第一章 三幕 11.偶発的な衝突

 「少し遅いわよナリタ。儀式に何かトラブルでも起きた?」


「いや全く。むしろ大成功さ」


「それならいい。さっさと始めよう」


 ユカが立ち上がり、壁に手を伸ばす。すぐさま穴が空いたように、黒く渦巻く異次元へのゲートが現れた。


「コタローさん、用意はいいですか?」


「ああ」


 コタローは刀を持つ。黒い鞘に黒い柄の、あの刀だ。


「では行きます」


 ユカが先行する。続いてコタローとナリタがゲートを潜った。


 ※


 ――グリーンウィンド森林公園入口――


 その正門の陰、周りに何百と生えている木の一つの裏側で、ゲートが開いた。その中から一行が出てくる。


「着いたよ」


 着くなりナリタは携帯をいじる。


「エンダーさんの追加情報によると、森に入った構成員は西南西の方向に向かっているらしい。恐らくそこを追っていけば辿り着ける」


「一旦陣を使おう。大まかな位置を割り出してみる」


 こう言ってコタローは目を閉じる。全神経を集中させたコタローの陣は、最大半径三キロメートルにも及び、他の追随を未だ許していない。


 しばし沈黙が流れる。


「見つけた。恐らく付近を巡回している構成員だ」


 コタローは右斜めに向かう林道を指差す。「遠いが、この先にいる」


「ならこの道に沿って森を突き進もう。ユカもそれでいい?」


「虫くらい平気だよ」


 ユカは構わず足を踏み入れる。春だからか、足元には枝や落ち葉が少ない。お陰で音を立てずに進めそうだ。


『コタローさん、後何メートル先とか分かります?』


 既に巡回を警戒し、小声で話す。


『四百から六百メートル先だ。さっき二人に増えた』


『了解です』


 速さよりバレないことが優先事項。コタローの陣を頼りに、三人は巡回に忍び寄る。まだ人影は見えないが、近づくとナリタでも気配を感じるようになってきた。


『一般人……だよね』


『気配の感じではそうだな。でも武器を持ってるはずだ。気をつけろ』


『二人とも、そろそろ見えてきた』


 そう言われて三人とも速度を落とす。軽武装の男が二人、道の真ん中で話しているのを視認する。軽武装と言えど、所持している武器は強力な部類だ。細心の注意を払わねばならない。


 幸いこちらに注意を向ける素振りすらない。まずは第一段階突破。次は無事に尾行できるかだ。できれば声も聞きたい。


『耳がいい人を連れてくるべきだったな』


 ナリタはひとりぼやいた。しかし諦めようとはせず、真剣に耳を澄ましてみる。確か豆知識的なもので、耳に魔力を込めると……やっぱりちょっと聞きやすい。


「なあ、人質の状態ってどうなの?」


「今は至って大人しいらしい」


「メイジャーでも人聞きのいい奴がいたもんだ」


「舐めるなよ、奴らだって魔術が使えるんだ。気を抜くと一瞬でやられる」


「魔術で思い出したが……そういえばこの辺魔獣が出るんだってな」


 魔術という一言にナリタは警戒を強めた。


『魔獣が出るらしい』


 そう二人にも警告する。


『分かった』


『陣で周囲を確かめようか?』


『一般人なら悟られることはないでしょう。頼みました』


『分かった。少し止まれ』


 コタローは目を閉じ、先ほどと同じように陣を広げる。陣で察知できる気配は複数あるが……みんな離れていく……


 いや、一体だけ向かってくる。


『ナリタ、ユカ、一体向かってくるぞ』


 二人は動じず、こくりと頷いた。


『離れましょう。戦闘の音が聞こえたらまずい』


 一行は素早く巡回から距離を取る。音を立てそうな枝が落ちている場所などを避け、なるべく獣道を通って離れる。


「やはりこちらに来るか……ナリタ、ユカ、戦闘の準備を。相手は実力未知数の魔獣だ」


「了解」


「それにしてもしっかりこちらに来るのか……相手はバカなのかそれとも手練れなのか――」


 コタローの言葉が途切れ、バッと後ろを振り返る。「バカな……」


「……どうかしました?」


 不安を感じてユカが尋ねる。


「……ありえないスピードでこちらに向かってくる! 会敵まで推定五秒!」


「五秒⁉︎」


 ナリタが叫び、一気に立ち止まって迎撃体制に入る。「もう逃げている暇はありませんね!」


 それに応え、三人は後ろを向く。


「……来ますか?」


「いや……対象の移動速度は低下した。会敵までは十秒ある」


「了解……!」


 ナリタが青いオーラを立ち昇らせる。


――真眼・発動――


 魔力が凝縮された蒼眼で、何とかしてその姿を捉えようと集中する。


「ナリタ。私もなるべく止めてみるよ」


――三千大千無限世界アナンタウォール――


 おそらく目の前には、魔力が尽きない限り生成される空間の壁が広がっているだろう。これなら充分に捕捉可能だ。


 コタローも刀のつかに手をかける。そして奥から、何かが土煙を舞い上げながら突進してくるのが見えた。


「ヒャッホ――――イ!」


 姿もよく見えないよく分からない魔獣は、そのまま三人を突っ切ろうとしたところ、ユカが前方に展開した“三千大千無限世界アナンタウォール”によってその猛進をいとも容易く防がれた。


「なーんだこれは……?」


 土煙が晴れ、魔獣の全貌が明らかになる。


 ガゼルよりは筋肉隆々で、チーターよりは引き締まった動物のような足。それで二足歩行できているのが不思議なレベルに動物だ。細身の身体。気味が悪いのは、そんな身体に一般的な若い成人男性の頭が乗っかっていることだった。しかし顔とは裏腹に、肉食獣を想起させる鋭い爪は、三人の警戒心をマックスにした。


「これは突破不可能な空間の壁。諦めて止まりなさい」


「やだね。壁があるならそれを突き破るまでだ!」


 その魔獣は更に足の回転を上げる。


「なっ……」


 空間の生成が追いつかない……!


「ゴールが見えてきたぜ!」


 じりじりとその速度に押され、ついに魔獣は無限とも思われた空間の壁を突破した。その勢いのまま三人の間を猛速で抜けていく。その後からは、台風と遜色ない暴風が吹き荒れた。


「スカートで来なくて本当良かった……!」


 今日は白の長ズボンだったユカがしゃがみながら叫ぶ。一通り風が過ぎた後、三人は立ち尽くして明後日の方向を見ていたが、あの魔獣が戻ってきていることを確認してすぐさま迎撃体制を取る。


「いやいや、うっかり追い越してしまった」


 顔が人間であるせいだ。妙に流暢に話しかけてくる。「あれは一体どんな魔術だ?」


「その前に、あなたが敵が味方かを判断する必要があります。こちらはメイジャー協会調査団です。双方の立場を明確にするためあなたのお名前、そして所属をお聞かせ願えますか」


 気味の悪い魔獣は、その言葉を聞くや否や、自信たっぷりの笑みに変貌する。


「……五大魔獣、No.5、瞬速のルーチェだ」


「なっ……」


 ユカが声を上げると共に、残り二人もその名に冷や汗が出てくる。


 五大魔獣――魔獣の総本山、魔獣界の頂点に君臨する五体の魔獣。魔獣もメイジャーと同様にランク付けされる中、五大魔獣は個々が特級及び極級の強さを持ち、メイジャー協会最高戦力と名高い帥を複数人相手できるとされている。


 しかしこいつは末端の五番目。そしてここにいるのは三人の帥。相性次第では圧倒できなくもない。


――能力の眼カクツケ――


 ナリタがその真眼を行使する。魔力量、身体能力……確かに五大魔獣に相応しい。ナリタが唾を飲み込む。二つ名通り、その驚異的なスピードが持ち味のようだ。


「紛れもないNo.5ってことですか。それで? さっき足止めしたことを賞賛しに来たのか?」


「いや……戦いにきた」


 そりゃ魔獣だもんな。うん、しょうがない。


「その気なら、僕たちも遠慮なく行きますよ……!」


 ナリタが拳法の構えを取る。ユカが手を伸ばして目の前で三角形を作り、その照準をルーチェに合わせた。そしてコタローは居合の構えを取る。


「オレの速さについて来れるかなっ!」


 そう一言残し、ルーチェはその場から消えた。


 周囲を小動物のように駆け回る。かろうじて影だけが捕捉できるものの、追うことは不可能だ。故に三人はその場から動くことすらできなかった。


 一旦腕を下げ、周囲をきょろきょろしてルーチェを探していたユカだったが、どれだけ頑張っても影しか見えない。焦りが顔に出てきたときだった。


 ユカの左にルーチェが姿を現す。その気配を敏感に察知し、魔術の照準をルーチェに合わせる。しかしルーチェは想像よりも間近に迫っていた。


――空間拡ショック――


 駄目だ、間に合わない!


 ユカは手を解き、右腕を後ろに回す。


――空間縮小移動インスタントワープ!――


 ルーチェの爪撃は空を裂き、ユカは一瞬で十数メートル後方へ下がった。


 再度ルーチェが迫る。しかし今度はそれを予測し、ナリタが横から迫る。


――霊拳!――


 オーラを込めたナリタの拳が、脇腹に命中する。ルーチェは苦悶の表情を浮かべ、ナリタから離れる。

 この打撃でそこそこダメージが与えられるなら、ルーチェは比較的打たれ弱いな。速さと引き換えに防御力を失ったのかも。


「コタローさん! ルーチェはそこまで硬くありません!」


「そうか」


 その返事が届くと同時に、コタローはナリタの横を掠めて行く。刀を抜き、胴を両断しようとルーチェに突っ込む。


 ルーチェが腕を出し、刀と爪が高い音を上げてぶつかり合った。僅かに爪に喰い込むも、切断は難しいようだ。


「なかなか爪は硬いな」


 そのまま火花を散らして打ち合う。基本的にコタローが、あらゆる方向からあらゆる位置に向けて刀を振り、それをルーチェが爪で防ぐ。素人の目では到底追えないような斬撃を浴びせようとするが、やはり全て防がれる。足だけではなく身体の動きそのものが速い。自分の動きが速ければ自然と動体視力も向上する。このままではこの打ち合いも平行線を辿るだろう。


 ならば、さらに速く動けばいい。


――火雷神ほのいかずちのかみ――


 コタローの魔術は、自然との共鳴である。炎、水、雷など、自然界に存在する現象及び実体と魔力を共鳴させ、擬似的に魔力をそれらへと変換する。


 そして今のコタローは、雷と最大限共鳴した状態。全身を電気が駆け巡り――その動きは雷速と化す。


 先程よりも遥かに速い剣撃。息つく間も与えぬ飽和攻撃がルーチェの逃げ場を奪う。この瞬速を以てしても受け流すのが手一杯である。


 相手は刀一振り、こちらは腕が二本。倍の数でここまで押されることも屈辱である。なんとしてでもその攻撃に穴を開け、カウンターを喰らわせたい。ルーチェはより一層果敢に立ち向かった。今度はコタローがジリジリと押される。これは行けると、ルーチェは踏んでいた。


 しかし、それがルーチェの目を曇らせた。


 コタローが大きく後ろに退がる。追撃を与えんとばかりにルーチェが進み出そうとしたときだった。


――空間拡衝波ショックウェーブ!――


 何かがルーチェの目の前で押し退けるように急速に膨張し、ルーチェを大きく空中に吹き飛ばす。


 状況がわからなくなり、あたりを急いで見渡す。俺はどうやら空中にいるらしい。ダメージはないに等しいが、厄介な魔術だ。あいつだなあの女がこちらに手を向けているのが分かる。そして剣士がこちらを見ている……


 少年はどこに行った?


「空中だと、自慢の速さも使えないだろ?」


 目の前から声が聞こえた。ナリタはルーチェの後を追い、飛び上がっていたのだ。


「お陰で綺麗にぶっ飛ばせそうだ……!」


 右手に魔力が集まる。先程のは比較にならない。圧倒的な密度に凝縮され、瞬く星のような光を帯びる。


「やめろ――――!」


 ルーチェが必死に腕を振り回す。しかしそんな破茶滅茶な動きは、ナリタの演算処理の障害にすらならない。


――全霊拳‼︎――


 加速をつけた蒼拳が腹部に命中する。ルーチェは吐血した。一度静止したルーチェの身体は、縮んだバネが突然その溜まった力を解放するように、勢いよく空中を直線に飛んで行く。


「次はその肉切り裂いてやるクソッタレ共!――」


 捨て台詞のようなものを吐き、ルーチェはあっという間に見えなくなってしまった。


「……行ってしまったが、倒さなくて良かったのか?」


「かく言うコタローさんだって、本気出してませんよね。アレを倒したいなら本気出せばいいじゃないですか」


「確かに正論だな。今は偵察作戦を最優先する関係上、余計な戦闘を避けたいのが私の本心だ」


「同感です……でも、今回の件はちゃんと報告を……」


 疲れた顔で、ナリタがポケットを探るが、次第にあちこちを確かめ、あからさまに焦る。


「……盗みやがったなアイツ」


 予想でしかないが、どうもルーチェに盗まれたらしい。


「しょうがないよ。チェスターさんに作り直してもらおう」


「そうだな……チェスターさん、お手数おかけします」


 ナリタが明後日の方向に手を合わせた。


「にしても……No.5が出てくるなんて予想外でした……あまり戦闘の役には立てなくてすみません」


「本来君の魔術は戦闘向きではないから、そう悲観することはない」


「……そう言っていただけると嬉しい限りです……さて」


 全然嬉しさが表れない声で答えると共に、ユカが土埃を払う。「偵察任務、続けましょう」


「そう、しようか……コタローさん、戻りましょう」


「ああ」


 未だに五大魔獣と会敵し、実際に戦闘した感覚が残り、心をざわめかせる。それこそ、先に控える魔獣大戦の予兆を示唆しているものだと、三人はとうに覚悟していた。

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