカだって、休みたいなら“
「それは……まあ、そうだけど……」
ユカは座り、自身の膝に顔を
「……は?」
「……ごめん。最後の無し」
「いや気になるけど」
「なんでもない」
「何かはあるでしょ」
「なんでもないの」
「それじゃあ“
「初めて会ったときの天気とそっくりだったから!」
慌ててユカが叫ぶ。「だから……その……ちょっと思い出に浸りたかった」
しばらくナリタは、納得したような感心したような意外に思っているような表情をしていた。
「……何か悪かった?」
「いいや」
ナリタはユカの隣に腰を降ろす。「確かになあって、思ったんだよ。四年くらい前だっけ……?」
「それくらいだね……あ〜あのときはごめん……」
「思い出した。孤児かと思って声をかけたら、急に襲いかかってきたんだもん。びっくりしたよ」
「……あの頃は男性不信真っ只中だったから。もともと私は奴隷だったし」
「ユカの境遇はよく知ってる。僕もあの立場だったらそうなるさ――」
※
――話は六年も前に遡る。
とある少女は、とある国のとある富豪に買われた奴隷であった。この世界では奴隷制度は違法とされているのが一般的だが、家の金に困ると子を売りに出す。それは貧困層の中ではごく普通のことだった。
昔からそんな光景を目の当たりにしてきたその少女にとっても、それは当然の行いだったし、それを否と捉えることもなかった。
実際にそれを体験してみるまでは。
おおよそ女の子に課すような労働の量ではなかった。何人も奴隷はいたが、それでも手が回らない。広すぎる屋敷を隅々まで掃除しなくてはならない。家具、天井、壁、庭、果てには飾られた壺の裏側まで。
大勢の華やかな衣装を着た人々が、豪華なディナーを楽しむ裏で、奴隷は蒸かし芋をちびちびと食べることしかできなかった。
夜になると、彼女より少し年上の奴隷数人が主人の部屋に連れて行かれる。彼女は何度かその部屋の近くを通った。中から聞こえるのは主人の怒号とも快楽とも聞こえるような声、女奴隷たちの喘ぎ声。たまには叫び声も聞こえた。そして扉を隔てても異臭が漂う。どのような蛮行であるか悟ったとき、彼女は一日中震えが止まらなかった。
幸いにも彼女にその魔の手が向かってくることはなかった。代わりに仕事が上手くできないと、何度も謝罪を強いられた。何度も土下座しろと命令された。
「どうして立っているんだ! 早く床に跪けよ床に!」
何度も何度も床に額を擦り付ける日々。いつしか名も無き彼女は「ユカ」と呼ばれるようになっていた。幼いから犯せないという倫理観の代わりに、跪かせて徹底的に服従させることに快楽を見出されたらしい。
しかしユカは子供であった。なので何度かその命令に背いた。すると主人はユカを別室に連れて行き、服を脱がせ、鞭で叩いた。まだトゲトゲした鞭ではなく、優しい方ではあったが、小さな子供を痛めつけ、泣き叫ばせ、調教させるのには充分であった。
いたい、いたい、くるしい、やめて、もうやめて、ゆるして、ゆるして――
何度も何度も床に額を擦り付け、何度も何度も鞭で叩かれ、ついにユカは感情を消した。ただ仕事を行う機械と化した。失敗しても素直に謝った。感情を消したというより、恐怖に支配されていたという方が正しいかもしれない。鞭打ちは嫌だから、痛いのは嫌いだから、主人に嫌われたくないから、そういった防衛本能の行く末がこれだったのだろう。
しかしそんな生活に希望が見える。雪解けとともに、メイジャー協会が検挙に乗り出したのだ。調査員が次々にやって来て、主人とその家族と家来のような人たちが捕まった。そしてユカたち奴隷は解放された。
「辛かっただろう。だがもう大丈夫だ」
そう言われ、調査員の一人である男に頭を撫でられた。感情は消したはずなのに涙が出た。
その後、他の奴隷はそれぞれ自立していったが、まだ幼かったユカはそうもいかず、結局あの頭を撫でてくれた男のもとに身を寄せることになった。
男の名はデロイド・レオラトル。と言った。“
そのときのユカは十二歳。しかしその成長スピードは驚異的であり、デロイドも目を見張る才能だった。
酷い拷問に対する自己防衛の名残か、魔力がある程度覚醒していた。ユカの意思によって発現するオーラ。デロイドはまず、魔力をコントロールする方法を教えた。
そしてユカには“
とにかくセンスがあったユカに、デロイドは付きっきりで教えることもあった。デロイドはたまに厳しく、だが普段は気さくで話しやすい親戚のおじさんと言った感覚だった。しかし魔術師としての彼はそつなく仕事をこなした。そんなデロイドに、いつしかユカは、そんな師匠に憧憬を抱いていた。
しかし、いつの時代、どんな場所においても、才能に恵まれた人物は妬まれる運命にある。
翌年の春、デロイドの勧めでメイジャー試験に応募し、合格した。魔術を使える者であれば、合格など容易いものなのだ。
しかしそれから十数日経った晩、デロイドが朝から緊急任務で召集されて外出していたときにそれは起きた。
「お前、俺たちのこと舐めてんだろ」
突如現れた、何歳も年上の男たちにそう言われ、突然殴られる。終始何を言ってるのか分からない。身に覚えのない馬鹿げた憶測がユカに浴びせられる。
「ちょっと待って、私はそんなことひとつも思ってない!」
「嘘つけ!」
ユカは必死に反論した。助けが欲しかったが、師匠は不在、緊急のことなので道場も今日は休みなのだ。だから今道場にいるのはユカと、待ち構えていた数人の門下生しかいなかった。
そのまま数分、ユカは一方的に罵られて殴られた。でも、自分の意見を曲げようとしなかった。
「しぶといな……!」
ようやく仰向けに倒れたユカを見て、主犯格の一人がそう言った。ユカも疲労とダメージが溜まっていたが、その目は未だ反抗の意思を示していた。
「……じゃあいいよ、俺らに逆らったらどうなるか教えてやる」
その顔を見てユカはぞっとした。男性が女性に欲情したときに見せる目をよく知っていた。主人と同じ目をしている。
たまらずユカは後ずさったが、歩いて迫ってくる速度に敵うはずもない。その門下生に右肩を押さえられ、もう一方の手で服を引き剥がそうとしてくる。当然ユカは抵抗し、揉み合いとなった。それを見た他の男たちが揃ってユカに襲いかかる。息遣いが荒い。ズボンが脱がされた。上に来ていたトップスは左肩から脇腹近くまで裂け、下着と肌が露わになる。ユカの目に涙が浮かぶ。
いやだ、犯される、犯される、犯される、逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、助けて、助けて、助けて! やめて! やめてよ‼︎
「もうやめてよ‼︎」
自分でも出したことのない怒号が耳をつんざく。直後、自分の周りに黒い空間の穴が開いた。男たちはその恐ろしさにすかさず離れる。
「あ……」
そして、ユカはゆっくりとその穴に飲み込まれる。最後に見えたのは、主犯格の憎しみと悔しさが混じった表情だった。
※
そしてユカは森林地帯に転移した。道場からどれだけ離れているかすら分からない。
雨がとめどなく降り続ける。それに構わず、濡れた地面も気にせず、ユカは座り込んだ。
結局私は二度、男に凌辱されかけた。師匠はいい人だった。でもそれを踏まえてもなお、二度と男を信じることができない。
女は男の遊び道具。奴隷時代に知ったその話は嘘ではなかった。私はそれを嫌と言うほど体験した。犯す直前に出てくる獣としての本能、その表情を思い出す度に悪寒が全身を駆け巡る。
……会いたい、師匠に。
茂みから音がする。ゆっくりその方向を見る。黒い装束に身を包んだ、高い位置でポニテを結んだ女性。そして緑髪に青い瞳をした少年だった。
少年……男。
女性がその少年の背を叩く。少年は真剣な表情でユカに近づく。
「どうかしましたか――」
「こっちに来るな……!」
反射的にユカは飛び退き、その少年に向かって構える。しばらく少年は呆然と、ユカの頭からつま先までを流れるように見る。
「アオイさん……これは……」
「ナリタ、悪いけど私に任せて」
近づいて来たその女性アオイは、ユカにこう言った。
「服が破れて……下半身は下着しか履いてないね。何があったか聞かせてもらえる?」
雨の中でも鮮明に見えたアオイの顔、酷く切なく、同情してくれている気持ちがひしひしと伝わって来た。
「私は……変な言いがかりをつけられて……それで……」
思い出しただけで体が震える。それを見たアオイは無言で、ユカをそっと抱きしめた。
「辛いことがあっただろうね……でも大丈夫、もう安全だよ」
「……う」
堪えていた涙が溢れ出す。よりきつく抱きしめられる。ユカはその場で泣き叫んだ。溜めていた感情が一気に爆発し、どうにもならなかった。
しばらくして泣き止んだところで、アオイはくるりと回り、もと来た方へ歩き出す。
「ナリタ、孤児を一名保護したって言っておいてくれ」
「分かりました」
ユカの涙は止まらなかった。ナリタはそんなユカに手を差し伸べる。
「一緒に来て」
ユカが上を向くと、ナリタの青い目が一つも揺らがずに自分を見つめていた。「大丈夫。僕はそんなことしない」
堕とされて堕とされて、それでも僅かに救いの手が向けられるなら、繰り返すだけ残酷である。
でも、諦めなかった結果、いつかそのループから抜け出せるのならば……
ユカはナリタの手を取った。
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